2016年10月11日

広重とモノレール、人の世のいとおしさについて

長野県信濃美術館で開催中の「平木コレクション 生誕230年 歌川広重の世界」。
東海道五十三次それぞれの風景画における人物の描写に魅せられた。
人物はあくまで自然の風物の一部、でもよく見るととても繊細に描かれている。
歩く人、走る人、休む人、馬に乗る人、船の乗る人、町人、武士、坊さん、百姓、駕籠かき、渡しの人夫、旅籠の客引き・・・その表情やしぐさの、かわいらしいこと。
山越え、谷越え、雨の日も、晴れの日も、楽ありゃ苦もある昔の旅。
その道中は、さまざまな人や風景との出会いによって成り立っていたのだ。

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観覧に先立って、関連イベントの「信美寄席」で聞いたのは、立川談慶師匠による「抜け雀」。
これもまた、考えてみれば旅の出会いのお話なのであった。

美術館を出た後、ふと思いついて、近くの城山動物園へ。
昭和36年開園の市営動物園は、入場無料。
アシカやニホンザル、ペンギン、ヤクシカといった動物もさることながら、ここの名物はなんといってもレトロなモノレールであろう。
そのモノレールが動いているのを、初めて見た。
親子を乗せて、音楽に乗って、ゆっくりゆっくり。
子どもたちの歓声を振りまきながら、回っている。
モノレールが設置されたのは昭和48年。
その時代から、何が変わり、何が変わらないのだろう。
親子の笑顔が、さっき見たばかりの広重の人物たちに重なって見えた。

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2010年02月22日

山小屋で昼食を

NEC_0126.jpg長野駅から善光寺へ向かう参道の途中、右手の細い路地を入った所に「カレーショップ山小屋」はある。

ドラマ『北の国から』で、純が風力発電装置を取り付けた麓郷の家のような、木がむき出しの古びた建物は、まさに「山小屋」の名にふさわしい。70年代から続く老舗のカレー専門店で、入口に掲げた看板が示す通り、「納豆カレー」の店として知られている。

早番勤務の日は、特別な理由がない限り、この店でランチをとる。月に5、6回は行くだろうか。黄色い灯りがやわらかく照らす板張りの店内は、すこぶる居心地が良い。いつも70年代のロックが、静かに流れている。クラプトン、スプリングスティーン、ビートルズ、BBキング…いつまでも聴いていたくなる選曲だ。

客層は若く、大学生が多い。メニューには大盛りの「学生カレー」というのがある。4人掛けのテーブルには何でも自由に書いていいノートが置いてあったりする。古き良き時代の学生文化が、ここにはまだ息づいているようだ。おしゃべりしていても、みんな静かである。

いつも注文するのは、「ベーコン&ポパイ」か「ベーコン&ポテト」、あるいは「ビーフ&きのこ」や「なす&ベーコン」にする日もある。それに納豆をトッピングする。「元祖納豆カレー」の店だが、「納豆カレー」というのはメニューにない(昔はあったらしい)。初めて行ったとき「納豆カレー」と注文したら、「トッピングしてください」と言われたので、いまではそれが納豆カレーということなのだろう。

注文すると、まずサラダが出てくる。半分自家製というドレッシングが絶妙で、さわやか過ぎず、しつこくなく、野菜の風味が生かされている。そのサラダをゆっくり食べ終えたころ、カレーが出てくる。

カレーに納豆というのは、かなり素敵な組み合わせだ。出てきたものを見ると、ご飯の上に乗せたひと塊の納豆の上から、ルーをかけてある。食べてみると、粘り気はあるが、生臭さはまったくない。適度な歯ごたえがあって、豆のうまみが感じられる。それがまたベーコンやビーフなどの具とよく合うのだ。適度なスパイスのルーとあいまって、深みを増していく味。カレーの持つ世界観が、口の中でどんどん広がっていく感じがする。

カレーの後は、デザートである。白いシャーベットのアイスクリーム。さわやかな酸味が、ほてった舌を癒してくれる。サラダもデザートも標準でついてくるのがうれしい。時間の余裕があるときはコーヒーも注文する。直前に挽いた豆の芳香。コーヒーほどカレーに合う飲み物もない。これはインド人が知らない楽しみだ。

団塊の世代と思われる主人夫婦。旦那さんが厨房にいて、接客は奥さんだ。姉と弟の子どもたちが注文を取ることもある。姉は若い女の子で、なかなかの美人。弟は高校生くらいだろうか、朴訥でまじめそうな少年である。それにしても、家族で仕事をする光景というのはなぜこんなにも美しいのだろう。たとえば東南アジアを旅していて、屋台で食べる時なども、そういうことを思う。

カウンターの奥さんにレシートを持っていって会計をするとき、「いつもありがとうございます」と言ってくれるのがうれしい。ときたま店にかかっていた曲名を尋ねたりすると、奥の旦那さんが教えてくれる。やはりこの選曲は旦那の趣味なのだ。カードに押してくれるスタンプが貯まると、くじを引くことができる。回して玉が出るやつだ。だいたい飴玉1つなのだが、1000円分の食事券が当たったこともある。10個で例の半分自家製ドレッシング、50個全部貯まるともれなく3000円分の食事券がもらえる。

カランカランと鳴る扉を開けて帰り際、「ありがとうございました」という声が掛かる。夫婦そろって、旦那さんも厨房から声を張り上げる。そうやって送られながら、また今度も昼食は、ここにしようと思う。

長野の街の真ん中に、こんなに素敵な山小屋が建っている。
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2009年12月19日

師走点描

NEC_0055.jpgなんとなく、気ぜわしくなってきた。
落語が聞きたくなる季節である。

今月は忙しい。6日しか休みがない。連休もない。信じられない。許しがたい。でもどうしようもない。自分だけじゃない。この時期、みんなそうなのだ。これはもう笑うしかない。どうせなら苦笑いでなく、声を出して笑いたい。だれかに笑わせてもらいたい。気がついたら、上野に向かっていた。

東京に4つある定席のなかでは、上野の鈴本演芸場が好きだ。浅草演芸ホールほど広くなく、池袋演芸場ほど狭くなく、新宿末広亭ほど混んでいない。ほどよい規模で、居心地がよい。

12月中旬の金曜日。街は賑わっていた。19時すぎにJRの駅を出て、京成上野駅の前を通り御徒町方面に5分も歩くと、鈴本演芸場のビルがある。大通りに沿ってひしめき合うように並ぶ雑居ビルのひとつなので、いつも見落としてしまいそうになる。

寄席というのは基本的に毎日営業していて、昼の部が12時頃から16時ぐらいまで、夜の部はだいたい17時すぎに始まり、21時前に終わる。その間、入れかわり立ちかわりいろんな演者が出てきて、落語以外にも漫才、奇術、曲芸など、それぞれ持ち時間15分くらいで、演目を披露する。入場料は寄席によって違うが、2500円から3000円ほど。客席は出入り自由で、始めから終わりまで通しで見ても、お目当ての高座だけ見ても、値段は変わらない。

入口の売場で当日券を買う。今日は2000円。19時以降は割引料金になるらしい。エレベーターで3階に上がると、女性の係員がホールの扉まで案内してくれた。ホールは300席ほど。客はまばらで、真ん中寄りの列に集まっている。50人くらいだろうか。安心した。金曜の夜、もしかしたら混んでいるかもしれないと覚悟していた。落語を見るならやはり平日がいい。これでも休日はほとんど間違いなく満員になる。この時間なら、まず立ち見だろう。今日は席が選べる。見渡したら前の方の席に空きがあった。舞台に向かって右手の方。足音を立てないように注意しながら通路を進み、前から2列目の席に座った。

今日は特に目当ての師匠や演目はない。高座では柳家小満んという人が何か古典の小品を演じていた。初めて見る人だ。5分経たないうちに終わってしまい、そのまま仲入りになった。

19時30分に始まった夜の部後半。勝丸という若い人の太神楽、五明楼玉の輔の新作落語と続いたあとで、三味線を携えた着物の女性が出てきた。桜色の縞柄が鮮やかだ。舞台がぱっと明るくなった。パンフレットには「粋曲 柳家小菊」とある。きょうは未知の人ばかりだ。

「待ってました!」と声が掛かった。声の主は、真ん中の3列目に座っているおじさんである。今日の彼のお目当てなのだろう。前の席には1人で来ている年配の男性が多い。みんなたぶん60過ぎ、おじいさんといってもいい年齢だ。服装はわりときちんとしている。テーブルにおつまみを広げてくつろぎ、一杯やりながら見ている人もいる。そのようにして、いかにも常連といった風情を漂わせている。

小菊師匠の登場で、ホールの雰囲気が変わった。何も言わずに三味線を弾き始めた小菊師匠に、客席の視線がくぎ付けになった。澄んだ音色に、みんなが耳を傾けていた。そうして思わず私も、聞きほれた。

三味線という楽器は、こんなにも澄んだ音がするのだ。知らなかった。間近で聞くのは初めてである。沖縄の三線(さんしん)とも違う。三線は少し弾いたことがあるが、もっと乾いた感じの、固い音がする。三味線はどちらかといえば、やわらかくて、湿り気を帯びた音である。澄んだ楽器の音に、か細くてうねるような師匠の声がからみ合う。なんとも艶っぽい。なまめかしい。しっぽりと濡れた叙情。目を閉じると、川端康成の小説の情景が浮かんだ。こういう世界は話に聞くだけで、体験したことがない。都々逸とか新内とか、まったく知識がないけれど、お座敷でゆっくり聞いてみたい気がした。どこでどうすれば聞くことができるのか、わからないが。

「やっこさん!」。客席のおじさんがまた叫んだ。「リクエストありがとうございます」と小菊師匠が答えた。テンポの速いリズミカルな曲が始まった。いすの前のテーブルを叩いて、おじさんは拍子を取り出した。後ろからハミングが聞こえた。後列のおばさんが、一緒に歌っている。

小菊師匠の唄が終わると、もうトリだ。20時10分、プログラムに書かれた定刻通りである。前座の若者が出てきて、紫の座布団を裏返す。高座返しというらしい。なぜ裏返すのか、何か謂われがあったような気がするが、思い出せない。今日のトリは、柳家一九師匠である。この人も初めて見る。若手ではないが、長老という感じでもない。角刈り頭。明瞭でよく通る声である。

「カタカナの「ト」のてっぺんに横棒を」。師匠が話し始めた。「下」という字は横棒に隔てられて上が見えない。同じように「上」では下が見通せない。転じて、上に立つ者は下にいる人のことがわからない。下々の者は上の身分の人のことが理解できない。然るに、「中」という字は棒が1本貫いて、天地を見通すことができる。昔の人はうまく言ったもので、何事も中庸がいい…

今日の噺は「妾馬」だ。マクラが終わり、本題に入ったところでピンときた。寄席では通常、落語の演目は明示されない。どこにも書いていない。客の側で何度も通って聞いて、噺を覚える。そういうことになっている。

「妾馬」と書いて「めかうま」と読む。古典ではわりとポピュラーな噺だ。江戸の長屋に、八五郎という遊んでばかりいる若者がいる。八五郎には妹がいて、その妹、お鶴は、さる大名のお目に留まって、側室として召されていた。ある日この八五郎に、その大名の屋敷からお呼びが掛かる。聞けばお鶴が、大名家の世継ぎとなる子を産んだのだという。義理の兄になる八五郎に、殿様が会いたいというのだ。武家の作法も何も知らない八五郎は、大家から紋付きを借り、とりあえずの言葉遣いを教えられて、屋敷に出向く。

典型的な江戸っ子である八五郎が、厳格な武家の屋敷に入っていったらどうなるか。武士と町人では使う言葉が違う。考え方が違う。八五郎には、武士の遠回しで堅苦しい言葉が、符丁に聞こえる。一方で教えられた通りに何にでも「たてまつる」を付けて話す八五郎のこっけいな物言い。会話はどこまでいっても、ちぐはぐだ。同じ時代に併存する2つのエートスの相克が描かれる。

ハイライトは、八五郎と殿様の対面シーンだ。勧められた酒のせいでますます遠慮のなくなった八五郎と、殿様の珍妙なやりとり。それから、殿様の隣に座った妹お鶴との再会。幼いころから一緒に育った妹が「お部屋さま」と呼ばれる身分となり、今では近寄ることもできない。「よかったなあ、みんなにかわいがってもらって、幸せになるんだぞ」と、一段低いところから、兄は呼びかける。

この噺は以前、ほかでもないここ鈴本で聞いたことがあった。2008年9月の、三遊亭歌奴真打ち昇進興行。たまたま聞きに行ったら、そういう日に当たった。まだ若い、30代前半の「歌奴」の前途を祝して、その昔この名を持っていた落語界の長老、三遊亭円歌をはじめとする一門が勢揃いし、舞台に並んであいさつした。新米真打ちが務めたその日のトリの演目が、この「妾馬」だったのである。

若い歌奴の「妾馬」は、40分余りにわたる熱演だった。特別な日ということで、演者にも客席にも、独特な緊張感があった。その時、初めてこの話を聞いて、不覚にも、私は泣いた。手の届かない妹に兄として精一杯の言葉をかける八五郎。たぶん同じくらいの年代であろう歌奴の語り口と重なった。その姿が真に迫り、見ている私は、あふれる涙をおさえることができなかった。

そんなこともあって「妾馬」は、古典の中でも特に思い入れのある噺なのである。もちろん他の噺家のものも聞いた。今ではCDもたくさん出ている。志ん生や円生もこの噺を得意としたというが、いまの演者の中では、柳家さん喬の右に出る者はいないだろう。私の中では、古典といえば、さん喬である。寄席にもよく出てくれる。これも鈴本だったが、3月に聞いた「鼠穴」は、今でも忘れられない。

今日の三遊亭一九も、悪くなかった。「上」「下」のマクラもうまいと思った。でもいまいち、心に響いてこなかった。いくぶん、無難にまとまっている感じがした。のんきで威勢のいい八五郎が一転、妹に向き合って、しんとなる。妹が殿様のお世継ぎを産んだ。こんなに幸せなことはない。でもその幸福と引き換えに、妹は遠くへ行ってしまった。うれしいんだか悲しいんだか、酔っぱらった八五郎には、もう何だかよくわからない。笑いと涙という相反する2つの感情は、その落差が大きければ大きいほど、互いに引き立って、身分にしばられて生きる人間の哀しみとなって聞く者に伝わる。そのあたりの感情の揺れの描写が、今日は少しあっさりしすぎているように思えた。

八五郎は殿様との会見のあと、士分にとり立てられる。そうして乗り方も知らない馬に乗って、振り回される。それがオチにつながる。「妾馬」という題はそれに由来するのだが、そこまで演じられることはめったにない。だいたい会見の場面で、明らかなオチのないままに切り上げられることが多いようだ。そして今日の一九師匠もまた、そのようにして30分余りでこの「妾馬」を語り終えた。

独演会などと違い、ふだんの寄席では意外と、古典の大作を聞く機会は多くない。同じ噺家でも日によって演目を変える。何が聞けるか、行ってみないとわからない。でもそれがまた、寄席の楽しみでもある。落語の醍醐味は、演者と観客の一期一会にある。未知の噺を覚える楽しさ。好きな噺を再び聞くことができた喜び。そんな出会いを求めて、また寄席に足を運ぼうと思う。

次はやっぱり「芝浜」が聞きたいなあ。年内にもう一度くらい行けるだろうか。厳しいスケジュールとにらめっこしながら、思案中である。



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2009年11月25日

通りすぎる夜に

会社近くのファミレスに、顔なじみのウェイトレスさんがいる。年のころは40代前半、銀縁の丸い眼鏡をかけ、小柄できびきび動くお母さん、といったたたずまいのその人は、会社の食堂で食べそびれた夕食をとろうと深夜にときどき訪れる僕を、少し甲高い声で、いつも明るく元気に迎えてくれる。

「お久しぶりですね」とか「きょうは寒いですね」とか、注文を取る前に彼女は、かならずひと声かけてくれる。そうやって客と言葉のやりとりをする。見ていると、僕だけでなく他の客に対してもそのようにしているので、これは彼女の仕事の流儀なのだろう。

深夜のファミレスには明らかに、昼間とは違った雰囲気がある。店によるのかもしれないが、会社近くのこの店に関して言えば、大勢で連れ立ってくる客は少なく、ほとんどが1人や2人で、本を読んだり勉強したり、話をするにしても静かに、客たちはそれぞれ思い思いの時間を過ごしている。どことなくアットホームな感じ。たまに飲み屋帰りのおじさんが店のお姉さんを連れて来たりしても、騒がしくなるようなことはない。

こういう雰囲気は、接客する店員の年齢層が高いことにもよるのかもしれない。この店の深夜勤務は、僕の知る限り3人。いつも話をする女性の他に、もう少し年配の女性と、もう1人は男性で、この人は30代後半くらいだろうか。

そういえば最近は、深夜に働く女性が増えたように思う。女性といっても若い女性ではなくて、おそらく家庭を持った主婦のパートだ。スーパーやバーガーショップ、牛丼屋など、24時間営業の店は夜遅い勤務の僕らには便利でよく利用するのだが、どこに行っても、働く女性たちの姿を見る。学生時代にパン工場でアルバイトをしていたころは、夜10時になると女性の工員さんは帰ってしまって、深夜の職場はおじさんばかりだった。あれから10年ほどしか経っていないのに、隔世の感がある。法が変わると、働く人の意識も変わってしまうのだろうか。少しでも高い割増賃金を求めて夜中に働く主婦たち。その心の内はわからないけれど、家庭生活においてかなり無理をしているのだろうなあ、というくらいのことは僕にもわかる。労働法の改正とは何だったのか。それは彼女たちの生活にどういう影響を及ぼしたのか。深夜労働もしたことのないような政治家や官僚や資本は、派遣の問題に対してと同じように、それも「働く側の要望」だと言って、片付けてしまうのだろうか。

「クリスマスケーキはいかがですか。予約できますよ」。きのうの夜食べに行って、会計をするとき、ウェイトレスさんに勧められた。いつの間にかもう、そんな季節なのだ。でもねえ、僕の場合何というか、1人だし、必要ないかもしれないなあ…。即答しかねていると彼女は、「わたしもね、毎年子どもたちに買っていくんですよ。昔は自分で作ってたんだけどね、最近は忙しくて」と、問わず語りに続けた。

そう、やっぱりこの人はお母さんだったのだ。クリスマスには、一緒にお祝いをする家族がいる。夜、子どもたちにおやすみを言って車に乗り込み出勤する。朝、帰って食事の準備をし、子どもたちを学校へ送り出してから眠りにつく。聞いたわけではないが、そんなお母さんの姿が目に浮かぶようだった。

この人は家族のために働いている。こんな夜中に。それは大変なことだろう。つらいことでもあるだろう。でも生き生きと、しかも自分なりのやり方で客をもてなす彼女の姿からは、つらさや大変さのようなものは少しも感じられない。守るべきものがあると人は強くなれるというけれど、それはたとえば、このような人のことを言うのだろうか。

とてもかなわないと思った。といって、そういう強さを自分も持ちたいとは思わないのだけど。



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2009年11月19日

おやじたちのララバイ

京成上野駅の裏手にあるその入浴施設は、土曜の夜だというのに混んでいた。2940円で朝まで過ごすことのできる24時間営業のこういう施設は、終電を逃したサラリーマンとか、夜遅く成田に着いて戻ってきた旅行者とか、そういう日常的な所用を抱えた人たちが、必要に迫られて利用するものだと考えていた私にとって、この週末の盛況ぶりは意外だった。

雑居ビルのエレベーターを上がり、5階のフロントで料金を払ってロッカーの鍵を受け取る。手続きはこれで終わり。暖簾をくぐるとそこはもう脱衣場だ。ずらりと並ぶロッカーの、幅30センチほどの扉を開けると、中にタオルと浴衣が備えつけてある。この狭いロッカーだけが、この施設で許された個人スペースであり、利用者はここに荷物を預けてから、風呂に入ったり眠ったり、最長で朝10時までの時間を過ごすことになる。

浴室では10人ほどがカランの前に並んで、体を洗っていた。3ヵ月ほど前に泊まった時には、あれは確か午前0時すぎだったと思うが、浴室には誰もおらず、不忍池を望む広い浴槽を独り占めすることができたのだが、きょうはそうもいかないようだ。

「よう、ひさしぶり」。60すぎくらいのおやじが1人、やたらと通りのいい声を浴室中に響かせている。通りがいいのは、声の質ばかりではなく歯切れのよい発音のためでもある。落語家のように、シャキシャキとした感触の東京弁を繰り出している。洗い場で話しているおやじを湯につかりながら見ていると、話の相手の方は常に敬語である。おやじよりも年下のようだが、それほどの年齢差でもない。おやじの丁寧な東京弁には何か形にならない圧力が感じられ、腰が低いこの話し相手をこのおやじは完全に自らの支配下に置いているようだった。師匠のご機嫌伺いに来た弟子、といった風情である。このおやじ、ただ者ではない。いったい何者だろう。「師匠」か「社長」か、それとも…。それ以上考えるのは、やめた。せめて風呂ぐらい、外の関係を持ち込まず、対等な付き合いができないものなのだろうか。人間社会の悲哀をみる思いで、何だかいたたまれなくなり、上がることにした。浴室を出る時ちらっと見たけれど、背中に、そういう類の模様のようなものはないようだった。どこにでもいそうな、頭の禿げた丸っこい、ただのおやじだった。

きょうは何としても仮眠室で眠る。固く心に決めていた。以前に来た時は仮眠室があることを知らぬまま、広間の安楽椅子で夜を過ごした。朝になってやっと、その広間の隅の方に、ベッドの部屋があることに気づいたのだった。ここで寝ればよかったと後悔した。安楽椅子は深くリクライニングするとはいえ、椅子は椅子で、160度くらいの微妙に中途半端な角度が気になって、なかなかうまく眠ることができなかったのだ。だからきょうはぜひとも仮眠室で、背骨をのばして眠りたかった。

薄暗い仮眠室に入ると、左右にそれぞれ20床ほどの2段ベッドが並んでおり、寝床から、ところどころ足がのぞいていた。通路を進みながら空いた寝床をさがす。混んではいるがそれでもところどころ、空きはあるようだ。隣に人がいないことを確かめてから、私は奥から2番目の上段に陣取った。あとは横になって、眠るのを待つばかりだ。時刻は0時15分。夜は長い。今夜はゆっくり眠れそうだ。

と思った瞬間、何かの間違いではないかというような衝撃に、頭を貫かれた。それが何の音なのか、にわかには判然としないほど高音の、いびきだった。発信元はごく近い。どうやら真下の寝床のようだ。

「まいったな」。つぶやきが思わず声に出た。他のベッドに移ろうと起き上がり、眺めてみたが、いびきの届かない向こうの方はどこも埋まっている。右隣の、部屋の一番奥の寝床は空いているのだが、そこはシーツが乱れていて、誰かがさっきまで寝ていた気配が濃厚に残っていたので、あえてやめたのだった。それでも移るか移るまいか、迷っているうちに、ふと、音がやんだ。

なんだ、あれだけか。音が続いたのは1分間ほど。たいしたことはないかもしれない。これなら許容の範囲だろう。眠ってしまえば気づかない。いまのうちに寝てしまおう。そう思って再び横になった途端、あの衝撃はまた襲ってきた。強くなったり弱くなったり、時々途絶えたり、いびきのリズムは一定なようで、全然安定しない。その不規則さが気に障って仕方がない。何の前触れもなく急に止まったりすると、こっちまで息苦しくなってきて、実にいまいましい。

眠れぬ夜。気づいたら3時になっていた。隣の寝床に移動したものの、たいして意味はなかった。それどころか、今度は通路を隔てた上段の寝床から、別のおやじがいびきをかきだしている。状況は悪化する一方のようだ。垂直と水平双方に、錯綜するいびきの競演。起き上がっておやじを睨んでみても、それが何かのハーモニーを形作るというわけもなく、不快な騒音であることは変わらない。何よりも、いびきを発信し続けているおやじたちの眠っている表情が、実に気持ちよさそうで、それがまたこちらの神経を逆なでするのであった。

拓郎でも聴くか。このまま手をこまねいていても仕方がないので、ウォークマンに頼ることにする。ヘッドフォンしか持って来なかったのが悔やまれた。耳に引っかかるので横を向くことができないから、ずっと仰向けでいるしかない。そうやって聴き慣れた拓郎の昨年発売されたアルバムの歌に耳を澄まし、音に感覚を預けて待ってみたが、眠りの方はいっこうに私を迎えに来てはくれなかった。

時々目を開けると、非常口を示す緑の誘導灯だけがぼんやり光っている。「おれは何をやっているんだろう」。週末の夜を上野のサウナで明かすおやじたちの群れ。その中でいらいらしている自分。若者の姿は見えない。誰かと連れ立って来ている人もほとんどいない。ここはおやじの巣窟だ。彼らのほとんどは1人で来ている。何を求めて、これほど多くの単身おやじ達は、ここに集まっているのだろうか。所用? それとも楽しみで? 確かめてみたいけれど、知らないままの方がいいような気もする。自分もまた、やがてこのおやじ達の仲間入りをすることになるのだ。それも近いうちに。せめてそれまでは、おやじの気持ちなど、知らないままでいたい。いびきをかき、歯ぎしりをし、風呂で太鼓腹を出しながら大声でしゃべり、洗面台で整髪料のにおいを漂わせ、かーっぺっとやるおやじ達に対する嫌悪感を、いまは大切に持っておきたい。変な言い方かもしれないけど、そう思った。

R0011570.JPG午前6時起床。少しうとうとしたかもしれない。拓郎のアルバム3枚の再生を終えたウォークマンが停止している。24時間営業の食堂で、意外とうまい「しっかり朝食セット」(600円)を食べてから、入浴施設を後にした。秋晴れの上野の街は日曜ならではの静かな朝。公園は観光客よりもジョギングや散歩の人の姿が目立つ。1人よりも2人、2人よりも3人、誰かと連れ立って談笑しながら朝の時間を楽しむ人々の顔が朝の光が照らされて、晴れやかだ。不忍池のほとりをしばらくぶらつき、参道の奥のお堂にお参りしてから、私は上野を後にした。
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2009年06月01日

新宿の島人

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新宿は紀伊国屋の裏手に、沖縄料理店「やんばる」はある。東京に行ったときは必ずといっていいほど、立ち寄る店だ。お気に入りは「ゴーヤチャンプルー定食」。ゴーヤと卵の炒めものに、ニンジン入りのご飯、そして小ぶりの沖縄そばとさんぴん茶がついて980円。店の外に置いてある懐かしの味、5個入り500円のサーターアンダギーを買って帰るのも楽しみだ。

ここの特徴は何と言っても気取らないこと。単独客が多く、平均滞在時間は30分くらいだろうか。客の回転は速い。店内は全席カウンターでオープンキッチンになっていて、客は自分の注文した定食やそばができていく様子を、逐一見ることができる。おそらく沖縄出身者と思われる5、6人の店の人たちが、途切れることのない客の注文に応えるべく、手際よく調理していく。

自動販売機で買った食券を渡すだけで、愛想よく迎えてくれるわけでもない。つくる方も、食べる方も、寡黙で、淡々としている。でも居心地は悪くない。くつろぐというのではないが、せかせかと追い立てられるのでもない。食べ終えたらさっさと出て行く。それだけ。沖縄料理店というよりは、駅のそば屋のような感じだ。東京でありながら、沖縄の味が日常の食事としてある。そんなさりげなさが、なんともよい。

はじめて沖縄に行ったのは、10年以上前の学生時代。ちょうど普天間飛行場の移転が決まった時期で、当時マスコミ志望だった私は、沖縄にとって基地問題がどういうものなのか知りたくて、宜野湾やコザ、名護の辺野古地区を歩いたりした。いま思い出しても恥ずかしいのは、商店街や役所で、「基地の移転についてどう思いますか」などと、街の人にインタビューしようとしたことだ。もちろん見ず知らずの外部の人間の、そんな稚拙な質問に答えてくれる人はいなかった。

でもその旅がただの恥ずかしい思い出に終わらなかったのは、無謀にもアポなしで訪ねていった沖縄タイムスのコザの支局で、若い記者の人たちが、話を聞いてくれたからだった。彼らが教えてくれたのは、本土で報道されない米軍基地関係の事件が、いかに多いかということ。有害物質による土壌汚染とか、米兵がらみのトラブル、さらに返還後の基地跡地利用の問題。日常生活のなかに外国の軍事基地があるというのはどういうことか。自らの取材経験を交えた彼らの話には説得力があった。そして何よりも、彼らが忙しい仕事の合間に、ただの学生である自分の訪問を歓迎してくれ、真摯に話をしてくれたことがうれしかった。

その何年か後に行った石垣島の飲み屋では、八重山の名士たちの酒宴にお邪魔させていただいたこともあった。船会社の社長、新聞社の編集長、役所の課長、といった面々と話して印象に残ったのは、本土からの移住者に対して彼らが抱く、複雑な感情だった。それはたとえば、自然保護か開発か、といった局面で問題になる。移住者というのは概して環境問題に意識的な人が多く、開発する側の人間である地元の名士たちと衝突することが往々にしてある。沖縄が豊かになるためには開発が必要なのに、よそ者が来てそれを阻止しようとする。沖縄の人間は本土からの観光客は歓迎するが、移住者は来て欲しくない。彼らの主張は、概ねそのようなものだった。

本土の人間が沖縄に抱くイメージと、沖縄に暮らす人たちの意識のずれ。ヤマトンチューとウチナンチューの間には、埋まらない溝がある。「われわれ」と「彼ら」という区別はたぶん、想像以上に厳然としてあって、それは解消したりできるものではないのかもしれない。そしてその点を考慮するのでなければ、たとえば基地問題を考えることも、ほんとうはできない。たまたま入った飲み屋で聞いた話が、そんなことを考えるきっかけになった。

初対面の旅行者に、おもねることなく、邪険にするでもなく、素顔を見せてくれた沖縄の人たち。新宿の雑踏の中、ゴーヤチャンプルーを食べながら、何年も前の一期一会の思い出が、ふと蘇ったりする。「やんばる」でのややあわただしい夕食は、そのような意味でも、私にとって貴重なひとときなのだ。
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灯台もと暗し

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どれだけ旅を繰り返せば、人は旅人になれるのだろう。

根無し草の自由。根を持たないことはつらい。だから、自分の根を下ろせる土地を見つけるために、旅をしている? いやいや、そうではない。この硬い大地を突き破ることができるほどの強靭な「根」など、そもそも自分にはないのだ。そのことは、ほかならぬ自分自身が一番よく知っている。

でも、そんな根無し草にも、大地の暖かさを感じていたいときがある。ときどきでいいのだ。羽を休める「居場所」がほしい。身勝手な欲求だろうか。

京都タワーの地下3階にある「京都タワー浴場」は、私にとって、そんな居場所のひとつ。京都駅から徒歩1分。朝7時の営業開始から、夜行列車やバスで到着した旅人たちでいっぱいだ。「いらっしゃい」「おおきに」と迎えてくれる受付のおばさん。やわらかな関西弁が心地よく響く。浴室に入れば、一心に身体を洗い旅の垢を落とす人、ただ湯船に浸かる人…互いに面識はなくとも、なんとなく連帯感のような空気が、この古めかしい造りの室内に流れている。硬直した体がほぐれ、再び温かさを取り戻していく過程を、みんなが楽しんでいる。入浴というのは、磨り減った人間の感性を回復するための営みなのだろう。

いつも立ち寄るお気に入りの場所。そんなかりそめの居場所がひとつでもあれば、生きていける。それが旅先にできたら、なおさらいい。繰り返す旅のなかで、自分なりの居場所が見つけられれば、あなたももう、いっぱしの旅人だ。
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