2017年06月24日

小泊の「たけ」、再会の地で 〜「津軽」をめぐる旅

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人生において大切な人と、数十年ぶりに再会するということがあったとして、自分はその時、どんなふうに振る舞うだろう。太宰治の小説「津軽」を読むたびに、そんなことを考える。1944年の5月12日から6月5日にかけて、35歳の太宰はこの作品を書くために帰郷し、「忘れ得ぬ人」たちを訪ねて歩いた。風土を描くことはすなわち、「人の心と人の心の触れ合いを研究する」ことだと言う太宰は、旅の体験を踏まえつつ、主人公である「私」と、久しぶりに会った旧知の人々との間に生じる距離感や心の動きを、慎重に、客観的に描き出している。この作品は、太宰が故郷を懐かしんで書いた個人的な記録ではなく、誰の人生にもある「再会」の意味をあらためて、冷静に問い直す小説である。だから読者は主人公の「私」に自分を投影しながら、越し方行く末の「再会」について思いを馳せることができるのだろう。

◆ ◆ ◆

鏡のような水田の平野を過ぎ、山深い峠道を越えると、車窓に海が広がった。津軽中里を出たバスは、車体が古いのか道が悪いのか、上下左右に激しく揺れながら、かれこれ1時間以上も走り続けている。薄曇の下の白波を眺めながら、太宰の言う通りだ、と私は思う。「人の肌の匂いが無い」北津軽の風景。同じ津軽半島でも、金木や中里あたりの内陸部と違って、西海岸まで来ると自然が前面に出てきて、親しみよりも厳しさが勝る。確かにそんな感じがある。小泊までバスで約2時間、と太宰は書いた。73年後の現在は、1時間半。小泊は昔も今も、遠い町なのだ。

「小泊小学校」というバス停で下り、「小説『津軽』の像記念館」に向かった。「津軽」のクライマックス、「私」が子守の「たけ」と30年ぶりに会ったのが、この小泊だ。小学校の裏手の小高い丘の上には、その再会の場面を再現した銅像が建てられている。

太宰は3歳から8歳まで、実家の津島家の奉公人だった越野タケに見守られて育った。タケが小泊に嫁いだ後、一度も会っていなかったという太宰は、「故郷といえば、たけを思い出す」ほど再会を願ったと書いている。人に聞きまわって家を探し当てたものの留守で、あきらめかけた時に偶然「たけ」の娘と会い、運動会が行われていた学校に案内されて、やっとのことで再会を果たす。そんな劇的な場面が、「津軽」の最後に展開する。

 「修治だ」私は笑って帽子をとった。
 「あらあ」それだけだった。笑いもしない。まじめな表情である。でも、すぐにその硬直の姿勢を崩して、 さりげないような、へんに、あきらめたような弱い口調で、「さ、はいって運動会を」と言って、たけの小 屋に連れて行き、「ここさお坐りになりせえ」とたけの傍に坐らせ、たけはそれきり何も言わず、きちんと 正座してそのモンペの丸い膝にちゃんと両手を置き、子供たちの走るのを熱心に見ている。けれども、私に は何の不満もない。まるで、もう、安心してしまっている。足を投げ出して、ぼんやり運動会を見て、胸中 に一つも思う事が無かった。もう、何がどうなってもいいんだ、というような全く無憂無風の情態である。 平和とは、こんな気持の事を言うのであろうか。もし、そうなら、私はこの時、生れてはじめて心の平和を 体験したと言ってもよい。・・・・・・

正座した「たけ」の隣に、足を投げ出してくつろいだ「私」。2人が並んだ銅像は、確かに、学校のグラウンドを見下ろすように建てられていた。耳を澄ますと、会話が聞こえてきそうな2人の態勢。そして距離感。良くできている。これを造った人は、きっと「津軽」を穴の開くほど読んで、研究したのだろう。いろんな角度から見たり、写真を撮ったりしていると、「どちらからいらしたんですか」と声を掛けられた。紺の羽織を着た年配の女性。記念館の人だろうか。長野です、と答えると、「まあ、遠くから」とその人は感心した様子で、にっこり笑った。

「今日ちょうど、運動会だったんですよ」
小学校のグラウンドを指差して、女性が教えてくれる。太宰が小泊に来たのは1944年の5月27日。土曜日だったそうだ。今日は2017年の5月28日、日曜日。グラウンドには誰もいなかったけれど、よく見ればその一角に、白いテントの屋根や骨組みの鉄骨が置かれている。太宰が「悲しいほど美しく賑やかな祭礼」と書いた戦時中の運動会。筵の掛小屋が立ち並び、たくさんの家族が見物したというが、果たして今はどうなのだろう。「もしよかったら、朗読聞いていきませんか」と女性が言う。記念館で「津軽」の読み聞かせをしているのだという。

入館料200円を払って記念館に入ると、左手にガラス張りのテラスがあった。勧められるままに椅子に座ると、正面に銅像が見える。銅像と記念館は一体の施設で、この二つを合わせて「再会公園」というらしい。記念館にはタケの写真や映像、太宰との再会のエピソードを紹介するパネル展示などがある。タケは戦後もずっと小泊で暮らし、1983年に85歳で亡くなった。生前には、直接家を訪ねてくる太宰ファンもいたそうだ。

女性は私と斜向かいに座ると、手提げ袋から新潮文庫版の『津軽』を取り出し、背筋を正してひと息ついてから、ゆっくりと読み始めた。

「津軽。ある年の春、私は、生まれて初めて本州北端、津軽半島を・・・」
語りかけるような津軽弁を聞いて、なるほどそういうことか、と私は納得した。女性はこの訛りを聞かせたいのだ。方言のリズムに乗って、言葉から情景が立ち上がってくる。おばあちゃんが語る昔話を聞いているように、私は物語の中に引き込まれていった。女性は要所を抜粋して読み進めていく。「美しく賑やかな祭礼」の一節を聞いて、「津軽」って言葉遣いが面白いんだな、と思った。太宰の言葉には、聞く人の気持ちを解きほぐすような響きがある。今まであまり意識しなかったけれど。

小泊での再会の場面になると、女性は本を伏せ、目を閉じた。「たけ」の言葉は特に感情を込めて語っているのが分かった。たとえば「子供は、幾人」を「わらしこは、何人」とするなど、アレンジを加えている。朗読というよりも、演技に近い。実際のタケさんもこんな風に穏やかな話し方をする人だったのだろう。語り続ける女性の横顔が、モノクロ写真の優しげな面差しに重なって見えた。

「すごいですね。演劇でもやってらしたんですか」
朗読が終わると、私は聞かずにはいられなかった。女性は片付けの手を休めて、経験を話してくれた。2005年に青森県立美術館の開館プレイベントとして県民参加の演劇「津軽」が上演され、女性はそこで初めて「たけ」を演じた。それ以後、何度か再演された舞台でもオーディションを受けて、「たけ」役を続けたという。

なぜ朗読の活動をしているのか、という質問に、女性は「自分には責任があるから」と答えた。女性はTさんといい、元役場職員。旧小泊村役場の観光担当の部署にいた30年ほど前、村の振興策として「津軽」の銅像の設置を発案したのだという。1989年に銅像が建てられた後は、掃除したり、訪れる人に説明したり、7年後に記念館ができるまで、自主的に管理を続けた。その発案者としての責任感が、今の活動の原動力になっている、ということだった。朗読は太宰の生誕100年の2009年に始め、現在は月2回のペースで続けているという。

Tさんの話を聞き、展示を一通り見て戻ってくると、テラスに夕日が差し込んでいた。閉館時間が迫っている。私には、小泊でもう一ヵ所、気になる場所があった。運動会を見た後、「たけ」が一緒に行こうと「私」を誘う「竜神様の森」。八重桜が咲く小道で、「たけ」は堰を切ったように能弁になり、心の内を語りだす。聞いてみると、森は20年ほど前に伐採されたが、道は残っていて、そこに建て替えられた竜神様があるという。「一緒に行きましょうか」とTさんが案内を申し出てくれた。

記念館を出ると、青い空が広がっていた。手提げ袋と上着を持って出てきたTさん、右手で杖を突いている。脚が悪いのだろうか、と思いながら聞けないでいると、片脚が義足なのだと教えてくれた。10年ほど前に骨の病気で手術をして、膝から下を切断したのだという。
「近くだから大丈夫ですよ。ゆっくり行きましょう」
竜神様はここからさらに丘を上ったところにあるという。私は心苦しくて、荷物を持ちましょうと提案したが、女性は「大丈夫ですよ」と笑顔で固辞した。

振り返ると、家々の屋根が、日の光を受けて輝いている。小泊は思ったより大きな街だ。ここで生まれ育ったというTさんは、「太宰の書くことが他人事とは思えない」と言う。太宰は津軽の人たちを正確に描いている。たとえば「たけ」が30年ぶりに会った「私」に、「子供は、幾人」と尋ねるのはなぜか。親戚関係を重んじるこの地の人たちにとって、子どもの数を尋ねることは近況を知るよすがになる。津軽人の感覚として、そういう会話がよくわかる、という。

10分ほど歩くと灌木の茂みにぶつかった。「ああ、ここにあった」とTさんが、「太宰とたけ再会の道」と書かれた石碑を指し示す。「津軽」の再会の場面の一節が彫ってある。「津軽」の文学碑はここを含めて小泊に六つあり、それらは最近、地域の観光振興のために建てられたということだった。

茂みの切れ目から入っていくと、一本道に出た。両側に緑の灌木。頭上は青い空。さらさらと風が吹き抜ける音がした。明るくて気持ちのいい道だ。昔はここは木に覆われていてね、とTさんは足を止め、空を仰いだ。「もちろん八重桜もあって、花見に来る人もたくさんいたんですよ」
「Tさんもよく来られたんですか」
「はい。竜神様にも通ってお参りしました」
建て替えられたという竜神様は、なかなか立派な建物だった。赤い鳥居と、赤い柱の社殿が、灌木の緑に映えている。Tさんは竜神様にどんなことを祈願していたのだろうか。少し気になったが、訊くのはやめた。

「もし宝くじが当たったらね」と、帰り道、Tさんが唐突に言った。家も同じ方向だから、バス停まで送ってくれるというのである。「ここにもう1回木を植えて」と、Tさんは続けた。「竜神様の森を昔の姿に戻したいんです。土地を買い取ってね。それが私の夢」

小学校近くのバス停まで歩きながら、Tさんは「津軽のむかしこ聞きますか」と言って、「松毬(まつかさ)と姉妹」を津軽弁で語った。「むかしこ」とは昔話のこと。同じ分量の松笠でごはんを作れと言われ、ケチで用心深い妹が松笠を少しずつ燃やしたためにうまく米を炊けなかったのに対し、おっとりした姉の方は気前よく燃やしたために楽に多くの米を炊くことができた、という粗筋で、「津軽」にも出てくる話だ。津軽には「むかしこ語り」の文化があり、だからこそ太宰は古典や民話を題材にした作品をたくさん書いたのではないか、とTさんは批評家のような分析をして、私を驚かせた。

無理をして歩かせてしまったけれど、Tさんは生き生きしているので、私の気持ちは少し軽くなった。灌木の道に、人影が長く延びていた。二つ並ぶその影を見て、祖母と孫のようだと私は思った。

「今度はゆっくり来ようと思います」別れの言葉を言い終わらぬうちに扉が閉まり、最終便は発車した。バス停で見送るTさんが、遠ざかっていく。手を振りながら、私は彼女の「責任感」という言葉を思い浮かべた。「津軽」が再演されるとしたら、Tさんはきっとまた「たけ」を演じるだろう。その時はぜひ見に行こうと思った。Tさんは、私にとっての「忘れ得ぬ人」である。再び会うとしたら、その時は何と言おう。どう振る舞おう。どんな顔をしよう。夕日に染まった海を眺めながら、もうそんなことを考えていた。
 



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2017年06月23日

ミッドナイトラントレ日記317 「焦燥」

気がつくと、パンにはカビが生え、野菜は腐り、排水溝は臭いを放っている。
ああ梅雨とはそんな季節だったと思い出す。
ぐずぐずしていると、事態がどんどん進んでしまう。
追い立てられる日々に、疲れ気味。

11.09km
6分9秒/km
1時間8分23秒
735kcal
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2017年06月16日

ミッドナイトラントレ日記316 「暁星」

夜がすっかり短くなった。
善光寺参道、朝4時。
お参りの人がもう、ぽつりぽつり。
見上げれば、群青の空に名残の星がちらちらと。
今日も晴れなのか。
水不足が心配。

14.404km
6分6秒/km
1時間27分56秒
963kcal
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2017年06月14日

ミッドナイトラントレ日記315 「欠落」

10日ぶり。息が続かない。気持ちが続かない。走っては歩き、走っては歩き。それでも汗をかいた。すっきりした。たまっていたもやもやが流れていって、気持ちがすーっとしていくのが分かった。

この10日間ほど、なんだかイライラしていた。あれは忙しさや疲れのためでなく、単に走らなかったからなのかもしれない。疲れたから走らない、ではなく、疲れたからこそ、走ることが必要なのだ。

11.135km
6分33秒/km
1時間12分57秒
759kcal
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2017年06月04日

ミッドナイトラントレ日記314 「放牧」

次の出走予定は秋。
競走馬でいえば、春の開催が終わり、しばらく放牧でリフレッシュというところか。
10月の松本マラソンをGTとして、そこに向けてまたゼロから積み上げていこう。

12.144km
6分15秒/km
1時間16分5秒
815kcal
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2017年05月30日

Run,Melos,Run 〜黒い風のように

2回目の参加となる「走れメロスマラソン」。

見たかった風景。
岩木山の優美な山容と、鏡のような水田の輝き。今年は曇りがちであったが、コース沿いに広がる津軽平野の美しさをしっかり、目に焼き付けた。

見たかった人、会いたかった人。
ゲストランナーの福士加代子選手(五所川原工業高出身)は、地元での「リオ目指します」宣言と結婚報告はあったとはいえ、意外とおとなしくて拍子抜けした。
ゴール会場でTシャツや缶バッジの店を出している「太宰治疎開の家」のSさん。昨年のレースの後、その疎開の家で太宰治について心のこもった説明をしてくれた。ちょうどJR東日本の車内誌にエッセイを連載している沢木耕太郎が5月号で疎開の家に触れており、そのことをとても喜んでいた。僕のことを覚えてくれていたかどうかは怪しかったけれど。

いまいちだった記録。
言い訳だが、長い直線での強い向かい風が響いた。苦しかった。昨年より2分余り遅れた。でもキロ4分台では走れた。その点は良しとする。

言い訳といえば。
メロス、間に合ったからよかったものの、もし約束の刻限に遅れたら、どうしただろう。くどくどと申し開きをしたか、潔く責任を取ったか。

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2017年05月26日

ミッドナイトラントレ日記313 「二兎」

最近はもう、けっこう速く走ったと思っても、キロ5分台。
フルマラソン向けに、ゆっくり長くという意識でこの1年ほどやってきたが、それがすっかり身についてしまって、走り始めた当初のように4分台で走ることが難しくなったようだ。
ハーフ1時間半という目標は、ネット=実質タイムであと約30秒(出雲くにびきマラソン・2016年)まで迫りながら、未だ達成できず。
フル3時間半という目標は、ネットでは切ってても公式記録となるグロスタイムでは約30秒届いていない(愛媛マラソン・2017年)。
二兎を追う者は一兎をも得ず。
どっちつかずの練習では、どっちも中途半端なままということか。

3年近く練習してきてわかったこと。
「4分台で10キロ」の練習をいくら積み重ねても、42キロを一定ペースで走りきる持久力はつかない。
「6分で20キロ」のような持久力目的の練習だけでは、スピードの感覚が薄れてしまう。

フルはハーフの2倍、と単純に言えない。
そこが面白いところだとよく言われるし、その意味が今では実感を伴って理解できる。
両者は、まったく別の競技と考えたほうがいいのかもしれない。

でもやっぱり、すぐ目の前に2匹いたら、両方とも捕まえたいな。

10.670km
5分33秒/km
59分19秒
698kcal
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2017年05月25日

ミッドナイトラントレ日記312 「雑念」

夜な夜な湧き上がるこの胸のもやもやを。
雨の中を走っても、洗い流せない。

10.705km
5分45秒/km
1時間1分41秒
744kcal
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2017年05月23日

座右の銘

鈴木清順の座右の銘は「一期は夢よ たゞ狂へ」。「閑吟集」の言葉という。
これって、かまやつひろしの「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」の歌詞に通じるのではないか。

「そうさなにかにこらなくてはダメだ
 狂ったようにこればこるほど
 君は一人の人間として
 しあわせな道を歩いているだろう」

奇しくも、今年亡くなった両者の符合。
ああいう独特の立ち位置で、何かを表現できたらいいな。
「閑吟集」、読んでみよう。
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2017年05月22日

ミッドナイトラントレ日記311 「朝ぼらけ」

忙しさにかまけて、また1週間も空けてしまった。

軒下から、ツバメたちの賑やかな声。
いまがまさに、子育てシーズンのピークか。
屈託がなくていい。

9.500km
6分3秒/km
57分32秒
631kcal


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2017年05月15日

そして誰もいなくなった 〜愛媛・新居浜の別子銅山遺構

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 対向車とすれ違うのも難しい山道を、マイクロバスはそろそろと進んでいく。カーブを折り返すごとに高度が上がり、山々の緑が鮮やさを増すようだ。新緑といっても一様ではなく、濃い緑もあれば黄緑もある。その濃淡が美しいのが四国の山の特徴だと、ガイドの女性が教えてくれた。しばらくすると、スギやヒノキの木立の間から、白い墓標のようなものが並ぶ山肌が見えた。植林をしているのだという。江戸時代、銅の精錬の影響でこのあたりは全部はげ山になってしまった。緑を取り戻すため、植林を続けてきたのは住友林業。これまでに植えた木の総数は1億2000万本に上るという。30分ほど上ると茂みが途切れ、頭上に空が広がった。古い石垣が道の両側に現れ、マイクロバスはその間を抜けて、広い駐車場に着いた。そこが東平(とうなる)だった。

 愛媛県新居浜市の別子銅山は、1691年から1973年の閉山までに約65万トンの銅を産出、坑道の総距離は約700キロに上る。後の住友財閥につながる住友家が採掘を始め、江戸時代には長崎貿易で世界に輸出された。明治以降、銅山から化学や機械、林業などの事業が派生し、住友金属鉱山や住友化学、住友林業などの住友グループが誕生、新居浜は住友の企業城下町として発展した。銅の採掘拠点があった山の中には多くの遺構があるが、中でも標高750メートルの山中に朽ち果てた施設群が残る東平地区は、その景観をペルーの遺跡になぞらえて「東洋のマチュピチュ」と呼ばれ、近年多くの人が訪れるようになった。

 バスを降りると、小雨が降っていた。ガイドの女性と運転手が、どこからかビニール傘の束を持ってきて、乗客たちに渡してくれる。マイクロバスは、銅山の歴史を伝える観光施設「マイントピア別子」が主催するツアーの参加者を乗せてきた。マイントピア発着で2時間ほどのツアーは予約なしで参加でき、市民ガイドが案内してくれる。

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 駐車場の一角に立つ案内板の前に集まって、ガイドの女性の説明を聞く。谷を挟んだ正面の山の中腹には明治時代、鉱山鉄道が走っていたという。そのルートがここから確認できるということだが、霧でよくわからなかった。晴れていれば、谷間の向こうに広がる新居浜の市街が一望できるらしい。

 駐車場の脇から、まっすぐに下りる階段があった。神社の参道のような石造りの階段は、200段以上。この斜面は、インクラインの跡だという。「インクライン、ご存知ですか。ケーブルカーのようなもので、斜面にレールを敷き、その上の台車に物を積んで運びました。全国で有名なのは、琵琶湖疏水のものですね。あそこには今も昔のまま残されています」

 ガイドの女性は、資料も見ずに説明する。琵琶湖疏水のインクラインは、京都の小学校に通っていた時、郷土学習で見学したからよく覚えている。でも京都や滋賀はともかく、全国的な知名度があるとはいえないだろう。女性は、雑談するようにざっくばらんに話すのだが、その内容は充実している。年配の人だが、相当勉強しているに違いない。

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 階段の下は草むした広場になっていて、れんが造りの重厚な建造物があった。所々傷んで、古い城の石垣のようだ。これが「東洋のマチュピチュ」のイメージのもとになった、索道基地と貯鉱庫の跡。みんなで見上げて写真を撮りながら、ガイドの女性の説明を聞く。れんがの積み方にはイギリス式とフランス式があり、東平の建物はイギリス式。フランスの援助で建てられた、たとえば群馬の富岡製糸場などはフランス式が採用された。ロープウェーのような索道で、ここから重い鉱石を下ろし、その重力の反動で軽い日用品を上げた。見てきたような語り口はさすが、物が運ばれる様子やそこで作業する人たちの姿が目に浮かぶようだ。

 東平には1916年から30年まで採鉱本部が置かれ、東平坑が廃止される68年までの間、多い時には約3800人が住んだ。社宅や小中学校、保育園、病院などはもちろん、2000人を収容する娯楽場もあり、映画や演劇がさかんに上演されていたという。

 索道基地の広場からさらに階段を下りた林の中に、それらの暮らしの跡は、ひっそりとあった。建物はなく、土台の石垣の傍らに、案内板が立っている。娯楽場から保育園へ、保育園から病院へ。上っていくと息が切れた。すべて坂道。当時はもちろん林ではなかったにしても、この急峻な地にどのように街が形づくられていたのか、想像するのが難しい。

 幹部は別として、一般社員の社宅は狭く、家族は川の字になって寝たという。便所や風呂、炊事場はすべて共同。家は寝るだけだから、別に狭くても構わなかったという。みんなが同じ夢を共有し、厳しい環境で助け合って生きる。そんな暮らしが、かつてここにあった。ひとしきり説明してから、ガイドの女性は、こんなことを言った。

「保育園には、プールがあったんですね。その土台が残っているんですけど、それは丸い形をしているんです。角があるとけがをするかもしれないでしょ。子どもたちが安全に遊べるようにと、ちゃんと考えてつくっているんです。この話を思い浮かべるたびに、私は、ここで暮らした人たちの慈愛というんですかね、気持ちの温かさを思って、胸が熱くなるんです」

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 年月が過ぎ、人はいなくなっても、人が抱いていた思いは、「かたち」としてその土地に残る。それこそが遺構なのだ。そう考えて保育園の跡地に立つと、ここにあった街の風景が垣間見える気がした。

◆ ◆ ◆

 新居浜は祖父母が暮らした地。東平の帰り、今はもうだれも住んでいない家を見に行くことにした。祖父は数年前に亡くなり、祖母はその後、広島の施設に入った。2人とも住友系の会社に勤め、社宅で子育てをした後、その家を建てた。共働きの夫婦。晩年まで、主に台所に立つのは祖父だった。社宅での暮らしは忙しかったが楽しかった、と2人はよく懐かしんだ。隣近所で助け合って子どもたちの面倒を見たり、地区の運動会や祭りにみんなで参加したり。若い頃のそんな思い出を、ことあるごとに聞かせてくれた。

 その家は、門が閉められ、庭は荒れ、電気のメーターが外されていた。門の外から覗くと、玄関先に自転車が2台、そのまま置かれているのが見えた。夏休みに訪れた時にはよく借りて、あちこち出かけた自転車。この家には、私の思い出もたくさん詰まっている。

 これもまた、ひとつの遺構なのだろうか。そこに、つい最近まであった日常は、いつの間にか失われていた。玄関先で見送ってくれた祖父母の姿、2人が話す伊予弁の響き、古い家の独特なにおい。見ることも聞くことも、感じることも、もうできないのだ。自分もそこに属していた家族の暮らしは、「かたち」だけを残して、静かに朽ちていくのを待っていた。

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2017年05月14日

ミッドナイトラントレ日記310 「適温」

なんと、9日ぶり。
半袖で走る。
発汗したが、風による冷却具合がちょうど良く、すこぶる気持ち良かった。
路上の気温表示は14度。
思えば長野マラソンのスタート時(午前8時半)がこのくらいだった。
あの日も、前半は気持ち良く走れたのだった。
「ランスマ」を見て思い出した。
堤防道路で藤森を追い抜いたのは、見間違いではなかった。

9.768km
5分48秒/km
56分48秒
643kcal

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2017年05月05日

ミッドナイトラントレ日記309 「若者たち」

連休になると、地方は華やぐ。
遅くまで街をそぞろ歩く若者たち。
君たち、ふるさとはやっぱり居心地いいか。
そうかそうか、帰る場所があっていいなあ。
いまのうちに楽しみたまえ。

11.851km
5分47秒/km
1時間8分39秒
798kcal
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2017年05月03日

ミッドナイトラントレ日記308 「逆行」

服を買った後、夕食に寄った店にその服を袋のまま置いて帰り、駅の手前で気づいて1km近く走って戻って閉店5分前に何とか間に合う、という失態がウォーミングアップになったのか、今夜は上り坂でも息が切れず、脚が回ってトントントンと調子良く走ることができた。

さあ、今日から4連勤。
がんばるぞ〜

13.76km
6分2秒/km
1時間23分14秒
916kcal
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2017年05月02日

「東北でよかった」

毎日新聞1日付夕刊の4コマ漫画「ウチの場合は」を見て、涙が出そうになった。

空疎な言葉には、思慮深い表現を。
粗野な感情には、品のある知性を。

多くを語らず、絵の力で訴えかける。
粋でシャープで温かな、漫画家のまなざし。
posted by Dandelion at 05:13| 長野 ☔| Comment(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする