2017年05月23日

座右の銘

鈴木清順の座右の銘は「一期は夢よ たゞ狂へ」。「閑吟集」の言葉という。
これって、かまやつひろしの「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」の歌詞に通じるのではないか。

「そうさなにかにこらなくてはダメだ
 狂ったようにこればこるほど
 君は一人の人間として
 しあわせな道を歩いているだろう」

奇しくも、今年亡くなった両者の符合。
ああいう独特の立ち位置で、何かを表現できたらいいな。
「閑吟集」、読んでみよう。
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2017年05月02日

「東北でよかった」

毎日新聞1日付夕刊の4コマ漫画「ウチの場合は」を見て、涙が出そうになった。

空疎な言葉には、思慮深い表現を。
粗野な感情には、品のある知性を。

多くを語らず、絵の力で訴えかける。
粋でシャープで温かな、漫画家のまなざし。
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2017年03月15日

43年前の「終戦」、寛朗君と私

小学校高学年のころ、寛朗(ひろお)という名の友達がいた。彼が生まれたのは1974年3月。ちょうどその月の12日にフィリピン・ルバング島から日本に帰還した残留日本兵、小野田寛郎氏にちなんで名づけられたと本人から聞いて、同い年の私は、自分が生まれた直後に日本中が大騒ぎになったという、その出来事を知ったのだった。

先日、NHKで放送されたETV特集「小野田元少尉の帰還 極秘文書が語る日比外交」は、その小野田氏の29年間にわたる潜伏活動がルバング島に及ぼした影響と、その救出と帰還が、日本とフィリピン両政府の慎重な政治的配慮を伴う外交交渉の成果であったことを、新たに公開された文書をもとに描き出すという番組であった。

そこで紹介されていたのは、私が初めて知る事実ばかりだった。1945年の終戦後、ルバング島のジャングルには小野田氏を含め4人の日本兵が潜伏。彼らは島を「占領」する任務の一環として、ジャングルに「侵入」する島民らを攻撃し続け、29年間で30人の島民が銃撃を受けて殺された。彼らの存在は島民に恐怖を与えただけでなく、産業や道路整備を阻害する要因となり、島は発展から取り残された。日本とフィリピンの経済的関係が深まり、フィリピン側の協力で救出が進められることになったが、問題は小野田氏らが島民を攻撃し殺傷したという「罪」をどうするかということだった。マルコス大統領は、強大な権力で国民感情を抑え込むとともに、「命令に忠実に従った模範的な兵士」として恩赦を与えるという形で、小野田氏の「罪」を問わずに日本政府に引き渡すという方法を提案。引き渡しを受けた日本政府はルバング島の発展のために3億円の「見舞金」を用意したが、マルコス大統領は受け取りを拒否、結局その金を民間に寄付するという形で合意した、等々。

小野田氏は、住民にとっては「山賊」であったが、その行為は戦時の兵士としては正当だった。「不利な状況でも生き延びて味方の攻撃に備える」という特殊任務の教育を受け、「日本軍の再上陸まで占領地を守れ」という命令を受けた小野田氏は、忠実に任務を遂行し続けた。たとえそれが、平時で罪に問われる行為であっても、命令解除を受けていない以上、「小野田少尉」としては、攻撃をやめる根拠はない。番組を見ると、その小野田氏が体現する一貫した理屈をどのように解釈し、位置づけるかということが外交交渉のテーマであったことがよくわかる。日本政府は結局、その問いに対して何の答えも提示できず、フィリピン側の対応に頼らざるを得なかったのだ。

小野田氏の29年にわたる「戦争」は、数え切れない問いを提示しているように思える。戦争とは一体、何なのか。戦時と平時との境はどこにあるのか。戦争で正しいことが、なぜ平時では罪になるのか。あるいは逆に、平時で罪になることが、なぜ戦時には許されるのか。それから、一番大事なのは、なぜルバング島の人たちが、そのような仕打ちを受けなければいけなかったか、ということだ。

番組では、住民を殺した「山賊」ではなく、「職務への責任感」を全うした人物として、小野田氏のことを教える学校の授業の様子が紹介されていた。小野田氏らの襲撃で父親を殺された住民は、かつては復讐を誓ったが、今ではゆるそうと思うと語っていた。「見舞金」による開発が実現しなかった島では今、小野田氏が潜伏した森を「オノダ・トレイル」として整備し、観光客を呼び込もうという事業が進められているという。

小野田少尉は、1974年3月9日、元上官の命令解除を受けて投降。3日後、盛大な歓迎を受けて日本に帰還した。ルバング島ではそこからやっと「戦後」が始まったのである。そのことに気づいていた日本人が当時、果たしてどのくらいいたのだろうか。そして今なお、島では戦争の傷が癒えてはいないことを今、果たしてどれほどの日本人が知っているのだろうか。寛朗君と同じ「終戦」の年に生まれた私にとって、考えさせられる番組であった。

小学校では家も近く、よく一緒に遊んだ寛朗君。中学では疎遠になり、高校以降は消息を知らない。達者でいるだろうか。今でも千葉に暮らしているのかな。
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2016年04月06日

「おかしいは、可笑しい 〜くりくり坊主よ永遠に」

東武百貨店池袋店で5日まで開催された「25周年記念クレヨンしんちゃん展」。
臼井儀人先生の原画展示や、アトリエ再現、記念写真コーナーなどがあり、盛況だった。

しんのすけは、いつも本当のことを言う。
それが面白いのは、大人が本当じゃないから。
欺瞞、世間体、不条理・・・
本当だけでは成り立たない大人の世界。
生きていくのは、確かにいろいろ大変だ。
でも、だからといってあきらめてしまったら、大変は大変のまま。
なぜ大変なのか。
ちょっと立ち止まって観察してみれば、誰にでも見えるはず。
それが見えれば、少しは楽になるんじゃないか。

別に批判するわけじゃない。
おかしいことを、可笑しく描く。
世界の仕組みを、裏側からそっと見せてくれる感じ。
そんな謙虚で冷めた視点が、好きだ。

会場には限定グッズも多数。
ありそうでなかった「しんちゃんくれよん」を買った。

それにしても、なぜ25周年?
漫画の連載開始は1990年8月。
テレビアニメの放送開始は92年4月。
よく分からないけど、まあいいや。
「じゃ、そういうことで」


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2015年11月20日

藤田嗣治とテキストの自立

ひさしぶりの平日休み、国立近代美術館で藤田嗣治の戦争画を見る。
「アッツ島玉砕」や「血戦ガダルカナル」、「サイパン島同胞臣節を全うす」などを見ると、一連の作品が西洋画の伝統の中にある様式にのっとって描かれていることがよくわかる。
近景には入り乱れる人物の表情、遠景には雪山や稲妻などの自然。
敵(米兵)か味方(日本兵)かよく分からない。アッツ島は雪山としてもガダルカナルでなぜ稲妻。
それはリアルな具体的描写というよりも、一種の美に関する理念型だ。
これらの絵のどこが戦意高揚に役立ったというのか、どうしても理解できなかった。
今見ると、むしろ反戦を訴える絵と言った方がしっくりくる。
戦後、戦争に協力した画家とされた藤田は、その責めを負う形で日本を離れ、フランスに帰化した。
戦後70年の今年、肉声のテープが発見されたり、映画がつくられたり、さまざまな角度から藤田の生涯や作品に光が当てられている。
戦争画を描いた藤田の意図は何だったのか。それもさることながら、より追究されるべきは、作品というものが作者の意図を離れ、文脈の中で意味を与えられていく過程ではないか。
テキストは自立する。作品は発表された瞬間から、受け手のものでもある。藤田の絵を見るわれわれの態度が問われているのだ。


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2015年06月24日

カープ男子は決められない

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長野にカープとタイガースがやって来た。
少年時代を阪神帽で通し、大人になってから自覚的に広島を選択し、ここ数年はカープ男子を自任する身としては、見逃すわけにはいかない。

試合開始早々、雷雨に襲われ、長野オリンピックスタジアムは何やら不穏な空気。34分の中断の後、何とか再開した試合は雨と稲光の中、追いつ追われつの展開が続き、打高投低で両チーム合わせて本塁打4本を含む計28本の安打が飛び交ったものの、12回裏まで決着つかず、6対6の引き分けに終わった。試合終了は午後11時48分。若干間延び気味ではあったが、ファンとしては楽しめる試合だった。

先発の黒田と岩田はともにいまいちの出来。制球に四苦八苦して打ち込まれ3失点、4回で降板した岩田に対し、黒田はそれなりに要所をまとめて着実に試合を構築し、7回3失点。打たれても最低限の役割を着実にこなす技量はさすがメジャー帰りと納得させられた。

黒田が描いたカープ勝利の筋書きを台無しにしたのは、ひとえに、決定力を欠いた打線である。序盤から終盤まで、再三の勝ち越し機があったにもかかわらず、とにかくあと一本が出ない。特に9回裏、オ・スンファンを攻略して同点に追いついた後、ノーアウト2、3塁というサヨナラのチャンスを無得点に終わらせるという所業は、帰り支度を始めていた観客を失望の底に陥れ、球場全体に嘆息の嵐を巻き起こした。カープ野球を象徴するようなこの場面が、ある意味この試合のハイライトだったと言ってもいいだろう。

「カープ」。これ即ち、ここ一番で決められず、結果、だらだらと現状を長引かせてしまう様子を表す語なり。用法としては、「あの人は結局、愛すべきカープなのだ」「あれほど決意して臨んだのに、ついにカープに終わった」「あの時、カープでなかったら、私の人生は違うものになっていただろう」、云々。

カープ男子であることは損かもしれないが、悪くはない気がする。





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2014年11月20日

ライブな旅番組の味わい

BS12 TwellVで毎週水曜午後8時半から放送している「鉄道ひとり旅」は、一度見ると癖になる旅番組だ。出演は、鉄道マニアとして知られるお笑いコンビ「ダーリンハニー」の吉川正洋。彼が朝から晩まで列車に乗ったり下りたりしながらつぶやく様子を、手持ちカメラでただ追いかけている。

番組は、朝の場面から始まる。ある路線の起点の駅前に立つ吉川。そこから駅に入り、切符を買い、改札を通り、列車に乗り込む。車内の様子と車窓の風景を眺め、気になった駅で途中下車してみる。駅前を歩き、観光案内の看板を見て、時間があれば行ってみる。「あれは何だろう」と疑問が湧いたら、その辺の人に聞いてみる。ナレーションや音楽は一切ない。

19日の放送は「伊予鉄道・四国鉄道文化館編」。朝、松山市の道後温泉駅前にふらりと登場した吉川は、「坊ちゃん列車」に乗ろうとするが、満席と言われあきらめる。普通の電車で海岸沿いの梅津寺駅に行き、「東京ラブストーリー」のロケ地で海を眺める。乗り換えたJR予讃線の普通列車の車内では、お笑いコンビを組んでいるという学生カップルに話し掛けられる。伊予西条では「新幹線の父」こと第4代国鉄総裁の十河信二の業績を紹介する記念館と、0系新幹線を展示する「鉄道文化館」を訪れ、車掌の帽子をかぶって新幹線の運転席に座ってみる。

癖になる番組の「風味」は、吉川の飄々とした姿だ。芸能人というより、分別をわきまえた若者といった趣きで、目の前の風景や人に素直に接し、感想を述べている。ギラギラせず、うちにこもるでもない。自己と他者との無理のない距離感が絶妙で、見ていて心地良い。

特に語るほどでもない小さな発見の積み重ねが、旅となる。何も考えずにその場に足を運び、成り行きに任せて自分なりのドラマを紡ぐ。そんなきわめて私的な旅のライブ感を映像化したところに、この番組の斬新さがある。
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2014年11月19日

渾身の見出し

「健さん まっすぐ、誠実に
     貫いた男の生き様」

「網走番外地」のギラギラした眼差しに圧倒された。「幸福の黄色いハンカチ」の煮え切らない中年男ぶりに共感を覚えた。年を取っても、時代が変わっても、孤独と真摯に向き合う男を演じ続けた健さん。その姿に自分を重ねて、「不器用な男ですから」と言い訳し、うそぶいていたころもあった。

人生の行く先を照らしてくれる憧れの存在。そんな人が亡くなるたびに、自分も年を取っていることを思い知らされる。アラフォーともなると、誰かに憧れてる場合じゃなくて、そろそろ誰かの憧れにならなければいけないのかもしれない。男は背中で何かを語ることができる。健さんのような大人に、自分もなれるだろうか。

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2014年10月10日

新明解のヒューマニズム

「新明解国語辞典」を開く。
言葉の森に分け入ると、似たような木々のそれぞれに、表情があることに気づく。
目を閉じて、森の奥底に流れる通奏低音に耳を傾ける。
静かで絶え間ないその響きは、言葉を紡ぐ者の、信念の脈動である。

「恋」
…「特定の異性に深い愛情をいだき、その存在が身近に感じられるときは、他のすべてを犠牲にしても惜しくないほどの満足感・充足感に酔って心が高揚する一方、破局を恐れての不安と焦躁に駆られる心的状態」

「愛」
…「個人の立場や利害にとらわれず、広く身のまわりのものすべての存在価値を認め、最大限に尊重していきたいと願う、人間に本来備わっているととらえられる心情」

どんな人間にも「愛」はあるはずだ、という信念。
すり減ってしまった言葉が本来持っていた輝きとは、どんなものだったのか。
こんな時代だからこそ、あらためて考えたい。


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2014年08月08日

千曲の夏、花火の彩り

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大きいの、小さいの。
赤、青、金、緑。
見上げる夜空に、色とりどりの花が開く。

千曲川納涼煙火大会。
花火をこれほど間近に見たのは何年ぶりだろう。

川面が染まり、火薬が匂う。
老いも若きも、歓声を上げる。
輝いては消える光の軌跡。
見つめる君は何思う。

夏の星座にぶら下がって、上から見下ろしたい。
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2014年08月01日

伊那谷の風景、自転車で満喫

JR飯田線が登場する1991年公開のアニメ「究極超人あ〜る」にちなみ、田切駅(上伊那郡飯島町)から伊那市駅まで沿線を自転車で走るイベントが7月26日、開かれた。伊那市職員有志らが企画・運営し、3年目。全国から集まったアニメや自転車の愛好家約100人がそれぞれ好きなコースを約1時間で走り、伊那谷の風景を楽しんだ。

アニメは、東京の高校生らが東海道線経由で伊那市駅まで駅のスタンプを押しながら旅をする物語。旅の最後、田切駅で電車を逃し、午後6時着の目標を達成するため持参の自転車で伊那市駅を目指すという場面がある。イベントは、アニメ公開時に両駅間を走った市職員らの自転車同好会「Cycle俱楽部(くらぶ)R」が2012年、伊那市駅開業100周年記念事業として初めて企画。アニメの舞台をファンが訪ねる「聖地巡礼」を伊那谷の観光PRにつなげようと、原作者のゆうきまさみさんの公認を得て毎年夏に開いてきた。今年は「二度あることは三度R!」のキャッチフレーズで参加者を募った。

田切駅前では飯島町田切区の住民らがテントを設営し、スイカやキュウリなどを参加者にふるまった。午後4時すぎからの開会式では、代官に扮した同町の高坂宗昭町長が登場し、開会を宣言。アニメの主人公「R・田中一郎」に扮し、七・三のさらさらヘアに詰襟の学生服を来て、下駄を履くなど、思い思いの服装をした参加者が気勢をあげた。その後、約10のグループごとに順次、多くの観客の声援を受けながら出発した。

両駅間は最短の国道153号経由で約17キロだが、走る経路は自由で着順は付けず、タイムも計らないのがルール。参加者の中には、駒ケ根市東伊那から伊那市富県に抜ける火山峠(標高853メートル)を越える約27キロのコースを全力で走る「坂バカ」や、カラフルなかつらとスカートで何らかの少女キャラを体現しつつ「ママチャリ」で疾走する中年男性、自転車からの風景をネットで紹介するために小型カメラを身に着けて走る若い夫婦もいた。

午後6時前、伊那市駅前広場に続々とゴール。参加者は主催者に記念スタンプを押してもらうと、満足した表情で健闘をたたえ合った。昨年に続いて火山峠越えに挑戦したという長野市の会社員男性(40)は「この日のために走り込んできた。暑くて苦しかったが、何とか1時間以内で走ることができて良かった」と笑顔。主催者の一人は「地域の協力も年々広がり、ありがたい。多くの人が伊那谷の風景の美しさを肌で感じられる自転車イベントを、今後も続けたい」と話していた。

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ゴール後、伊那市駅前近くの広場で記念撮影する参加者

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2014年06月08日

日々の啄木 B

たんたらたらたんたらたらと
雨滴が
痛むあたまにひびくかなしさ


窓辺に置かれた机の前に座り、
アイデアを絞り続けて数時間。
机の上には書きかけのノート。
ペンを持つ手は動かぬまま。

研ぎ澄ました五感の矛先が行く先を見失い、さまよい始める。
気づけば屋根をたたく雨音がいつしかリズムを刻み、
ぐるぐると、頭の中で回り続けている。

「まあいいか」。
ふっと力が抜ける。
ペンを置き、窓の外に広がる灰色の空を眺める。
雨が空から運んできたのは、ワルツのリズムだった。

やわらかな雨が孤独を癒やす。
たとえばそんな6月の昼下がり。
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2014年06月02日

日々の啄木 A

呼吸すれば、
胸の中にて鳴る音あり。
凩よりもさびしきその音!

眼閉づれど、
心にうかぶ何もなし。
さびしくも、また眼をあけるかな。


死に至る苦しみの中にあってなお、自らの心情を言葉にせずにはいられない。
それは詩人の性なのか。

「即ち真の詩人とは、・・・常に科学者の如き明敏なる判断と野蛮人の如き卒直なる態度を以て、自己の心に起り来る時々刻々の変化を、飾らず偽らず、極めて平気に正直に記載し報告するところの人でなければならぬ。」(「弓町より 食うべき詩」)

谷村新司の「昴」は、この啄木晩年の2首をほぼそのまま生かし、静謐な世界観の中に昇華させた。

詩人が自己と真摯に向き合い、紡ぎ出した言葉は、時代を超えて輝き続ける。
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2014年05月30日

日々の啄木 @

                     飛行機
                             1911.6.27. TOKYO
     
      見よ、今日も、かの蒼空に
      飛行機の高く飛べるを。

      給仕づとめの少年が
      たまに非番の日曜日、
      肺病やみの母親とたつた二人の家にゐて、
      ひとりせつせとリイダアの独学をする眼の疲れ……

      見よ、今日も、かの蒼空に
      飛行機の高く飛べるを。



暮らしに追われる日々、ふと見上げた空。
青と白のコントラストに、心が動き出す。
この空をたどっていけば、どこにだって行けるはず。
空は、都会にも、田舎にも、外国にも通じている。

啄木が東京の空に描いたのは、ふるさとの風景だった。
それは「石をもて追はるる」前の、少年時代に見た山や川。
記憶の中にのみ、残る風景。

空は、時間や空間を超えて、いつもそこにある。
そして、この世に生きるすべての人に開かれている。
日常の中に残された自由の可能性。
それが明日を生きる糧になる。

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2014年05月29日

「古民家で味わう啄木の世界」 伊那の「旧井澤家住宅」で劇団公演

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伊那市西町の市有形文化財「旧井澤家住宅」で24、25日、箕輪町を拠点とする「劇団クラーク地方」の公演が開かれた。築約200年の同住宅は一般公開され、書画の展示などに活用されているが、演劇の公演は初めて。演目は井上ひさし作の「泣き虫なまいき石川啄木」で、劇団は土間や厩、井戸などがある家の中に明治時代の下宿を再現した舞台を設営。3回の公演で計約150人が訪れ、目の前で繰り広げられる100年前の暮らしの情景に見入った。

同住宅は、伊那谷を縦貫した旧伊那街道の宿場町「伊那部宿」に残る歴史的建造物の一つ。木造2階建て延べ約345平方メートルで、江戸時代中期の建築とされる。長年空き家になっていたが、2004年に伊那市に寄付され、同市が全面改修した。改修後は地元住民でつくる「伊那部宿を考える会」が管理している。

「泣き虫なまいき石川啄木」は、明治時代の歌人、石川啄木とその家族や友人をめぐる物語。啄木は故郷の岩手県渋民を出て北海道各地を転々とした後、22歳で上京。朝日新聞社の校正係として働きながら、文学者として自立する道を探った。東京・本郷の理髪店の2階に間借りし、妻と子、母、父とともに暮らしたが、結核に冒され、1912(明治45)年に26歳で亡くなった。劇は啄木が亡くなるまでの約3年間をたどり、狭い下宿の一室で身を寄せ合って暮らす家族の葛藤や、啄木とその友人の金田一京助との交流を描く。

劇団員は公演の企画段階で愛知県犬山市の「博物館明治村」を訪れ、移築保存されている下宿の建物を見学。舞台の構想を練った。古い建物の雰囲気の中で作品世界を再現したいと、「考える会」に上演を提案。同会の協力を得た。今月中旬から機材や大道具を持ち込み、約2週間かけて舞台や客席、楽屋などを設置した。

同劇団は、上伊那地方の住民と東京の「劇団昴」が駒ケ根市で今年2月まで年1回、18年間にわたり開いた「共同公演」に参加したメンバーが「自分たちの劇団をつくろう」と、2012年9月に旗揚げ。「あたたかで人間味ある芝居」を目指し、20〜50代の社会人約15人が活動している。これまでマレーシアの現代劇「アンタウムイという名の現代女性」や米国の作家スタインベックの作品を基にした朗読劇などを上演。公演の傍ら「伊那谷の演劇人口を増やしたい」と、初心者を対象にしたワークショップなどにも力を入れてきた。昨年6月からは2カ月に1回、伊那市の市立図書館で「戯曲を読む会」を開催。台本のせりふを参加者全員で読み合い、声に出して表現する楽しさや、協力してひとつの作品をつくり上げる喜びを伝えている。

今回の公演には10人が出演。3月に本読みを始め、4月からはほぼ毎日、箕輪町の町文化センターなどで稽古を重ねた。劇は8場で約2時間半の大作。芸術という「理想」と、暮らしに追われる「現実」の間でもがく啄木の苦悩とともに、本音でぶつかり合いながらともに生きようとする家族のあり方も見どころだ。劇団代表で演出担当のさいとうのぞみさん(41)=箕輪町=は「問いかけられている内容は、私たち自身のことだと思える」とする。10人は稽古の中でそれぞれの役の意義について意見を出し合い、現代に通じる家族劇をつくり上げた。

公演では、ちゃぶ台や文机が置かれた畳敷きの舞台で、和服姿の役者たちが躍動。さまざまなエピソードを通して浮かび上がる役柄の個性を生き生きと表現し、悲哀とユーモアの均衡の上に成り立つ作品世界を現前させた。声の出演者は、物売りや客引きのせりふを建物の外から入れ、舞台上に当時の街の生活感を漂わせた。

3回の公演はいずれも満員。観客は気迫みなぎる役者の演技を真剣に見守った。上演前には啄木の作品や生涯を紹介するトークショーもあった。長野市の会社員男性(40)は「舞台と客席の濃密な一体感が味わえた。啄木は家族を支えると同時に、家族に支えられていたのだと思う。文学のために生活を否定するのではなく、生活の中に文学を見出した啄木の生き方に思いをはせながら、あらためて作品を味わってみたい」と話していた。




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2013年09月27日

来歴不明系キャラ

コイの季節に乾杯!

カープ16年ぶりAクラス。
立役者はエルドレッド?
それともバリントン?
あるいはミコライオか。
そうはいってもマエケンだろう。

なんて熱く語り合うのも楽しいが、
やはりここはカープらしく、全員で勝ち取ったCSというべきだ。

そんな赤ヘル軍団のマスコットは「スラィリー」。
「イ」が小文字なのがポイントらしい。
その前に、なぜコイではないのか。
実体化の難しさは想像できるが、魚のキャラも見てみたい。

それはさておき。
とにかく3位。
あの「ドアラ」を踏み台にして、よくぞこらえた。
「スラィリー」が一般市民に知れわたる日も、そう遠くはないはずだ。

それはそうと。
日本のプロ野球もそろそろ球団名から企業の名前を外したらどうか。
「カープがドラゴンズを抑えた」
「やったぜイーグルス」
という会話が日常生活で聞かれる世の中になってほしい。

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一度も着ることなく、夏が終わってしまった。
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2013年09月26日

脱力系キャラ

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みかん×犬=「みきゃん」
わが故郷、愛媛県のゆるキャラ。
眺めていると、何もする気が起きなくなる。
わやじゃ。

写生的で、簡明直截なその名前。
さすがは子規を生んだ土地である。

お土産にもらった夜、「ありがとう。勝負パンツにするよ」と受け取った。
その週末の晴れた朝、洗濯して干そうとしたベランダで、ふと思った。
「これでは戦意を喪失してしまうのではないか」
「あるいは相手の戦意を失わせてしまうというべきか」

難儀なグッズを考えたんはどこの誰ぞ。

伊予弁に
亡き祖父の顔
浮かぶ夜






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2013年09月25日

きょうの言葉

「満足して人生のセカンドステージに向かえる」・・・石井一久
日米通算182勝左腕の引退会見。22年前の夏、東京学館浦安のエースとして活躍する姿を、千葉テレビの「高校野球ダイジェスト」で見ていた。同学年の選手が引退するというニュースを聞くのはさびしい。でも彼の言葉は、そんな感傷に浸って満足しようとする私の怠惰な欲求を軽くいなした。「ほかの人と比べて18年遅い社会人スタートです」。ひょうひょうと語る映像に、剛腕と騒がれながら地方大会で敗れた22年前の姿が重なって見えた。加齢の現実をしなやかに受けとめる真摯な理性と感性を、自分は身につけることができるのだろうか。

「ため息ばっかり」・・・クルム伊達公子
24日の試合で世界12位のストーサーに敗れた伊達がコート上で叫んだという。開催中の東レパンパシフィック、私は本選初日の22日、ストーサーの初戦を有明で見た。テニスの観戦は初めてだった。ストーサーの前の試合中に会場に着いて3階自由席のエリアを歩いて座る席を選んでいると、「移動しないでください」と若い係員に注意された。聞けばプレー中、観客はコートチェンジの間を除いて席を移動することは禁止されているとのこと。3階なんだからいいじゃないかと少しむっとしながらも、郷に入れば郷に従えだと波立つ心を静めた。報道によると、伊達は常々「日本の観客はため息ばかりでプレーヤーのやる気を失わせる」という意味の苦言を呈しているという。22日の初観戦では、選手よりも、選手の要求にひたすら気を遣い、まるで奉仕者のようにコート上を動き回る女性係員たちの姿の方が印象に残った。テニスというのはゲームとは別にいろんな「文化」が付属している。テニスは観客の見識を求めるスポーツなのだと頭では分かっても、正直なんだか息苦しさを感じるのは自分が初心者のゆえだろうか。伊達の発言にしても言い過ぎのように感じるが、いずれにしろ初心者の私には「だからこうだ」と断じる資格はない。ちなみにストーサーは初戦、サービスが決まらず、フランスの若い選手を相手に苦戦していたが、気がついたら逆転していた。さすがはトップクラスの選手。テニスは精神力がものをいうスポーツなのだと、これは素人でも断言していいだろう。
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2013年05月24日

二つの部屋

毎日新聞23日付け社会面(東京本社統合版)に掲載された二つの「部屋」の写真が目を引く。
第1社会面には「脱法ハウス」の居室。
第2社会面には死刑囚が生活する拘置所の単独室。
現代を生きる者が直視せねばならぬ「暮らしの風景」だ。

「脱法ハウス」。記事によれば、ネットカフェ大手が都内の住宅地に開設。木造2階の建物に窓のない1.7畳の個室が37部屋あり、「シェアハウス」と称して月5万円以上で部屋を貸していた。借り手のほとんどが「住んでいる」と話す一方で、業者は「住居ではなく、24時間利用可能なレンタルオフィス」と主張し、借り手とは賃貸借契約ではなく業者側から即時解約できる利用権契約を締結。実質的な経営者とされるのは、2000年に放火で4人の死者を出した神戸のテレクラ「リンリンハウス」を運営していた会社の創業者という。「脱法ハウス」はもとは一般住宅で改築届が出てなかったため行政は動けず、救急要請を受けた消防隊員が立ち入ったことをきっかけに消防法違反が発覚したという点も興味深い。

日常の水面下で静かに根を張り巡らす孤独と悪意。
ヘリによる全景写真と、部屋内部の写真が、できれば見ずに済ませたい現実のありようを映し出す。
これこそジャーナリズムの仕事。
毎日新聞の底力を感じた。

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2013年01月16日

年月の鉄槌

毎日新聞の投稿欄「女の気持ち」をいつも読んでいる。
15日付のタイトルは「中学生」。
何かといえば反抗する中2の娘を持つ母親の文章だ。
「話もしたくないほど」だけど、親だから叱ったり諭したりしなければいけない。
それが「目下、嫌なコト」という。

正直なのがいい。
親だから無条件で子どもが可愛い、とは限らないだろう。
親だから、子だから、夫婦だから、友達だから、学生だから、社会人だから・・・
そういうもっともらしい通念が誰かを押しつぶすことがあってはいけない、と思う。
理屈をこねて不機嫌を気取っていた中学生の頃の自分と、それを黙って聞いていたわが母の姿がふいによみがえり、身につまされた。

この人は、自分の父や親友、娘の同級生の保護者から話を聞き、自分の気持ちを確かめる。
中学生というのは、そんなもんよ。
みんなはそう言う。
自分は人間の器が小さいのだろうか。
悩みつつも、みんなの話を聞いて、娘も学校では普通の生徒なのだろうと「少し楽観できた」と結論する。

真剣に書いているであろうこの人には悪いかもしれないが、何となくほほえましい。
38歳、同い年。
やむにやまれぬ心を抱えて、みんな生きている。
そう思うと、何とも言えぬいとおしさで心が一杯になった。


この正月、中学時代の友人から年賀状が届いた。
千葉を離れて10年余。おそらく初の便りだ。
裏には子どもの写真と「もうすぐ1歳です」の文字。
あれ、いつの間に。
家族3人で、新興住宅地のマンションに住んでいるらしい。
大人になっても毎週のように中山競馬場に一緒に通った仲。
そういえばあいつ、どんな顔だったっけ。
あらためて思い出そうとすると、うまく像を結ばない。
懸命に記憶を探るが、顔だけでなく、声も話し方もしぐさも、よく思い出せない。
友人はいつの間にか、抽象的な存在になっていた。
10年は、ひと昔。
多くのものを得た気がするが、失ったものも大きいのかもしれない。
年月の重さが鉄槌を下す。
森鷗外がどこかで確か、そんな言い方をしていた。
真剣に考えると恐ろしくなりそうなので、やめた。
「おれは今を生きるのだ」
そううそぶいて、「またいつか会おう」と返事を書いた。
それにしても知らせてくれよな、そういうことは。




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2013年01月12日

新潟の天気予報

「風雪強い」というのは恐ろしい感じがする。
「晴れ」とか「雪」などという言葉では表現できない天気なのだろう。
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2013年01月09日

ならぬものはならぬのです

「八重の桜」
見入ってしまった。
いいじゃないの。
結局のところ、幕末なら感情移入しやすいということか。
「ならぬものはならぬ」
深い言葉だ…
会津藩士の子弟を教育した10の戒めは、今も小学校で使われているという。
人口でみれば一握りの支配階級のエートスが、明治以降に地域の道徳として浸透したというところが、会津という地域の特性をよくあらわしているのかもしれない。
「ならぬものはならぬ」
どういう意味なのか。
考えれば考えるほど、分からない。


翌日、伊那の老人に「保科正之の話見た?」と聞かれた。
保科正之といえば、会津の初代藩主。
若いころは高遠藩主だった。
高遠は伊那市。
ここではその保科正之を大河ドラマでとり上げてもらおうと市民が署名活動をして、つい最近50万人分の署名が集まったのです。
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2013年01月07日

何を歌えば

年末の忘年会の二次会はカラオケボックス。
米米CLUBの「浪漫飛行」を歌った。
職場のメンバーは8人中5人が20代。
反応はおおむね好意的だったような気がするが。
歌が一覧できる本を探したが、どこにもなかった。
歌が選べないじゃないか。
と思ったが、誰もそんなことは気にしていなかった。

あの選曲は正解だったのだろうか。
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2011年10月26日

わが青春のマンボウ

 この世に生を受けてから、あらゆる意味で私という存在の支えとなっていた作家が亡くなりました。

 北杜夫さん。

 「どくとるマンボウ青春記」、ついこの間、読み直したばかりでした。

 高校生の時以来、約20年ぶり。

 なぜかわからないけど急に気になって、文庫本を買い求めたのです。




 読んでから、職場の先輩Tさんに、感想を話しました。

 信州大学出身で、寮生活をしていたTさん。

 話は盛り上がりました。

 信州大学の寮は松本高校時代と同じ「思誠寮」で、今でも毎年、寮祭が行われているといいます。寮生にとっては学園祭よりも寮祭がメイン。みんなで何ヵ月も前から準備して、演劇やライブ、ファイヤーストームまでやったとのこと。

 懐かしそうに話すTさんの「青春」がまぶしかった。なぜならそれは、かつて私が憧れた「青春」そのものだったから。

 トーマス・マンやゲーテやショーペンハウエルを無理して読んだ学生時代。いくら読んでも、私にはそれを話す仲間がいなかった。

 大学に行けば、みんな文学や哲学の本を読んで、人生について語り合うのだろう。高校時代に「青春記」を読んで以来、そう信じ込んで意気揚々と大学に入った私は、当然のことながら、入学早々に失望してしまったのでした。

 それでもせめて自分ひとりでも、古典を読むことで成長したい。精神の陶冶。今思えばずいぶんナイーヴですが、そういう信念を貫いて、というか、なかば意地になって、人とは違うものを読んだり観たり聴いたりしていた。それが私の「青春」でした。





 それはそれとして。

 今回20年ぶりに再読して、いくつかの発見がありました。

 叙情的ではなく、わりと淡々と、客観的に書かれていること。

 著者が30代の終わりにこの作品を書いたということ。

 いずれの点も記憶の中に残っていた印象を裏切るもので、軽い驚きを覚えたのでした。

 「あの時はよかった」とか「あの日に戻りたい」というのではない。

 「今の自分」につながる「過去の自分」を、あくまで一定の距離を保ちながら、観察し、記述している。

 さすがに、プロの作家だなあと思いました。

 「青春」とは、陶酔のためにあるのではない。それは未来に踏み出すためのステップとして役立てるべきものだ。

 著者のそんなスタンスを感じたのです。

 過去を見つめ直し、自分で自分を再構築する。

 私の人生には旧制高校はなかったけれど、それでもこの齢になって学生時代を振り返ってみると、あの失望や孤独も含めて、「青春」と呼んでもいいのかなと思ったりします。

 人生のある時期のそういう経験が、どのような経路をたどって、今の自分に届いているのか。 

 そろそろ私も、自分なりの「青春記」を書くべき時期に来ているのかもしれません。




 それにしても、年齢を重ねるというのはつらいものです。

 慣れ親しんだ人や物が、この世からどんどんいなくなります。

 実体はなくなっても、記憶は残る。そう言い聞かせてみても、虚しさは募るばかり。

 ゴッドファーザーといってもいい存在を失ったのです。

 しばらくは途方に暮れるしかありません。

 もしかしたら、このつらさを乗り越えるために、人は何かを書いたり、語ったり、つまり形あるものを残そうとするのでしょうか。

 だとすれば、私にもいつかきっと、「青春記」を書く時が来るでしょう。

 幸いにも、わが内なる「ウツボツたるパトス」の火は消えてはいないようです。

 この火を大事に守って、育てていかなければ。





 親愛なる北杜夫様。

 あなたの作品が巻き起こしたシュトゥルム・ウント・ドランクは、20年経った今でも、事あるごとに、私の精神を鼓舞し続けています。

 ご冥福をお祈りします。

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2011年06月23日

伊達じゃない伊達の力

 40歳クルム伊達、元女王に肉薄 

 
 ウィンブルドン2回戦、ヴィーナス・ウィリアムスと互角に渡り合う伊達の戦いに魅了された。

 1996年の準決勝、グラフ戦と同じセンターコート。40歳の伊達は、勝負師の目をしていた。15年前よりも、表情に力がある。身体の内側から湧き出る気迫が、しっかりとプレーに反映されていた。

 言葉ではなく、身体で語る。それがプロだとすれば、この人の最近の活躍ぶりは「健在」というよりも「進化」と表現すべきだろう。加齢によってパフォーマンスはむしろ輝きを増している。昔の自分に戻ろうというのではない。15年前とはまた別の次元で、伊達は勝負している。それはおそらく、40歳の今の自分にしかできない戦いだ。

 試合後、伊達は笑わなかった。険しい表情のままセンターコートを去る後姿を見て、彼女は本気なのだと感じた。「楽しむこと」と「本気であること」はどこまで両立するのか。テニスを楽しみながら、結果を出す。40歳の挑戦は、自己満足ではなく、プロスポーツの新たな可能性を追求する試みなのだいうことを、伊達はこのウィンブルドンであらためて示してみせたのだと思う。
 
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2011年05月13日

このやるせないモヤモヤを

 JTがサイトで公開している廃止銘柄リストに、いつも吸っている「マイルドセブン・スペシャルライト・ボックス」が入っているのを確認したとき、Mは一人の喫煙者として何か言いたい衝動に駆られたが、誰に何をどう言えばいいのかわからなかった。
 備え付けのPCをシャットダウンさせ、散らかったデスクを片づけにかかる。もう10年以上愛用している銘柄だった。どこでも売っているというわけではなく、探し回ってやっと見つけた遠くの自販機まで行って買いだめしていたのだが、ここ数週間はずっと売り切れになっており、家の在庫も尽きかけてどうしようと思っていたところだった。
 いや参ったよと、とりあえず一緒に残っていた隣の席のWに話してみたら、案の定、要領を得なかった。Wは座ったままひとつ大きく伸びをし、その上であくびをしながら、こう言ったのである。
「煙草、やめれば」
 そういう問題じゃない、と思う。Wは1年先輩だが同い年で、仕事以外のことでもわりと気軽に話せるタイプなのだが、煙草は吸わない。だからこうやって突き放されてもWを責めることはできない。「まあね」とだけ答えて、それで会話は終わった。Wばかりでなく、この職場の8割は非喫煙者である。あとの2割だって、知る限り、こんなマイナーな銘柄を吸っている人はいない。どうしたって、話が通じるわけないのだ。
 「おつかれっした」
 「ういっ〜す」
 荷物をまとめ、Wを残してオフィスを出る。エレベーターはいつもながら、3台あるうちの1台が稼動していない。午前0時を過ぎると運転が停止されるのだ。3月下旬以来、東電管内でもないのに会社は節電モードを続けている。「節電」を経費節減の口実にしているのは見え見えで、そういう会社のケチくさいやり方をMは許せないというよりも、「またやってるよ」くらいの感じで半ば諦めつつ冷笑していたのだが、浜岡原発の一件があって以来、そうも言っていられなくなった。計画停電を含め、これからは他人事ではなくなるのだと思うと、気持ちはさらに沈み込む。
 震災の影響が今頃になって身の回りにじわじわと及んで来ている。煙草にしても、去年の大幅値上げ、大震災による出荷停止、と来て、その流れで今回の銘柄の整理というのは何となく予想がつくことではあった。だから、びっくりしたとか驚いたというのではない。
 ではこの気持ちは何なのだ。どう言い表せばいいのだろうと、なかなか来ないエレベーターを待ちながらMはなおも考え続けた。腹が立つ? 確かに。災害に便乗して儲からない商品を切り捨てるというのは、名松線や岩泉線を復旧させないJRのやり方と同じだ。一方的で十分な説明もないし。とはいえ、やり方はともかくとして、売れないものを廃止するのは私企業として当然という気もする。つらい? 確かに。味覚というのは何気ないけど重要で、時には生きていくための支えになったりすることもある。もうこの風味を二度と味わえない。それでこれからやっていけるのだろうか。不安は大きい。でも煙草の味なんてのはしょせんは慣れであって、他の銘柄でも意外と事足りてしまったりするのかもしれない。
 2つ上のフロアにあるロッカー室で着替えを済ませ、一息つきながら携帯メールをチェックする。今日も着信なし。ふと、誰かに出してみようかと思う。あの顔、この顔、思い浮かべてみるが、その中に喫煙者がいないことに気づいて打ちのめされたような気分に陥る。一人だけ思い当たる古い友人がいたので、「JTが」と文面を打ち込みかけたが、買い替えたばかりの携帯で英字の変換にとまどっている間に面倒くさくなって、やっぱりやめることにする。人に何かを伝えたい。そう思うことはよくあるけれど、それをいつでも聞いてもらえると思うのは間違いなのではないか、と最近はメールの発信を自制することが多くなった。そういう欲望をうまくコントロールできてこそ、大人の男というものだと誰かがどこかに書いているのを読んで、その時はそんなものかなと思っただけだったが、意外にその某氏の言葉は今でも心の奥底に残っていて、事あるごとに浮かんでくる。
 それが人生の真実だとしたら、自分はまだまだ大人にはほど遠い。別になりたくないというのではないのだが。「生きることがどんどんつまんなくなるよ。なんでなんだよ」。下りのエレベーターの中でMは、学生のころ再放送で見た青春ドラマ「俺たちの旅」の中村雅俊の台詞を自嘲気味にアレンジしてつぶやきながら、ヘッドフォンを耳にかける。先日再発されたクイーンのデビューアルバム「戦慄の王女」を昨日、PC経由で転送している時、あることに気がついた。原題は「Queen」なのに、なぜ「王女」なのだろう。邦題をつけるとすれば、「戦慄の」というのはいい形容詞だと思う。でもQueenはやっぱり「女王」だろう。Princessではないのだから。あえて誤訳したのならその理由が聞きたい。
 「KEEP YOURSELF ALIVE」を聴くと、やっぱりクイーンの本質は質実剛健なハードロックだと実感する。ロックを「素敵だ」と言ってほめる人は信じたくないと、Mは思う。特に村上春樹に関しては、最近読んだ雑誌のインタビュー記事で激しい失望を覚えて、彼の作品を読む気がすっかり失せてしまった。携帯プレーヤーについて村上春樹は長い間、MDに強いこだわりを見せていた。PC経由のプレーヤーが普及しても、「音楽とコンピューターをからめたくはない。友情や仕事とセックスをからめないのと同じように」と言ってMDを擁護していた。そんな彼の姿勢にMは、小説家の孤高の生き様を垣間見た気がして、感動すら覚えたものだ。そこまで言っていた彼が、である。今年の雑誌ではiPodを愛用していることを公言したのだ。インタビューの文面からは「いやあ、使ってみたら便利で、今ではこれなしじゃ生きていけないですよ、ハハハ」みたいな軽い感じの口調が伝わってきて、なんだか気分が悪くなり、買おうと考えていた雑誌を閉じて棚に戻したのだった。
 自分の欲望やら衝動やら、いろんな感情を自由自在に使いこなして、いかようにも表現してみせる。村上春樹なら、そんなことはお手のものだろう。彼のような人を、大人というのかもしれない。そうだとしたら、どうだろうか、自分はパスしたい気もする。いや、永遠の子どもでいたいとか、そういうことではなくて、ただつらいんじゃないかと思うのだ。
 自分をコントロールする。そういうスキルはこれから生きていくうえで多かれ少なかれ必要になるのだから、いずれ身につける努力はしなければなあ、と焦りのようなものを感じる一方で、煙草にまつわるこのモヤモヤした気持ちは誰かに伝えることでしか晴れないんじゃないか、という確信めいた疑問もあって、結局のところ板挟みのまま自分は何も行動に移すことができないのだなあと自己分析したところで、エレベーターが1階に着いた。
 「おつかれさまでーす」と去り際くらいはと意識して元気な声であいさつする。通用口から出たところで、深呼吸した。雲の切れ目から、星が瞬いている。信じられるのはロックと自転車だけだな。今となっては、それはそれでいいんような気もする。無理に伝えたり、抑えたり、そんなことで悩んで心身に負担をかけることもない。心を通じ合えるのはこのウオークマンだけだ。イコライザーで重低音を最大にセットし直してから、Mは駐輪場に向かって歩き出した。



*文中の引用は、村上春樹『走ることについて語るときに僕の語ること』(文藝春秋、2007年)
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2011年05月07日

いつのまにか世界は

「生肉食ってま〜す」
 
竹中直人が15年くらい前にやっていた「ナンの男」を思い出す。

あの男のセリフだから、真実味があった。

不気味で可笑しいキャラが引き立った。

今ではギャグにもならない。

若者は誰も彼も、ユッケが好きらしい。

そんな時代になった。

それにしても、子どもに食わすかねえ。

「肉は火を通さなあかん」

よく親に言われたものだ。

昔から受け継がれてきた生活の知恵。

それがないがしろにされていることこそ、問われるべきじゃないのか。

衛生管理も、もちろん大事だけれど。

どうしても味わいたいなら、命を賭けて食すべし。

食という営みは命懸けなんだ。

岡本かの子が小説に書いたのは、そういうことだった。

開高健が美食を極めようとしたのも、然り。

さらに言えば、野坂昭如があれほど食料自給率にこだわるのも、同じ思いからだろう。

食べることを崇高さを取り戻さなければならない。



「ビンラディン容疑者殺害命令」

この見出しは矛盾していると思う。

有無を言わさず殺す対象を「容疑者」とは言わない。

米メディアは呼び捨てにしている。作戦に関しては、たしか初報からORDER TO KILLという言葉を使っていた。

法的な意味で容疑者という認識はないのかもしれない。

少なくとも政府には、裁判にかける気がなかったのは明白だ。

それにしても、そういうことが許容されるのだろうか。

あれだけ法を重んじる国なのに。

一方で、日本の新聞はずっとこの「容疑者」という呼称を使い続けている(読売を除く)。

なぜなのか。説明してほしい。

ホワイトハウスで米政府首脳が、作戦の中継映像を見ている写真があった。

「無人飛行機による攻撃と同じじゃないか」

何とも言えぬ違和感に心がざわめいた。

こういうのがオバマのやり方なのか。

遠隔操作による戦争。

それが米兵の命を救う。

明快で合理的な選択。

そう言われると、簡単には抗弁できない。

「卑怯だ」というだけでは論拠が弱い気がする。

面と向かって殺すことと、遠隔操作で殺すこと。

戦争の場面において、両者にどれほどの違いがあるのか。

そう問われれば、こちらは口ごもってしまう。

批判するだけの論理を、持ち合わせていない。

でもあきらかに、どこかが間違っている。

そういう実感だけは、確かにある。

なんだか後味が悪い。

悪用の恐れがあるので遺体写真は公開しないという。

遺体そのものも海に葬られた。

そういうことらしい。

すべて一方的に発表されるだけ。

EVIDENCEもなしに信じろというのか。

どうもアメリカらしくない。

醜いものは見せない。言葉だけが躍る。

これで世界の厄介者は消えた。

アメリカもパキスタンも、めでたしめでたし。

万事が万事、都合がよすぎやしないか。

真偽は。善悪は。

このまま問われないのだろうか。

今回の出来事の意味は何か。

対テロ戦の節目?

主権の侵害か否かが問題?

新聞やテレビはどこも同じような内容の話。

推測に基づいているのだから仕方ない。

そういう面を差し置いても、さすがに聞き飽きた。

政治の言葉は、もういい。

聞きたいのは、倫理や哲学の言葉だ。

今こそ、正義の話をしてほしい。

オバマのやり方は正しいのか、否か。

じっくり考えてみたい。

そのために、導きの糸となるような言葉。

どこかにないだろうか。



常識だと思っていたことが、通じない。
気がついてみたら、そんな世の中になっている。

もういいや。
ついて行こうとも思わない。
遠くから眺めて文句ばっかりいってやろう。

こうやって人は年老いていくのだ。
そう実感する今日この頃。

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2010年05月23日

Being on the road

その人は颯爽と現れた。
蒸し暑い部屋を、一陣の風が吹き抜けたような気がした。

週末の午後4時、長野駅前の某書店。
「未知へ挑んだ人たち」と銘打たれたトークショーに出演するために、その人は来たのだった。

対談の相手は、登山家のY・Y氏。
孤高のクライマーとして知られるY氏が、命懸けで挑んだヒマラヤ行をノンフィクションにまとめたのが、その人である。

100人ほどの聴衆の前に並んだ2人のたたずまいは、対照的だった。
グレーのTシャツ姿で小柄なY氏。それに対して、ストライプの白い襟付きシャツをパリッと着こなしたその人は、思った以上に大柄な印象だった。おそらく身長は180センチを超すだろう。

旧友再会、といった趣きの2人は、敬語を使うこともなく、終始、気の置けない友人同士のように話した。本に描かれたヒマラヤ行、具体的にはギャチュンカン北壁挑戦で、凍傷のため指を失った後も、Y氏は飽くなき挑戦を続けていた。同じく登山家である夫人のことや、念願のグリーンランド行き、そして高尾山でのクマとの遭遇など、さまざまな「後日談」が語られた。

会話の進行役は、その人だった。
対談の役割があらかじめ決められていたわけではない。気がつくと、いつの間にかその人が、ホストとしてY氏の話を引き出すという形になっていた。

その人のインタビューの仕方は独特だった。
やや高いトーンの、くぐもったような声。どちらかといえば静かな語り口で、質問を切り出す。相手の顔をしっかり見据え、一言一言に頷いたり声を出して相づちを打ちながら、最後まで話を聞く。そのうえで、相手のその話を生かしつつ、自分の体験談を交えたりしながら、会話の間取りを少しずつ広げてゆく。

話題の広がり方が、じつに自然なのだ。確実に話を進めながら、ペースを作っているという感じが少しもない。話題を変えたり、新たなテーマを振ることはあっても、基本はあくまでキャッチボール。相手とのやりとりのなかで、時に脱線したりしながら、そしてそれを楽しみながら、話の要点を逃さずしっかりとつかみ出す。

「素の自分を自然に放り出す」

たとえば、そんな話があった。軽装備の単独行というY氏の流儀には、彼なりの哲学がある。登山は彼にとって、自然に近づくための営みだという。自分と自然の間に介在するものは無いほうがいい。だから酸素ボンベはもちろんのこと、記録という行為は不必要だから、カメラも持たない。仲間もいらない。夫人との同行もできれば避けたい。

それを受けて、その人は自分の旅の経験を語った。
その人の流儀は、ガイドブックを持たないことだ。未知の土地をさまよい、試行錯誤しながら、自分なりの経験を積み重ねていく。それこそが旅の醍醐味だとその人は考える。これはもしかしたら、「素の自分を世界に放り出す」という哲学に通じるのではないか。Y氏との出会いによって、そういう新たな発見があったと、その人は言うのだ。

鮮やかな展開だと思った。
具体的な事例に即しながら、話の主題は観念的な次元にまで高められている。不自然なところは少しもない。Y氏の生きざまに、自分と通じる部分があることを感じた。だからこそ、その人は、Y氏に魅力を感じた。そして彼の物語を描いた。そういうことだ。このようにして、聴衆は、その人の執筆の動機まで知ることになったのである。

その人は、細やかな気配りができる人でもあるらしかった。
最後に設けられた質問の時間。自分の登山体験を滔々としゃべり続ける年配の男性がいた。5分ほどの独壇場、聴衆がいい加減うんざりし始めたころ、それまで大きく頷きながら聞いていたその人は、穏やかに男性の話を引き取った。そうしてやさしく、話題の流れを修正した。絶妙な間合い。制止したという感じはみじんもなかった。見守っていた会場の誰もがホッとした瞬間だった。

午後6時、トークショー終了。定められた時間ぴったりである。

サイン会をするというので、並ぶことにした。
『凍』の単行本と、文庫の『人の砂漠』を持っていた。こういうこともあろうかと見越してのことだ。その人とY氏、それぞれの前に、20人ほどが並んだ。その人の前には女性が多かった。いろいろ話しかけるファンに、その人はにこやかに答えていた。応対というよりは、その人自身が会話を楽しんでいるように見えた。何冊も差し出す人がいた。一人ひとりに名前を尋ねて、その人は丁寧にサインを記していった。カメラを持った人もいた。写真撮影にも、その人は笑顔で応じた。

その人には、構えたところが少しもなかった。だから人々は、いろんなリクエストをするのだ。「○○を旅した」と報告すれば、「へえ〜どうだった」と返してくれる。そうやって二言三言、やりとりが必ずある。義理でもサービスでもない、人と人がしっかり向き合った会話である。

自分の番が来た。
何を言おうか、ずっと考えていた。
でもその人と対面した瞬間、真っ白になった。

「○○さんですか。この漢字は珍しいね」
私の名前を聞いて、その人は感心したように言った。

「初めてお目にかかりました」
「失礼ですけど、大柄な人なのですね」
名前を入れてくれているその人に、自分は続けざまに、そんな言葉を掛けてしまった。

「そりゃそうだよな。そんなに見ること、ないもんな」
先輩と話しているような感じがした。
還暦を過ぎているとは、とても思えない。
生え際が若干後退しているような気もするが、それ以外は、本でよく見る写真と、少しも変わらない。でもこれで、自分の父親とほぼ同じ年齢なのだ。

「兄貴」。そんな言葉が浮かんだ。この人に、何でもかんでも自分のことをさらけ出してみたい。とっさに、そんな思いにとらわれた。

「自分も旅してます。少しずつですけど」
「へえ、どのくらい」
「一週間くらいですけどね」

われながら調子に乗っているなと思った。
カメラを持っていたけど、さすがに写真まではと考えて、切り出さなかった。いま振り返ってみると、少し後悔しなくもない。

「これからも、旅を続けてください」

別れ際にそう言うと、その人は「あなたも」と言いながら手を差し出した。しっかりと握ってくれた掌は、がっしりと大きかった。温かさがダイレクトに伝わってきた。

この対面の間にどれほどの時間が経過したのか、判然としない。
5分くらい続いた気もするし、たった2分ほどだったかもしれない。
その間、その人が何を書いていたか。
見ていたに違いないのだが、それも覚えていなかった。

会場を出て近くの喫茶店に入り、落ち着いてから、あらためて本を開いてみた。

『人の砂漠』は、私が高校時代に初めて読んだ、その人の作品だ。現代文のS先生が紹介してくれたのだった。良きにつけ悪しきにつけ、この作品を読んだから今の自分がある、といっても過言ではない。

その奥付に、こんな言葉が書かれていた。

「To ○○(私の名)
 酒盃を乾して
 沢木耕太郎」

大胆なハネやハライ、達筆ではないが、流れるような筆跡だ。

そして、もう一冊の『凍』。
こちらは日本語ではなく、アルファベットでこんな一節が記されていた。

「Being on the road.   K.Sawaki」

路上にあること。
途上にいること。

これまで自分が歩んで来た道のさまざまな風景が、心に浮かんだ。
この道も、ひょっとするとそんなに悪くなかったのかもしれない。

窓の外に、夕暮れの雑踏が見えた。

この人の後ろを、これからも追いかけて行こう。
素直にそう思えた。

あんなに格好良くは生きられないだろうけれど。







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2010年05月21日

世界の終わりとRESTLESS NIGHTS

FSCN0057.JPG時間が足りない。
最近、痛切にそう思う。

やるべきことがたくさんある。
やりたいこともまだまだある。

でもそれは、いまの仕事とはあまり関係がない。
会社の仕事にやりがいはあるけれど、生涯を賭けようとは思わない。
といって、転職とか独立とか、何かそういう具体的なヴィジョンがあるわけでもない。

進むべき道が他にあるような気がする。
でもそれはいったい、どういう道なのか。
見えないまま、日々が過ぎていく。

もしかしたら自分は、行く先を見ようとしていないだけなのかもしれない。でもかりにそうだとしても…

会社だけが人生じゃない。
それははっきりしている。
残された人生の時間をどう使うべきなのか。
自問の毎日は、たとえばこんなふうに過ぎていく。

AM2:15
 仕事を終え、まっすぐ帰宅。
 
2:20
 手早くサイクリングジャージに着替え、トレーニング出発。
 行程30.5`。いつもの周回コース。

3:01
 終盤の急坂(1.5`)にさしかかる。
 休息日明けのせいか、きょうは快調。
 天候は晴れ。無風なので新記録が期待できる。

3:15
 山沿いの道。
 突然、飛び出してきた猫にぶつかりそうになる。
 この辺りを走るときは、動物に注意が必要だ。
 テン、キツネ、タヌキ・・・彼らは総じて不器用である。
 いきなり道端から姿を現したかと思うと、こちらに突進してきて、しばらく並走したりする。
 彼らとしては逃げているつもりなのだろうが、これまで何度となく接触しそうになった。
 実際にぶつかったこともある。「あっ」と思った瞬間、前輪に変な感触があり、「ギャッ」という声が聞こえた。暗くて確認できなかったが、何らかの獣の影が後方に見えた。
 あの時の獣は無事だったろうか。驚かせて申し訳ない。怪我をしてなければいいが。

3:28
 トレーニングから帰宅。
 タイムは1時間3分28秒。自己記録更新だ。
 これまでのベストが1時間6分28秒だから、ちょうど3分縮めたことになる。
 平均時速を計算すると、28.87q/h。
 消費カロリーは676.9kcal。
 なんとか1時間を切りたい。それが当面の目標だ。
 こうやって日々の進歩を実感できることがうれしい。
 自分だけにかかわる、小さな出来事。
 それが生きる支えになる。

3:35
 ハチミツを入れたホットミルクとチーズトーストで栄養補給。
 食べながら、録画しておいたテレビ番組をチェックする。
 
 まずは信越放送「モヤモヤさまぁ〜ず2」。
 ほぼ1ヵ月遅れの放送だから、出演者は冬の装い。
 テレビ東京のネット局がないのだから仕方がない。
 大江アナの笑顔を見て、ほっとする。

 次にJ-SPORTSの「ジロ・デ・イタリア第12ステージ」
 雨やら落車やら、いろいろ波乱含みの今年のジロ。
 イタリア人のポッツァート(カチューシャ)がゴール前スプリントを制し、健在ぶりをアピールした。
 マリアローザ(総合首位が着るピンクのジャージ)は、昨日と変わらず、25歳のオーストラリア人、リッチー・ポート(サクソバンク)。
 ヴィノクロフ、エバンス、バッソといったベテラン勢は再逆転できるだろうか。

5:00
 気がつけばすっかり朝。
 最近は4時ごろにはもう明るい。
 あと1時間で「ツアー・オブ・カリフォルニア」の生放送が始まる。
 国内では「ツアー・オブ・ジャパン」が連日、熱戦を繰り広げている。まさに自転車レース花盛り。眠る暇もない。
 「ツアー・オブ・カリフォルニア」にはランス・アームストロングが参戦している。ランスといえば、気になるニュースが昨日、配信された。
 2006年にツール・ド・フランス総合優勝のタイトルを剥奪されたランディスが、組織的なドーピングを認め、ランスなど米国人選手を告発する内容のメールを国際自転車連合(UCI)に送ったというのだ。
 自転車ロードレースにつきまとうドーピング疑惑。ヴィノクロフもバッソも、それで数年間の出場停止になった。
 人間の限界に挑戦する姿は、過酷であればあるほど、美しい。でもその過酷さが、選手たちを追いつめているとしたら・・・ファンとしてはなんとも複雑な心境である。

5:40
 「ツアー・オブ・カリフォルニア」の録画予約をしてから、入浴。

6:20
 まだまだやることがある。
 ひと息つきながら、こんどは読書。
 安田純平の『ルポ 戦場出稼ぎ労働者』を数ページ読み進める。
 ジャーナリストの身分を隠し、外国人労働者としてイラクに潜入した著者。つてもなにもない状況で就職活動から始めて、イラク軍基地で料理人として実際に働きながら見聞きした戦場の様子が、克明に描かれる。
 危なっかしくてハラハラする。それにしても驚くべき行動力だ。料理人の経験もないのに、最後には一人前のシェフの地位を得てしまう。そこから見えてくるのは、外国人労働者によって支えられる戦場の日常だ。
 イラクには、基地の警備や土木工事、食事などの業務に携わるたくさんの民間人がいる。その多くが中東の請負業者に雇われた外国人だ。ネパールやインドから、何十万という人々が出稼ぎに来ている。基地はイラク人にとっても貴重な雇用の場だ。さまざまな国籍の人々が、それぞれの立場で、この戦争を語っている。そしてその声を、彼らと同じ目線で著者は受け止め、記録していく。
 誰にも真似のできない仕事だと思う。そこまでして伝えなければならないことがある。それがよくわかる。
 でも何より、「戦場が見たい」という自己の欲求に忠実であろうとする著者のひたむきな姿勢に心打たれる。いろんな屈託を突き抜けた先にある、ある種のすがすがしさ。それがこの作品の最大の魅力なのではないか。 

 BGMはカーラ・ボノフ『ささやく夜(RESTLESS NIGHTS)』。
 70年代のウエストコーストロックを代表する1枚だが、先輩格のリンダ・ロンシュタットに比べると、何かが足りない感じがする。70年代も後半になると、ロックはAORの時代。でも「大人向けのロック」って、いったい何なのだろう。あらためて考えてみると、よくわからない。「大人」を否定するのがロックなのではないか。

 というわけで、カーラ・ボノフを途中でやめて、この間買ったばかりのCSN&Yの74年に出たベスト盤『SO FAR』を聴くことにした。ここに入っている「OHIO」という曲は、何度聴いても心がうずく。血が噴き出すようなニール・ヤングのギターと、哀切な声。ロックはこれでなくては。

そんなこんなで、7:30
 そろそろ寝るとしよう。
 
 CSN&Yで熱くなった心を、竹仲絵里でクールダウン。
 アルバム『GARDEN』をセットして、ベッドに入る。

「たとえば世界が明日終わっても、悔やまない生き方できていますか」(「口笛」)

そういう言葉に弱いんだなあ。

「30代といえば、仕事も覚えて一番面白い時期よね」
この間、親戚のおばさんにそんなことを言われた。

でもね。それは道を決めた人の話なのですよ。
そういう返事をしようと思って、やめた。
たぶんわかってくれないだろうと思ったから。
この歳になって、まだ道を決めないでいる自分。
なんだか後ろめたい気もする。
一方で、決めたくないんだから仕方がないとも思う。
それをわかってもらおうとは思わない。
言葉を尽くして説明するほどのことでもない。

とにかく今は、悩んでいる暇はない。
「悔やまない生き方」をするために。
いまできることを、やってみるだけだ。

なんて書いてるうちに、8時になってしまった。

やっぱり自分には、どうしても時間が足りないのだ。



 
 
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2010年04月26日

遺されたもの

祖父が亡くなった。

3月の末に、肺炎で状態が思わしくないと連絡があり、その数日後に見舞いに行ったときにはもう、意識がなかった。

入院していたのは広島県呉市の病院。祖父は四国の人だが、1年ほど前に愛媛県の新居浜市の家を引き払い、祖母とともに、呉に住む伯父のもとに引き取られていた。

夫婦2人、ずっと故郷で暮らすことにこだわってきた祖父だが、自らの体の衰えと、祖母の認知症が進んだこともあり、最後は自分から進んで呉へ移ったのだという。

93歳だから、大往生と言えるかもしれない。

でも。
きっと心残りだったろう。
70年も連れ添った祖母を残していかなければならないこと。
生まれ育った故郷を離れなければならなかったこと。
まだいろいろ言いたいことがあったに違いない。

ぼくにとっても新居浜は故郷だった。唯一の、帰るべき場所だった。子どものころから慣れ親しんだ土地。何度引っ越しを繰り返しても、新居浜だけは、ずっと変わらずそこにあった。

大人になってからも、時々ふらりと訪ねていくぼくを、祖父母はいつも優しく迎えてくれた。最後に訪れたのは2008年の10月だった。

あのころはまだ、祖母も普通に会話ができたし、祖父も、つらそうではあったけれども、祖母をいたわりながら、買い物に行ったり、料理をしたりしていた。ぼくがどこかから引っ張り出してきた昔のアルバムを一緒に見ながら、軍隊時代の苦労話をしてくれたりもした。思えばそれが祖父との最後の会話だった。

あれから1年半。ほんとに、ついこの間のことだ。

祖父母が四国にいて、呉に伯父夫婦がいて、転勤族の父母がいて…ずっと昔からあった世界観、それこそ物心ついたときからなんとなく当たり前にあったそういう自分の周囲の風景が、ここ数年で急激に変わりつつあるような気がする。その変化があまりに早すぎて、ちょっとついていけない感じだ。

どうしてそのままじゃいけないんだろう。なぜ有無を言わさず、時は流れて行ってしまうのだろう。

率直な感想。心の中でいろいろ渦巻いている想念から枝葉の部分を取り除いていくと、最後にこういう疑問が残る。ナイーヴかもしれないが、ほんとにそう思う。

結局、祖父は意識が戻らないまま、2週間ほど闘病した末に、息を引き取った。

呉で行われた葬儀。事実を十分に受け止められないでいる祖母の姿は、ちょっと見ていられなかった。主がいなくなった新居浜の家の処遇は、まだ決まっていない。農家の次男だった祖父が実家を離れ、サラリーマンをしながら一代で築き上げた家。これからそこに住もうという人は、今のところいない。冗談交じりに、買い取ったらどうかと言われたが、正直どうすればいいのかわからない。

家のことは措くとして、祖父が若いころから書きためていた日記を譲り受けることにした。93年の生涯を生きた人の記録である。それを保存しつつ、読み解いていくことが、とりあえず自分に与えられた役割のような気がする。







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2010年03月09日

もうひとつの世界

毎日新聞の社会面連載「ともに歩く 目の探訪記」を読んでいる。

記者がアイマスクを着けたままで1週間生活し、盲人の世界を疑似体験するというルポである。点字新聞を発行する毎日新聞社が、「点字の父」ルイ・ブライユ生誕200年を機に始めたキャンペーン企画ということだ。

自宅、会社、駅…なじみの場所で戸惑う記者。いつもの通勤コースも介添えの手を借りなければ、ろくに歩くことができない。路地と間違えて駐車場に入ろうとする。駅のホームが山の稜線のように感じられ、たじろいでしまう。

見慣れた風景が見えないことの不安。当たり前のことが当たり前で済ませることができないことのいら立ち。記者は苦闘しながら、これまでに出会った視覚障害者たちの生き方に思いをはせる。盲学校に通う17歳の少女は1人で歩いて登校している。今では横断歩道もすいすいと渡る彼女も、最初のうちは試行錯誤の連続だった。車や人にぶつかりながら、15分の道のりを45分かかって歩いていたという。

「娘も最初のころは、毎日ぐったりと疲れて帰宅していました」という母親の言葉が印象的だ。全盲の人は、はじめからうまく歩けるのではない。困難をひとりで引き受けて、歩くという技能を身につけようと奮闘する少女の姿が目に浮かぶ。わが子にあえて手を差しのべず、遠くから見守ろうとする母親の心情はどのようなものだろう。そして今、少女が歩んできた道のりを、記者がたどっている。

目隠し生活を始めて数日、記者は品川駅のコンコースを歩いていて、自分の感覚が変化し始めたことに気づく。音、におい、触感、そういう感覚を頭の中で映像化するのではなく、ありのままに受け入れることができるようになったというのだ。

頭の中の映像が消えた、という。二次元から三次元へ。立体的に立ちあらわれてくる世界とは一体…
そこに何が見えるのか。もっともっと説明してほしい。言葉を尽くして、私たちの目の前に、その世界を再現してほしいと思う。

「心の眼」はどこまで研ぎすますことができるのだろうか。続きが楽しみである。



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2010年02月17日

深夜のミステリー

NEC_0109.jpg職場の自転車同好会の仲間4人で始めた読書会も8回目。2月中旬の某日、駅前の居酒屋で今年最初の会合が行われた。

今回の課題書はエドガー・アラン・ポーの「モルグ街の殺人」。書店に行くと、新潮文庫で新訳が出ていた。昨年の生誕200年に合わせて、文庫もリニューアルされたらしい。定番の作品は短編集として、「ゴシック編」と「ミステリ編」の2冊にまとめられ、いずれも巽孝之訳である。

十数年ぶりに読んでみて新鮮だったのは、この作品の無愛想ぶりだ。論理という骨組みだけで組み立てられた小説、とでもいえるだろうか。たとえば今の読者なら、パリの風俗とか、犠牲者のレスパネー母娘の暮らしぶりとか、デュパンの性格とか、そういう描写がもっとほしいというような感想を抱くかもしれない。

現代のミステリー作家であれば、謎解きの論理もさることながら、その周辺にある「人間」や「社会」を描くことに心血を注ぐだろう。

モルグ街とはどういう場所なのか。母娘はなぜ金を貯めこみ世間と隔絶した生活を送っていたのか。市民でありながら当局と対等に渡り合うデュパンとは何者なのか。そもそもこの話の語り手は誰なのか。

読者の疑問は置き去りにされたままだ。登場する人物や風景は魅力的である。それらの素材をいかに料理して、19世紀のパリという「時代」を浮き彫りにする作品を仕立て上げるか。今の作家に求められるのはたぶん、そのような手腕だ。読者もまた、そういう物語を求めるだろう。

ポーが謎解き以外の要素をなぜ省くのか。時代のニュアンスというものは当時の読者には共有されていて、あえて描く必要がなかったのかもしれないし、あるいは「推理小説」の創始者として、ジャンルを構築するための手法として、意識的にそうしたのかもしれない。

その理由はわからないが、いずれにしろ私は、ポーの作品から、ある種の潔さを感じた。読者の要求など顧みず、書くべきものを書くという姿勢が貫かれている。

この作品をよく読むと、むしろ情景や心理の描写を抑えることで、時代の不気味な雰囲気のようなものが、より効果的に強調されているような気もする。説明しないことで伝わってくるものもあるのだ。

獰猛で不気味な動物としての類人猿。警察権力の無能ぶりと私立探偵の活躍が示す市民社会の発展。猿を連れてきた船員の存在から垣間見える帝国主義。それからこの作品が後世のミステリーに与えた影響。読書会の議論は多岐にわたり、尽きることがなかった。無愛想なぶんだけ、よく読めばこの作品にはさまざまな論点がある。そういう発見があった。

次回の課題書は『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』に決まった。ホストは今年40歳のT氏である。この世代の人にとって村上春樹はやはり特別な存在なのだろう。柄谷行人と絡めて論じたいとT氏は張りきっていた。わかるようなわからないような、なんだか難しい話になりそうである。
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2010年02月16日

冬を楽しむ

NEC_0331.jpgバンクーバー五輪が始まった。

今朝見たのは、クロスカントリー女子10キロフリー。よだれをたらしながら、倒れこむようにしてフィニッシュする選手たちの力走を見ていると、こちらまでなんだか息苦しくなってくる。トップ選手のタイムは25分くらい。上って下って、あのアップダウンのコースを平均時速24キロで走る計算だ。

冬のスポーツは全般的に縁遠いけれど、このクロスカントリーだけは、その楽しさや苦しさといったものが、なんとなくわかる気がする。それは自分も滑った経験があるからだ。

もっとも、こういう言い方は少しおこがましい。出かけたのは数回にすぎず、競技経験はもちろんない。それでも、なんとかスキーをはいて前に進むことはできる。板も持っている。

私にクロスカントリーを教えてくれたのは、職場のS先輩だ。
あれは4年ほど前の2月、ちょうど今ごろの季節だった。長野の冬は憂鬱だとかそんなことばかり言っていた私に、ある日、先輩が言った。

「山スキー行ってみない」

山スキー。
言われてもピンと来なかった。オリンピックとか、60年代の青春映画とか、そういう映像で見たことはあったが、まさか自分でやるものだとは。Sさんによれば、長野市郊外の戸隠に、コースがあるという。戸隠といえば車で20分。そんなに近くで滑ることができる。しかも、コースといってもあってないようなもので、スキー場のように整備されたものではない。自然そのままの林の中を行くのだという。道なき道を行く、というのが面白そうだった。

スキー用品店に行き、Sさんに見てもらいながら、装備をそろえた。板と、シューズと、ストックを買った。クロスカントリーの板はゲレンデスキーのそれとはだいぶ異なる。細い。エッジがない。裏に溝が刻まれている。つま先だけを固定し、かかとは離れるようになっている。そんなことも、初めて知った。

戸隠神社奥社の入口から、鏡池まで。参道の鳥居と門を抜けた後、林の中に入って行く。教わったのはクラシカルといわれる走法だ。両手でストックを突いて片足を踏ん張り、もう一方の足を真っ直ぐ前に押し出す。この真っ直ぐというのが難しい。行きたい方向からどんどんずれていってしまう。滑るというよりも歩くという感じで、少しずつ進んでいく。

まっさらな雪の上に、いろんな足跡がある。小さいのが点々と続いている。キツネかタヌキか、テンか。よく見ると、黒い豆のようなフンがポツンとあったりする。花びらのようなのは鳥の足だろう。午前の日に照らされた木々の影が、雪原に絡み合って映っている。仰げば木々の間からのぞく空がまぶしい。

そんな風景を楽しみながら、林の中をゆっくり進んでいく。あちこちから聞こえる鳥の声が、あたりの静寂をいっそう深くする。さまざまな鳴き声を聞き分けられないのが残念だった。野鳥の会の会員ならこういう時、言い当てたりするんだろうね。徒然なるままに、2人でそんな話もしたりする。

ときどき行き当たる坂道では、何度も転んだ。気づいたら汗びっしょり。でも少しも苦しくなかった。ほてった体に冷たさが気持ちよく、わざとこけて雪の上に寝転がったりした。スキーで坂を上るというのは、不思議な感じがした。板の裏に溝があるため、踏ん張ることができる。軽快に駆けるようにして越えて行くのはSさん。私は一歩一歩、ほとんどストックに頼りながら上り、Sさんについて行く。

凍った鏡池のほとりで弁当を食べて、戻ってくると、もう夕方だった。神社入口の駐車場近くには貸しスキー屋があって、スノーシューを借りて楽しんでいる家族連れの姿もあった。われわれは男ふたり、スキーを脱いで車に積み込むと、心地よい疲労を感じながら帰途についたのであった。もちろんその帰り道、近くの「神告げ温泉」に寄って疲れをいやしたのは言うまでもない。

こうして思い出してみると、あの日の出来事はもう、はるか昔のことのような気がする。翌年にかけて、あれからも何度かSさんとは出かけた。もう1人の同僚を加えて、3人で行ったこともある。そうやって何度か出かけるうちに私は、まあなんとか、滑れるようになった。何の裏づけもないが、そう言っていいだろう。

私を新しい世界に導いてくれたSさんは昨年、転勤になった。それ以来、一度も出かけていない。Sさんは別の土地で、忙しい日々を過ごしている。板は袋に入れたまま、部屋の片隅に立て掛けて置いてある。車を持っていないということもあるが、その気になればバスもあるのに行かないのは、やはりSさんがいないからであり、ひとりで行ってもつまらないと思うからだ。

バンクーバーの熱戦から、思わずよみがえった記憶。中継を見なければどこかにしまいこんだまま、思い出すこともなかっただろう。あの時あんなに楽しかった信州の冬が、今ではつらいとしか思えない。その冬を積極的に楽しもうという意欲も、なかなか湧いてこない。

いろんな記憶を置き忘れながら、人は年をとっていくのだ。

NEC_0220-1.jpg
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2010年01月13日

われらラジオ世代

NEC_0027.jpgエアチェックという言葉は、まだあるのだろうか。ふと気になって、広辞苑を開いてみた。

「ラジオ放送の電波を受信し、テープに録音すること」

ちゃんとあった。でもこの広辞苑、職場のその辺に転がっていたもので、使い込まれていささかくたびれている。奥付を見ると第3版第8刷、1990年発行となっていた。あまり参考にならない。

1990年。もう20年も前だ。当時、高校生の私の部屋には、いつもラジオが流れていた。たとえば深夜放送。オールナイトニッポンは勉強しながらよく聴いた。夜更かしの習慣が、このころ身についた。ビートたけしや松任谷由美といった面々が、まだ番組を持っていた時代である(中島みゆきはさすがにもうやってなかった)。よく聴いたのは、そういう大御所ではなく、デビュー間もないミュージシャンが担当する番組だった。あれは月曜日だったか、加藤いづみが1部で、石川よしひろが2部という日があり、その日は毎週欠かさず、夜明けまで番組に付き合った。どうしても寝なければいけない日は、ラジカセで120分のカセットテープに録音した。石川の「必殺、電報請負人」というコーナーで、声を殺して大笑いした。真夜中の静けさのなかで弾き語りを聴いて、いろんなことを考えた。受験のこと、友人のこと、将来について。翌日、学校やなんかで友達と番組の話をするのも、また楽しかった。

BAYFMが千葉に開局したのもこのころだ。お気に入りの番組がすぐできた。土曜夕方の「スーパーカウントダウンHOT30」。DJのバッキー木場が、その週の邦楽チャートを、FMらしい軽快な調子で紹介していた。米米クラブの「浪漫飛行」やプリンセス・プリンセスの「M」、他にも永井真理子や渡辺美里など、この番組で覚えた歌手と歌は数知れず。もちろんカセットテープに録音するのである。曲を最後まで流してくれるので有難かった。ちゃんと聴きたい歌手がいれば、下校途中に新検見川駅前のレンタルショップに寄って、CDを借りてきた。あのころは200円とか300円が貴重だったから、そんなに頻繁にレンタル店を利用するわけにはいかなかった。これと決めた歌手のCDを、1枚か2枚だけ借りる。それをテープに録音して、ケースに曲目までくわしく書き込んで、何度も聴き込む。あの時代、私たち高校生にとって、音楽というのはそうやって聴くものだった。

ラジオを一番よく聴いたのは、やはり受験を控えたこの高校時代だったけれど、もちろんそれ以前も聴いていたし、大学に入ってからも聴き続けた。最も古い記憶は、ニッポン放送で平日22時からやっていた「三宅裕司のヤングパラダイス」。この番組が放送されていたのは小学生の時かもしれない。大学生になり、ウォークマン(ラジオ付き)を手に入れた私は、学校の図書館でも聴いた。昼下がりは文化放送の「吉田照美のやる気マンマン」。続いて夕方はニッポン放送の「鶴光の噂のゴールデンアワー」。まったく大学の図書館で何をやっていたのかと思うが、イヤホンでいつもの人の、いつもの声に耳を傾けていると、何となく心が安らいだ。言うならばラジオの番組は、いつもそこにある我が家のようなもの。帰ってきたという感じがした。

就職で長野に来ると、民放ラジオはAM・FM1局ずつしかなかった。当然のことながら、吉田照美も鶴光も、そして就職直前まで毎週聴いていた伊集院光の深夜の番組も、長野では聴くことができなかった。「我が家」が遠くなった。そんな気がして、少し悲しかった。

社会の荒波の中に放り込まれた当初は、ラジオを聴こうとする気持ちもあまり湧いてこなかった。それでも仕事に慣れるにつれ、心に余裕が出てくると、夜中にラジオでもつけてみるか、という気にもなる。そんなこんなで、長野でもいくつかの「我が家」を見つけた。

いま定期的に聴いている番組は、3つある。NHKFMの「ワールドロックナウ」(金曜23時)、FM長野「坂崎さんの番組、という番組」(土曜21時、TOKYOFM制作)、それから最近始まった信越放送「坂崎幸之助と吉田拓郎のオールナイトニッポンGOLD」(月曜22時、ニッポン放送制作)。「ワールドロックナウ」は、日本のロック評論家の草分け的存在である渋谷陽一が、最新の洋楽シーンを(独断と偏見で)紹介する番組で、30年以上も続いているFMの老舗番組だ。この番組を聴いていなかったら、私の預金は今よりもう少し多かっただろうと思う。この番組のおかげで、私はこの歳になってまだ、月に何枚もCDを買い続けている。それがはたして正しいことなのかどうか、という疑念もないではない。

社会人というのは、意識しないと音楽も聴かなくなるし、本も読まなくなる。そういう生活になりがちだ。「No music,No life」というタワーレコードのキャッチコピーがあるが、自分から音楽や本を取り去ってしまったら、それこそ何も残らないような気がする。だからCDや本を買うのはやめられない。というより、買い続けなければ、と思う。買ったものを、実際に聴いたり読んだりするかは別として。

限られたお金で買った1枚、1冊を大事に、擦り切れるまで味わった高校時代。あのころの自分から見たら、ろくに聴きもしないCDや読みもしない本を、何冊もまとめ買いする今の自分は、許せないだろうと思う。でもそれは、同じ音楽や本であっても、立場や年代によって楽しみ方が違ってくるということで、仕方のないことだ。そう言って今の私は、高校生の私を説得しようとするだろう。わかってください。これはけっして言い訳ではないのです。

生で聴くことができない番組を録音するために、先日、ラジオICレコーダーなるものを買ってみた。これがなかなか便利である。以前はミニコンポでMDに録音していたのだが、ミニコンポのタイマー機能は貧弱で、当日の予約しかできない。しかもMDというのは、意外なことに、繰り返しの使用がきかない。何度も録ったり消したりしていると劣化してしまうのだ。その点、ICレコーダーはSDカードに録音する仕組みである。1センチにも満たないカードに30時間も入ってしまうから、ソフトが増えて困ることもない。曜日と時間を複数指定でき、セットすれば勝手に録っておいてくれるから、録音を忘れて悔しい思いをすることもない。

それでも、ひとつだけ、どうしても悔やまれることがあった。12月24日、クリスマスイヴに毎年1度だけ放送される番組「沢木耕太郎のMIDNIGHT EXPRESS」を録音し忘れてしまったのである。J−WAVEの番組だが、長野のコミュニティ局「FMぜんこうじ」でもネットされる。それを事前に確かめていた。その夜は職場の同僚と読書会をする予定が入っていた。まさにこの時こそ、ICレコーダーの出番だ。そう思いながら、予約するのを忘れていた。

高校生の私は、そんな今の私を見て、きっと笑っていることだろう。ざまあみろ。何でも金で解決できると思ったら大間違いだ。そんな声が聞こえてくるようだ。確かに私は、金で手に入れた便利さの上にあぐらをかいていたのかもしれない。そこに油断が生まれたのかもしれない。本当に大切な時間を楽しむためには、それ相応の困難を乗り越えなければならない。

便利さと引き換えに、私は何を失ってしまったのだろう。
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2010年01月01日

年頭の辞

NEC_0336.jpg今年も職場で年越し
味気ないなどと
言うのはよそう
今はただ仕事があることの
幸せをかみしめよう
そうして黙って
風の音に耳を澄まそう
明日のための今日と言わず
この貴重なひとときを大事にしよう
誰かのための自分と言わず
格好悪くても私の声に正直でいよう
遠回りでもいいから
信じた道を歩いて行こう
最後まで歩き通せるように
丈夫な身体と心をつくろう

あせることはない
先はまだ長い
あてはないけど
どうにかなるさ
あせらず行こう
一歩一歩踏みしめながら
届かないものを
身近に感じながら
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2009年12月28日

憂愁のグランプリ

NEC_0063.jpg2009年の中央競馬を締めくくる第54回有馬記念は、2番人気の5歳馬ドリームジャーニーが優勝した。春の宝塚記念に続いて今年のGIレース2勝目で、3歳馬中心の出走メンバーの中で、古馬の面目を保った。

正午の出勤前、朝7時に起きて、高崎の場外馬券売場までわざわざ買いに行った私としては、この結果は必ずしも歓迎すべきものではない。それでもただ1頭の5歳馬として意地を見せたこの小さなグランプリホースには、敬意を表したいと思う。

展開は読めていた。リーチザクラウンがハイペースで逃げる。マークして付いていった馬はバテる。最後まで持たない。直線で伸びて来るのは先行馬ではなく、後ろで待機する馬だ。実際、だいたいその通りになった。リーチザクラウンの1000メートル通過は58秒台。かなり速い。でも大逃げではなかった。先行馬はぴったり付いて行った。そして4コーナーで仕掛けるも直線で失速。3着に入った8歳馬エアシェイディ、4着の3歳馬フォゲッタブルは、いずれも最後方にいた2頭だ。

そんななかで、1頭だけ例外がいた。2着に入った1番人気の牝馬ブエナビスタ。この馬だけは前方にいたにもかかわらず、直線で伸びた。たいしたものである。ドリームジャーニーは明らかに展開に恵まれた。ブエナビスタは不利な展開の中、2着に食い込んだ。

もともと後方からの追い込みを得意とするブエナビスタは今回、前に行く作戦を取った。そのために陣営は騎手を替えた。小回りで直線の短い中山競馬場。後ろからでは届かないという判断なのだろう。2着というのはその判断の正しさを証明する結果なのか、これは微妙なところだ。でもいずれにしろ、この大一番で新たな試みをして着を確保したことの意義は小さくない。

このレースで一番強かったのはブエナビスタである。ダイワスカーレット、ウオッカに続く女傑の系譜を継ぐのはこの馬だろう。来年以降の成長が期待される。母が早熟馬だったビワハイジというのが、いささか気にならないこともないが。

朝の高崎はにぎわっていた。9時半の発売開始時にはすでにたくさんの人がいた。新聞を片手に、おじさんたちが熱く持論を語っている姿が、そこかしこに見られた。

競馬の良さは、どうにでも解釈できるところにあるのかもしれない。強い馬が勝つとは限らない。たとえこれ以上ないくらいの好条件が揃っても、負けるときは負ける。逆も然り。調子の悪い弱い馬が勝つことだってある。

所詮、正しい答えなんてどこにもないのだ。老いも若きも、金持ちも貧乏人も、評論家も素人も、みんながみんな、それぞれの仕方で解釈し、物語を語ることができる。競馬がロマンだというのはそういう意味だ。

私は学生時代に競馬を覚えた。学生の私は週末になると、バイト代をやりくりして中山に通った。就職してからは毎週というわけにはいかないけれど、それでも時々は、競馬場や場外売場に出向いて馬券を買う。100円に悩み抜いて買っていた馬券は、1000円単位になった。当てにいくのではなく、好きな馬に投票するようになった。どちらが正しいとかではなくて、いろんな楽しみ方ができる。それも競馬だ。

これから先、自分の人生どうなっていくかわからないが、たぶん、競馬だけは続けていくだろう。学生のころ一緒に中山に通った地元の友人たちとはすっかり疎遠になってしまったけれど、どんなに長く離れていても、一度一緒に競馬に行けば、すぐにあのころの関係に戻れるような気がする。保坂和志の小説に出てくる30代の男たちのように。競馬にはそういう不思議な力がある。

朝の光が照らす高崎の場外馬券売場で、おじさんたちに囲まれながら、私はそんなことを考えていた。当たるも八卦、当たらぬも八卦。それより競馬場の雰囲気が楽しい。そんなふうに感じる私は、まぎれもなく、おじさんの一人になってしまったということなのだろう。

追記
このレースには他にもさまざまなドラマがあった。まず、人気薄ながら2年連続3着の老雄エアシェイディを称えねばならない。残念だったのは今年の菊花賞馬スリーロールスがレース中に故障したこと。安楽死は免れたものの競走馬としての復帰は難しいようだ。
また、私の本命馬イコピコに乗った内田博幸騎手の、JRA年間最多勝タイトルがこの日決まった。地方競馬出身の内田騎手。2001年以来中央の王座に君臨した「天才」武豊騎手を抑えての偉業である。先週NHKの番組で紹介されていたが、仕事に対するストイックで、しかも謙虚な姿勢に、私はすっかり心奪われてしまった。
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2009年12月25日

憂国のイヴ

NEC_0060.jpg第七回を迎へた恒例の職場自転車部読書会は昭和の文豪三島由紀夫氏の『文章読本』を課題書として基督生誕記念日未明より長野駅前居酒屋に部員四人集ひて論議白熱三時間、軽佻浮薄なる世情を尻目に、共に魂の陶冶に勤しんだのである。

まづ本日の主宰者である余が課題書を成立せしめる三島氏の世界観といふ見地から問題提起。太宰治氏との近似性から当時の新左翼学生等と三島氏の愛憎半ばする関係まで、多岐に亘る論議は尽きる事が無かつた。自ら率先して年譜資料を準備し部員に提供した若手M氏は文学に対するこの文豪の真摯な態度への感銘を語り、不惑を迎へたばかりのT氏が「漱石の不在」という三島氏文学論の内在的問題を指摘するかと思へば、部長格の古参K氏は持参した三島氏の写真集を手に、人間如何に老るべきかと言ふ存在論的問ひにまで議論を敷衍して一同の意見を求めた。

一般に流布せる虚像に捉はれる事勿れ。氏が追究した生と死と言ふ文学の命題はあの昭和四十五年の劇的な出来事により昇華されたのでは無い。未来の為の現在と言はず今此の瞬間に全力を賭して生きるべし。死後約四十年の時を経て、何よりも希臘的形式を重んじた戦後日本の文豪の問ひ掛けは、少しも色褪せる事無く、ひとたび耳を澄ませば、三十路四十路に在る部員達の心情に今なほ力強く訴へ掛けて来るのであつた。

各々、老境に至る迄此の会合を継続せんと固く誓ひ合い、四人の部員達は夜も深き長野の街で、実り多き平成二十一年を締め括つたのである。
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2009年12月19日

跳べない沈黙

NEC_0220.jpg

真っ白な未来
つかの間の希望



                                              
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2009年12月10日

去りゆく者の言葉

「夢であのシーンが出てくる。野球人の本能でやった。後悔していない」

引退を表明した阪神の赤星選手。そんなにひどいけがだったとは。

9月12日、雨の甲子園。センターを守っていた赤星選手は3回、右中間の打球にダイビングキャッチを試みて負傷し、そのまま退場した。当初は持病の椎間板ヘルニアと診断されたが、その後の検査で脊髄損傷であることが判明したのだという。

いまは日常生活に支障はない。その気になれば復帰もできるだろう。でも1ヵ月悩み抜いた末に、身を引くと決めた。今度やったら命の危険もある。医師にはそう言われていた。全力プレーが身上の自分としては、けがにおびえながら選手を続けることはできない。

赤星選手は記者会見で、自らの決断の理由をそのように説明した。よどみなく語られる言葉には説得力があった。明瞭で無駄がなく理にかなった説明。見るかぎり、空虚な言葉はひとつもなかった。それは頭の中で考えに考えて、その上でやっと、これしかないとたどり着いた論理だったのかもしれない。なにしろ阪神の不動の1番、看板選手の1人である。突然の引退表明には誰もが驚いたはずだ。でもみんな、あの会見を見て、なるほどそうだったのかと納得したのではないだろうか。赤星選手の言葉には、それほどの力があった。

自らの胸の内を、自分の言葉で、誰にもわかるように説明してみせる。誰にでもできることではない。赤星選手が9年間のプロ生活の最後に見せた、鮮やかで潔い身の処し方は、すがすがしい全力プレーの姿とともに、ファンの記憶にいつまでも残ることだろう。

年下の選手が引退していくのは、さびしい。

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2009年12月09日

ひとりTour de France

NEC_0212.jpg12月1日 25.9`
  2日 40.6`
  5日 30.0`
  6日 31.8`
  7日 38.5`
  8日 31.3`

65歳でフルマラソンを52日間連続で走り、ギネスブックに載った人がいた。負けじと思うわけではないが、夜の街を走り続けている。

仕事を終えた夜中に1日30`前後、月500`を目標に走り始めて1年半ほどになる。目標達成はなかなか難しく、月平均だいたい300〜400`というところだ。

走れない理由がない限り、走る。ゆっくりでも短い距離でも、とにかく走る。継続は力なり。スポーツとは反復の喜びだ。河上徹太郎氏はそう言っているらしい(三島由紀夫『文章読本』参照)。

その信条が、このところ揺らいでいる。信州の冬、どうしてこんなに厳しいのだろう。寒いというより冷たい。冷蔵庫の中にいるみたいだ。走って風を切ったりしたら血が吹き出そうなほど、痛い。

それでも、クルマのいない道は気持ちがいい。見上げれば、ナイフみたいに冴えわたる月。満ちてくるとライトを点けなくてもいいくらい、月の光というのは明るい。川の近くの低地にさしかかると、不意に霧が現れたりする。走るうちにそれはみるみる深くなって、5メートル先も見えないような状況になる。夜なのに視界が真っ白になる。どこかもうひとつの世界に迷い込んだ感じがして、悪くない感じだ。

もうすぐ雪の季節。この冬はどのくらい降るだろう。県内のスキー場は今のところ、雪不足らしい。

とにかく今は、走れるだけ走っておこう。雪が降る前に。負けそうな心に、きょうも鞭を入れる。
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ああ10代

「所沢は岩手に似ている」

雄星、いい奴なんだろうなあ。

遼くんなんかもそうだけど、昨今の10代はあくまで直球勝負なのだろうか。

まあ、自分の世代にもそういう奴はいたけれども、ドラフト1位になったり賞金王になったりする器ではなかったような。

「Don't trust over Thirty」とか、記者会見で言ってもらいたい気もする。

「平家物語」の暗唱でもいい。
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きょうのつぶやき

足さえ冷えなければ安眠できるのだが。
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2009年11月17日

言葉

服を買いに行った銀座の、とあるショップで試着をしていた時のこと。

「いかがですか」と訊ねる女性店員に、着てみてちょっときつかった僕は「ちょっと小さいみたいですね」と言いながら、試着室の扉を開けた。

「そうですか。小さいですか」

その女性店員の何気ない一言に、心が動いた。

「ちいさい」の「ち」にアクセントがあったのだ。こう書いても何のことかわかりにくいけれども、つまり、関西弁のイントネーションを、僕はその一言から感じ取ったのである。

それまで会話は標準語だった。特にどこの言葉だとか意識しなかったから、たぶんそうだ。ごくありふれた、店員と客の言葉のやりとり。相手がどこの人だろうと、そんなことは関係なかった。

何かの出来事を境にして、世界が違って見える。そういうことがあるとよく言うが、この時の感じは、それに近いものがあった。「小さいですか」と言われた瞬間から、彼女は僕にとって、店員の某さんという存在ではなくなった気がした。

しばらく会話を続けていると確かに、わかる。彼女が話す標準語の文章の、その合間をぬうようにして、あの懐かしい関西弁の響きが伝わってくる。「それ今年の新作なんです」の「新作」は「く」にアクセントがあるし、「在庫ないんです」と言うときには「い」の音が高くなる。

四国に生まれ、小学校までを京都で過ごした僕にとって、関西弁はいわば「母語」である。まあ少し大げさな言い方かもしれないが、千葉に引っ越したばかりの小5の僕にとって、言葉の問題はそれなりに大きなものだった。標準語が話せなかったというのではない。いやそれどころか、関西人というのはふつうに標準語を話せるものだし、ましてや子どものこと、あの時僕は何の苦もなく、すぐに関東の言葉になじんで、友達もたくさんできた。それはそうなのだが、やはりどこか、ふだん意識しない程度の違和感のようなものはあって、たとえばそれは、関西弁で考えてそれを標準語の発音に直してから口に出すから、その言葉は確かに自分のものではあるんだけど、どこか外国語に近いようなもので、自分の内面の奥の方から直に出てきたものではないという、微妙なんだけども妙にいつまでもつきまとう感覚であったし、それは今に至ってもなお、かすかに残っている。

「出身、関西なんですか」
会計のとき訊いてみたら、彼女は京都出身だった。伏見ということである。幼いころ家族でよく出かけた伏見桃山城の遊園地が心に浮かんだ。それはもう映像としてはほとんど思い出せないのだけれど、それでもどこからか次々と懐かしさがあふれて、心がいっぱいになった。

「山科ですか。いいところじゃないですか」
彼女は「いい」を低く発音してから「と」にアクセントをつけて、そう言ってくれた。それから、ひと言ふた言続いた会話のなかで、自分の言葉がすっかり、ここぞとばかりに関西の発音になっているのがおかしかった。

京都を離れた小5の夏から20年余り。父母や親戚とも離れ、今では関西弁を使うことも、ほとんどなくなってしまった。頭のなかで何かを考えるときも、関東の言葉になっていることに気がついて愕然とすることもある。ルーツなんてどうでもいい。「転がる石」でいいんだとうそぶきながら、その陰では言葉へのこだわりを捨てきれない自分が下らない存在に思えて、たまらなくなったりもする。

彼女との会話は他愛ないもので、それから特に話し込むわけでもなく、そこから何かの艶やかなる感情が芽生えたわけでもなく、いつものようにふつうに会計をして、店を出た。でも銀座の街を歩く僕は心なしか足取りも軽く、街はいつもより華やいで見えた。日曜のデートを楽しむカップルや家族連れが、何ともほほえましかった。心が動いた余韻は結局その日1日、ずっと残った。

こういう経験って誰にでもあるものだろうか。それとも、自分だけにしかわからない個人的なものなのだろうか。

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2009年11月13日

あまりに新聞的な

「レビストロース」

ずっと気になっている。この違和感は何だろう。あのレヴィ=ストロースのことを表す言葉とは、とても思えない。どうにも間が抜けている。字面を見て思わず「エビ」を連想してしまうのは私だけだろうか。

見たところ、新聞はすべてこういう書き方をするようである。レヴィ=ストロースの死を伝える5日付朝刊(4日付夕刊)各紙の記事の扱いは、次のようなものだった。

A紙
見出し2段半
『レビストロース氏死去 思想界の巨人「悲しき熱帯」』
写真、パリ支局雑感、青木保氏談話

M紙
見出し4段(15段制:M紙は1段の天地の幅が狭いので、A紙やY紙の幅に換算すると、3段くらいになる)
『レビストロースさん死去 「悲しき熱帯」構造主義を確立 100歳』
顔写真

Y紙
見出し3段
『レビストロース氏死去 100歳 文化人類学者、構造主義』
顔写真、青木保氏談話

S紙
見出し2段
『「悲しき熱帯」「野生の思考」 レビストロース氏死去 構造主義の旗手、思想家 100歳』
写真

S濃M日紙(長野県の地方紙)
見出し2段半
『レビストロース氏死去 「悲しき熱帯」構造主義の巨人 100歳』
顔写真、青木保氏談話(記事は共同通信)

C紙(愛知県に本拠を置くブロック紙)
見出し、顔写真なし。定型記事(共同通信)

※S濃M日は4日付夕刊、その他はすべて5日付朝刊(統合版)参照

新聞の死亡記事には、その人に対する評価がはっきりあらわれる。たとえば見出しの大きさや文言、記事の長さや中身、そういうところに各紙の個性が出る。新聞の側から言えば、死者となった人に対して、目に見える形での評価を迫られるということだ。社会にとってその人がどのような存在だったのか。社会とは、一般紙であれば広く一般的な意味での社会であり、業界紙ではその業界ということになる。その社会における業績の意義や、その死が社会に与える影響も加味したうえで、新聞記者は記事を書き、見出しを付けるわけだ。

上に挙げた各紙の中では、大手3紙はほぼ同じ扱いといっていいだろう。A紙は、見出しをあまり大きくしない代わりに、雑感記事や談話、顔だけでない写真を付けている。つまり、日本の一般社会にとって、この人の死はそれほどのインパクトはないけれども、その道(学問の世界?)では大きな存在であり、複数の記事で補足することで、その存在の大きさを一般社会に説明している、といえる。S紙は写真の上に横見出しを乗せるという形だが、これはもしかしたら、価値判断を回避しているのかもしれない。あの人の死亡記事より見出しが大きいとか小さいとか、扱いを比較できないようになっている。愛知のC紙は、ちょっと理解に苦しむ。この哲学者を知らなかったのだろうか。あるいは、日本の一般社会にその死は何の影響もないと判断した上で、見出しも何も付けなかったのかもしれないが。

人を評価することは難しい。評価なんて人それぞれ。確かにそうだ。でも新聞は、社会の出来事全般について、価値判断を下し、視覚化しなければならない。それが編集というものだろう。混沌とした出来事は、編集によって整理されて初めて、目に見える形で私たちの前にあらわれるというのも事実だ。新聞が複数あるのは、物事に対する価値判断は多いほど望ましいという民主主義の要請でもある。民主主義社会の新聞は、編集の仕方によって個性を競わねばならない。

レヴィ=ストロースの死亡記事からは、新聞各社の個性があまり感じられない。みんながみんな社会面で、表記は「レビストロース」なのはなぜか。それはたぶん、外国の学者や文化人について、各紙が積極的な価値判断を避けているからだ。そういう日本の新聞全般の姿勢が、死亡記事に現れているのだと思う。

レヴィ=ストロースや構造主義に限らず、哲学や思想というものについて、日本の新聞は、たぶん、ほとんど何の識見も持ち合わせていない。哲学史・思想史を少しでも知っていれば、このように表記することに抵抗を感じるはずだし、だからうちは「レヴィ=ストロース」でいく、という新聞社が一つくらいあってもよさそうなものだ。残念ながら日本の新聞はどれも、自分たちで設けた「レビストロース」という枠にこもることで積極的な価値判断を回避し、そこから一歩でも出ようとする社は一つもなかった。そういうことではないだろうか。

それでも全国3紙はそれぞれ、追悼記事によって、かろうじて個性を見せている。Y紙は早くも5日付朝刊に、中沢新一の文章を載せた。驚くべき対応の早さである。「彼の精神こそ私の神」という見出しが付いた文章は追悼文としてきわめて正統的な文体で、師に対する敬愛の念を漂わせながら、20世紀文明に立ち向かうドン・キホーテと位置づけ、その思想の現代的意義を語っている。たぶん事前に準備していたのだろう。ちょっとカッコよすぎる。タイトルが「レヴィ=ストロースを悼む」となっているのは、中沢が譲らなかったのか。ちなみに同じ日の社会面の死亡記事は「レビストロース」である。同じ日の新聞に2つの表記が混在している。

A紙の「レビストロース氏 何者だったか」という記事は、構造主義の大まかな流れを記者が紹介した上で、弟子の川田順造が師との交流の思い出を語る、という形をとっている(7日付朝刊)。追悼文の前に、まず説明が必要ではないかというのがA紙らしい。表記はすべて「レビストロース」。川田順造の記事は「パリにて、談」となっているから、本人の文章ではない。だからこの表記が川田の意向かどうかは不明である。

M紙が文章を依頼したのは内田樹。11日付夕刊である。『悲しき熱帯』、それも最初の1行にレヴィ=ストロースの本質を見出すとしてその思想の全体像をラフスケッチしてしまうのは、内田ならではの大胆な展開で、いろいろ反論がありそうだが、読んで面白いのは確かである。ちなみに今村仁司は、レヴィ=ストロースはフィールドワーカーであるよりはむしろ理論家であるとしている(『現代思想を読む事典』)が、評価としてはどちらが正しいのだろう。あるいはどのような議論がなされているのだろう。それはそれとして、内田はこんなふうに言う。『人は「自分が自分であることの居心地の悪さ」をデフォルトとするような生き方をしている限り、それほど大きな破壊や愚行にはかかわらずにいられる。レヴィ=ストロースはたぶんそう考えたのである』。中沢新一の言う「すざまじい謙虚さ」と、おそらく同じような意味なのだろうが、内田の方が自分の言葉で語っているような感じがするのは、焦点を『悲しき熱帯』に絞っているだけ話の筋が明瞭に見えるからだろう。

物事を見るためには判断が必要だ。判断が先走ると物事を見る眼は曇る。大事なのは、自分のも他人のも、あらゆる事象につきまとう「判断」ということを意識し続けることだ。自戒をこめて、そう思う。
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2009年11月09日

事件

いま、うちのアパートの隣で火事がありました。このブログを書いているうちに朝になり、裏でなんだかバチバチ音がするなあと思って、見たら、炎に包まれた隣の一軒家が。1分後、消防隊が来て、幸いにもこちらに延焼することなく、15分で消し止められました。

外に出るべきか知らぬ顔をしていていいのか、なんだかドキドキするばかりで、こういう時どうしたら良いものなのか分かりません。いま、チェーンソーで建物を壊しているようです。

消防隊の人たちはこういう光景を毎回目にしているのでしょうか。拡声器で指示を出し合い、てきぱき動く彼らの姿を見て、「すごいなあ」と思うことしか、自分にはできない。

無力です。
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2009年09月02日

それで自由になったのかい

今回の総選挙については、いろんな人が書いているが、毎日新聞に出た内田樹の意見が、自分には一番しっくりくるように思われた。(1日付朝刊2面を参照)

二大政党だの政権交代だの言っても、今回の選挙は結局、チャンネルを替えたようなもの。国際社会で使えない政治的エネルギーを、内輪で大量消費した挙句、新しいことも、変わったことも、大してなかった。むしろ「変わらない」という安心感があったからこそ、有権者は民主党を選んだ。ちょっと裏番組を見てみるような感じで。

いかにも内田樹らしい、逆説的で、鮮やかな論理展開だ。この人の言うことには本当に寄り道とか無駄がない。力任せでなく、論理を使いこなして物事の核心に一気に迫っていく姿勢は、まさに合気道そのもの。こういう人の言いなりにはなりたくないと思う。あえて反論してみたいけど、返し技を駆使して反撃するだけの力量が自分にはないから、それはたぶん無理だとも思う。

それはまあ、いいとして。

でもやっぱり、この意見にはかなりの説得力がある。振り返ってみるならば、「政権交代」とか「二大政党」とかいう言葉の内実について、私たちはどれだけのことを知っているだろう。意味もろくに知らない言葉に躍らされることの危険について、日本人はもっと自覚的になるべきではないだろうか。

たとえば「自民党」対「民主党」という図式。これはいったい何の対立なのか。わからないままだ。内田さんもいうように、自民党と社会党が拮抗した55年体制というのは、「情念」と「論理」の対立だった。時代が下ってその「論理」がなくなり、政治には有効な対立軸がないまま、自民党支配が続いた。それではいけない、政治には対立軸がやっぱり必要なのだと小選挙区制が採用され、二大政党の形成が促された。何度かの選挙を経るうちに「民主党」という集まりがなんとなくできた。そしてその民主党の得票が今回、自民党を上回った。

そうやって政権党となった「民主党」。これはいったい何の集まりなのか。この点についても、あまり良くわかっていない。論理や理念の下に集った人々でないことだけはよくわかる。じゃあこれも情念による徒党か。それでは結局これも、第2の自民党というしかないではないか。実際、欧州のメディアなどは、この「民主党」をどう説明していいか苦慮しているらしい。欧州的な社民勢力ではないし、米国流のリベラルとも言えないし。

アングロサクソンはなぜ「二大政党」制なのか。長い歴史の中で彼らがそういう知恵を生み出したのは、なぜなのか。またヨーロッパはどうしてそれを採用しないのか。そのような政治のあり方についての問い、もっとみんなで勉強しようじゃないか、というような声がひとつも聞こえてこないのは、なぜなのだろう。

ただ面白そうだから試してみた。やはりそう言う内田さんの見方が正しいのだろうか。でも政治というのは、「試してみる」とかそういうお手軽な世界じゃないような気がする。自分がかつて学んだ「政治」というのは、ホッブズの「リヴァイアサン」のイメージだった。根源的には人の生き死ににかかわる分野だと教えられた。少なくとも欧州の政治思想史においては、そういうものとされている。

なにがどう変わったり、変わらなかったりするのか。その大事なところが見えないまま、政権党が変わった。これは一種の賭けだと思う。それもかなり危険な。競馬やパチンコなら何とか自分で責任が取れるけれど、政治の賭けは代償が大きすぎる。有権者には自分たちの選択について責任を取るだけの覚悟があるだろうか。

「国民が変化を求めたから政権が交代した」。民主党はそう言っている。でもこれは、大して意味のない言葉だ。自民党が圧勝した2005年の衆院選は、「変化を求める」有権者が小泉改革を支持した結果だった。中身をよく確認しないまま、「変化」というパッケージそのものがもてはやされ、目的化される。そうやって響きのいい言葉がひとり歩きする。そういうことが繰り返されている。

右や左、保守や革新、自由主義や社会主義というようなイデオロギーが意味を失ったと言われて久しい。そのような従来の政治的言語は、いまではむしろ政治家の側が率先して、使うのを避けているようだ。代わりに出てきたのが「チェンジ」や「安心」や「幸福」といった言葉たち。わかったようでわからない。わからないけど、わかったような気がする。とにかく響きはいい。政治家としては実に便利な言葉である。

政治がますます即物的になっている。天下国家よりも身近な生活が政治のテーマになることは時代の要請かもしれない。それはいい。でもだからといって、言葉をいい加減に扱っていいということにはならないだろう。誰もがわかる論理で定義できないような、あいまいな言葉は、政治にはそぐわない。「チェンジ」や「安心」や「幸福」をみんなで議論して、なにか具体的な政策が導き出せるだろうか。これらは文学や哲学や宗教の領分であって、政治が扱うべきテーマではないと思う。

言葉をもっと大事にしなければいけない。自戒を込めて、そう思う。そして政治は、政治の言葉を取り戻さなければならない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

選挙の日は「乗鞍マウンテンサイクリング」の日でもあった。毎年人気のこの自転車のヒルクライムレース、苦労して申し込んでやっと今年、2年ぶりに当選して出場権を得た。この日のために、1年間練習した。それがフイになった。選挙の日は仕事、サラリーマンだから仕方ない。そう言い聞かせてあきらめた。

2009年8月30日。この日かみしめた悔しさは、一生忘れないだろう。
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2009年08月07日

見えない明日

全てはいつか壊れていく
誰も望まなくても
この世界はそんなに強く出来てはいないよ
君の手のひらの蝶の羽が消えて無くなるように
僕たちの夢は弱くてもろく儚いけれど

    川村カオリ「バタフライ〜あの晴れた空の向こうへ〜」(2009)


昭和20年8月6日。世界が決定的に変わってしまった日。たとえばその前日の広島で、そんな過酷な瞬間が自分たちのすぐそばに迫っていることを、だれが予想できただろう。

法学部の授業で陪審制と参審制の違いについて学んでいた15年前。この日本で、市民が刑事裁判の量刑を決める日が本当に来るとは、思っていなかった。

友人と時代錯誤な映画の話で盛り上がっていた学生時代。大原麗子さんの訃報にまさか自分たちが接するなんて、そんなこと想像する理由もなかった。

今日はすでに昨日ではなく、明日は今日のままではない。こんな当たり前のことが最近、やたらと心にこたえる。なぜだか、自分でもわからない。

朝、平和記念式典の中継を見ていたら、2人の子どもたちがこんなことを言っていた。

「人は、たくさんの困難を乗り越えてこの世の中に生まれてきます。お母さんが赤ちゃんを生もうとがんばり、赤ちゃんも生まれようとがんばる。新しい命が生まれ、未来につながっていきます。それは『命の奇跡』です。」

いい言葉だと思った。率直で、飾り気がなくて、いろんなものが伝わってきた。少し泣きそうになった。

いまある世界はずっと続かない。だからこそ人は、宗教や芸術に永続性を求めるのだろう。またその一方で、世界が変わり得るものだからこそ、人は希望を持つことができるのだろう。

昔読んだハンナ・アレントを思い出した。『革命について』という本で、こんなことを言っていた気がする。

変わりゆく世界のなかで、現実から目をそらさず、内なる不安と希望をしっかり見つめること。自由な生き方というのは、そういうことから始まるのかもしれない。

自分にはそんな勇気があるだろうか。






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2009年07月29日

心が痛い

川村カオリさんの訃報を聞いて。

高校生の頃、ラジオから流れてきた「ZOO」。「愛をください」と何度も繰り返すフレーズが忘れられなくて、でもそれが誰の何という歌なのかわからず、あちこち探し回った末に、やっとCDを見つけた時は本当にうれしくて、レンタル店で借りてきてテープに録音したこの曲を、毎日のように聴いていたことを思い出す。

辻仁成が歌うエコーズのバージョンもいいけれど、川村かおりの歌で聴くこの曲は、よりリアルに伝わってくるものがあるように思えた。

夜の公園にぽつんとともる街灯の下に、革ジャンを着た女性がひとり、背中をまるめて遠くを見つめている―。テレビや雑誌でもあまり見ることがなかった川村かおりという人の姿を、当時の私はそんなイメージで想像しながら、歌声に耳を澄ましていた。彼女がDJをしていたオールナイトニッポン第2部も、明け方まで起きて聴いていたような気がするが、こちらはあまり覚えていない。

挑発的な詞と歌とルックスは、傷つきやすさの裏返しに見えた。人と人がわかり合えるなんて、最初から思っていない。自分のなかにある柔らかな部分を、他人には触れさせない。近づこうとする者を拒むようなこの人の歌は、当時流行していた他のどんな歌とも違っていた。あえて言えば尾崎豊に近い感じがしたけれど、尾崎ほどは熱くなく、クールで、もっと自然体で、そこがカッコよかった。

思えばあの頃、90年代前半というのは、本当にいろんな音楽が出てきた時代だった(イカ天バンドの時代だ)。その一方でまた、いろんな音楽が、いつの間にか消えていった。「ZOO」の後、いくつかの曲がヒットした川村かおりも、私が高校を卒業するころには、その名前をあまり聞かなくなっていて、知らず知らずのうちに、私の関心も遠のいた。その辺りから70年代の音楽を聴き始めたのだが、それまでは私も同時代の音楽を追いかけていたことを思い返すと、感慨深い。野田幹子、永井真理子、加藤いづみ、石川よしひろ…その頃好きだった歌手たちの何人かは、数年間の「氷河期」の後、今でも活動しているのを目にして、ときどき聴きに行ったりすることもある。

川村かおりは93年に活動停止した後、95年に再び活動を再開し、のち「川村カオリ」と改名したということを、だいぶ後になって知った。数年前、がん闘病がメディアに採り上げられるようになってから、その姿を見かけることもあったけれど、私は彼女の歌を再び聴こうとはしなかった。

川村カオリさんが亡くなったことについて、私は、何も言うことができない。そういう立場にはない。でもその昔、高校生だった私の心に、彼女の歌声が確かに響いていて、その刻印は今も残っている。このことは記しておきたいと思う。

ご冥福をお祈りします。




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2009年07月17日

アフター5は温泉で

R0010937.JPG

「もうすぐ仕事終わるから」
「こっちも今日は残業なさそう」
「そうか。そしたら、銀座の山野楽器の前に5時半でどう」
「いいよ」
「じゃあそういうことで」
「わかった。待ってるよ」

会社員であるからには、一度はこういう会話をしてみたい。
そう思いながら、7年が過ぎた。理由はまあ、いろいろある。

@銀座は遠い
A仕事が5時に終わらない
B待ち合わせる相手がいない

@とBはなんとかなるかもしれない。新幹線なら銀座まで2時間だし、待ち合わせる相手も、努力次第で見つからないとも限らない。

問題はAである。いまの職場はローテーション勤務で、早番は10時、遅番は午後4時半出社。早番でも終わるのは9時すぎで、遅番なら午前2時になる。

こんな生活なのである。仕事帰りに何かしようという気には、とてもなれない。せいぜい盛り場の飲み屋で、夜明けまでクダを巻くくらいなものだ。

仕事を終えた後の、あの解放感。それを日のあるうちに味わえたら、どんなにいいだろう。銀座で待ち合わせて、映画でも観て、その後、予約した店でディナー…たとえばそんな計画をたてるのは、さぞかし楽しいことだろうと思う。

そんな自分に、春の椿事ならぬ夏の椿事が訪れた。勤務ダイヤの手違いで、割り当てられた仕事がなくなり、5時に帰れることになったのだ。この機会を逃す手はない。退社の前から計画を練りに練った。

その結果、私は初めての「アフター5」を次のように過ごすことにした。まず、以前から気になっていたタイ料理屋で夕食。それから湯田中温泉で自転車練習で酷使した体を癒す。その後は「田毎の月」で名高い姨捨で夜景を見て、すさんだ心を癒す。持ち時間は6時間。時刻表で計算しながら、一分の隙もないルートを作り上げた。

午後5時20分
会社近くのタイ料理屋「アロイ食堂」で、おいしいと聞いていた「カオ・カイ」を注文。いわば焼飯だ。夏はやはりスパイスの効いた料理がうまい。意外に若いタイ人の奥さんが作り、ヒゲを生やした日本人の旦那さんが注文を取っている。この2人がとにかくいい感じで、店は和やかな雰囲気に包まれている。どういうなれ初めなのだろう。

午後6時44分
長野電鉄の特急で長野駅発。特急料金100円を払い、独特なレトロ車両に乗り込む。空いているのがよい。まだ明るい車窓から、のんびりした田園風景を楽しめた。

午後7時39分
湯田中駅着。裏手の日帰り入浴施設「楓の湯」は、入場料300円。ここも空いている。地元の人の利用が多いようだ。お湯は透明で、においもなく、やさしい感触。しばし時間を忘れてくつろいだ。

午後8時28分
湯田中駅発。時間を忘れたせいで、少しあせった。髪も生乾きのまま乗り込んだのは普通列車。東急のお下がりでロングシートなのがいまいち。これまた車内はガラガラ。阿佐田哲也の『麻雀放浪記』を読んでいるうちに、いつの間にか眠り込んでしまった。

午後9時44分
長野駅に戻ってきた。長電はのんびりし過ぎて、2分ほど遅れたようだ。乗り換え時間は4分しかない。急がなければならない。ここが正念場だ。外に出たら雨が降っていた。革靴が滑ってうまく走れない。

午後9時48分
JR篠ノ井線上諏訪行き普通列車。何とか乗れた。さすがに通勤客で混んでいる。ドアの近くに立って外を眺めていると、電車通学をしていた首都圏での生活が思い出された。

午後10時19分
無人の姨捨駅に、初めて降り立つ。下車したのは2人だけ。その女性はすぐどこかへ消えて、列車が行ってしまうと、まったくの1人になった。深沢七郎の、あの「姨捨山」である。その山の中腹にあるこの駅はスイッチバックがあることでも有名で、普通列車しか停まらない。特急は下のバイパスを通るようになっているから、なかなか下りる機会がなかった。

それにしても素晴らしい夜景だ。ホーム自体が展望台のようになっていて、線路と直角の方向に眺望が開けている。見下ろせば善光寺平の町の光がキラキラと瞬いている。なるほど、これは北海道の狩勝峠、九州肥薩線の矢岳越えと並んで「日本三大車窓」のひとつに数えられるだけのことはある。

 わが心なぐさめかねつ更科や姨捨山に照る月を見て

芭蕉が「更級紀行」に詠った、棚田に映える「田毎の月」は、きょうは見ることができないようだ。弱い雨が降り続いている。駅舎は最近新しく建てられたようで、姨捨を紹介するパネルや写真なども飾られており、30分あまりの待ち時間を過ごすのに飽きることはなかった。

午後10時50分
姨捨駅発。山沿いに盆地を回りこむ列車から、夜景がぐるぐる動いて見えるのが少し幻想的で、見とれているうちに、長野駅着。時計を見ると、11時18分だった。

仕事を終えた後で、これほど濃密な時間を過ごせるとは。考えてみればこれほど贅沢な旅も、なかなかあるものではない。銀座もいいけど、ここには温泉があり、山がある。アフター5に旅ができる。いま、ここにいることから始めてみよう。そんな思いを新たにしながら、家路についた。

でもやっぱり、いつかは銀座で待ち合わせてみたい。
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2009年06月01日

4月になれば彼らは

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会社員にとって、3月は別れの季節。
今年も人事異動の内示があり、お世話になった先輩が転勤することになった。入社して7年、この人がいたからこそ、自分はこの会社で、今までなんとかやって来れたのだと思う。配属されたばかりのころ、うまく作業を進められない自分に、遅くまで付き合ってくれたのは、この人だけだった。仕事だけではない。スキーとか自転車とか、いろいろな遊びも、この人から教わったのだった。

人は身近にあるものの大切さに、なかなか気付かないものらしい。いつでもそこにあるということは、ことさらに今、そこにある必要はないんじゃないか、という意識につながる。職場の同僚でも、いつも話をして、関係を深め合っているわけではない。この先輩とも、最近は飲んだり遊びに行ったりすることも少なくなっていた。7年の間にお子さんも大きくなり、手のかかる時期だ。あまり誘っては悪いだろうという遠慮もあった。

寝台特急「富士・はやぶさ」のラストランを見るため、東京駅に3000人が詰めかけたという。「廃止されるのは残念」「残してほしい」。テレビや新聞のインタビューでは皆、口を揃えてそう言っていた。でも彼らの中に、あの列車がなくなって本当に困る人がどのくらいいるというのだろう。乗らなかったから廃止されるのだ。普段の利用者でもない人たちが、どうして別れを惜しむのか。

でも彼らの気持ちもわかるのだ。いつもそこにあると思うと、人は安心してしまう。自分がいかにその存在をおろそかにしてきたか。なくなるということになって初めて、気付かされる。

人間とはそういうものだ、とは言いたくない。「いま、ここにあること」をもっと大切にしなければ。あと2週間、忙しくても、いやだと思われても、先輩ともっと話をしようと思う。「別れを惜しむファン」のようで、ちょっと恥ずかしくはあるけれど。

posted by Dandelion at 05:14| Comment(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする