2017年04月06日

加川良の「教訓」

加川良、突然の訃報。
学生のころアコースティックギターを始めて、最初に練習した曲のひとつが、「教訓T」だった。
コードは四つだけだし、詞も明快。あと、あの明瞭な歌声。何度か聴いたり弾いたりするうちに、覚えてしまった。
70年代に流行した、反戦フォークの代表曲。
そのころは、そんなふうに思っていただけだった。
でもその後、人生を重ねてきて、この歌をふと思い出すというような場面がたびたびある。

「命はひとつ 人生は1回
 だから 命を すてないようにネ」

何かのために自分を捧げるという行為は、美しいかもしれない。
でも、その結果、何が残るというのだろう。
美しさは誰が判断するのか。美しいと評価される保証はあるのか。
そんな、よくわからない美しさを信じてはいけない。
それよりも、いやだこわい、と這いずり回って逃げる方がいい。
むしろ自分の感情を正直に表す方が、勇気がいる行為なのではないか。

「青くなって しりごみなさい
 にげなさい かくれなさい」

この曲は「御国」について歌っているけれど、そのカッコ内は何だっていい。
たとえば「会社」だったらどうだろう。
五輪選手にとっての「日本」だったらどうだろう。
カッコの中身は違っても、その「何か」のために自分を犠牲にする人は、この21世紀の世の中にも相変わらずたくさんいるではないか。

自分の命より大事なものはない。単純明快で難しい「教訓」は、こんな時代だからこそ参照されるべきなのかもしれない。



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2017年03月03日

ゴロワーズ、吸ったことあります。

ムッシュ、逝く。

かまやつひろしといえば、拓郎ファンとしては「我が良き友よ」「シンシア」「竜飛崎」がもちろん親しみ深いけれども、圧倒的なカッコよさで昔もいまも感性にビンビン響いてくるのは、「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」である。この曲を聴いた学生の私は実際、タバコ屋を探し歩いてゴロワーズをまとめ買いし、それこそジャン・ギャバン気取りで吸っていた。

大ヒットした「我が良き友よ」のB面だった曲。ロサンゼルスのホーングループ、タワー・オブ・パワーと組んだサウンドはグルーヴ感全開、さらに聴くものの心をわしづかみにするのは、その歌詞だ。

 「そうさなにかにこらなくてはダメだ
  狂ったようにこればこるほど
  君は一人の人間として
  しあわせな道を歩いているだろう」

ムッシュを生で見たのは、2006年の「つま恋」だった。拓郎に「こう見えてもう70歳」などと紹介されていたけど、それが冗談に聞こえるほど、若く見えた。ファッショナブルで、いい感じにユルくて、考えてみるとその若さはたぶん、音楽性がどうのこうのという前に、存在感そのものが、時代やジャンルなんかにとらわれない自由を体現していたからだと思う。

 「君はある時何を見ても何をやっても
  何事にもかんげきしなくなった自分に
  気が付くだろう 
  そうさ君はムダに年をとりすぎたのさ
  できる事なら一生
  赤ん坊でいたかったと思うだろう」

何事にも束縛されない自由を保ち続けるのはしかし、容易なことではないだろう。いつもマイペースで穏やかに見えたムッシュも、心の奥底に葛藤や苦悩を抱えていたのだろうか。ムッシュはフォークシンガーではないから、基本的に歌にメッセージを込めたりはしない。だから余計に、この曲の語り掛けは謎めいて、心にいつまでも引っ掛かっているのである。
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2016年04月27日

ギターを持たないボブ・ディラン

ねえねえ、どれがボブ・ディラン?
2階席だと遠くてわかんないなあ、ステージも暗いし。
歌声聞こえるから、ステージにはいるんだよね。
そらそうだろう。
あ、あの手ぶらでふらふらしてる人。
ああ、帽子かぶってる人ね。意外と小柄なんだなあ。
ギター持ってないんだ。手持ち無沙汰じゃないのかな。
最近はああいうスタイルなんじゃない?
なんか地味。バンドに紛れちゃってるね。
スポットも当たらないから、たぶんそういう演出なんだろう。
お、間奏だ。またふらふらしてる。変な動き。
ああやってたぶんリズム取ってるんだね。
それにしてもすごい声だねえ。完全に老人の声だけど、でかい。
しわがれ切って、突き抜けたような。地の底から響いてくるような。何ともいえない迫力がある。
74歳なんだってね。
お、よく知ってるじゃん。
ビートルズとかストーンズとかと同じくらいの世代だよね。
そうそう、ロックの人たちもそろそろ後期高齢者。時代はどんどん過ぎていく。
デビット・ボウイもプリンスも、もうこの世にいないんだね。
ディランの今回の日本ツアー、5都市のホールで12公演やるらしいよ。
すごすぎ。さすがスーパースター。

休憩、20分ってどういうことよ。まだ始まって48分しか経ってないし。
やっぱり体力的につらいんじゃない。
それは分かるけど、なんか気分的に冷めちゃうよね。時間もったいないなあ。
まあ、見る方も年齢層高いし、無理するなということだね。僕もトイレに行ってくるか。

やっと第2部だ。
今度はピアノ弾いてるよ。
けっこうノリノリじゃん。
でもさっきから知らない曲ばっかり。
よく知らないけど、最近はフランク・シナトラとか、アメリカのスタンダード曲のアルバムを出したらしい。
そういうの、もっとインフォメーションしてくれたらいいのにね。
たしかに。僕らの中のボブ・ディランって、やっぱり60〜70年代のイメージなんだよね。だから、ギターを持ってないと物足りないと感じてしまう。
なんかピンとこないね。曲も分からないし、ギターも弾かないし。
まあ、ずっと追いかけてるファンの人には分かるんだろうな。ディランが今何をやりたいのかが。

でも、バンドはいい音出してる。
ん?
ほら、あのドラムとか。
あ、ごめん、ちょっとウトウトしてた。
おいおい。2階席とはいえ、1万6000円だぞ。
だって、スローな曲ばっかりなんだもん。
ま、しょうがないか。座りっぱなしだし。
ノリノリのロックか、弾き語りが聴きたかった。
それを言っちゃあ、おしまいよ。とうとう本音が出たね。

「How many road…」
あ、これは。
Blowin'In The Wind?
歌詞はそうだ。でも音は・・・
ピアノ弾いてるね。
なんかもう、アレンジがどうのこうのというか、別の曲だな。
でも一応、知ってる歌が聴けてよかった。
50年も60年もやってると、同じ曲も時代ごとに変わっていくんだろうね。
それがディラン流?
そう、それこそライク・ア・ローリングストーン、転がる石だ。
まだ苔は生えないぞ、って。
「答えは風に舞っている」。よく分からないけど、今の時代を吹く風を表現すると、こういう演奏になるということなんだろうね、きっと。


2016年4月26日
渋谷Bunkamuraオーチャードホール
19時〜21時10分
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2015年12月17日

岡本おさみが教えてくれた

僕のなかにある「旅」の概念の何割かは、岡本おさみの詞と吉田拓郎の曲が紡ぎ出す世界のイメージによって形作られたものだ。

「寒い友だちが 訪ねてきたよ
 えんりょはいらないから 暖まってゆきなよ」
           「襟裳岬」(1973)より


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2013年08月28日

情念の歌声

森恵「RE:MAKE1」

帯には「ストリートの女王」とある。
店内を歩いていてLP盤サイズのでかいジャケットに目を奪われた。
黒い服の若い女性がアコギを肩から提げ、目を閉じて歌っている。
翳のある佇まいが70年代初頭の藤圭子を思わせるが、確かに見覚えがあった。
森恵。
数年前、他のアーティストとの2マンライヴで生の声を聴いたことがあった。
その後新宿のタワレコでミニアルバムを探して買った。
「ストリートの女王」と呼ばれていることは知らなかった。


でかいジャケットには、でかいブックレットと、普通のCDが入っていた。
フォーク・ニューミュージック系の名曲のカヴァー集である。
オリジナルのほかに、いろんな歌をカヴァーして路上で歌っているから「ストリートの女王」ということらしい。
動画サイトでは、路上や無料ライヴで吉田拓郎の「落陽」や久保田早紀の「異邦人」などを弾き語りしている映像が多数公開されていた。


この人の歌には情念が宿っている。
CDを聴いてそう感じた。
「なごり雪」「みずいろの雨」「青春の影」「元気を出して」「時には昔の話を」等々。
収録曲はファンの投票で決めたという。
ブックレットの説明で本人は「カヴァー」じゃなくて「リメイク」と表現している。
「歌い継がれてきた曲を自分としてどう歌うか」が問題だと言う。


確かに、どの曲も聴き込んで、考え抜いた上で再構成している。
歌の一音一音、詞の一言一言に、丁寧な分析と解釈の跡がうかがえる。
低音も高音も無理なく伸びやかに広がる歌声はパワフルかつ繊細。
アコースティックギターの澄んだ響きにも個性がある。


広島県出身で、80年代生まれという。
ここに収められた曲のほとんどは、リアルタイムに体験していないだろう。
そういう曲が自分にとってどういう意味を持つのか。
その問いに誠実に向き合おうとする姿勢を感じる。


動画サイトの映像を何度も何度も見ている。
夜の新宿や渋谷で、雑踏には場違いな、澄んだ歌声を響かせる森恵。
大地に根差した温かみのある歌声が、アスファルトの割れ目から立ちのぼる。
悲壮感はなく、自然に伸び伸び歌う姿がいい。
荒れ果てた大地にぽつんと咲いた花のようだ。


わが道を信じて表現を続ける強い意志。
時代の壁を越えて心に届く歌の源泉は、そこにあると確信した。


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2013年01月10日

江南ってどこやねん

年末にNHKBSでAMAを見て以来、「Gangnam Style」が頭から離れない。
MC Hammerと踊るPSY。
釘付けになった。
MC Hammerを十数年ぶりに見たという衝撃とあいまって、
訳の分からない感情があふれ出てきた。
身体と心が熱くなり、頭の中であの言葉とビートが回り始めた。
すばらしいパフォーマンスだと思う。
別にK―POPの世界戦略とか抜きにしても。
CDショップで見つけるのは意外にも大変で、何軒か見てやっと探し出した。
YOUTUBEですごいことになっていたということだが、CDはあまり売れてないんだろうか。
クッキーの箱みたいなアルバムを買ったが、ハングル表記だけで「江南」なんて文字はなかった。
したがって、何曲目があれなのか、再生してみないと分からぬ。
少なくとも、日本でCDとして売る気はないらしい。
最近の音楽事情はよく分からない。
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2012年12月24日

16年ぶりの輝き

「娘にバレエ習わせてるんだ」
「うちはピアノ」
ライブ帰りの電車の中、水道橋の駅から乗り合わせた女性2人組が近況を報告し合ってた。
みんなそれぞれ、なんだかんだと大変なんだ。
この日のために誰かを説得したり、何かを犠牲にしたり。
一生懸命都合つけて、やっとの思いで再会できた。
そういう年齢なんだよね。

一生懸命。
たしかに。
メンバーの5人も、そんな感じだった。
同窓会というよりは、明確な目的を持って新たな挑戦に取り組んでいるというような。
でも肩肘張らずに、相変わらずキュートでかっこいい。
相手を楽しませ、自分も楽しむ、大人の余裕。
もっとも、豆粒くらいにしか見えなかったけど。
モニターからもそんな息づかいは伝わってきた。

演奏者と聴き手が、力を合わせて心を一つにした。
そんな3時間のステージ。
この瞬間こそがダイヤモンドなんだと思うと、心が温かくなった。
長い人生の中の、ほんの3時間。
その一瞬の輝きが、過去や未来を照らしたりする。
だからこそ、人は音楽を聴き続けるのです。

歌は生きている。
覚えている人がいるかぎり。
うまく言えないけれど、宝物。
いろんな意味で、ありがたいライブでした。


PRINCESS PRINCESS TOUR2012〜再会〜
"The Last Princess"
2012.12.23 東京ドーム
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2012年12月09日

LAからの光

八神純子コンサートツアー2002「翼〜私の心が聞こえますか〜」


大ホールでもマイク必要ないんじゃないかと思うほどの圧倒的な声量。

日本的情緒に甘んじることなく中島みゆきを歌い切るクールな音楽センス。

キラキラの真っ赤なボディコンドレスで「パープルタウン」を歌い、中高年の観客を総立ちにさせるパフォーマンス。

50代の八神純子は、LAの真っ青な空に浮かぶ太陽のようにエネルギッシュで、包容力のあるミュージシャンなのだった。

ああいう歌い手はなかなか日本にはいない。

彼女が体現する「アメリカ」は、日本人の誰もが心のどこかで抱いている憧れの対象かもしれない。

そのあたたかい光でこれからも東北を照らし続けてほしいと思った。


2012年12月8日 伊勢崎市民会館
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2012年10月16日

立ち上がった小町たち

プリプリは正統派ロックだ!
確信した。
みんな地に足をつけて、いい感じの40代。
むしろ今の方がバンドの本質が明確になっているような。
ライヴ行くぞ〜
誰か一緒に行きませんか12月。
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2012年02月21日

歌謡曲・私的百選B

八神純子「思い出は美しすぎて」(1978)



八神純子の歌声が、今宵も心をざわめかせる。

そのざわめきは、たとえば満天の星空を見たときの、あの歓喜と畏怖が入り混じったような感情に似ている。

唯一無二のファルセット。

その声が空気を震わせながら、どこまでも高く、突き抜けていくのは、鳩間島の夜空だ。

頭上を埋め尽くす星々の輝き。

宇宙は無限だと、南の島を旅して初めてわかった。

圧倒的な風景を前に、気持ちが高ぶっていたのだろう。

あの夜、港の堤防に仰向けに寝転がって、われわれは互いの将来について語り合った。

その合間に、知っている星座を教え合ったり、流星の数を数えたりした。

その日たまたま同宿になったという、それだけの縁。

年齢も仕事も住む場所も違う2つの人生が、南の島でほんの一瞬、交錯した。

すべては、あの満天の星空の為せるわざであろう。

真冬の夜によみがえる、真夏の夜の夢。




震災の後、チャリティー基金を設立したり、被災地を回ってライヴを行ったりと、積極的な支援活動を展開している八神純子。
先月の末には十数年ぶりというアルバムを出し、アーティストとしての存在感を見せつけている。

その新作「VREATH〜My Favorite Cocky Pop」は、自らのキャリアの原点であるヤマハのポプコンゆかりの曲、なかでも特に影響を受けた60〜70年代の作品を歌うというカヴァーアルバムである。

カヴァーといっても過去を懐かしむというのではなく、このアルバムは明らかに、震災後の日本の人々に向けて作られている。

いま歌うことの意味、いま聴くことの意味。ここには、音楽と人との関係を問い直し、再構築していこうという意志がある。古い歌は新しい文脈のなかで、新たな存在様式を獲得する。だからこそ、これほどまでに私たちの心に響くのだ。

心を空にして、八神純子の歌声に耳を傾けてみよう。

うるんだような憂いをたたえながらも、非常にソウルフル。
クリスタルヴォイスと称されたヴォーカル、特にファルセットの透明感は30年前のまま、というよりも、それは磨きがかけられ、つやと深みを加えて、表現力という点からみれば数段の進化を遂げているというべきだ。

70年代から80年代にかけての人気絶頂期の頃の声には、どことなく孤高の響きがある。それは洋楽志向の彼女が、日本的なるものを乗り越えようとする強い意志性のあらわれだったのもしれない。

この最新作には、そういう気負いのようなものは感じられない。代わりにあるのは、「音楽は人とともにある」という確信だ。あるがままを受け止めて、一歩一歩ともに進んでいこう。自己表現という枠を超えて呼び掛ける声の響きはやわらかく、温かい。

アレンジや演奏もまた新鮮である。ジャズ風なのもあれば、打ち込みもある。大人っぽくまとまっていながら、要所に斬新な音が光っている。若い世代のミュージシャンのアイディアが生かされているのかもしれない。どの曲にも入念な再解釈が施されている。原盤が手に入らないような埋もれた曲が、新しいサウンドを身にまとい、現代にふさわしい姿で生まれ変わる。古い音楽に生命を吹き込むプロデューサーとしての手腕もまた、見事である。

なかでも出色の出来は、打ち込みビートを強調した「涙をこえて」。古い歌をなぜ、今聴くのか。その意味を、このアレンジは教えてくれる。

キーはそのままに、テンポを落としたボサノヴァが気持ちいい「思い出は美しすぎて」。八神色に染まった「サルビアの花」や「時代」。いずれも必聴である。カヴァーのラストを飾るのは、中島みゆきでもう1曲、「時代」でグランプリを取る前の入賞曲「傷ついた翼」。これはもう、涙なくしては聴けない。



2月の全国ツアーはほとんど完売という。
5月からは東北を回るという。

八神純子は今も走り続けている。

鳩間島の空を突き抜けたあの唯一無二のファルセット。それはポーラースターのようにいつまでも輝き続けて、迷える者たちの道標となってくれることだろう。
posted by Dandelion at 09:10| 長野 ☀| Comment(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月29日

誕生日の泣き笑い

 年齢を重ねるにつれて、1年1年の重みは増していく。なのになぜ、その価値を実感する暇もなく、月日は性急に、これほどまでに軽々しく過ぎてしまうのか。未だ何者にもなれぬまま、今年もまた記念日がやってきた。

 せっかくだから休みを取ろう。たまたま日にちが重なったのは、かねて聴きたかった女性デュオ「やなわらばー」のワンマンライブ「泣宴 笑宴」。これも何かのめぐり合わせ。

 土曜の夕方、渋谷駅前。人の波をかき分けかき分け、会場へ。Mt.RAINIER HALL SHIBUYA PLEASURE PLEASUREというライブハウス。「109」の隣のビルの、ユニクロの上。こんな所にあるとは知らなかった。

 見たところ、空席なし。客層は老若男女、幅広い。17時、開演。最初の曲は「いちごいちえ」。いきなりノリノリ16ビート。300人が手拍子で応える。

 向かって右が、「りお」さん(アコースティックギター)で、左が「ゆう」さん(三線)。後方のバンドは左からベース、ドラム、ギター、キーボード、バイオリン。キャパにちょうどいい音量とバランスで、気持ちのいい演奏だ。

 セットリストは、J-POPの名曲をカヴァーした最新アルバム「泣唄 笑唄」からの曲が中心。スピッツの「チェリー」、山口百恵の「秋桜」、オフコースの「言葉にできない」、等々。2人のハーモニーを生かした独自のアレンジが面白い。おなじみの歌が新鮮に聞こえる。

 バンドが退場した後、2人の弾き語りで数曲。りおさんのギター、うまいなあと思うのは、ピッキングの装飾音の使い方。表情豊かな演奏で、ギター1本でも十分に聞かせる。それから、ゆうさんの三線。旋律に合わせて爪弾かれる控えめな生音は、楽曲に溶け込みながら、しっかりしたアクセントになっている。一音一音は平板なのに、いろんな表現の可能性を持つ三線という楽器の不思議。

 ハモる前に、アイコンタクトで息を合わせる2人。天上まで突き抜けていきそうなゆうさんの高音を、りおさんが下で支えている。それはたとえば、本職のコーラスグループのような、計算された隙のないハーモニーではなくて、もっと自然で、自由で、手作りの温かみが感じられるコラボレーションだ。歌にしろ、演奏にしろ、すべては幼なじみだという2人の関係性から始まっている。それがこのデュオの真骨頂だろう。

 ハイライトはTHE BLUE HEARTSの「TRAIN-TRAIN」。大胆不敵なアレンジだ。始まりはアコギ1本。暗闇で一条の光を求めて叫ぶ若者の姿。誰もが知ってるあのフレーズ。「本当の声を聞かせておくれよ」。ほんの一瞬、訪れる静寂。ん? どうした? と思う間もなく次の瞬間、リズムが炸裂した。

 レゲエだレゲエだ! 南国の情景がパッと目の前に広がる。まぶしい太陽と青い海。色とりどりの水着と小麦色の肌。めくるめく世界の変貌にクラクラしながら、気づくと身体は動いている。下腹に響いてくる裏打ちビートに、さらに追い打ちをかけるように「ハーイーヤーイーヤーサァサァ、ハッ、ハッ」の掛け声。島唄だ島唄だ!

 「加速するブルース」+レゲエ+島唄。まったく違和感なし! 異議なし! 会場は祝祭空間と化す。総立ちの客席。渦を巻くグルーヴ。皆で両手を上げて、左右に振って、手のひらを返して、沖縄の人たちの、あの踊り。手の動きはぎこちないけれど、誰もそんなことは気にしていない。

 身体の底からわきあがってくるような、この歓び。この自由。ここには演者も聴衆もない。歌はみんなで共有するもの。この石垣島出身のア−ティストには、おそらくそういう確信がある。
「この時間だけでも、泣いたり、笑ったり、心を開放して楽しんでいって下さい」
はじめのあいさつで、りおさんは言った。
自分に正直でありたいと思う。でもそれはなかなか難しい。いつの間にか能面のように難しい顔をして、笑うことも泣くことも忘れている。そんな自分に気づいたら、歌を口ずさんでみよう。誰でも1曲くらい、好きな歌ってあるでしょう。

 音楽とはたぶん、自然体の自分を取り戻すための手段なのだ。やなわらばーの2人は、身をもってそのことを訴えている。もっと肩の力を抜いてみよう、と。踊りながら、そんなことを考えていた。

 デビューから10年、故郷への思いを歌い続けてきた2人。自分たちのルーツに誇りを持ち、それを素直に形にして表現する。何ら気負うことなく、自然体のままファンとともに歌い踊る彼女たちの姿がなんだか健気に見えて、少し心が熱くなった。

 19時、終演。最後は2人が出口に並んで、観客1人1人にハイタッチで見送ってくれるという。ファンクラブのイベントでもない限り、普通のアーティストはそこまでしないだろう。でもこの2人は、おそらく自らの発案で、それをやってしまうのだ。

「ありがとうございました」
小柄な2人が、しっかりこっちを見て、言う。
「ありがとうございました」
両手を重ねながら、こちらも言う。

伝えたいことはもう少しあったけれど、その一言で精一杯だった。なにしろ300人の列、すぐ外に押し出されてしまうのだ。
「石垣島の空と海のやさしさ、風のあたたかさ、しっかり受け取ったよ」
続きは渋谷の街に出てから、心の中でつぶやいた。



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2012年01月01日

SPIRIT OF LOVE AND PEACE

 12月8日、ジョン・レノンの命日に武道館で行われる「ジョン・レノン スーパーライヴ」。
2001年に始まったこのトリビュート・イヴェントには毎年、10組ほどのミュージシャンが出演する。とくにジョンのファンというわけではないけれど、出演リストに気になる名前を見つけたので、軽い気持ちで参加することにした。

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19時すぎ、開演。
オープニングは奥田民生、斉藤和義、吉井和哉、それからジョンが映像で出演。
4人並んで歌う姿が暗闇に浮かび上がる。

席は南西スタンドH列。
向かって左上からステージを見下ろす格好。
右隣に若い女2人組。
気づけば前も後ろも、周りはみんなカップルかグループ。
年齢層は思ったより低い。
若干の、居心地悪さ。
左隣の席が1つ、ぽつんとなぜか空いている。
「いやあ、連れが都合悪くなってさあ」
ひとりでいることの言い訳。
必要もないのに考える自分。
ああイヤダイヤダ。


本編。
トップバッターはTHE BAWDIESのROY。
LOVE PSYCHEDELICOのNAOKIのギターで歌う「STAND BY ME」。
「おれはロックが好きなんだァ」
はじける20代。
まぶしいぜ。
たのもしいぜ。
THE BAWDIESは最近知った個人的に注目のバンド。
若いのに古き良きロックンロールやR&Bを本気でやっている。
新宿のタワーレコードでは洋楽コーナーに置いてあった。
イケメン風に似合わない、渋すぎる声。
魅力的なアンバランス。

続いてBONNIE PINK。
デビュー15年なんだって。
月日が経つのは早いものだ。
「HELP」ってやっぱり難しいよね。
いざ歌うとなると。

コンサートの収益金は途上国の学校建設に使われるという。
アジア、アフリカ・・・支援を受けた子どもたちの声が、映像で紹介される。

サニーデイ・サービス。
「待ってました」
心の中で叫ぶ。
「THE BALLAD OF JOHN AND YOKO」で乗せた後に、
「IMAGINE」をしっとり独自の和訳で。
曽我部恵一、今年は直球勝負か。
眼鏡を掛けている。
ドラムの丸山君も掛けている。
身体の調子はもういいのだろうか。
ちょっと心配。

次は誰?
しばらく間が開く。
ざわざわする。
アリーナ席の前の方が、なんとなく騒がしくなった。
と思ったら、どこからともなく悲鳴が。

え?
もしかして。

「桑田さーん」

今年のスペシャルゲスト登場。

「やっべえ」
後ろの若い男。
ペラペラよくしゃべるやつだ。
「来年の夏はさあ、みんなでフェス行こうよ」
なんて話を、歌の合間になると始める。
連れの女は職場の同僚か。話しぶりに若干の遠慮が感じられる。

エレキを抱えた桑田圭祐はスーツ姿。
1曲目は「SHE LOVES YOU」。
総立ちのアリーナが揺れる。
スタンドで立った人は半分くらい。
自分の周りは座ったまま。
立ちたかったけど、やめた。
ビートルズ初期のナンバーを中心に、5、6曲。
さすがにうまい。
貫禄ではなく、自然体。
自分の曲のように歌う。
MCも面白い。
ジョンのファンだった姉貴の、オノ・ヨーコに対する複雑な感情。
ジョンのことを「大将」と呼ぶのがなんとも可笑しい。

嵐が去った後に、LOVE PSYCHEDELICO。
「待ってました」
心の中で再び叫ぶ。
9月に仙台駅前の大型ビジョンで見た「FREEDOM」のPV。
砂漠で踊る姿が強烈に目に焼きついて、しばらく消えなかった。
NHKで流れている時にはそれほどピンと来なかったのに。
不思議なものだ。

KUMIが持っているのはギブソンのハミングバードか。
ネイティヴな英語の発音、声量の豊かさ。
この人のヴォーカルは圧倒的だ。
残念ながら、曲名がわからない。
じつはあまり聴いていないジョンのソロ時代の曲。
知ったかぶりをして、リズムに乗る。

続いて登場したのは、OVERGROUND ACOUSTIC UNDERGROUND。
誰? 初めて見る名前。
1曲終わった後に、ドラムの人(だったと思う)が語り出す。

被災地に向かう時、カーステレオで好きな音楽を大音量でかけて、心細さに打ち勝とうとした。
今は亡き偉大なアーティストたちの曲。彼らがもし生きていたら、今、この状況で何を言うだろう・・・

飾らない語り口。しんと静まり返った客席。
そんな話に続けて「STARTING OVER」が始まった。

演奏中、こみ上げてくる感情の塊を抑えるのに必死だった。
全く未知のバンド。知らない人の話に心を揺さぶられた。
不意打ちだ、まったく。


世界の子どもたちが寄せたメッセージ。
読むのはモデルで女優の杏。
すらりと伸びたその肢体。
8頭身くらいか。
「顔ちっちゃいねー」
後ろの男の、感嘆の声。


斉藤和義。
「かっこいい〜」
黄色い声援飛び交う会場。
「やばいやばい」
隣の女2人組がにわかに騒ぎ出す。
そんなにやばいなら倒れれば?
どこがいいのやら。

2曲目に「自分なりに和訳した」というジョンの曲。
「放射能」や「たれ流し」といった言葉をちりばめて歌う。
またか、と思う。
人の曲でそういうことをやるのは、どうなんだろう。
「ずっと好きだった」問題以来、この人はどうも好きになれない。


奥田民生。
相変わらずこの男も女子に人気。
「いーよねー」
「民生みたいなオッサンになりたい」
後ろの男、がまんならない。

演奏と歌、なんかパッとしないなあ。
「ひとり股旅」は好きなんだけど。


そしていよいよ、オノ・ヨーコ。
歌うのか。
歌うのだ。
いや、叫ぶという方が的確かもしれない。

がんばろう。
立ち上がろう。
手を取り合って。
やればできる。

津軽三味線を伴って、舞台狭しと走り回り、踊り、絶叫する。
持続するトランス状態。
ロゴスではなく、パトス。
60年代そのままの世界が展開する。
小さな身体のどこに、これほどのパワーが。
この人はまだ前衛にいるのだ。
78歳にして。

吉井和哉。
好きなんだろうな、ジョンが。
思いは伝わってくる。
でも日本語オンリー。
「JEALOUS GUY」
「やきもち」のシャウトで始まるのは、どうなんだろう。
1曲ぐらい英語で歌えばいいのに。


ラスト。
ステージに並ぶ出演者の真ん中に、オノ・ヨーコ。
入場時に配られたペンライト、「オノ・コード」の使い方の説明。
「I LOVE YOU」の信号を点滅させて、交信しましょう。
会場の照明が落とされる。
号令に合わせて、みんなで「I LOVE YOU」。
瞬く光は満天の星のよう。
ステージと客席、アリーナとスタンド、交信は続く。
出演者も観客も、会場がひとつになる。
まったくの他人。
言葉も交わさない。
たまたま居合わせただけ。
そんな人々が、互いに愛を確認し合う。
なかなかいいかも。
やってみると、そう思える。

201112090407000 (1).jpg

しかしまあ、「愛」という概念は万能だなあ。
具体的であると同時に、抽象的。
このナイーヴであるがゆえに強靭な力。
ジョンとヨーコはたぶん、その可能性を信じたのだ。

「HAPPY XMAS(WAR IS OVER)」
「POWER TO THE PEOPLE」
「GIVE PEACE A CHANCE」
「IMAGINE」

みんなで歌う。
「IMAGINE」なら自分も歌える。
学生の時、詞を覚えた。
you may say I'm a dreamer
のフレーズが好き。
ジョンらしいと思う。

「音楽が歴史を変える」

オノ・ヨーコがピースサインを連発する。
「ピース!」って子どものころよくやったけれど、本来こうやって使うんだ。

「やっぱし」も連発する。
飄々とした、近所のおばちゃんのような話し方。
ぴったりしたスーツに、真っ黒なサングラスがかっこいい。
小柄な身体にエネルギーが満ち溢れている。

映像で見る、あの時代のままだ。
この7、8歳も年上の、東洋の女性に、ジョンは恋をした。
彼が何を求めていたか、何となく、わかる気がする。


過去を振り返るのではない。
まだ見ぬものに向かって、歩いていこう。
みんなでやればできるんだ。

老いても変わらない姿。
掛け値なしに美しいと思った。
彼女は現役なのだ。
楽をしようと思えばできるだろうに。

60年代や70年代、音楽が輝いていた時代。
こんな感じだったのかな。


22時15分、終演。
外は小雨。
なんとなく歩きたかった。
靖国通りを市ヶ谷方面に向かう。
春雨じゃ、ないけど濡れていこう。
街路樹に葉が残っている。
師走の東京、まだ暖かいんだなあ。

いろんなことがあった年。
ジョンが生きていたら何を言うだろう。
日本のために、世界のために。
どんな曲を書くのだろう。



このライヴの模様、テレビで放映される。
BS朝日、1月1日午後7時。
やばいやばい。
5分後じゃねえか!


  
謹賀新年。
みんなが少しでも愛を感じられる年でありますように。
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2011年11月26日

歌謡曲・私的百選A

 石川さゆり「津軽海峡・冬景色」(1977)


「青函連絡船って、なんですか」

ある時、職場の若い同僚にそう言われて、私は返答に窮した。
「青函トンネルってあるやろ。あれができる前に津軽海峡のな、つまりその、青森と函館の間の海に船が通っててな、それはただの船じゃなくて国鉄の航路でな・・・」
頭の中で説明文を組み立てようとするが、うまくいかない。

どこからどこまで説明すればいいのか、わからなかった。
1985年生まれの彼にとって、連絡船は歴史上の出来事にすぎない。
つまりは、「大化の改新」とか「関ヶ原の合戦」とか「明治維新」とか「太平洋戦争」とか、そういう日本史の教科書のなかに並ぶ項目のひとつとして、「青函連絡船」はある。

前提が違う。立ち位置が違う。
そんな相手に、何を言えばいいというのか。
彼の見ている世界は、そもそも私の見ている世界と同じものなのか。
沈黙のうちに、疑念はますます大きくなる。

「青函連絡船って、なんですか」

澄み切った目で、彼が私を見つめる。
あまりにナイーヴな、このまなざし。
最近ではもう、無知は恥ではないらしい。
そういう者たちと、私は仕事をしているのだ。
"the times they are a-changin'"
「時代は変る」と、言われる立場になった時、ディランは何と答えていたか。
そもそもa-changin'の〈a〉って何なのだろう。
調べてみなあかんな。

「そんなことも知らんのか」と責めることも、「それはな」と懇切丁寧に教えることも、どちらもこの場ではふさわしくないように思えた。

「まあ、ええわ」
そうつぶやいて会話を断ち切ってしまったことが、先輩として望ましい態度であったかどうかはわからない。



作曲・編曲/三木たかし、作詞/阿久悠。
石川さゆり19歳の大ヒット曲。
8分の6拍子に乗せられる言葉のリズム。
この上ないコラボレーションだ。

右肩上がりの3連符で押しまくる冒頭。
一気に引き込まれる。

気がついた時にはもう、あなたは冬の青森駅にいる。
五感を総動員した情景描写。
冷たい風、荒れる海、カモメが舞う空はかすんで、竜飛崎は見えない。
乗り合わせた人々との距離感が、女の孤独を際立たせる。
「ごらんあれが」というのは他人同士の会話かもしれない。
その言葉を耳にして、窓の外に目をやる主人公。
ひとりだからこそ、周りがよく見えるのだ。

これはリアリズムなのだろうか。
現実にしては鮮やかすぎる。
イメージは観念へと昇華してこそ、人の心を揺り動かすのかもしれない。

連絡船の中で、孤独にたゆたう女の姿。
しばし寄り添うわれわれに、女が心の内を明かし始める。
情景描写が独白へと移り、やがてクライマックスへ。

ここで、またもや3連符。
しかも今度はフラットに。
動から静へ。静から動へ。
このドラマチックな展開。
押し寄せては引く波のよう。
3つずつの音に刻まれた女の訴えが、胸に迫る。

最後のキメ言葉を導く「アーアアー」は、心の叫びだ。
地の声からファルセットへ裏返る瞬間の、あのカタルシス。
19歳にしてこの技、石川さゆりならではの歌唱表現である。

詞と曲と歌、さらに聴き手が一体となって、生み出された世界観。
あの時代においては、寸分の隙もない、完璧なドラマとして輝いたことだろう。

それから30年余り。
青函連絡船は消え、都市と地方の関係も変容した。
時代が共有していた前提が崩れてしまった今、この歌に存在意義があるとすればそれは何か。
今ではもう、ノスタルジックなおとぎ話でしかありえないのかもしれない。
一部の人にだけ伝わる、マニアックな音楽。
ヘッドフォンで外界を遮断して聴くような歌のひとつとして。

完璧であることは、歌謡曲として、はたして幸福なことなのだろうか。
アンジェラ・アキのカヴァーをテレビで見ながら、そんなことを考えていた。


「時代は変る」
希望よりも、諦念と悲哀が先に来る。
何ともさびしいことである。






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2011年11月12日

歌謡曲・私的百選@

薬師丸ひろ子「元気を出して」(1984)


とてつもなく高いのに、あたたかい声。
フラットな歌唱は無表情に見えて、なかなか懐が深い。

さわやかな響きの合間からかすかに漂う、アンニュイな香気。
やさしさの奥に垣間見える、したたかさ。

奇をてらわないのがいい。
素直で忠実であろうとする姿勢が好きだ。
ナチュラルであればこそ、表情は豊かに輝く。

真夜中に、肩の力を抜いて、ひとつ深呼吸してみる。
なるほど、人生はそれほど悪くないものなのかもしれない。

竹内まりやのセルフカヴァー・ヴァージョンももちろん素晴らしい。
今まで何度聴いたことだろう。
いつまでも手許に置いておきたい、珠玉のパフォーマンス。
音楽は時代を超えるのだと、山下達郎の仕事は教えてくれる。
ラストのコーラスで、左から聞こえるのは薬師丸ひろ子の声だ。
何度聴いても、心がふるえるハイトーンヴォイス。
悲しみを乗り越えて、新たな一歩を踏み出そうとする人へ。
唯一無二のコーラスが、最後にそっと背中を押してくれる。






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2011年08月22日

夏の曲

 夜がずいぶん長くなった。月明かりに誘われて外に出てみた午前4時すぎ、風がさらりと吹き抜けて、家にいるより心地良い。闇の底に響くのは、いろんな種類の虫の声。誰もいない街並みを、そぞろ歩くも一興と、ゆるりゆるりと流していると、あの燃えるような真夏の日々に心弾ませ聴いていたメロディーが、どこからともなく浮かんでくる。たとえばそれは、こんな歌であったり・・・


「夕立」
井上陽水(1974)
 「計画は全部中止だ!」。ひりひりするような日常とその裏に潜む破滅への衝動。鋭いリードギターと、パーカッションの乾き切った響きが、夏の大気を切り裂く一閃を的確に表現する。怒涛の16ビートに乗って不穏な高揚感を助長するのは、「フゥ、フゥ」というコーラスだ。「悪魔を憐れむ歌」を参照したと思われるが、ストーンズの観念的な禍々しさを、陽水は映画的ともいえる情景描写に置き換えて、日本の風景に着地させている。世界につながれない傍観者のまなざしは、「氷の世界」や「傘がない」といった作品に通じるものだ。匿名の世界が何の前触れもなしに「君と僕」の一対一の関係に転化する。ラストのこういう捻りが、いかにも陽水らしい。
 ポリドール時代最後のオリジナルアルバム「二色の独楽」所収。海外レコーディングだけあって、演奏が秀逸。構成も統一感があり、アルバムとしての完成度は高い。


「夏が来た!」
キャンディーズ(1976)
 目覚ましのアラームが鳴る前に目が覚めて、いつものようにそのまま寝ようとしたけれど、不思議に眠気を感じず、なぜか頭もすっきりと冴えていて、見るともなくやけにぱっちりした目を転ずれば、カーテンから漏れる朝の光が「おはよう」と呼びかけてくるので、ぱぱっと起き上がってベッドを下り、カーテンもろとも窓を全開にして、鳥の声に耳を傾けながら、思わず深呼吸してしまった・・・
 たとえばそのような一日の始まり、年に一度あるかないかという幸福な瞬間の情景を、この歌は思い出させてくれる。
 Cコードの8ビートで、メロディ構成はABCABCBC。爽やかな3声ユニゾンが軽快なテンポに乗って弾んでいるけれど、ただ明るいというのではない。郷愁というか、哀愁というか、ものがなしさというか、そういう聴く者を立ち止まらせる情感が、曲の全体に漂っている。演奏と声が突き抜けて明るいだけにその情感が影の要素として引き立つ、という構造になっている。それはたぶん、歌詞の力と、Cメロの効果だろう。
 初夏。部屋の緑色のカーテンが、窓の外の新緑と重なって見える。その2つの緑は同じようだけれど、やっぱり違う色だ。なぜなら、自然の新緑は輝く命の色だから。そんなことを考えていたら、なぜだかわからないけれど、ふと、君に会いたくなった・・・
 いとおしくて、思わず抱きしめたくなるような、この心の動き。これが冒頭のAメロ、わずか5行の描写に引き込まれる。
 それからCメロ。ユニゾンからハーモニーに変わる聴かせ所のサビがあって、その後にエピローグのようにして、「こんな不思議な出来事があっていいものかと思うくらい・・・」という一節が付け加えられている。このしみじみとした詞とメロディが、本当に心に響くのだ。油断すると涙がこぼれてしまうくらい。そのようにしてこの曲は、何とも言えぬ余韻を残してフェイドアウトしていくのである。


「暑中お見舞い申し上げますPart2」
キャンディーズ
こちらは未発表曲で、あのおなじみの「暑中お見舞い申し上げます」(1977)の別バージョンとして録られていた音源が発掘され、1998年に発表された。Part2というのはそういう意味で発表時に便宜上付けられた呼び名である。
 作詞は喜多条忠、常富喜雄作曲で、編曲が穂口雄右。作詞者は同じだが、詞も楽曲も「本家」とは別物(同じフレーズもある)。一人旅に出た女の子が、田舎の駅に咲くひまわりを見て男の子のことを思い出す。彼はどうしているかしら。旅先から呼びかける「暑中お見舞い申し上げます」・・・ミディアムテンポの8ビート。「猫」の常富氏らしいシンプルなフォークロックである。
 アコギのリズムとエレキ2本のリードの絡みが気持ちよく、アドリブを交えた3人のリラックスした歌声を聴いていると、古き良き時代の旅の情景(「ディスカバージャパン」!)が浮かんできて、なんともはや、こんなにいい歌をお蔵入りにするとは、当時の歌作りの環境は贅沢だったんだなあと感心してしまう。
 地味といえば、たしかに地味だ。「本家」の、あの技巧を凝らしたキラキラ感、そしてそれが結果として大ヒットにつながったことを考えれば、とりたてて新味のないこちらがシングルとして没になったのは正解だったかもしれない。
 でも思うのだ。あのキラキラ感よりも、この手触りの感触こそが、キャンディーズというグループの歌の真髄なのではないかと。キラキラはいつか輝きを失うけれど、この手触りの感触、ぬくもりは時代を超えて残る。この曲を初めて聴いたとき、すごく新鮮な感じがした。古さを感じなかった。旅先で、日々の暮らしで、楽しい時もつらい時も、支えになってくれる。私にとってこの未発表曲は、そんな存在としていつも傍らにある。


「ひまわり娘」
伊藤咲子(1974)
 太陽とひまわり。あなたはわたしを照らしてくれるお日さま。わたしはあなたに向かって、花開く。それはあなたを見ていたいから。涙なんか知らないと、あなたがそういうのなら、わたしはいつでもほほえんでいるわ。あなただけの花になりたい。それがわたしの願いなのだから・・・こんな内容の、なんともかわいらしいこの詞は、阿久悠の作。70年代を代表する作詞家だ。
 作曲はシュキ・レヴィ。外国曲らしい。コードはC。さわやかなメロディが、「涙なんか知らない・・・」のサビでマイナーに変化する展開がドラマチック。この清純な黄昏感が70年代なのだなあ。
 「ひまわり娘」とはつまり、伊藤咲子という人の代名詞なのだろう。この歌を知ったのは、最近のこと。ベスト盤を聴いてみてわかったのだが、この人はものすごく歌がうまい。自在に行き来する地声とファルセット、どちらの声量も豊かで、独特のビブラートが歌に深みを与えている。こういう人がアイドルとして活動していたのが70年代という時代なのだ。今の価値観から見ると不思議な感じがするけれども。「乙女のワルツ」(1975)の歌い上げるサビなんてのはもう、圧倒的な説得力をもって迫ってくるのであって、こちらとしては、今まで知らなくてごめんなさいと、脱帽するほかないのである。


「今日から」
森高千里(1995)
 ベランダに出て、ながめてみた初夏の空。子どものころの思い出が、ふとよみがえる。失ったもの、得たもの、流されるままに生きてきた来し方を振り返ってみて、思う。明日もたぶん今日の繰り返し、そうやってこれからも生きていくのだろうけど、そんな日常の今こそが、幸せなのではないか、と。
 この人の書く詞は振幅が大きくて、本気なのか冗談なのか分からないところがあるけれど、どの曲もよく聴くと飾らない言葉のうちにイメージを喚起する力があって、森高千里はやはりミュージシャンなのだなあと思う。
 ドラムもたたけば、ピアノも弾く。詞も書けば作曲もする。「ロックンロール県庁所在地」(1992)なんて、演奏も歌も全部本人だという。この人にしか書けないような曲がたくさんある。出色は「トウが立つ」(1996)−トウは漢字。「トウ」という漢字が書けない、あなたは書ける? それで1曲作ってしまうというこのセンス。要するに、天才なのだこの人は。


「海岸行き」
サニーデイ・サービス(1997)
 何をどうやればこんな音が出せるのか。エレキのピッキングと、アコギのベース音。自分も弾き語りでやろうとするのだが、どうしてもできない。
 夏の終わりの浜辺の風景を、最小限の楽器と声で色鮮やかに描き出す。太陽と、海と、砂浜と、色とりどりのパラソルと、麦わらをかぶった君。やがてこの渚にも秋風が吹き、誰もいなくなる。季節の移ろいのなかで、僕と君はどんな物語を紡いでいくのだろうか。
 一篇の映画を見ているようだ。モノクロームの、あるいはセピア色の、それはたとえば60年代のゴダールの作品。電気を介さない、フィルムに焼きつけられた映像の質感だ。五感を総動員した詞の世界と演奏は、声や音や、色、手触りまで再現する。サニーデイにとって、楽器は絵筆であり、カメラなのだ。
 3枚目のアルバム「愛と笑いの夜」所収。

「花火」
aiko(1999)
 学生の時にアルバイトしていた店の有線でいつもかかっていた。この曲を聴くと即座に、その頃の店の様子とかあの人の顔や声とか、考えていたこととか、当時の状況全般が観念的にではなく、具体的な感覚としてよみがえってくる。レコードを買ったわけでもないし、自分にとってはただの流行歌だったんだけども。
 声そのものがひとつの楽器なのだなと、この人の歌を聴くたびに思う。森の中の泉のように澄んだ響きは、夏草のように空高くどこまでも伸びていく。繊細さも力強さも兼ね備えていて、この声があれば、悲しみも喜びも、人間のありとあらゆるすべての感情を表現できそうである。
 「夏の星座にぶら下がって、上から花火を見下ろして」とは、夢の情景か。最強のフレーズの周りにちりばめられる1人称の恋。aikoが歌うのはいつも「あたし」と「あなた」の世界だ。その一貫した姿勢がすばらしい。
 16ビートに乗ってたたみかける言葉。歌詞を構成するひとつひとつの言葉の、それぞれの音への割り振りが絶妙だ。言葉で押して押して、リズムを生み出していくこの感じ。70年代初頭の吉田拓郎に通じるものがある。
 しかしまあ、あれから12年も経ってしまったのだ。この前花火を見たのはいつだったか。なかなか思い出せない。 



 ・・・街を包む闇は濃く、朝の気配はまだ感じられない。ついこの間まで、4時といえばもう明るくて、こんなんじゃ眠れないと困っていたのに。そんな季節が、今では懐かしい。こちらの思いなんてお構いなしに、季節はめぐっていく。時の流れとはそういうものだ。過ぎゆく夏の思い出をひとつひとつかみしめながら、またあのメロディに耳を傾けてみよう。8月ももう終わりか。ああ、無情。
posted by Dandelion at 08:09| 長野 ☁| Comment(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月06日

カリホルニヤの風

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 それはまさに、不意打ちだった。
 拍手も歓声も忘れ、息をのんでステージを見つめる観客たち。水を打ったように静まり返るスタンドに、あの物哀しいイントロが反響する。心の準備が間に合わない。私は急いで膝の上の荷物を足元に置き、姿勢を正した。そうして耳と目に感覚を集中させた。

 3月5日、東京ドーム。アメリカン・ロック史上最も重要な曲は、そのように何の前触れもなく始まったのだった。曲の圧倒的な存在感とは裏腹に、演奏するEAGLESの4人は、飄々として見えた。

 Don Henleyの危うくはかなげな歌声、美しく豊饒なコーラス、Joe Walshの官能的なギター・ソロ。東京の真ん中のボール・パークに、西部の物憂い夕景が広がる。チェック・インは遅れても、このホテルにはいくらでも空きがあるようだった。

 「ホテル・カリフォルニアへようこそ」
 宴のあとの退廃が、甘美なる香りとなって誘惑する。耳を傾けていると、いつか見たインドの風景が思い出された。女たちが身にまとうサリーの流れるようなシルエットや、サービスを強要する男たちの鋭い眼光に接した時の驚きが、よみがえってきた。街角のチャイ売りや埃にまみれた物乞いやサイクルリキシャのベルの音や、いろいろなものがメロディーに乗って浮かんではまた消えていった。

 Don Henleyはドラムを叩きながら歌う。Don Felderに代わってGlenn Freyが、Joe Walshとギターを合わせている。ベースはRandy MeisnerではなくTimothy B Schmitだ。日本で言えば団塊世代の4人なのに、キーも声量もレコードとほとんど変わらないのが不思議である。

 「いつでもチェック・アウトはできるが、ここを立ち去ることはできはしない」
 歌が終わった後に続くのは、絡み合うツイン・ギターのセッションだ。感動はここで最高潮に達する。いつまでも続いてほしい。身を委ねていたい。この曲を聴くたびに、そう思う。

 「ダダダダ」のエンディングで、夢から覚めた。陶酔の後の倦怠。数万人のため息が、砂漠の埃を吹き飛ばす。フェードアウトではない締めはちょっと乱暴な感じで、それはそれで悪くない。

 1塁側内野1階席からスコアボード下のステージはあまりに遠く、前の席の外国人たちは始終騒がしく、休憩時間のトイレの列は100メートルほどにもなっていたが、そんなことは問題ではなかった。あの曲を生で聴くことができた。それで十分だった。

 EAGLESは今もなお、走り続けているように見えた。特に後半のJoe Walshを中心にした演奏は、激しく、独創性にあふれて、このバンドのさらなる進化への意志を感じさせるものだった。まだまだ、走り続けるつもりらしいのだ。なにしろ、あのHotel Californiaをさらりと4曲目に持ってきて、過去を懐かしむために来たファンを煙に巻いてしまったのだから。

 アンコール。ラストはやはりDesperado。
それでもやっぱり、人は生きていかねばならない。
やりきれないかもしれないが、それが真実なのだ。

 西海岸から届いた風は、しめやかな余韻を残して、また通り過ぎていった。
移り行く時代のなかで、永遠のならず者たちはこれから、どのような「アメリカ」を描いていくのだろうか。
posted by Dandelion at 11:05| 長野 ☀| Comment(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月26日

心の中のジュヴナイル〜princess princess再聴

いいなあ、どれも。

というよりも、すごい。

懐かしいというより、新たな驚き。

何なのだ、この完成度は。

プリプリって、こんなにすごいバンドだったっけ。

奥居香の歌声。

あれほどのシャウトができる女性ヴォーカル、後にも先にもいない。

激しいのに、キュート。

それに、ほのかに漂う、この哀愁。

内側からにじみ出るものがある。

何と言えばいいのだろう。

一種の開き直りというか。

女であることを逆手に取った、芯の強さ、みたいなもの。

シャウトといえばSuperfly?

たしかにカッコいいけど・・・

何かその、にじみ出るものを感じないんだな、

最近の歌には。

Superflyは1人だし。

PRINCESS PRINCESSはユニットじゃない。

やっぱりバンドなんだ。

不動の5人がアイデアを出し合って、ひとつの作品をつくりあげていく。

バンドならではの、そういう面白さがある。

この5人、みんな楽器もやるし、詞も曲も書いた。

それぞれがソロでやっていける実力を持っていた。

たとえば、「M」という曲。

イントロの、張りつめた静寂。あのピアノソロだけでもう心がしめつけられる。

「あなたのいない右側に」から、ベースが入る。

官能的で、切なくて。

ああいうベースは、男には弾けない。

「あなたを忘れる勇気だけ、欲しいよ」

この「欲しいよ」の前に、ドラムとギターがドカンと入る。

フレーズの途中で、サビに突入するのだ。

恋しいという独白がここから、普遍的な感情へ高まっていく。

そうしてカタルシスの頂へと、一気に突き進む。

富田京子や中山加奈子が書く詞は、小説のようだ。

情景描写がある。

いつも私の左側にはあなたがいた。

気がつくと、あなたは他の誰かと、私の前を歩いている。

遠ざかっていく黒いジャケットの後姿。

右側にいることに慣れてしまった私は、これから先、どうすればいいのだろう。

右と、左と、前と、後ろ。

位置関係による心情の表現。

鮮やかだ。

すれちがう感情の微かな動きまで、手に取るようにわかる。

「DIAMONDS(ダイアモンド)」の詞は、よく読むとなかなか難しい。

想像の翼を思う存分、広げている。

そういうすがすがしさを感じる。

ダイアモンドとは、宝石そのものを指すのか、何かの暗喩なのか。

「スカイスクレイパー」とは摩天楼の意。

この曲に教えられた。

その意味を知り、途端に、この曲の描く情景が鮮やかに浮かんできた。

最近の話だ。

気づくのが遅かった。

演奏も簡単に見えて複雑だ。

ベースとドラムががんばって、曲の表情を豊かにしている。

ラストの転調部から入るピアノが深い余韻を残す。

「世界で一番熱い夏」で印象的なのは、コーラス。

女性のハーモニーは美しい。

そういう意識で他の曲を聴くと、どれも要所要所できっちりハモッている。

CSN&YかEAGLESか。

20歳そこそこの女の子バンドが、ウエストコーストの伝統をしっかり受け継いでいる。

どの曲も、何より楽しいのがいい。

「OH YEAH!」なんてのは演奏も歌も、何もかものびやかに躍動していて、もう無敵だ。

メンバーが、それぞれに技量とアイデアを持ち寄って、作品に盛り込んでいく。

そういうさまが目に浮かぶ。

Music from Bigpinkのような。

THE BANDとかDYLANとか、LEON RUSSELLとその仲間たちとか、もちろんBEATLESもそうだが、60〜70年代に輝いたミュージシャンたちを彷彿とさせる、この感じ。

80年代から90年代にかけての日本にも、ちゃんとあったのだ。

と思う(あくまで想像)。

プリプリは、素手で時代と格闘していた。

少なくとも、いま聴くと、そう思える。

自分たちだけで完結せず、「これでどうだ」と、世に問う。

みんな元気だ。全力疾走している。鼻息が荒い。

「だからがんばるのよ、私たち」

一生懸命さと矜持が、曲に表れている。

奥居香の声に、にじみ出るものは、そこに由来するのかもしれない。

時代の最前線で、ファイティングポーズを取る。

本来の意味でのロックとは、そういう意味だろう。

やっぱりかっこいい。

そのロックを女性がやる。

なおさらかっこいいと思う。

そういう音楽をもっと聴きたいなあ。

でもなかなか今、見当たらない。

思いつくのは、DIXIE CHICKSくらい。カテゴリー的にはカントリーだけど。

PRINCESS PRINCESSはロックだ。

重ねて言うが、気づくのが遅すぎた。

ま、中学生だったから仕方がないか。

聴いてたことは聴いてたんだ。

FMのカウントダウン番組を毎週、カセットに録音していた。

当時も、プリプリはいいと思った。

でも、いくつかあるお気に入りのミュージシャンのひとつでしかなかった。

もっと早く、適切なかたちで出会っていたら・・・

20年後に、ふとしたことから再び手にしたCDを聴きながら、そんなことを思っている。

めぐり合わせというのは、難しい。

大切なものは、すぐに通り過ぎて、気づくといつも手の届かないところにある。

その面影を追って、人は生きていくしかないのだろうか。


















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2010年11月30日

サニーデイ、10年後の物語

 10年はひと昔。取り戻すにはもう遅すぎて、懐かしむにはまだ早すぎる。長いような、短いような、時の流れ。この10年のうちに、さまざまな物語が生まれては消えていったけれど、サニーデイ・サービスは10年経ってもサニーデイ・サービスだった。あのころ彼らが紡いだ物語は色褪せることなく、改編されることもなく、そのままの形で生き続けていた。
 
 2008年に再結成したバンドは今秋、10年ぶりの全国ツアーに出た。11月22日は10公演のうちの9番目、ZEPP仙台でのライブ。霧雨も冷たい杜の都に、待ちわびるファンの熱気が渦巻いていた。
 散歩の途中で寄ってみました、というような佇まいでふらりとステージに現れた3人。アラフォーになってもひょうひょうとしている。ライブは曽我部恵一のフィンガーピッキングで始まった。「東京」。あたりが一瞬にしてサニーデイの色に染まる。甘く優しい歌とギターが有無を言わさず聴き手の心をつかんでしまう。若い女性の姿も目立つ客席から、ため息がもれた。たとえば、高円寺か吉祥寺か下北沢か高田馬場か池袋の外れあたりの街を、ひとり歩く冬の日の昼下がり。そんなイメージがこんこんと泉のように湧き出て、心の中に満ちあふれていく。
 ギターとキーボードのサポートが1人ずつ付いて、5人編成のバンドは次から次へ、無言のまま演奏を続ける。1曲終わるごとに、サニーデイの物語が奥行きを増していく。3人の間合いに齟齬はない。繊細で生きのいい曽我部のエレキに、田中貴の重厚なベースが絡み、ドラムの丸山晴茂が冷静にリズムを刻む。バンドを一時離脱するほどの病を乗り越えた丸山の健在ぶりがうれしい。セットリストの多くは初期のアルバム『東京』と『愛と笑いの夜』から選ばれているようだ。レコードで耳になじんだ曲を生で再確認できる喜び。ライブに来てよかったと思う。
 起承転結の「起」が「東京」なら、「承」は「青春狂走曲」。完璧な流れに思えた。弾むリズムに合わせて、理性の統御を離れた体が躍動を始める。遠慮や羞恥のタガが外れる。この辺でみんな踊りだす。やはりスタンディングはいい。ロックは身体だ。全身で感じるリズムと、この高揚感。汗をかいた。上着をロッカーに預けるべきだった。
 歓喜とともに加速し、エネルギーの高まりとともに上昇を続けた物語は、中盤に至って基調を変え、ねじれ始める。「転」は「ここで逢いましょう」。昼下がりだった心のイメージの風景は、いつしか夜の帳に包まれている。内に向かって潜行する情念が発酵し、芳醇な香りを漂わせて誘惑する。歪みを増す音とリズムの洪水に身をまかせて、浮遊する感覚にただ酔いしれる。
 「3人が集まって今出せる音を」。数少ないMCで曽我部がぽつりとつぶやいたその言葉、「なぜいまサニーデイサービスなのか」という皆の疑問に対する答えとみた。話をするのは相変わらず曽我部だけ。田中君、丸山君、どう思っているのだろうか。何かしゃべってほしい。
 「結」。最初のアンコールはあの曲ではなかった。2度目があるに違いない。後ろのあんちゃんが彼女に力説していた。おれもそう思う。そして、再びのアンコール。「コーヒーと恋愛」。来た。すべてが終わった後の、くつろぎのひととき。サニーデイには喫茶店がよく似合う。締めはやはりこの曲でなければ。
 
 帰宅後、今年出たアルバム『本日は晴天なり』のアナログ盤に針を落とした。わざわざドイツで作ったというのをライブ会場で売っていたから買ってきた。振り返ってみれば今回のライブ、最初も最後もアルバム『東京』そのまま。新アルバムからは数曲しか演奏しなかった。「10年後の意義」という点から考えると、気になるところではある。がしかし、それでいいような気もする。あの3人は何がやりたいのか。曽我部はサニーデイで「アルバムにこだわりたい」と言った。それで新作アルバムのアナログレコードを作った。どこまでも手触りにこだわる。マチエールを大切にする。察するに、それがサニーデイサービスの音楽だということだろう。めまぐるしく変わる時の流れのなかで、自分たちの音楽を守っていくこと。その営みがつまりはサニーデイの物語そのものだということか。
 新しいアルバムの曲たちは、なかなか心に響いてこない。これは仕方がないと思う。彼らも自分も、昔のままではない。世の中もそれなりに変わった。ひと昔ぶんの時を経て、再会したのだ。まあ、じっくり付き合っていくことにしよう。日を追うごとに冷たさを増す夜の底で、我が家のレコードプレーヤーはきょうも規則正しく、1分間に33と3分の1回の割合で回り続けている。
posted by Dandelion at 09:09| 長野 ☀| Comment(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月07日

サンシン×ギブソン=ノスタルジア

 凛冽の気を含んだ風が、いつしか夏の痕跡を運び去ってしまった。出勤の道すがら、つるべ落としの空を見上げていると、燃え尽きなかった熱情が胸の奥でうずく。あの山の向こうに行ける日は来るだろうか。果たせぬことの多い人生をかみしめながら、きょうも自転車を走らせる。
 
 こんな季節に「やなわらばー」を聴いている。
 石垣島出身の女性デュオ。2人ともまだ20代だが、相当な楽器の遣い手だ。東里梨生のギターが奏でるメロディラインに絶妙に絡むのは、石垣ゆうの三線。すべての楽曲がこの2つが楽器を中心に構成される。同級生らしく息の合ったコーラスは、どこまでも突き抜けるような石垣のソプラノを東里の柔らかい声が支えて、驚くほどソウルフルだ。
 1+1は時として2ではない。2つの個性が化学反応を起こし、別次元の響きが生まれる。そんな幸福な瞬間が、彼女たちの歌には封じ込められている。
 昨年発売された『凪唄』は、いわゆるJPOPのカバーアルバム。沖縄ゆかりの歌から、サザンや伊勢正三、山下達郎、井上陽水まで、選曲は幅広い。こういう名曲の数々を、若い2人組は臆することなく自分たちの色に染めてしまう。ここで歌われる「海岸通」や「少年時代」は、彼女たちが過ごした石垣島の海岸通りであり、夏まつりなのだ。南国の乾いた風が、ヤマト的な陰湿さを吹き飛ばしてしまって、爽快な後味が残るのが面白い。どこかにアメリカンロックのテイストにも通じる土臭さを感じるのは、彼女たちの音楽が、常に自らのルーツに忠実であろうとするからだろうか。
 島を出たからこそ歌えることがあると彼女たちは言う。切々と歌われる故郷への思いは、それほど甘いものではない。客観化され相対化された郷愁には、力がある。それはセンチメンタルとか癒やしなどという言葉では表すことのできない、強靭な情念だ。だからこそ、「やなわらばー」の歌声は「沖縄」という枠を越えて、多くの人の心に響くのだと思う。
 
 自らのルーツを形にして、表現できるというのはなんとすばらしいことだろう。そういう羨望の思いもあって、沖縄出身のミュージシャンの音楽にはどうしようもなく魅かれてしまうのだ。
 それにしても最近の石垣島はすごい。自転車の新城幸也は世界選手権で9位に入ったし、「パーマ屋ゆんた」を出したBEGINも脚光を浴びた。みんなのびのびと力を発揮して、いい顔をしている。

 南から吹く乾いた風が、いとおしい秋である。
posted by Dandelion at 08:46| 長野 ☀| Comment(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月19日

そぼ降る雨と、サニーデイ・サービス

世界を成り立たせる原理が「愛」であることを確信できた時、人は初めて幸福を実感できるのかもしれない。

9年ぶりに出たサニーデイ・サービスの新作アルバムを聴きながら、そういえば昔、そんなふうに考えたこともあったなと、いささか苦い味のする感傷に身を任せたりしている。

自分たちの世代にも、確かに「ぼくらの音楽」があったのだと、今さらながらに気がついて、ちょっとうろたえてしまった。90年代後半、あのころはそんなこと、少しも思わなかったから。

ビートルズの諧謔とニール・ヤングの憂愁を、甘くさわやかなサウンドの裏側にさりげなく忍ばせて、世紀末のあの時代、サニーデイ・サービスはただひたすらに、「愛」を歌い続けていた。

彼らが残した歌をいま、ひとり聴いていると、十数年前に自分がそこにいた空気の質感がよみがえってくるのがわかる。それも驚くほど鮮明に。

それはたぶん、彼らの音楽が、誰にでも身に覚えのある具体的な「愛」を描いているからなのだろう。そしてそれを相対化できるくらい、自分が歳を取ってしまったということなのだろう。

40代を迎えようとする3人のメンバー。これからどんな「愛」のかたちを描こうというのか。

見たいような、見たくないような。でも曽我部恵一なら、きっとうまくやるだろう。

秋のツアーが楽しみだ。
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2010年03月15日

不覚にも

植村花菜の「トイレの神様」をワンコーラス聴いて、「これはあかん」と思った。

大阪から帰る新幹線の自由席で、私は買ったばかりのCDをポータブルプレーヤーにかけ、ヘッドフォンで聴いていた。

いま涙出てきたら困るなあ。

そっと辺りを見回してみる。幸い、隣の席の人は眠っているようだった。とりあえず気づかれる心配はなさそうだ。

でも本当のところ、そんなことはどうでもよかった。たとえだれかにじっと見られていても、今さらヘッドフォンを外して平静を装うことなんてできない。歌は私の心をわしづかみにした。逃げようたってそれは無理な話。腹をくくって、歌の続きに耳を傾けた。

弾き語りギターのシンプルな演奏に乗せて語られるのは、おばあちゃんと過ごした日々の物語だ。

「トイレには女神様がいる」というおばあちゃんの言葉で、苦手だったトイレ掃除が楽しくなった子どものころ。家族とうまくいかなくなり、おばあちゃんとも疎遠になってしまった思春期。やがて大人になり、迎えることになったおばあちゃんとの永遠の別れ。小さいけれどかけがえのないエピソードの数々が、静かに綴られていく。

なぜ自分はあの時、あれをできなかったのか。やろうと思えばできたのに。人は過去を振り返る時、作為よりも不作為について後悔することの方が多いような気がする。おばあちゃんと離れていったのは別に嫌いになったからじゃない。大人になるにつれて世界が広がったということだろう。人が成長していく過程というのはある意味、残酷なものだ。家族みんなが幸福だった子ども時代はもう戻らない。それは自然の成り行きだから、どうすることもできない。

でもそれで果たしてよかったのか。大人になって、人はふと考える。自分の成長する過程で、誰かが傷ついていたとしたら…

子どものころあんなに世話を焼いてくれたおばあちゃんは、もういない。成長して離れていく自分をどんな気持ちで見ていたのだろう。冷たくしたわけじゃないけれど、ずっとおばあちゃんのことを気にかけていたわけでもない。自分のこれまでの生き方は、間違っていなかっただろうか。自分自身への問いかけに、答えはたぶん出ない。でもやっぱり問い続けないわけにはいかない。

大阪出身で、路上ライブをやっていたという植村花菜。時折織り交ぜられる関西弁がいい。どこまでも具体的な詞もいい。音に乗せる言葉の配分具合も絶妙で、心地よいリズム感がある。豊かな表情に満ちた歌。一度聴いたらすぐ覚えてしまうメロディだ。

この曲の感じ、どこかで聴いたと思って記憶の糸を手繰っていったら、70年代の加川良の名曲「親愛なるQに捧ぐ」にたどり着いた。あちらはマイナー調で、ブルージー。こちらはメジャーで温かい雰囲気だ。ギターをつま弾きながら語られる物語に耳を傾けていると、高田渡の「系図」とか、ボブ・ディランの「ハッティ・キャロルの寂しい死」とか、そういうフォークの巨人たちの歌も思い出され、何となく懐かしい気持ちになる。

この歌、ラジオなどでは結構話題になっているらしい。大阪のCDショップのPOPには「涙なくしては聴けない」と書いてあった。人の言葉をそのまま受け入れるのはちょっと悔しいけれど、それは認めざるを得ない。何度聴いても、心の奥の方がじーんとうずいてしまって、涙を抑えるのがなかなか大変なのだ。




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2010年03月14日

FRIDAY NIGHT MUSIC CLUB

気がついたら踊っていた。全身を駆けめぐる激しいビート。理性の統御を離れた身体が、ひとりでに動き出す。頭の中がしびれたようになってしまって、思考を拒否している。肉体と精神の境目があいまいになり…ああもう面倒くさい、何も考えずに身を任せよ。これがロックなのだ。ロックに言葉はいらない―

シェリル・クロウの2010年ジャパンツアー最終日。3月12日の東京厚生年金会館大ホールには、くらくらするほどの熱狂が渦巻いていた。ジャクソン・ブラウンとのジョイントで行われた今回のツアーだが、実質的な主役は明らかにシェリルの方だった。

第1部はジャクソン・ブラウン。約1時間半にわたる演奏の終わりに招かれてシェリル・クロウが登場し、2人でTAKE IT EASYを歌った。イーグルス初期の代表曲。そういえばこれ、ジャクソン・ブラウンとグレン・フライの共作なのだった。古き良きウエスト・コーストの系譜。シェリル・クロウも自らをそこに位置づける。ジャクソン・ブラウンは彼女の師匠であるらしい。「my friend,my teacher,meister」と言っていた。

休憩を挟んで始まった第2部。あらためてステージに現れたシェリル・クロウは、黒のタンクトップに薄青のブロークンジーンズといういでたち。足元は高いヒールで、ウェーブがかかったブロンドの髪が背中まである。

武骨なGIBSONを低めに構えた姿が、バシッと決まっている。ステージのほぼ正面、21列目の自分の席からオペラグラスを覗くと、肩から上腕にかけて、かなりたくましい筋肉が見える。バンドのごつい男どもを従えて堂々と歌う様子に、観客の目はくぎ付けだ。「ロックの姐御」という形容が、ふと浮かんだ。2枚目のアルバム「SHERYL CROW」、あのジャケット写真のイメージだ。

アップテンポの曲を次々に繰り出してくる。曲目は古いのから新しいのまで、まんべんなく。思えばデビュー・アルバム「TUESDAY NIGHT MUSIC CLUB」が出たのが1993年。17年のキャリアのなかで、彼女はオリジナル・アルバムを6枚しか出していない。寡作なのだ。それにはいろいろ理由があって、そもそもデビューが遅かったこともあるだろうし(27歳までミズーリ州で音楽教師をしていたという)、他にもたとえば、ランス・アームストロングとの破局とか、ガンの手術とか、まあそういう人生を経てきて、彼女は今年、48歳だそうだ。

シェリル・クロウをデビュー以来、追いかけてきた我が身を振り返れば、学生時代に出た「GLOBE SESSIONS」までの3枚があまりにすばらしくて、それ以降のアルバムは、出れば買ってはいたものの、あまりぱっとしない感じがしていた。就職して自転車に乗り始めてから、ランスとシェリルの交際を知り、不思議な縁を感じた(彼女はツール・ド・フランス7連覇に挑むランスを現地まで来て応援し、その姿がテレビで放映されたりもした)。その数年後、2008年に出た「DETOURS」を聴いて、久しぶりにシェリル熱がよみがえった。デビュー作のプロデューサーを再び迎え原点回帰を試みたというこの作品は、過去の栄光の焼き直しなどではない。自らのキャリアを見つめ直した上で、新たな方向性を見出そうというシェリルの挑戦の表れなのだと、僕は受け取った。

ライヴの中盤、その「DETOURS」の6曲目、OUT OF OUR HEADSのイントロが流れてくると、もう我慢ができなくなった。ホール前半分はすでに総立ちになっていたが、自分がいる後方の席で立っている人はまばらだった(隣の30代のお姉さんは最初から踊っていたが)。僕は一応後ろの人を気遣って座ったままリズムを取っていたのだが、この曲が聞こえた途端、自分の中の感情のスイッチが切り替わるのがわかった。

シェリルがかき鳴らすアコギ、冴えるリードのエレキ、うねるベース、地鳴りのようなバスドラム。今立たなければ、いつ立つというのか。ロックは座って聴くもんじゃない。後ろの人だって見えなければ立てばいいのだ。方程式は瞬時に「立つべし」という解を導き出した。

すっくと立ち上がると、今までとは全然違う視界が開けた。いくらかシェリルに近づいたような感じがした。手拍子じゃ物足りない。腰を振った。足を踏み鳴らした。手を突き上げた。どうにも止まらないとはこのことだ。

次の曲があの、「EVERYDAY IS A WINDING ROAD」と来た日には、どうしたらいいというのか。この曲順はどうだ。もう攻められっぱなし。客席のボルテージは上がりっぱなし。僕の思考回路はここで完全に停止した。参った。肉体が精神よりもどんどん先に行こうとする。お手上げだ。抵抗をやめた。もうどこへでも連れて行ってくれ。

我に帰ると、22時30分になっていた。気がついたら終わっていた。怒涛の90分。無性に暑かった。下着が濡れているのがわかった。のどが渇いた。外に出ると、夜の冷気が心地よかった。火照りを冷ますために、深夜の新宿をしばらくの間、歩き回っていた。
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2009年12月05日

武道館の陽水

NEC_0328.jpg井上陽水の武道館コンサートを見た。
デビュー40周年記念ツアーということで、春に全国32ヵ所34公演を終えた後、秋から冬にかけて主要都市での11公演が追加された。今年61歳。ここ数年、毎年のように全国津々浦々、ツアーを組んで回っている。どこまで元気なのだろうこの人は。

数年ぶりに訪れた武道館は満員だった。ぐるり360度から中心に向かってなだれ込むように迫るスタンド。変わらぬ壮観な眺めを前にすると、以前見たライヴの記憶がよみがえってくる。拓郎、ニール・ヤング、クラプトン…どれもステージからは遠い席だったけど、印象に残るライヴだった。どこから見ても臨場感がある。武道館はそういう造りになっている。見る側にとっても武道館は、他の会場とは一味違う。特別な場所だという気がする。今日の席はステージ左サイド、1階の一番奥である。

18時30分の公演開始時間から10分ほど経ってステージに現れた井上陽水は、白いストライプシャツにノータイ、ひざ上まである黒いジャケットに薄いグレーのスラックスといういでたちで、肩からアコースティックギターをさげ、何も言わずに「新しいラプソディー」を歌いだした。

すかさず取り出したオペラグラスを、ライトに照らされたステージに向ける。バックはギター2人にベース、ドラム、キーボード1人ずつ、女声コーラス3人、それに9人のストリングス隊。シンプルかつ、豪華な編成だ。左真横から見る自分の席からはステージの全景は見渡せないけれど、舞台脇に置かれたSEの幅3メートルほどもある計器盤や、ギタリストが前に置いている台の譜面が肩越しに見えたりした。

井上陽水というとほっそりしてひょろ長い人、というイメージがあったが、真横から見るとそれなりに肉付き豊かで、腹も出ている。広いステージの上で、ずっしりした存在感がある。かなり大柄な人なのかもしれない。

立て続けに4曲歌った後、上着を脱いだ。いよいよこれから本題に入る噺家のように。MCは40周年の謝辞と、来し方を顧みての雑感その他。大観衆を前にしても、流れにまかせてつれづれにしゃべるあの口調は少しも変わらない。拓郎のようにネタを用意しているわけではなく、話の中身はあまりないのだが、独特の言葉の選び方や遣い方はやはり「陽水節」とでも言うべきもので、何かしゃべるたびに、待ちかねたように、観客席から笑いが起こる。時折「ヨースイ!」と黄色い声が掛かったりする。レコードで聴いた73年の東京厚生年金会館でのライヴ(アルバム『もどり道』所収)を思い出した。36年前にも同じように黄色い声が掛かっていた。あのとき叫んだ人、もしかして今日も来ていたりするのだろうか。

今年は激動の年だった。何人かの近しい人が亡くなった。そういう話の流れで、6曲目は「帰れない二人」。忌野清志郎との共作である。陽水はこの曲をギター1本、弾き語りで歌った。

曲目は40年のどの時代にも偏ることなく、古いのもあれば新しいのもあった。「傘がない」を激しくロック調にしたり、「Make-up Shadow」をジャズ風にしてみたり、「自然に飾られて」にストリングスを入れたり、アレンジも凝ったものだった。高校時代に「生まれて初めて作った」という曲も披露され、いろいろ注釈をつけてテレながら歌う姿が、おかしかった。

17曲目。「氷の世界」の、あの強烈なリフが始まると、観客席が波打つように動き出した。アリーナはほとんど総立ち、2、3階席でも立って手拍子している人がいる。色とりどりの照明が会場全体を駆けめぐる。陽水はいつの間にかギターを置いて、踊り出した。体全体でリズムを取りながら、ステージの右へ左へと動く身のこなしは軽快そのもの。間奏はもちろんハーモニカのソロで、ライヴはここで最高潮に達したようだった。曲が終わると陽水はハーモニカを投げ、興奮冷めやらぬ観客たちは、それを取ろうと争った。

「最後のニュース」「少年時代」と続いて、とりあえず終幕。時刻は20時15分。1時間半で20曲歌ったことになる。曲の数としては多くはないが、少ないというわけでもない。あっという間に時間が過ぎてしまったようで、少し物足りない気がした。

カーテンコールに応えて陽水が再び姿を現すと、大歓声とともに会場はまた、ほとんど総立ちになった。今度は水色のシャツをざっくりと、すそを出して着ている。のっけからノリノリの「Happy Birthday」、その勢いのままに「夢の中へ」と続くと、もうこっちも立つしかない。ステージサイドはさすがに総立ちとはいかなかったが、それでもところどころに中高年のおばさんたちが立って踊るのを見ていると、心が浮き立ってくるようだった。

「探しものは何ですか」。未だ答えられないでいる自分。この曲を聴くたびに、身につまされる。10年前と何も変わっちゃいない。イーグルスにも確かこんな歌詞の曲があったな。「DESPERADO」だったっけ。
何年はいつくばってみても、見つからないものは見つからないのかもしれない。

「探すのをやめた時、見つかることもよくある話で」。涙が出るほどいい詞だと思う。どこからこんな言葉を見つけてくるのだろう。陽水は25歳でこの曲を作ったのだ。

アンコール3曲目は先述の「傘がない」。歌の世界観が眼前に迫ってくるような重厚な演奏だ。外は雨が降っている。それでも「行かなくちゃ」という男のオブセッション。テレビではわが国の将来を論じている。新聞には若者の自殺についての記事が載っている。

ここで、ふと思った。彼はなぜ、テレビ番組の内容や、新聞記事、それも片隅の小さな記事の中身まで覚えているのだろう。そこまで考えたら、この歌に対する自分の今までの漠然とした解釈に、明瞭な輪郭が与えられたような気がした。この男はテレビや新聞をしっかり見ている。つまり、「行かなくちゃ」と言いながら、じつは行かれないのではないか。傘がないというのを口実にして、行くことを引き延ばしているのではないか。たとえば「君」が女性であるとしたら、「僕」と「君」の間にはおそらく、越えられない何かがある。それが「雨」という言葉で暗示されるものなのではないか―

考えているうちに、またよくわからなくなった。つかみかけたと思ったのは錯覚だったのかもしれない。

ラストは「いっそ セレナーデ」。「夢の中へ」で終わらせないあたりに、陽水のこだわりを感じた。ギターを置いて切々と、口笛も披露。最後はあくまで静寂のなかに。スタンディング・オベーションの拍手が鳴り止まぬ中、約2時間にわたり歌い続けた井上陽水は、ミュージシャンたちと並んで長いお辞儀をしてから、舞台の袖に静かに去って行った。

「アンドレ・カンドレ」名でデビューしてから40年。記念すべき年に初めて体験した井上陽水のライヴは、想像よりもはるかに活気があって、初参加でもかなり楽しめるものだった。マニアックでなく、みんなに開かれている。客層は幅広く、中高年に交じって若い女性の姿なども目立った。男女は半々くらい。そのなかで特におばさんたちが踊ったり歌ったり声を掛けたり、とにかく元気なのが印象的だった。

還暦を過ぎた陽水の歌声は、そりゃ昔に比べれば高音は伸びないけれど、その代わり、なのかはわからないが、ますます妖しい響きをもって、こちらに伝わってくるようだった。発せられる言葉の連なりはより滑らかに、そしていよいよ不明瞭になっていく。陽水はビートルズの「Ob-La-Di,Ob-La-Da」を聴いて、歌詞は中身よりもまず「響き」だと発見した、と何かで読んだことがある。不明瞭な歌唱は、そういう意味では彼の追い求める世界が完成形に近づいていることの証しかもしれない。それはともかく、井上陽水が40年かけて作り上げてきた世界は、ここにきていっそう深みを増しているのは確かだ。

「陽水の快楽」はこの先、どんな展開を見せるのだろう。たぶんこれからも独自の道を行くことをやめないであろう、この稀代の怪人の動向からは、当分目が離せそうにない。





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2009年11月19日

伝統と革新 吉田拓郎について

吉田拓郎の歌が七五調であることに気づいたのは、つい最近のことだ。そういう意識でいろんな曲を聴いてみると、拓郎の歌が一種の「型」に則って作られていることがわかる。「字余りソング」の意味を、自分は取り違えていたのかもしれない。あふれる言葉を勢いにまかせて歌にぶつける、そんなふうに漠然と思っていたのは誤解だった。いまさら恥ずかしいが、15年間聴いてきた吉田拓郎の歌の魅力とは自分にとって何であるのか、説明してみようと思う。

麦わら帽子は もうきえた
たんぼの蛙は もうきえた
それでも待ってる 夏休み

おなじみの「夏休み」という曲。音節に区切ると8と5の言葉の組み合わせが並んでいる。5番まである詞全部がこの法則で構成されている。メロディーに乗せると、帽子の「ぼう」や蛙の「かえ」は、ほとんど1つの音として歌われるので七五調と言うことができる。この、メロディーに乗せるというのがミソである。

昔から日本の歌は七五調だった。短歌や俳句は言うまでもない。メロディーのある歌謡曲や演歌の時代になってもそれは変わらなかった。歌謡曲や演歌を聴いていると、音と文字がほぼ1対1で対応しているのがわかる。つまり1つの音に1つの文字を乗せて歌われている。

七五調という点からみれば吉田拓郎の歌は、日本の伝統的な歌謡曲や演歌の系統にある。でも拓郎の歌はただの歌謡曲ではない。それは、「1つの音に1つの文字」という歌謡曲の昔ながらの原則の扱い方にある。拓郎はもちろんこの原則を知っている。原則という以上、守るべきものとして意識している。その上で、原則というしばりを逆手に取り、自分なりの新しい表現を作っていく。

吉田拓郎は、1つの音に2つ、といわず3つも4つも文字を乗せて歌っている。そうして3つも4つも乗せたフレーズが、歌ってみると、なんとか七五調になっている。七五調という形式は崩壊寸前のところで維持される。七五の7と5、合わせて12の音に、30文字くらい乗せることもある。でもそれはただ詰め込むのではなくて、この音には2文字、この音は思いきって5文字、この音は1文字にとどめる、この音は文字じゃなくて伸ばすだけ、というふうに、音に乗せる文字の配分は、注意深く計算されている。

ぼくのかみーがー かたまでのびて
きみとおなじにー なーったーらー
やくそくどおり まちのきょうかいで
けっこんしよーよー ンンーンー

「結婚しようよ」を歌ってみると、文字のつまったところと伸ばすところの配分、それから7音と5音の配分、それぞれにメリハリがあって、そのメリハリがリズムを刻んでいることがわかる。七五調でありながら、「1音1文字」でないリズムが独特の効果を生んでいる。

拓郎の歌は、大枠では七五調という形式を崩さない。その中にとどまっている。とどまっているけども、形式に忠実なわけではない。形式の正統的なものから、意識的に中身をずらす。そうすることで新しい表現を生み出していく。

「新しい」とは決して古いものを否定することではない。何もないところからある日突然、新しいものが生まれてくるのではない。創造の行為には所与の条件というものが必ずある。問題は、その時点で自分に与えられた条件に対してどのように対応するか、そこにかかっているだろう。吉田拓郎は、古い形式を否定したり乗り越えたりするのではなく、それをずらすことによって、自らの表現を獲得した。創造というのは案外、古いものの上に根差した行為なのかもしれない。

先日出た新譜のタイトルは『18時開演』という。今年のツアーの東京国際フォーラム公演の模様を収めたもので、歌だけでなくMCまであますところなく盛り込んだ「実況録音盤」である。ツアーは中断されてしまったけれど、このような形でライブが記録されるのは、ファンとしてはうれしい。この人のしゃべりの面白さは半端ではない。言葉の選び方や使い方はほとんど天才的といっていいだろう。それだけでも聴く価値はある。

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2009年11月02日

あの素晴らしい歌をもう一度

亡くなった加藤和彦さんが、こんなことを言っていました。

60・70年代のロックやフォークを聴いていると、歌っているアーティストの暮らしぶりまで見えてくる。

卓見だと思いました。ビートルズ、ディラン、ストーンズ、ジミヘン、CSN&Y、ツェッペリン・・・確かに聴いていると、歌っている彼らの表情や、態度や、生き様まで心に浮かんできて、そんな彼らのことをもっと知りたくなるような感じがして、彼らの作品をできれば全部聴いてみたい。そんな思いも湧いてきたりします。60〜70年代というのは、音楽がより直接的なかたちで自己表現に結びついていた、そんな幸福な時代だった、と言えるかもしれません。

加藤和彦さんがこう言ったのは、なぜ今、昔の音楽をやるのか、その魅力はどこにあるのか、という問いに対してでした。ご存知のように、ここ数年は、THE ALFEEの坂崎幸之助さんと「和幸」というユニットを組み、日本の70年代アングラフォークのパロディをやったりしていました。フォークソング全盛の時代に「PLASTIC ONO BAND」をもじって「サディスティック・ミカ・バンド」を作ってロックに走ったり、この人はどちらかというと、その時その時の音楽シーンに浸りきることなく、いつも周縁にいて、そこから時代の流れを見極めて、どんどん先に進んでいこうとする人なのですが、そういう人が近年は、フォークル再結成や「和幸」といった原点回帰とも見える活動をしていた、ということを、どう考えたらいいのでしょう。

確かに今、巷に流れている音楽からは、歌う人の姿や人となりまでは、なかなか伝わってこない気がします。いろんな人のいろんな歌が次から次に生み出されていく一方で、少し前の歌はどんどん忘れ去られていく。そんな今の時代にあっては、作り手や聴き手の歌に対する思い入れなどというものは、ただ邪魔になるだけのものなのかもしれません。

このような時代の流れを前にして、加藤和彦さんが今度はどのような道を選ぶのか、もう少し見ていたかった。60・70年代に回帰するのなら、ただ「昔はよかった」というのでなく、今、あえてなぜ昔の音楽なのか、ということを、理論として示してほしかったと思うのは、私だけでしょうか。

さて、日に日に寒くなるこの季節。心も体も温まるような音楽を聴きたいものです。私なりの、深まる秋にこの2枚。

*リンダ・ロンシュタット『HEART LIKE A WHEEL』(1974)

僕はもう、この人の声に恋しちゃってるのです。色気があって、優しくて、柔らかくて、それでいて力強くて、包容力があって。クルマでいえば、低中速のトルクが豊富なエンジンのイメージ(よくわからない例えですが)。キンキンと尖ったところが少しもない、丸みを帯びた声がなんとも心地良いのです。その声で、トラディショナルなカントリーやブルース、50〜60年代のR&Rといった過去の名曲を掘り起こして同時代の歌として甦らせるかと思えば、ストーンズやニール・ヤング、ジャクソン・ブラウンやジェームズ・テイラーなどの曲を、まるで始めから自分の歌であるように、少しの違和感もなく、あくまで自分らしく歌う。この人が歌えば全部それはリンダの歌なのであって、古いとか新しいとか、そんなことはどうでもよくなるのが不思議。プロデューサーのピーター・アッシャーの手腕でしょうか。バックの音がまた素晴らしい。西海岸のそうそうたるミュージシャンが固めています。初期のアルバムに参加していたドン・ヘンリーやグレン・フライが、リンダのバックを務めたことがきっかけになってイーグルスを結成したことは有名な話です。80年代以降はジャズの方にシフトして、現在までシンガーとして活躍しています。最近はまたドリー・パートンなどと組んで、カントリーやロック・ポップスなども歌っているようです。「西海岸の歌姫」といわれ、ミック・ジャガーなどと浮名を流したころのコケティッシュな容貌はさすがに今は…これはもう仕方のないことですが、声の張りなどは今でもあまり変わっていなくて、もう還暦ぐらいのはずですが、これはすごいことだと思います。70年代のアルバムでは現在、『SIMPLE DREAMS(夢はひとつだけ)』のみ国内盤が出ています(要確認)。


*ダイアン・バーチ『BIBLE BELT』(2009)

キャロル・キングやローラ・ニーロの再来と言われるシンガー・ソングライター。NYを拠点に活動する20代で、今年全米デビューした新人です。彼女の歌を聴いていると、洗いざらしの着慣れた服のような手触り感のみならず、声やバックの音まで、『つづれおり』そのものという感じがします。日々の生活のなかで、思ったこと感じたことを、肩肘張らず、素直に書き留めたモノローグ。言葉の断片や音の端々から浮かび上がってくるのは、冬のNYの街角の情景。都会に生きる1人の女性の姿です。ベレー帽にトレンチコート姿のジャケット写真は、リッキー・リー・ジョーンズ? アレサ・フランクリンを彷彿とさせると評したメディアもあったようで、そういえば確かにゴスペルやソウルの匂いも漂っている。ミシガン州で生まれた彼女は、宣教師の父の仕事の都合で、幼い頃からアフリカやオーストラリアを転々としたらしい。ライナーノーツによれば、彼女は13歳で帰国するまで、音楽といえば聖歌やクラシックという、どちらかといえば浮世離れした環境で育ったといいます。そうした子ども時代を経てから初めて出合ったアメリカのポピュラー音楽。さまざまなジャンルの音楽に熱中するなかで、やがて彼女は、シンガー・ソングライターという表現形式を、自ら選び取ることになります。今を生きる自分のアイデンティティを、シンガー・ソングライターという、いかにも70年代的なスタイルのなかで、どのように表現に結びつけていくか。このデビュー・アルバムのタイトルには、そのような彼女なりの思いが込められているようです。
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2009年09月01日

夏の終わりの井上陽水

R0010866.JPG曖昧なまま始まり、なんとなくそのまま終わろうとしている今年の夏をそれでも惜しみながら、聴く音楽は井上陽水である。

一番好きなのは『陽水U・センチメンタル』。1972年発表、陽水2枚目のアルバムだ。当時24歳の彼が、故郷の北九州・田川への思いを綴った作品である。

デビュー作『断絶』に始まり『センチメンタル』『氷の世界』『もどり道』『二色の独楽』と続くポリドール時代の初期5作品には、その後の作品ではどんどん希薄になっていく陽水自身の生の声がまだ濃厚に残っていて、それは、この世界と自分との距離感を測りかねている、というような迷いであったり、戸惑いであったりして、そういう意味で、80年代以降の洗練された曲の数々から比べれば荒削りな楽曲が多いわけだが、それはそれで面白く、魅力的な歌の数々である。

「夏まつり」や「帰郷」など、涙なくしては聴けない曲の合間に、「能古島の片想い」や「白いカーネーション」など、思わず抱きしめたくなるようなメロディがちりばめられる。いつ聴いても、何回聴いても飽きないし、もし無人島に1枚持っていくとしたら、たぶんこの中のどれかを選びたくなるというような作品なのだ。

時代とともにしなやかに形を変えていくところが陽水の音楽の魅力だと竹田青嗣は言っていたように思うけれど(『陽水の快楽』)、そんな変幻自在な陽水の音楽にも、変わらない「核」の部分があると思う。

井上陽水の「核」とは何か。言うならばそれは「傍観者の視線」だ。陽水の音楽は、あまりフォーク的ではない。70年代に活躍した同時代のミュージシャンの中で、彼はちょっと浮いている。あるいはズレている。それは彼が、どこまでも「見る人」だからだ。

たとえば恋愛を歌うとする。人を好きになることの喜びや悲しみ、あるいは苦しみとか、いろんな感情があるけれども、フォークの人ならば、そういう諸々のことを感じる「自分」をまず歌うだろう。資本や体制のお仕着せでなく、自分の言葉で表現するというのが「フォーク」だったのだから、それは当然だ。

井上陽水もまた自分の言葉で歌うには違いないのだが、この人の場合、その「自分」が、歌の中にはいない。どこか別のところにいて、人の動き、心の動きをじっと観察している。だから自らの恋や愛を歌っても、それはいつも他人事のように響く。対象との距離の取り方という点で、徹底的にクールなのである。熱くたぎる感情はないかわりに、その言葉は異様なほど美しい。周囲との関係性を断ち切って傍観者に徹する姿勢は、修行僧のようにストイックで、選ばれる言葉にはスキがない。

有名な「傘がない」という曲にしても、あの時代や社会の状況を歌で表現しようとか、そういう意識は全くなかったと本人も言っているけれども、その言葉はたぶん信じていい。あの時この人は本当に、傘がなくて困ったのだと思う。だからそれをそのまま歌にした。ただその中に、恋人や友人や、社会や時代や、そういう何かとの具体的な関係性を言葉として持ち込んでいたら、結果的にひとつの時代を象徴するような、あのような歌にはならなかったはずだ。

どこまでも「見る人」であって、「行動する人」ではないこの人が紡ぎ出す言葉は、けっして甘くない。だからこそ、賞味期限切れすることなく、時代を超えて生き残るのだと思う。

ポリドール時代の初期作品にもそのようなスタイルは貫かれているのだが、まだそれを確立するには至っていない。ストイックな言葉の連なりのなかに、ときどき素の「自分」が顔をのぞかせる。「自分」をどこに置いていいのか、まだ少し迷っている。自覚的にではなくて、世界との距離を測りかねて、やむなく傍観者に甘んじているというところがある。聴く側としては、そこに感情移入できる余地がある。80年代になると、そういう迷いはなくなって、聴く側の感情移入を許さない歌は、どんどん抽象性を高め、ますます美しさに磨きをかけていくのだが。

こういうことは、この人が「アンドレ・カンドレ」という名前でホリプロからデビューした(「カンドレ・マンドレ」という曲で)経緯とか、筑豊で育ったという出自とか(先週NHKで4夜連続の特集番組をやっていた)、実家の歯科医院を継ぐために受験したけど3回失敗して、それが家族との関係にどう影響したかとか、いろいろなことを勘案した上で論証したら、もっと面白くなるかのもしれないが、長くなるので(もう十分長い)、ここではやめておこうと思う。

追記
3枚目のライヴアルバム『もどり道』は必聴。80年代以降のイメージからは想像し難いが、陽水のアコギ弾き語りはなかなかのものだ。その演奏もさることながら、このアルバムの一番の聴き所はMCである。あの「人生が二度あれば」の演奏前、直前に父を亡くした陽水が思わず泣き出してしまうところを、殊勝にもこの「実況録音盤」は逃さず記録している。
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2009年07月10日

たたかい続ける人の心は、誰にもわからない

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吉田拓郎が、全国ツアーを中断した。

全10公演の5ヵ所目となる大阪のコンサートが開演直前に中止となったことを知ったのは、当日の7月8日の夕方、中之島を歩いているときだった。会場の「グランキューブ大阪」まであと10分というところで、待ち合わせていた友人から連絡があった。

「拓郎ツアー体調不良で中止だ」。連絡を受けて心配になった。というのも、拓郎は2年前にも同じ理由で全国ツアーを途中で取りやめているからだ。あの時は取っていた2ヵ所のチケットが払い戻しになった。そういうこともあって、驚きや残念という気持ちよりも「大丈夫なのか」という心配の方が先に来た。倒れたりしたのだろうか。ガンの影響はどうなのか。考えれば考えるほど不安が増した。ともかく先を急ごう。会場に行けば何かわかるかもしれない―

「生涯最後の全国ツアー」と銘打たれた今回のツアー。自分にはもう全国を回りきるだけの自信がない。無理すればできるかもしれないけど、無理がたたればできなくなるかもしれない。そんな状態で続けることは結局、人に迷惑を掛けることになる。そういう姿勢はプロとしてふさわしくない。拓郎は今回のツアーを始めるにあたって、そう説明した。日本で「全国ツアー」を始めた人の言葉だから、説得力があった。

ようやく着いた会場は、ごったがえしていた。中止を告げる電光掲示板の前に人だかりがしていて、何かと思ったら、それを携帯カメラに収めているのだった。ホールの方ではグッズ販売のみ行われているという。「そんな場合か」と思ったが、行ってみると長い列ができていて、結構みんな楽しそうに買い物している。友人と落ち合い、私もその列に並ぶことにして、Tシャツを買った。しかし結局、会場では「体調不良」の詳細にかかわる情報を得ることはできなかった。

ぽっかり空いた穴を埋めるように、その夜は鶴橋で飲んだ。振り返ってみれば、学生時代にこの人の歌を聴き始めて15年。その間、他の人のいろんな音楽も聴いていたが、不思議と拓郎の音楽だけは、15年の人生に寄り添うように、一度も離れることがなかった。

それはたぶん、この拓郎という人が、その時その時の彼自身の「現在」を歌にしてきたからだと思う。20代の時は20代の、30代では30代の、40代では40代の歌を。吉田拓郎が40年間のキャリアのうちに残してきた音楽は、彼の人生の軌跡としてある。だから、聴く者は、自分の年齢に合った「吉田拓郎」を選べばいい。自分が学生時代にひかれたのは『元気です』をはじめとする70年代の若い拓郎の歌だったし、そこからだんだん歳を重ねるにつれて80年代の作品に共感を覚えるようにもなった。

2009年の吉田拓郎が63歳の今の思いを込めた『午前中に…』というアルバムを聴いたとき、自分のこのような解釈が間違いではないことを確信した。コンセプトは「がんばらない」こと。明らかになにがどうというわけではないけれど、身体が動かなかったり、心がときめかなかったりすることがある。以前はそういう自分を歯痒く思ったりもした。でもそれは結局、自分を追い込むことになる。もういい、あるがままの自分を受け入れよう―

これはつまり「老い」に向き合う60代の男の姿ということだろう。歳をとるということはどういうことか。思うように身体を動かせないとき、その人はそういう自分の状態についてどう思うのか。

そういうことについて、これまで私は、あまり真剣には考えてこなかったように思う。老いというのは克服すべきもので、いつまでも若いのが良いことであって、そのために金を払い、人は努力する。「アンチエイジング」が繁盛する世の中。「若さ」が標準とされるこの国の「高齢化社会」の価値観に、自分も何となく流されていたかもしれないと思った。

63歳にして、まだ世に問うことがある。すごいことだと思う。それは歌手として、拓郎がいまなお、「現在」と真摯に向き合っていることの証しではないか。かつて「青春」の象徴のような存在としてあった吉田拓郎が「老い」を歌う意味は、けっして小さくない。

30代の私には、どうしたって63歳の気持ちはわからない。でも歌や話を通じて想像することはできる。音楽が世代を超えるというのは、そういうことでもあるのだ。

具合が悪ければ延期でも中止でも、遠慮なくすればいい。何があってもファンはついていくだろう。今までと同じように、これからも拓郎の音楽を聴き続けるし、拓郎のやり方を受け入れるだろう。

とりとめもなくそのような話をしているうちに、鶴橋の夜は更けていった。外に出ると、雨が降っていた。飲み屋街のネオンが少しにじんで見えた。

◆追記
吉田拓郎の体調不良は風邪から来るもので、2週間の安静が必要とのこと。全国ツアーは大阪を含め4公演が取りやめ、払い戻しとなった。最後の2本はまだ中止にはなっていない。今後どうなるかわからないが、「がんばらない」で続けられるのであれば、最後を締めてほしいと思う。



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2009年06月01日

Westcoast1971

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結婚というのもいいものかもしれない、と思うことはないわけでもなくて、それはたとえばヴァン・モリソンの「テュペロ・ハニー」を、久しぶりに棚から引っぱり出してきて、聴くようなときだったりする。

1971年発表のこのアルバムは、ヴァンのソロ4作目。当時26歳の彼は、結婚したばかりだった。相手は、ジャネット・プラネットという女優で歌手。アメリカでのツアー中に知り合ったという。サンフランシスコ郊外の田舎に2人で移り住み、活動の拠点も西海岸に移して、新しい生活を始めようという時に作られたのが、この作品である。

家族への愛と新生活への期待。アルバムには、彼の喜びが、あふれんばかりに凝縮されている。「STARTING NEW LIFE」や「YOU'RE MY WOMAN」など、タイトルだけをみても、聴いているこちらが気恥ずかしくなるほどストレートに、彼は自分の幸福を謳いあげている。声高に叫ぶのではない。アコースティックなカントリー・サウンドに乗せられる彼の歌声は、あくまで穏やか。だからこそ、しっかりとした確信のようなものが、心地よい余韻を伴って、こちらに伝わってくる。

ジャケットには、白い馬に乗った妻と、彼女を見守るように寄り添うヴァンの姿。森の小道を歩く彼らを、やわらかな木もれ日が、包み込むように照らしている。一緒に手を取り合って、新しい道へ踏み出そう。虚飾を脱ぎ捨て、自分たちのペースで進んでいこう。2人は、そんなふうに語らいながら、歩いているのだろうか。

哲学的風貌と難解な歌詞で、屈折とか懊悩とか、そういうイメージの強いヴァン・モリソンだが、このアルバムの中の彼は、子どものように朗らかで、素直だ。あるいは、そういう重厚な作品世界だからこそ、この「テュペロ・ハニー」のもつ明るさが、より際立つのだといってもいい。

ここには妻のジャネットも、コーラスとして参加している。これがまた、なんとも美しく、芯の通った、温かい声なのである。その声を支えに、ヴァンの縦横無尽なヴォーカルが重ねられていく。それはまるで、優しい母に見守られながら、安心してはしゃぎまわる子どものような、イノセントな歌いっぷりだ。

アイルランドに生まれ、「ゼム」というバンドで若くして成功を収めたヴァン・モリソン。アメリカでの家族との暮らしは、十代の時から音楽業界で揉まれ続けてきた彼に、初めて訪れた安息の日々だったのだろうか。

40年前に育まれた、ある夫婦の幸福の余韻が、このアルバムには残っている。そしてそれはいまでも、聴く者を暖めてくれる。こんな奇蹟のような作品を前にして、心を動かされない者はいないだろう。とくにそれが一人で生きている人であったりする場合には。
posted by Dandelion at 03:59| Comment(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする