2015年06月16日

夜間走行 COURSE DE NUIT

RIMG5354.JPG

草原の向こうに見える戸隠の山並みが、薄暮のなかに陰影を深めつつあった。善光寺平から、信濃町の野尻湖へ向けて、はるばる自転車で上ってきた彼は、あたりの静けさと、雲間から漏れ出た輝きが描き出すひだのあらわれに、夜が近づいたと知るのであった。

「あの坂を上れば神社のはず。そろそろ水分補給してはいかが」
めまぐるしい上り下りの連続。2時間の苦闘の末に到達した戸隠神社中社は、昼と夜との国境に位していた。ここから先は、暗闇の神秘な世界が待っているのだ。

「もう前がほとんど見えなくなった。点灯だ」
夜はすでに、地表から煙のように立ち込めて、山間を満たしていた。小休止の10分間が過ぎ、また出発しなければならなかった。もはや空と森と路面の見分けもつかないほどだったが、彼は不安を感じなかった。あらゆる事物の境界を溶かしてしまう闇の世界にいざなわれるように、彼は再び坂を上り始めた。

奥社入り口を過ぎると、道はやがて直線になり、ゆるやかに下り始めた。すっかり山を覆いつくした巨大な夜の真っ只中で、彼は前傾を深め、ペダルを力強く踏み込む自分の姿を見いだした。そして、この無機質なカーボンフレームの中を流れる生命を感じた。自分の肉体が機械と同調し、躍動している。彼は自分だけのコスモスを打ち立て、そこに通用する神秘な原理に身を委ねた。

15キロの下りを終えようとするころ、行く手に街の光が広がった。彼は、夜の大海の中にいて、あの呼びかけ、あの灯り、あれが人間の生活だと知るのだった。あの家々の住人は、灯りが自分たちの家族を照らすだけだと思っている。彼らは知らないだろう。街から遠く離れたこの山の中で、その光の呼びかけを感受する心があることを。


【ルート】
長野市街
17:30発
 ↓
国道406号(鬼無里街道)
県道76号(長野戸隠線)
 ↓
長野市芋井
18:30着
 ↓
県道453号(飯綱高原芋井線)
県道506号(戸隠高原浅川線)
 ↓
長野市戸隠
戸隠神社中社
19:20着(小休止)
 ↓
県道36号(信濃信州新線)
 ↓
上水内郡信濃町
 ↓
国道18号(北国街道)
 ↓
野尻湖
20:10着(小休止)
 ↓
新潟県妙高市
妙高高原駅
20:40着
しなの鉄道(輪行)
21:51発
 ↓
長野駅
22:32着

51.94km
780.4kcal
posted by Dandelion at 09:15| 長野 ☁| Comment(0) | 自転車 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月02日

1時間20分の壁

048.JPG


 8月最後の土日といえば、全日本マウンテンサイクリングin乗鞍。

 6月以降は月平均約700キロ走り込み、ペダルをSPD-SLに替え、スネ毛まで剃って(自転車選手の慣例なのだ)、万全の態勢で挑んだ今年の大会だったが、記録は期待したほど伸びず、結局、昨年のタイムをわずかに16秒更新、目標の1時間20分には依然2分ほど届かず、というなんとも悔しい結果に終わった。

 自己新とはいえ、今年の涼しくて走りやすいレースコンディションを考慮すれば、この結果はほとんど後退といえるものであり、とうてい笑って受け入れられるものではない。

 敗因はいくつか考えられる。

@8月中旬から雨で走れない日が続き、直前の調整が不十分だった

A練習量を増やしたにもかかわらず体が絞れなかった

B300人一斉スタートの並びが最後方になってしまった

Cきつい勾配でダンシングをうまく生かせなかった

D輪行で現地に向かった前日、新島々からのバスに乗りそびれ、仕方なく松本駅から乗鞍観光センターまでタクシーを使ったら1万5000円もかかってしまい、そのショックが尾を引いてしまった

Eひさしぶりに会った松本の先輩を含め、同宿の3人で旧交を温めていた前日の宿で、レースの集合時間が6時、朝食が4時半というタイトなスケジュールにもかかわらず、午前0時半まで飲んでしまい、睡眠不足が尾を引いてしまった

F善光寺近くの行きつけの天神さまに必勝祈願したものの、たまに思い出したようにお参りするだけでは御都合主義と思われても仕方なく、やはり信心が足りなかったのかもしれない

 とはいえ、このようなことは言ってみればある程度織り込み済みで、走り込みによる地力の増強と、SPD-SLペダルによる効率的な力の伝達と、ツルツルのスネによる空気抵抗の低減によって十分にカバーされるはずであった。

 その見立てがつまり、甘かったということなのだろう。乗鞍では1時間20分を切ればチャンピオンクラスで走ることができる。このタイムは要するに、本気と遊びのボーダーラインなのだ。

 フィジカルな実感としては、まだ伸びしろはある。問題は「遊び」の領域を越えて、「本気」モードに分け入っていく気があるかどうか。そこが問われているのだと思う。

 年に一度、こうやってみんなで集まってひとつのことに取り組む機会を持てることは社会人としては貴重だし、精一杯楽しみたいと思う。だから、せっかくの夜を、レースがあるからといって9時に寝てしまうというのは、やっぱり趣旨に反する気がする(ほとんどの参加者は実際に9時には消灯。何が楽しいのだろうと思う)。その一方で、個人的には自分の限界に挑戦したいという野望も捨てきれない。

 この二律背反。「遊び」と「本気」を何とか両立させる道はないものだろうか。いずれにせよ、来年に向けて、抜本的に対策を立て直さなければならないことは確かだ。


014.JPG
posted by Dandelion at 09:37| 長野 ☁| Comment(0) | 自転車 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月23日

そして自転車は行く

 自転車ロードレースの真髄は、「移動」にある。競技場ではなく公道を、ひとつの町から次の町へ、何時間もかけて走って行くその道のりには、さまざまなドラマが生まれる。山あり谷あり、晴れたと思えば雨も降り、暑さにあえぐ日もあれば寒さに震える日もあり、追い風に助けられる時もあれば逆風が吹くこともある。そのような自然条件のなかで選手たちはぎりぎりの駆け引きをしながら、100`200`先のゴールを目指してひたすら走り続ける。このスケール感が、見る者の心を打つのだ。日本ではクリテリウムと呼ばれる周回コースによる競技がほとんどだが、町から町へ移動するコースが設定された大会もわずかながら存在する。ロードレース本来の醍醐味が味わえる貴重な機会を求めて、そんな大会のひとつ、「ツール・ド・北海道」の現場を訪ねてみた。

 9月19日。早朝便で札幌に到着した私は、さっそく支笏湖に向かった。大会は今日が4日目。室蘭から恵庭まで、3つの峠を越えて行く169`の山岳ステージである。支笏湖畔の国道453号線がコースになっており、レースの終盤にさしかかるころ、選手たちがここを通過することになっている。
 16日に開幕した今年の大会の舞台は、道南と道央だ。函館のプロローグ、北斗市から寿都町までの第1ステージ、倶知安町での第2ステージ、そして今日の第3ステージを経て、札幌の公園内クリテリウムでゴールを迎える。
 支笏湖は霧のような雨に包まれていた。時刻は午前10時40分。カレンダーは3連休の2日目だが、私の連休はまだ始まったばかりだ。ホームページの情報では選手の通過予定時刻は12時10分から45分の間ということだった。確かめようと現場のインフォメーションを探してみるが、どこにも見当たらない。その代わりというか、駐車場の一隅に、レースジャージに身を固めたサイクリストが100人ほど集まっているのが見えた。ツール・ド・北海道ではメインのエリート選手のレースの前に、同じコースを一部使った市民レースが行われる。その選手たちがスタートを待っているのだった。
 小ぢんまりした湖畔の観光エリアに並ぶホテルや土産物屋をひと通り見て、湖岸に出る。恵庭岳には白い雲がかかって上半分は見えないが、さすがに雄大な眺めである。観光船乗り場の裏に桟橋が延び、その傍らの岸辺にはたくさんの貸しボートが係留されていた。ほとんどが白鳥型の足で漕ぐ、例のタイプである。懐かしい風景だが、さびれた感じではなかった。午後になればきっと多くの人でにぎわうのだろう。
 森林鉄道の遺産だという赤い鉄橋を渡ったり、環境省のビジターセンターをのぞいたり、あれこれしているうちに昼が近くなり、気がつくと雨はやんでいた。所々途切れた雲の間から薄日が差している。歩いている人の姿も目立って増え、一帯はにわかに観光地らしくなった。
 ここの名産だというヒメマス料理とはどんなものかと、食堂に入って塩焼定食を注文したら、今はもう冷凍ものしかないと聞かされる。漁期は決まっており、シーズンは8月いっぱいということだった。塩焼き以外に、申し訳程度のご飯と、おまけ程度のおかずが付いて2100円。どうせ味の区別などつかないのだから、どうせなら今朝のとれたてだよと言い張ってほしかった。 
 
 12時。いよいよと気を引き締め、道路に向かう。市民レースのスタート後は閑散としていた国道だが、ここに来て、心なしか張りつめた空気が漂っていた。大会名入りの黄色いゼッケンをつけた監視員が10bほどの間隔で並び、あちこちから無線交信の声が聞こえてくる。「だいたい12時20分くらいと聞いてますが」と監視員のおばさんは緊張の面持ちで教えてくれた。
 まだ時間がある。どうせ見るならと湖岸沿いの開けた場所に移動することにした。さっき湖畔に出た時、遠くの方に見えた場所だ。左に大きくカーブを描きながら下る国道を10分ほど歩くと、果たして湖岸にぶつかった。ここから道は右に大きく曲がり、岸に沿って続いている。
 後ろから次々と一般の車が走って来る。まだ交通規制は始まっていないようだ。見やすい場所を求めてなおも歩いていくと、道端に点々と、立っている人が見えた。首に下げているのは望遠付きの一眼レフ。先客である。待避所に停まっているのは彼らの車らしかった。
 数人の先客たちに適当な距離を置いて撮影ポイントを定めた。あとは待つだけだ。12時30分。おばさんが言っていた通過予定時刻を過ぎている。しかし選手たちが見えるはずの方向からは、まだ一般車が次々と走って来る。何台か通り過ぎ、途切れたと思うとまた数台。じりじりしながら、来たるべき瞬間に備える。シャッタースピードと露出の数値はこれでいいか。逆光気味な構図をどうするか。何度も確かめる。一眼レフでなくても、できることはある。調整できるものはしておこう。チャンスは一瞬で通り過ぎてしまうのだ。撮影は必ずしも目的ではないはずだったが、なぜかカメラマン気取りでそんなことを考えてしまう自分がおかしかった。
 12時50分。一般車が途切れた。いよいよか。車のライトが見えた。やっと来た。カメラを構える。車が近づく。白のスバル・インプレッサ。あれ? 車は1台きり。屋根の上に何か看板が。選挙カーか。風に乗って何か聞こえる。女の声。スピーカーだ。「10分後に自転車の集団が来ます。みなさん、選手たちに温かい応援をよろしくお願いします」。屋根の上にも同じ文句が書いてある。「こちらは、ツール・ド・北海道の広報車です」。通り過ぎざまにそう名乗って、スバルは猛スピードで走り去った。
 あと10分。胸が高なる。それにしても遅れている。ペースが上がらないのだろうか。一般車がまた何台か通り、緊張が途切れる。交通規制はいったいどうなっているのか。落ち着け落ち着け。煙草に火をつける。何度か煙を吸い込むうちに、心のざわめきがゆっくり引いていった。と同時に、あたりの風景もまた、しんとした静寂に包まれていることに気がついた。車が消えた。風にそよぐ草の音がはっきり聞こえる。来るな、と思った。先客がカメラを構え始めた。急いで煙草の火を消し、私もカメラを構えた。
 12時57分。見えた。今度こそ、そうだ。左手の坂から、集団がカーブしながら下りて来た。馬の群れのようだ。土埃が見えた気がした。集団は大きくない。数人だ。5人くらい? いや10人近くいる。ディスプレー越しなのでよくわからない。遠近感があいまいだ。集団が急速に大きくなる。引きつけて引きつけて…そこ! シャッターを切る。ディスプレーから目を離すと、そこにもう集団の姿はなかった。

 

 嵐のように集団が通り過ぎた道端で、しばらく呆然と立ちつくしていた。集団が何人だったか。どんなジャージの選手がいたか。何ひとつ思い出せなくて、愕然とする。私は一体、何を見ていたのだろう。思い出せないというよりも、見ていなかったという方が正しいかもしれない。
 3分後。第2の集団が通過。こちらはかなりの人数だ。選手たちは横に広がらず、集団は前後に長くのびている。スピードが上がっている証拠だ。最初に通り過ぎた何人かの逃げをつかまえるべく、追撃態勢に入っている。ブリヂストン・アンカー、クムサン・ジンセン・アジア、宇都宮ブリッツェンなど、見覚えのあるジャージは目につくが、その選手が誰であるのかまではわからない。見た感じでは時速50`近くは出ている。こんどはカメラ越しでなく肉眼で見ようと目を凝らしたが、よほど動体視力に長けてでもいない限り、選手の識別など到底できそうにない。



 大集団の横をカメラバイクがものすごいスピードで走り、後ろには屋根に自転車のフレームを載せたチームカーが何十台も数珠つなぎに続いた。「アラビアのロレンス」のキャラバンさながらの壮観な眺めに、撮影するのも忘れて目を奪われていた。通過するのに1分ほどかかったろうか。我に返った時には、上空に轟音を響かせていたヘリもいつの間にか消え、国道は再び静寂に包まれていた。
 
 終わった。深く空気を吸い込んで、ゆっくり吐き出した。
 私はここで何をしていたのだろう。何を見ていたのだろう。頭の中は、嵐が過ぎ去った後のように、散らかったままである。ばらばらに残されたイメージの破片を整理する気にもなれず、ただ立ち尽くしていた。
 帰るか。
 撮影画像を確かめもせずカメラをかばんにしまうと、私は湖畔の観光エリアに向けて歩き出した。 さっきよりいくぶん強くなった湖岸の風の音が、さらさらと耳に残った。


P.S.
 後で調べたところによると、この時の先頭集団は以下の8人だったようだ。

 柿沼(宇都宮ブリッツェン)
 畑中(シマノレーシング)
 宮沢(TEAM NIPPO)
 井上(TEAM NIPPO)
 盛(愛三工業レーシングチーム)
 狩野(チームブリヂストンアンカー)
 吉田(鹿屋体育大)
 福島晋一(クムセン・ジンセン・アジア)

ちなみにこの第3ステージで優勝したのは山本(鹿屋体育大)。つまりこの8人の逃げは成功しなかったということになる。
posted by Dandelion at 10:36| 長野 ☀| Comment(0) | 自転車 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月02日

苦闘の報酬

毎年8月最後の週末に行われる「全日本マウンテンサイクリングin乗鞍」は、日本でも有数の自転車イベントである。標高1460bの乗鞍高原から2700bの山頂、畳平まで、一気に駆け上がる21`のコースに、例年4000人を超す参加者が挑戦する。

このヒルクライム・レースに3年ぶりに参戦した。
今回で3度目、2006、2007年に続く参加である。

ともに走る仲間は4人で、僕のほかには、職場の先輩Mさんと、1年半前に転勤したSさん、そして元同僚で現在は大阪で働いているMar君である。ほんの数年前まで同じ職場にいた4人だが、1人、また1人と出て行き、それぞれ少しずつ、歩む道を異にしている。そんな仲間が久しぶりに集まった。

イベントは8月28・29日の2日間。レース前日の28日は受付の日だ。各地から合流した4人は、同じホテルの同じ部屋に泊まり、旧交を温め合った。本気モードの参加者は、レースに備えてもう10時ごろには就寝してしまうのだが、われわれの場合、そんなにもったいない時間の使い方をするわけもない。食事をして温泉に入ったあとも語らいは尽きることなく、結局、寝たのはホテルが静まり返った午前0時すぎだった。

29日の朝はすぐにやってきた。5時ごろ目覚めると、まだ日の出前にもかかわらず、ホテルの外にはレースジャージに身を固めたたくさんの選手たちが、もうウォーミングアップを始めていた。十分寝たとは言えないが、そこは山の朝。ひんやりとして、すがすがしい。睡眠不足の不快感は少しもない。

朝食の後、ちゃちゃっと身支度を済ませ、5分ほどで会場に着く。何よりも近いのがありがたい。思えば前回の宿は、会場から1`ほど下ったところのペンションで、スタート地点に上ってくるのが大変だった。

7時から開会式があり、7時半にはもう、チャンピオンクラスのスタートでレースの幕が開く。乗鞍観光センター前の広場は、色とりどりのジャージを着た選手たちがひしめき合っていた。配られた名簿によると、今年の参加登録者は、ロードレーサーの部だけで男女合わせ4511人。MTBの部を含めると5000人を超えている。

005.JPG

一般レースは年齢別になっている。4人で記念撮影などしているうちに、スタート時間が近づいてきた。40代クラスのSさんとMさんは、僕らの一足先にスタートする。健闘を誓い合って別れ、それぞれの集合場所に並んだ。

さすがにここまで来ると、気分が昂揚してくるのか、Mar君の口数が少なくなった。SさんMさんが出発した約10分後、いよいよ出番である。ぼくらのクラスは参加者が600人以上もいて、2回に分けてスタートすることになっている。とはいえ、300人もいっぺんに出るわけで、あえて前に出ることもしなかった2人は、ほとんど最後尾にいて、前方に連なる壮観な人の列を眺めていた。

「緊張すんなあ」
「完走しろよ」

一言二言交わすやいなや、号砲が鳴り、たちまちMar君は見えなくなった。ここからは一人、対話の相手は自分しかいない。性根を据えて、坂道に取り組まねばならない。

朝の冷気が残る山林の道を、ペダルを踏みしめ上っていく。勾配には強弱のメリハリがあり、急なカーブを上った後には、平坦に近い直線がしばらく続くので、そこで一息つくことができる。美ヶ原などとは比べものにならないくらい、上りやすい道だ。緑を帯びた木漏れ日のなかを、どこまでも続く自転車の列。それにしても、いい天気である。

013.JPG

30分ほどで、第1チェックポイントの三本滝を通過。飲み物を受け取り、少し気分がリフレッシュする。Mar君はついてきていないようだ。

三本滝を過ぎてまもなく、一気にコースの難易度が増した。急なカーブが次から次へと、休む間もなく現れる。きつい。展望がない。あそこまで走れば楽になれる、という励みがない。下を向いている時間が長くなり、余裕が失われていくのがわかる。脚は大丈夫なのに、息が切れ、腰が痛くなる。

ふと、聞き覚えのある声がした。振り返ると、Sさんだった。姿は見えるが、近づくことができない位置だ。「がんばれえ」。励ましてくれた。でも答えられない。そんな余裕がない。あいまいにうなずいてみせるしかなかった。申し訳なかった。とにかく前に進むしかない。

「右通りま〜す」と叫びながら、後ろから速い選手が追い抜いていく。後からスタートしたクラスの連中だ。ただでさえ密集した自転車の群れの中を、後ろから来る彼らに気を使いながら走るのは、骨が折れる。なんとなくコースをうまく取れないまま、だらだらと走ってしまう。失ってしまった自分のリズムを、なかなか取り戻すことができないのがもどかしい。

嵐のようなつづれ折りをなんとか越え、第2チェックポイントの位ヶ原山荘に到達する。自転車を降りないというのを今回、目標の一つにしていたので、「あと5`、あと、たったの5`」と、すり減った心に言い聞かせて、自分を奮い立たせる。飲み物をもらう余裕もなく、通り過ぎた。

標高2000bを越えたあたりで森林限界を過ぎ、視界が一気に開けた。緑の潅木が一面に広がり、山の頂がすぐそこに見える。道の勾配もいくぶん緩くなり、張り詰めていた弦が緩むように、心が和らいでいくのがわかった。こういう場面に出合うと、自転車というのは精神のスポーツなのだなあと、つくづく思い知らされる。

見覚えのある大雪渓を右手に見て、今年も来たのだという実感がどこからか、ふつふつと湧いてきた。感慨の泉に渇いた心をうるおしながら、最後の直線はダンシング(立ち漕ぎ)で頑張る。「あと少し、あと少し」。ゲートが見えた。あそこを左に曲がると最後の坂があって、そこを上がるとゴールだ。残る力をすべて脚に集中し、意識を失う寸前で、フィニッシュ。最後まで乗り続けることができた。3回目の挑戦で初めてである。自転車を降りると、立ちくらみがした。

畳平の駐車場に自転車を置き、息が整ってからあたりを見渡すと、標高2700bの眺望が鮮やかなイメージをともなって、視界いっぱいに広がった。

別天地だ…

抜けるような青い空をさえぎるものは、何もない。穂高連峰も槍ヶ岳も、北アルプスの山々が、その端麗な容姿を、余すところなく見せてくれている。

021.JPG

「上ってよかった〜」

心の底から、そう思った。
この日のこの瞬間のために、僕は走ってきたのだ。

苦しみはいま、報われた。

3年前の自己記録を8分更新。そんなうれしいおまけもついた。

畳平の売店でソフトクリームを買い、みんなを待った。
ベンチに腰を下ろし、冷たいご褒美をゆっくり味わう。

何ものにも代えがたい達成感が、クリームの甘さとともに、火照った体にじわじわと広がっていった。



posted by Dandelion at 03:45| 長野 ☀| Comment(0) | 自転車 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月23日

トゥールマレーの一騎打ち

今年のツール・ド・フランス最大のヤマ場、第17ステージを制したのはアンディ・シュレックだった。

1級山岳を2つ越えた後に迎えたトゥールマレー。20`以上続く急峻な山岳コースは、ツール史上、数々の名勝負を生み出してきた名所だ。

深い霧が立ちこめる中、総合争いにからむ選手たちの最後の死闘が繰り広げられる。サクソバンクのアシストたちが、シュレックのために集団を支配する。連日のように前を引いているクリスアンケル・ソレンセン(デンマーク)の歯を食いしばる表情が印象的だ。個人的に敢闘賞をあげたい。

残り10`を切った地点で、シュレックが集団を飛び出す。すかさず付いて行くコンタドール。別次元の走りでグイグイ速度を上げていく2人。先行する選手をあっという間に抜き去り、レースは総合1・2位の一騎打ちとなった。

わき目もふらず前を行くシュレックと、付き位置のコンタドール。8秒ビハインドで攻めるしかないシュレックは必死の形相である。対するコンタドールはクールな表情で、ぴったり付いて離れない。

コンタドールが一度アタックを仕掛けるも不発、再びもとの位置取りに。いつもの飛び跳ねるような軽やかなダンシングで追いかけるコンタドールに比べて、シュレックはアタックする余裕がないように見えた。

次はいつ仕掛けるか。今か今か。まだ行かない。もう行くか。何といっても、総合1位と2位の真っ向勝負なのである。見ている方も力が入る。固唾をのんで見守るが、コンタドールはなかなか前に出ようとしない。

沿道の声援はシュレックびいきだ。コンタドール、どうするだろうか。もしかしたら、勝ちを譲る気かもしれない。ふと、そんな思いが頭をよぎった。総合を狙うコンタドールとしては、タイム差さえ付かなければいいわけだ。このまま付き位置でゴールすれば総合順位に変動はない。第19ステージのタイムトライアルはコンタドール優位。今日の最後の山岳コースで8秒差をキープできれば、総合優勝へ向けて盤石の態勢を築くことになる。

果たして、コンタドールは仕掛けなかった。標高2000bを超えるトゥールマレー山頂の最後のカーブで、シュレックに並びかけながら、王者は一歩下がる形でゴールした。

第15ステージの事件の後、2人の「確執」はメディアで大きくとり上げられた。報道によれば、コンタドールは謝罪のコメントを出したらしい。そのような経緯をふまえて見ると、今日のこの結果は興味深い。

王者コンタドールは、後輩シュレックに花を持たせた。
おそらくそういうことだと思う。
難しい立場のコンタドールとしては、妥当な選択だろう。

これでコンタドールの総合優勝がほぼ決まった。頑張ったシュレックはステージ優勝の栄誉を手に入れた。2010年のツール・ド・フランスは、ドラマ最大のヤマ場を終えたのである。

強ければそれでいい、というわけにはいかないのが自転車ロードレースだ。狭いサークルのなかで、昔から培われてきた独特の倫理が通用している。あえていえば、「騎士道精神」のような。考えてみれば、これほどアナクロなスポーツもなかなかないだろう。

いろんな人のいろんな思惑が、いろんな形で作用してレースが成り立っている。それがこの競技の魅力でもあり、ネックでもある。わかる人にはわかるし、わからない人にはわからない。

アームストロングが去り、コンタドールとシュレックが台頭した。しばらくはこの2人のライバルが競い合う時代が続きそうである。2人の主役がこれからどのような闘いをみせるのか。彼らをめぐってチームや選手たちがどのように動いていくのか。

自転車ロードレースという舞台で繰り広げられるドラマ。そこで登場人物たちが見せる演技は、洗練というよりは、赤裸々で率直である。言ってみれば、その人間くさいところが、最大の見どころなのである。

結果だけ見ても、この面白さはわからない。でもひとたび入場料を払って一部始終を見てみれば、観客はもう、ドラマの行方から目が離せない。

自転車ロードレースの魅力というのは、おそらくそういうことだと思う。

posted by Dandelion at 09:16| Comment(0) | 自転車 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月20日

ツール劇場、佳境へ

ランス・アームストロングが早々に失速し、いささか焦点がぼやけてしまった感のある今年のツール・ド・フランスですが、中盤を過ぎたころになってドラマは急展開をみせ、それなりに盛り上がってきました。

総合優勝争いはアンディ・シュレック(ルクセンブルク=サクソバンク)とアルベルト・コンタドール(スペイン=アスタナ)の2人が脱け出し、一騎打ちの様相です。

そんな中で迎えた20日の第15ステージでした。
ピレネー4連戦の2日目、山岳ステージに入っても、互いに牽制し合ってなかなか攻撃に出なかった2人ですが、この日は違いました。でもその攻撃が意外な形で明暗を分けます。

マイヨジョーヌを着るアンディ・シュレックが峠の頂上近くでアタックを仕掛けた途端、チェーンが外れるというメカトラブルに見舞われたのです。

シュレックのアタックに呼応して追いかけたコンタドールは、止まってしまったライバルを一顧だにせず、そのまま置き去りにして、ゴールまで走りました。シュレックも必死で追いかけたものの、30秒以上の差を縮められず、その結果、順位は逆転、マイヨジョーヌはコンタドールに移りました。

プロの自転車ロードレースでは、不可抗力による相手の遅れを自己の利に資することはフェアプレー精神にもとるという、暗黙の了解があります。今回のような場合たとえば、コンタドールは、シュレックがトラブルを解消するまで待つか、少なくとも加速しないというのが、従うべきコードだったように思われます。

事実、表彰式でマイヨジョーヌを着たコンタドールには、観客からブーイングが浴びせられていました。それを目の当たりにした彼の笑顔も、いくぶんひきつっていたように見えました。

2人の差は8秒。最終盤に行われるタイムトライアルでの実力を勘案すれば、状況はコンタドールに圧倒的に有利です。シュレックとしては、残り2日のピレネーでコンタドールに先着すべく、攻め続けるしかありません。

コンタドールの行為は別に違法ではありません。あるいは、勝負に徹する精神を称賛すべきなのかもしれない。でもそれが選手たちの精神面に与えたインパクト、心のざわめきは、けっして小さいものではないはずです。

コンタドールは運命の女神=Fortunaの後ろ髪をつかんだのか。クールなシュレックの闘争心に、これで火がつくのか。見る方としては、あちこち拡散していたテーマが集約され、ドラマの展開に一本、太い筋が入ったようなもので、これでもう目が離せなくなりました。

「王者と貴公子、フランス夏の陣」。固唾をのんで、最終回まで見守りましょう。
posted by Dandelion at 10:46| Comment(0) | 自転車 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月01日

激坂、さみだれ式。

R0012378.JPG

「あの人たちがあんなに働いているのだから、おまえも働け」という言説が平然とまかり通るようになった最近の職場。6勤7勤が当たり前、中には9日連続勤務という人もいる。休日は月に4、5日で連休なし。そんな勤務スケジュールが続いている。それでも、大変な時期だからと、黙々と自分の役割をこなす同僚たち。もちろん自分もその一人なのだが、なんだかもう、いたたまれない。

何かが間違っている。少なくとも、上に立つ者が、こういう状況を正当化するのは、おかしい。仕事の量が増えているのに、人員は補充されない。何年も前から、そんな状態なのだ。プロジェクトの責任者が、何人か倒れた。それでも、労働環境が改善される気配は一切ない。

会社は何を考えているのか。おそらく何も考えていないのだろう。この会社で、生き生きと、楽しそうに仕事をしている人を見たことがない。それはおそらく、適正な職場づくりをしようとしない経営者の怠慢によるものだ。最近になって、それがはっきりわかった。

そんな状況だから、6月最後の日曜日に行われた「ツール・ド・美ヶ原高原自転車レース」も、直前まで参加が危ぶまれた。エントリーしたものの、連休希望は粉砕され、一時はあきらめた。それでも何とか27日に休みを合わせ、無理矢理でも走ることができた。

松本市郊外の浅間温泉から美ヶ原高原駐車場まで、全長21.6`、標高差1270bを自転車で駆け上がるというこのイベント。日程は2日間ということになっている。参加者はレース前日の26日に受付を済ませ、その晩は温泉の宿に泊まってから、翌日の早朝、レースに臨むのだ。

26日に夜半までの仕事が割り当てられた私は、当然、現地に宿泊することはできない。夕方の出勤までの時間を利用して松本まで往復すれば、受付に行くことは可能だ。問題はレース当日の27日だった。集合時間は6時30分。長野発の一番列車に乗ってもこの時間には間に合わない。

どうすればレースに参加できるのか。考えるまでもなく、クルマで行くしかないのだが、肝心のそのクルマを、私は持っていない。となるとこれはもう、借りるしかない。何年も運転していなかったが、仕方がなかった。このような状況だからこそ、参加しなければならない。不安だったが、だからといってあきらめるのは、負けを認めることになる。何に対する勝負なのか、よくわからないが、とにかく、そう思った。レンタカーを借りることにした。

26日。
午後特急「しなの」でちゃちゃっと松本往復。松本の空は厚い雲に覆われていた。かなり蒸し暑い。浅間温泉の受付会場まで乗ったタクシーの運転手は、よくしゃべる人だった。聞けばこのおじさん、大会関係者だという。ボランティアとして明日、山の中腹まで上り、リタイヤした選手を車に乗せて下まで送る仕事をするらしい。「ほらあそこの、雲がかかってる辺りまで上るんですよ」と指差す山を眺めれば、たしかに綿のようなしっかりした質感の雲が、黒い山影の7合目くらいの位置にまとわりついている。「天気が心配だねえ」。まったくその通りだ。

そして27日。
しょぼつく目をこすりながら窓を開けると、雨だった。昨夜からぽつぽつ降っていたが、明け方になって勢いを増したようだ。「これは中止かもしれんな」。心のどこかで、そうなることを願っている自分がいた。

一睡もしていないのだ。こんな状態で、果たして走ることができるだろうか。意識は薄い膜に覆われたようにぼんやりして、とらえどころがない。身体全体が重苦しく、なかなか言うことを聞かなかった。すべてが刷新されぬまま、昨日を引きずっている。体中の血液が腐敗し始め、それが手足の先にまで行き渡り、神経の指令系統を侵食しつつある。そんな不快な感じがあった。

雨の高速道路を1時間、松本に着いたのは6時前だった。浅間温泉の大会会場では、大勢のサイクリストたちが周回道路でウォーミングアップに精を出していた。雨は降り続いていたが、中止の気配は微塵もない。洪水のような自転車の合間を縫って駐車場を探すが、どこも満杯である。あちこちたらい回しにされて、ようやく停める場所を確保したのは7時前。アップの時間は私にはなかった。

真っ白な空から、日の光と雨が同時に、どちらも弱々しく落ちてくる。どうにもはっきりしない、あいまいな天気だった。主催者側には、はなから中止と言う選択肢はないみたいだった。覚悟を決めて、自分が走る「Cクラス」の列に並んだ。

参加者は2000人余り。最初にチャンピオンクラス、次に60歳台のクラスというように順にスタートしていき、8時2分、とうとう自分の番が来た。

R0012370.JPG

周囲に漂う緊張感に触れて、身が引き締まる。眠気はどこかへ消えてしまった。体のだるさも感じない。でも肝心のモチベーションは上がらないままだった。記録を狙ってやろうとか、そういうギラギラした欲望は少しもない。妙にさっぱりしている。苦しくなったら歩けばいい。それでもゴールできれば、それでいいじゃないか。

松本市長の号砲とともに、怒涛の勢いで出発した30代の男たち。標高約600bのこの浅間温泉から、1800bの雲上の世界まで、これから自転車で上ろうというのだ。

走り始めて3分ほどで温泉街を抜け、沿道の建物が尽きると、道は一気に勾配を増し、やがて大きくカーブしながら、林の中に入っていった。美ヶ原名物の「激坂」が始まったのである。

それは想像よりもずっと急勾配で、果てしなく長い坂だった。最大斜度17%とも言われる「激坂」である。時に曲がりくねり、時にまっすぐ延び、まったくもって先が見えない。呼吸法とかぺダリングの技巧とか、そんなことを意識する間もなく、息が上がった。

もはや苦行以外の何物でもない。いつ終わるとも知れない波状攻撃に、一方的な防戦を強いられた。壁のような坂の連なりを見上げると、吐き気を覚えた。

道の左端に、降りて歩く人の列ができている。途端に、体の重苦しさがよみがえってきた。鉛を抱えたこの体をめぐるのは、腐りかけの血液なのである。新鮮な酸素が供給されるわけがない。到底、耐えられないと判断した私は、さっそく自転車を降りることにした。

あきらめたのではない。負けたわけじゃない。自分に言い聞かせながら、自転車を押して歩く。しかしながら、そうやって歩くのも、決して楽ではなかった。踏みしめる一歩一歩の負担が大きくて、こたえた。霧のような雨粒とともに、重苦しさが全身に沁みてきて、闘志のかすかな残り火を完全に消し去ろうとする。暑さがじっとりとまとわり付き、蒸された体から湯気が立ち上っている。

あえぎながらも降りずに上っていく選手たちが、数え切れないほど次から次に、追い抜いていく。みんなそれぞれ、独自の呼吸音を発していて、それが驚くほどはっきり聞こえる。「くそ」とか「あー」とか、ときどき叫びながら漕いでいる人もいた。

そんなに急いで、どこに行くの。何を求めて、そんなに必死にがんばっているの。隣の人に訊いてみたい。そんな衝動に襲われた。それはそのまま、自分への問いかけでもあるはずだが、私には答えられそうにない。

おれは一体、何をしているのだろう。私は私の意志でここにいるのに違いないのだが、なぜこんなことになったのか、実際問題よくわからない。そんな気分だった。

勾配が緩くなり、行けそうだと思ったところで乗り、だめだと思ったところで、降りる。その繰り返しでのろのろ進む。タイムや順位は、もう眼中にない。いつまでたっても、距離計の数字が増えないのがつらい。果てしなく長い道のりである。

それでも高度が上がるにつれて、雨がやみ、涼しくなって、いくぶん走りやすくなった。中間地点手前の美鈴湖の辺りでは、下り坂になった。でもほっとしたのもつかの間、壁のような上りがまた始まって、失望の底に突き落とされる。

スタートから15`ほど、武石峠を過ぎると、もう降りる必要がないほど、楽になった。その代わり、今度は霧が出てきて、それはだんだん深くなり、やがて白一色の世界になった。視界は数メートル。景色が消えた。音が消えた。周囲を走る人たちも消えた。静寂とともに、私は一人になった。

9時48分、フィニッシュ。
CATEYE ADVENTUREの表示によれば、標高1789b。霧に包まれた駐車場には、ずらっと自転車が並べられ、先にゴールした人が大勢たむろしていた。自転車を置いて自販機で冷たいジュースを買い、飲み干す。少し落ち着くと、体が濡れていることに気づいた。汗だけではない。雨だ。また降り出したのかずっと降り続いていたのか。レストハウスの屋根から、勢いよく水が流れ落ちている。風も強い。そのうちにじっとしていられないほど、寒くなってきた。外に立っていることができない。建物の中は、冷たい風と雨を避ける人たちで混雑し、居場所がなかった。みんな震えていた。

下山を待つ間、部屋の片隅に居場所を見つけて、温かいコーヒーを飲んだり、カップめんをすすったりして過ごした。こんな状況でも、参加者たちは仲間同士で、楽しげに互いの健闘を称え合っているみたいだった。たくさんの人のなかで、私は一人だった。単独の参加者は私だけではなく、所在なげに立ち尽くしている人が、何人かいた。チームで参加する人は、仲間の外には出ようとしない。チームであれ個人であれ、その内部でそれぞれの世界が完結している。そういう人々が集まって2000人、なのだ。この集団は、いったい何なのだろう。そんな疑問がふと、頭をかすめた。

レストハウスで買った合羽を着こんで下界に下りると、夏の日差しが降り注いでいた。太陽の光が何物にも代え難く、有難かった。道すがら、ボランティアの人たちが、声を掛けてくれた。
「ごくろうさま」
「ありがとう」
上りで声援に応えられなかった分、大きな声でお礼を言う。まったくもって、こうやって走ることができるのは、この人たちのおかげなのである。




*冒頭の写真は下山風景。レンゲツツジがきれいでした。

posted by Dandelion at 07:32| Comment(0) | 自転車 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月14日

世界のアラシロ

自転車ロードレース3大大会の一つ、ジロ・デ・イタリア。

3週間にわたりイタリア全土を回るこのレースの第5ステージで、日本からただ1人参戦している新城幸也(ブイグテレコム)が、3位に入った。

このレース、CSのJ-SPORTSで連日生放送している。
深夜0時前に仕事が一段落してほっとしていると、同僚のKさんに声を掛けられた。

「新城が逃げている」

急ぎ職場のテレビの前に行く。映像を見た私は、思わず目を疑った。

新城が先頭を走っている!

他チームの2人の選手とともに、懸命に逃げている。レースは終盤に差し掛かったところで、残り約20キロ。最後のスプリント勝負に備え、集団が隊形を整えながらペースを上げてくるころだ。

その時点で、先頭3人と集団の差は2分足らず。

自転車というのは多人数で固まって走るほうが速い。風の抵抗を分散できるからだ。レース終盤のこのような状況では、10キロで1分ずつ差が縮まっていくのが通常パターンである。

微妙だ〜

逃げ切るには決して安全圏ではない。といって、逃げ切れない差でもない。コースのポイントを通過するたびに、両者の差が秒数で表示される。これは一瞬たりとも目が離せない。われわれは固唾をのんでテレビの画面に見入った。

ゴールが近づくにつれ、差はどんどん縮まっていく。残り約5キロ地点では、もう1分を切っていた。

だめか… 

抜かれるのは時間の問題だと思った。しかし勝負の女神は、そう簡単に結論を下さなかった。

見ていると、ゴール近くのコースはイタリアの古い町中に入り、数メートルの幅しかない石畳の道を走っていたり、ロータリーがあったり、急なカーブになっていたりする。

こういう道では、大集団は不利だ。案の定、先頭3人と集団の差を示す数字のカウントダウンは、最終盤に至ってピッチが鈍ってきた。

残り1キロ。
直線道路に入り、先頭3人を追うカメラに集団の姿が入ってきた。

あ〜 やっぱりあかんわ。

誰からともなく、ため息がもれた。いつの間にかテレビの前に集まる人の数が増えている。

その時である。

なんと、新城がアタックしたのだ。

残る2人が離されまいと、懸命に付いていく。歯を食いしばって最後の力を振り絞る新城の姿が、画面いっぱいに広がる。

気がつくと、われわれは声を上げていた。

「行け! 行け! 新城がんばれ!」

心がふるえた。みんな、もう夢中だった。仕事なんてそっちのけで、われわれは新城の運命を見守った。

ゴール前の直線。
各チームのエース級スプリンターたちを含む大集団が蛇行しながら、前の3人に襲いかかる。

残り200メートル。
あれ、もしかして―

逃げ切りだ!

誰かが叫んだ。集団はすぐ後ろに迫りながらも、追いつかない。勝負は先頭の3人に絞られた。前を行く新城を、フランス人選手のピノー(クイックステップ)が横からかわす。続いてもう1人も抜いていく。

ああ新城…

アタックで足を使った新城に抜き返す余力はなかった。優勝はピノー。2人にかわされた新城は結局、3位でゴールした。その直後、猛スピードの大集団が、洪水のようにゴールに押し寄せた。

壮絶なラストシーン。
圧倒されたわれわれは、言葉を失っていた。
数秒ののち、我に返った私は、心の中で叫んでいた。

新城、おぬしは男ぞ!

逃げ切ったのだ。あの大集団を相手に3人で。
新城の最後のアタックで、3人のペースがもう一度上がった。あれがなければ、間違いなく集団にのみこまれていただろう。逃げ切りはまさに新城のおかげだ。優勝こそ逃したものの、その功績は最大限の称賛に値する。ピノーは新城に頭が上がらないだろう。

昨年のツールで見せたステージ5位。やはりフロックではなかった。きょうのレースは実力の証明である。なにしろ100キロ以上も風を受け続けて、集団を振り切ったのだから。

世界中が注目する国際映像に映り続けた新城。逃げというのは決まっても決まらなくても、勇敢な選手であることの証しに他ならない。日本選手に対する評価も、今回のレースで間違いなく上がった。はかり知れない可能性を秘めた、恐るべき25歳である。

いいものを見せてもらった。なんだか元気が湧いてきた。

ありがとう、新城幸也。



自転車ロードレース、面白いのでぜひ見てみてください。

ジロ・デ・イタリア情報はこちら。
http://www.cyclingtime.com/


映像も見られます。
http://video.gazzetta.it/?vxChannel=Giro2010_Arrivi
レースを主催するイタリアのスポーツ紙のサイトです。
posted by Dandelion at 02:01| Comment(0) | 自転車 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月17日

氷の世界

自転車の車輪を盗まれた。

いつものように、長野駅の駐輪場に停めて出かけたのだった。夜遅く帰ってきて、駐輪場に入っていくと、並んでいる自転車のなかで自分のMTBだけ、前方に傾いているようになっているのが見えた。近づいて見ると、チェーンをかけた後輪とフレームがそこにあり、前輪のホイールだけがなかった。

前のめりの自転車を見て、全身の毛が逆立ってくるのがわかった。事件の当事者になってしまったのだ。他の誰でもない、この私が。今まで自分は傍観者として、この世の中を冷静に見ているつもりだった。そんな自分の立ち位置が、足場ごと崩れていくのがわかった。まったくの不意打ちである。いつものスタンスから引きずり下ろされ、私は、否応なしに、いきなりこの世の悪意の矢面に立たされた。心の準備をする暇もなく。世界を動かす歯車が、耳元でかちりと音を立てたような気がした。

しばらく呆然と立ちつくして、私は自分の自転車を見ていた。足をもぎ取られながらも倒れることなく、立ったままの姿勢を保ち続けるMTB。何か意気消沈して、そこにうずくまっている人のように見える。それはどちらかいえば、無残というよりも、みじめでこっけいな眺めだった。前のめりになったままの自転車に、声を掛けたくなった。「どうした相棒、なんだそのザマは」。誰もいない駐輪場に、冷たい風が吹き抜けた。見上げると、星が出ている。なぜか笑いがこみあげてきた。

とにかく、家まで持って帰らなければならない。チェーンを外し、ハンドルを持ち上げる。買い物かごを提げるようにして、曲げたひじにハンドルを引っ掛け、夜の道を歩き出した。後輪を転がしながらであっても、アルミフレームの重量感は相当なものだ。支える右の上腕に、ずしりとこたえる。ところどころ凍りついた道を耐えながら歩いているうちに、体のどこか奥の方から激しい感情がわき上がってきて、やがてそれは体じゅうに染みわたり、寒さを感じないほど全身がほてってくるのが感じられた。

これを怒りと言ってしまっては身も蓋もないが、今のこの感情を表すのに適切な、他の言葉が見つからないのも確かだった。誰にぶつけていいかわからない感情は先鋭化するばかりで、狭い道を速度も落とさずハイビームのまま走ってくるクルマどもに、私は敵意むき出しの視線を突き刺しながら、やり場のない怒りに身を任せて、大股で歩き続けた。盗む者と盗まれる者。強盗でないかぎり、互いに顔を合わせることもない。それが不愉快でたまらなかった。5年も使い込んだホイールだ。ほしいと言われれば、くれてやったかもしれない。でもあのタイヤに刻まれた5年という歳月の、その一端をも知ろうとしない、あのようなやり方は、何をどのように考えても、許すことができない。モノにはモノの歴史がある。それを顧みない者に、モノを持つ資格などないのだ。

歩道に雪が残り、それが苔のようにこびりついている。まったく、歩きにくいったらありゃしない。どうしていつも歩道はこのように、ないがしろにされるのだろう。この国の街づくりは、根本のところで間違っているのではないか。広い道も狭い道も、どこもかしこもクルマであふれている。いったい自転車はどこを走ればいいのだろう。車道を走ると法律で定めておきながら、そんなスペースはどこにもないではないか。歩行者だって、隅に追いやられたままだ。毎年何千人もの人が交通事故で亡くなっているというのに、メーカーは新車を売り続け、行政はクルマが走りやすくするためだけに道を整備することをやめようとしない。ハイテクでどんどん操作が容易になるクルマと、増殖する未熟なドライバー。運転に対する集中力は散漫になるばかりだ。人を殺すかもしれない。クルマを運転するというのはそういう行為だ。そのような覚悟を持ったドライバーなど、おそらくどこにもいないのだろう。

思いをめぐらしながら歩くうちに、大通りに出た。道路の上の電光掲示板に「−7」と赤い文字で、気温が表示されている。マイナス7度。道路が凍りつくわけだ。それを見たら、全身にみなぎっていた怒りの感情が、潮が引くみたいにすうっと収まっていった。力が脱けて、何だかもう、どうでもよくなってきた。もう、たくさんだ。ここは私にとって、かりそめの地。こんな所に、長くいるものか。こんな街、いつかそのうち、きっと出て行ってやる。そう思うと、今回のことも、たいしたことない出来事に感じられた。許せるような気さえしてきた。

ここではないどこかへ。それにしても、何処へ行くというのだ。
posted by Dandelion at 05:35| Comment(1) | 自転車 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月11日

平成22年の走り初め

NEC_0125.jpgこの冬の寒さは、ちょっと異常なんじゃないか。

すでに2回も寒波が来ている。たまに気まぐれのように太陽が出たような日でも、夜になると決まって雪が降り出す。そんな日が何日も続いた。長野に住んで7年半になるが、市街地でこれほど雪が降る冬はなかったように思う。長野ってこんなに寒かったっけ。天気予報をみると、仙台なんかより気温が低い。東北北部とたいして変わらない。そんなこともこれまでは特に意識したことがなかった。

家の中で吐く息が白い。手がかじかんで本も読めない。フローリングの床は飛び上がるほど冷たく、まるで寺の廊下のようだ。日々是修行、永平寺の雲水のような生活である。

雪が降ると、自転車は無力だ。やんだとしても雪が残っている限り、走ることはできない。路面の雪は昼間に解けても、夜になると凍結する。スケートリンクのような道路で滑ると命にかかわるから、走りたくても走れない。何日も走らないと身体がうずき始める。バッテリーはビンビンだぜ。なのに、なぜ走らない? 肉体がそう訴えてくる。

大晦日から降り続いた雪が、3が日を過ぎて一段落した。ここ数日は晴れの日が続いている。積もった雪もやっと消え、路面はなんとか走れそうな状況になった。今しかない。この機を逃すべきではない。トレーニングを再開することにした。

先月30日以来、約10日ぶりである。仕事を終えて帰宅すると午前1時20分。すかさずサイクルウェアに着替える。ぐずぐずしてはいられない。躊躇しているとこの夜の寒さの中、外に出て行くことができなくなる。パール・イズミの冬用ジャージに、ウインドブレーカーを2枚重ね着して、寒さに備える。部屋に置いてある自転車のタイヤに空気を入れ直し、玄関まで抱えて持っていく。深呼吸してからドアを開け、外に出た。

走り始めて2分もすると、指先が痛くなってきた。ちぎれるような鋭い痛み。防寒グローブも、冷気を完全には遮断できない。ハンドル操作する以上、グローブは重ね着というわけにはいかないのだ。防寒という点では、手と足の先はどうしても手薄になる。

襲いかかる空気の冷たさが、顔をしかめるといくぶんやわらぐような気がする。『1Q84』の青豆さんのような表情で顔にも力を入れ、ペダルを回す。そうやって耐えながら15分ほど走っていると、指先の痛みが次第におさまってきた。同時に耳や額がじーんとしびれたように熱くなって、冷気もあまり感じなくなった。身体の感覚が通常と違う次元に切り替わったような感じがする。肉体が勝手に、おのれの意思で寒さに適応しようとしているのだろうか。そうだとすれば、人間の身体というのはまったく、たいしたものだ。

いくつかある練習コースのなかで、きょうは中距離のルートを行く。山沿いの道はまだ凍結した箇所が所々あり、スピードは控えめにせざるを得ない。大通りに設置された頭上の電光掲示板に「−1」と気温が表示されていた。集中力を切らさないようにしてコースを走り終え、メーターで確認すると、走行距離27.9キロ、所要時間は1時間7分。これだけの距離を走っても、夏のような心地よい疲労感はなかった。汗をかくこともなく、こわばった筋肉は無言のまま、自らの状況を何も伝えてこない。

消化不良気味ではあるが、これでよしとしよう。別に何か具体的にめざすものがあるわけではない。何よりも継続することが大切だ。とにかく10日ぶりに走ることができたのだ。この信州の冬に、1時間とはいえ、対峙したのである。所与の状況から逃げない。最善を尽くして、闘いを挑んでやろう。それを今年の目標にしようと決めた。

※写真は本文と関係ありません(2007年8月撮影)。
posted by Dandelion at 05:14| Comment(0) | 自転車 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月31日

総括、のようなもの

サイクリストとして、どれだけ自転車に乗ったか。月別キロ数と日数を記す。(通勤は除く)

1月 340.4キロ 12日
2月 230.5キロ 9日
3月 200.1キロ 8日
4月 381.7キロ 15日
5月 307.4キロ 10日
6月 447.1キロ 15日
7月 380.7キロ 12日
8月 449.3キロ 12日
9月 433.8キロ 15日
10月 391.3キロ 12日
11月 422.9キロ 11日
12月 496.9キロ 17日

計 4482.1キロ 148日

月500キロ、年6000キロの目標には遠く及ばなかった。

遠征は3回。5月に四万十川ツーリング(3日間、113.5キロ)、9月は加計呂麻島自転車旅(6日間、182.2キロ)、10月にはしまなみ海道走破(2日間、123.7キロ)。あとはほぼ仕事の後の夜間トレーニングである。

今年はレース参戦はなし。心残りは8月の「乗鞍マウンテンサイクリング」断念。忘れもしない衆院選の日である。選挙の日は仕事、宿命である。うだうだした挙句に日程を決めた自民党執行部に鉄槌を下さねばと思っていたら、本当に負けたのでまあ、溜飲を下げた。

忘れられないのは6月16日の落車事故。午前5時、畑の中の一本道を時速30キロで走行中、アスファルトの小さな窪みにハンドルを取られ横倒しに。ぼろきれのように垂れ下がったタイツのまま、それでも家まで10キロ以上、乗って帰らねばならなかった。早朝で人に見られなかったのがせめてもの救いだった。膝と腕の擦過傷が癒えるのに1週間。自転車用の長袖ジャージとロングタイツが防具でもあることを身をもって学んだ。

それでも振り返ってみればこの1年間、いろいろな所で、よく走った。雨にも負けず、風にも負けず、跋扈するクルマと闘った。とにかく死ななかった。入院もしなかった。無事でなにより。

神様に感謝したい。
posted by Dandelion at 07:55| Comment(0) | 自転車 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月27日

シャンゼリゼの日本人

ツール・ド・フランスは26日、最終ステージが行われ、チームコロンビアのマーク・カヴェンディッシュがゴールスプリントを制し優勝。これですべての日程が終了し、23日間21ステージ、約3500キロにわたる長い戦いは幕を閉じた。

総合優勝(=マイヨジョーヌ)はアルベルト・コンタドール(スペイン―アスタナ)で、2位にアンディ・シュレック(ルクセンブルク―サクソバンク)、そして3位にランス・アームストロング(アメリカ―アスタナ)が入った。(※カッコ内は出身国―チーム名)

ポイント賞(=マイヨベール)はカヴェンディッシュをわずかに抑えて、トル・フースホフト(ノルウェー―サーヴェロ)。山岳賞(=マイヨブランアポワルージュ)はフランコ・ペッリツォッティ(イタリア―リクイガス)、総合2位のアンディ・シュレックが新人賞(=マイヨブラン)を獲得した。

今日は深夜まで仕事。ひと区切りついた午前0時すぎ、職場のテレビをスカパーの中継に変えてみたら、そこには信じられない光景が繰り広げられていた。

なんと! 別府史之(スキル・シマノ)が逃げている! 

レースは残り約20キロ、すでにパリ市内のシャンゼリゼ周回コースに入っている。最終日のシャンゼリゼ・ゴールというのは、ツールの中でも特別な意味合いがあって、スプリンターといわれる選手たちのモチベーションは半端ではない。毎年、パリのど真ん中をぐるぐる回りながら、この最後のゴールをめぐる熾烈な争いが繰り広げられる。

7人が逃げ集団を形成し、先頭交代しながら走っている。メイン集団との差は20秒。聞けばこの逃げは、別府のアタックがきっかけだったという。レース終盤、勝負モードに入った集団は、ついていくだけでも大変なほどのペースになる。そこから抜け出して逃げるというのは、かなりの覚悟と、実力と、運を必要とする。逃げたい選手はたくさんいる。先頭はテレビに映る。映ればスポンサーにとってアピールになる。でも逃げたいから逃げられるというものでもない。チームの作戦上の制約もある。逃げというのは、勇気と力をあわせ持ち、運を味方にした者だけに許される行為なのであって、だからこそ、それを成功させた選手は評価されるのだ。

そんな状況で、別府が逃げている。パリの真ん中を、テレビに映りっぱなしで世界中の注目を集めながら、先頭きって走っている。それも自分でチャンスをつくって、世界最高峰のレースをコントロールしているのだ。

歴史がいま動いている。生中継の映像を見ながら、そう思った。あと何年かしたら自転車ロードレースも、メジャーリーグのように日本に身近なスポーツになるのだろうか。

その後、カヴェンディッシュのために万全の態勢をつくったチーム・コロンビアがメイン集団を牽引して猛烈な勢いで追い上げ、別府ら7人の逃げ集団は結局、残り5キロほどで吸収されてしまった。力尽きた別府は134位でゴールした。

順位には関係なかったけれど、別府にはこの最終ステージの敢闘賞が贈られた。勝ち負けや順位にかかわらなくても、勇気ある走りを評価しようとするのが自転車ロードレースのいいところだ。パリで50キロ、1時間もの間、先頭を走った。自転車選手として、これ以上のアピールがあるだろうか。別府史之の名は、世界中の人々の記憶に刻まれたに違いない。

2009年のツール・ド・フランス。初出場の新城と別府は完走するばかりでなく、それぞれに見せ場をつくった。山岳で圧倒的な強さを見せつけたコンタドールが、自らのアタックで総合優勝をつかみ取った。フランク、アンディのシュレック兄弟が、力を合わせてコンタドールに挑み、勝ったステージもあった。サルコジも見に来ていた(炎天下にいて具合が悪くなったのだろうか)。復活した37歳のランス・アームストロングが表彰台に乗った。アームストロングは自ら新チームを結成し、来年のツールに出場するという。

過去と未来がうまくかみ合っている。自転車ロードレースはこれからますます面白くなるだろう。観る者にそんな期待を持たせてくれた23日間。その余韻を、今は楽しみたい。
posted by Dandelion at 05:41| Comment(0) | 自転車 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月21日

遅く起きた日は

NEC_0304.jpg

目が覚めたら15時40分だった。

昨夜の帰宅は午前1時30分。仕事を終え、深夜のファミレスで遅すぎる夕食をとりながら、宮本常一の本を読んでいたら、これがまた面白くて、いつの間にかそんな時間になった。

おかげで見そびれたツール・ド・フランスが、大変なことになっていた。アルプス初日となる第15ステージで、コンタドールが自らのアタックで優勝し、マイヨジョーヌを獲得したのだ。

コンタドールおそるべし。終盤のヴェルビエ峠、ゴール5キロ手前で1人抜け出したコンタドールには、誰もついていけなかったらしい。同じ集団にいたランス・アームストロングも置いていかれ、9位でゴール。第15ステージ終了時点での総合順位はコンタドールが1位で、前日まで8日間トップを守ったノチェンティーニは6位に脱落。2位がアームストロングで、コンタドールとの差は1分37秒。コンタドールのあの強さと、チーム事情から考えると、アームストロングの優勝は、ほぼなくなったと言っていいだろう。ランス自身もそのことを認め、サポート役に専念するというコメントを出した。

黄色いランス、見たかった。でもまあ、この時点で2位にいるということを称えるべきだろう。

そんな大事な瞬間を見逃した挙句、起きたら夕方。休日を無駄にしないために、自転車に乗ることにした。行き先は飯綱高原の大座法師池。山道練習の定番コースだが、もう半年以上行っていない。この道は何度登っても、つらい。日常のトレーニングの成果を試すにはいい道だ。少しは楽に登れるようになっているだろうか。

16時40分、自宅出発。市街地を8キロほど走った後、山道の坂が始まり、それが10キロほど続く。2車線の整備された県道だが、傾斜はなかなかきつい。はじめの2キロほど浅川沿いの旧道を走った後、この道に合流するのだが、この合流地点ではやくも息が上がった。

きょうもつらい道のりだ。こいでもこいでも進まない感じがする。したたり落ちる汗が目にしみる。メーター表示は時速15キロに満たない。2車線の道に入ると、休日ということもあり飯綱方面と長野市街を行き来するクルマやバイクが多く、気をつかう。途中2ヶ所ほど、いつも給水地点にしているリンゴ販売所がある。やっとの思いでひとつ目の「松木農園」にたどり着き、小休止する。調子が良ければ寄らずにそのままを通過しようと思ったが、とてもじゃないけど無理だった。息を整え再び登り始めたものの、こんどは腰が痛くなってきた。呼吸ができない。意識が朦朧としてくる。アルプスを登るというのはどんなにつらいことだろう。飯綱山にヒーヒーいいながら、ツールを走る選手たちに思いを馳せた。

休み休み登ること40分。大座法師池に着いたら18時になっていた。池のほとりはキャンプ場になっているが、連休最終日の夕方で、人は少ない。池は水上スキーをしていて、モーターボートの音が騒々しかった。池を見ながら、コンビニで買った缶コーヒーとパンで腹を満たし、そそくさと下山する。

20分ほどで市街地に下りてくると、蒸し暑さが戻ってきた。肌に触れる空気の温度が明らかに違う。食堂で「牛すき焼き風定食」を食べた後、家の近くの温泉「うるおい館」で足を伸ばす。それにしても、きょうもまた、つらかった。こんなでは、来月出場予定の「乗鞍マウンテンサイクリング」もろくに走れそうにない。もっとも今年は、総選挙の日と重なってしまい、参加できるかどうか微妙な状況なのだが。

帰宅したのは21時すぎ。「まだ休みは終わらない」と自分に言い聞かせながら、黒沢明の『まあだだよ』のDVDを観る。まともに観るのは初めてだったが、はっきり言って、つまらなかった。これでは内田百閧ェどんな人だったのか、全然わからないではないか。どうして一介のドイツ語教師が、これほどまでに教え子たちに慕われ続けるのか。この映画に出てくるのは、ただ面白いことを言う先生と、ひたすら崇拝する元弟子だけだ。師弟関係の距離感が、しっかり描かれていない。香川京子の「奥さん」との関係や、ノラの事件など、適当に省かれて、ただのエピソードとして扱われている。阿房列車はそもそも出てこない。

この映画は黒沢明の遺作だという。彼は本当にこの映画を撮りたかったのだろうか。内田百閧本当に好きだったら、こんな作品にはならないと思うのだが。それにしても、カラーになって以降の黒沢明作品というのは、どうしてこんなにカメラを引くのだろう。遠すぎて役者の表情が見えない。

映画が終わったのは午前2時。こう書いてみると、これはこれで、けっこう充実した休日だったのかもしれないな、と思う。

ツールはきょう第16ステージ。いよいよ佳境だ。ランスがんばれ!
posted by Dandelion at 05:01| Comment(0) | 自転車 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月08日

アームストロングは終わらない

ツール・ド・フランスが開幕した。

7月7日はチーム・タイムトライアル(TT)。各チームが集団で走りタイムを競うこの第4ステージで、「アスタナ」チームが優勝。その結果、総合争いでランス・アームストロングが1つ順位を上げ、2位になった。1日目からトップを守るカンチェラーラとの差はほんのわずかだ。

いよいよ来たな、という感じである。初日の個人TTは10位。3年間という長いブランクを考えれば、これはこれで十分称賛されるべき結果だったに違いない。

でもファンは覚えている。7連覇のころ、ランスが個人TTで3位以内を外したのは1回だけだった。そんな全盛時の彼の姿を、どうしても忘れることができないでいる。だから「よくやった」と称えなければと思う半面、どこか割り切れないところもあった。

それはランス自身の思いでもあったろう。「よくやった」などというねぎらいの言葉はいらない。いま必要なのはただマイヨジョーヌのみ。元王者としての、そんな気迫を感じさせる走りだった。彼は間違いなく、勝ちに来ている。きょうのレースを見たファンは、誰もがそう感じたはずだ。

復帰といっても今大会、決して彼は万全な状況で臨めているわけではない。なによりもチームの危機という大問題がある。「アスタナ」というのはカザフスタンの首都の名で、もともと自国出身のヴィノクロフという選手をサポートするために、首都の企業連合がスポンサーとなってできたチームである。2年前にヴィノクロフが薬物問題で出場停止となり、存在意義をほとんど失ったが、かつてランスが所属した米国のチームを受け継ぐ形で、なぜか存続している。そんなねじれた在り方が影響してか、最近ではスポンサー撤退の噂が絶えず、現にいま選手には給料が払われていないらしい。

さらにそのチーム内の事情も複雑だ。監督は、ランスと二人三脚で7連覇を支えたブリュイネール。ランス引退のあと、彼が育てた若手のコンタドールは、2007年のツールを勝った。それほど強くなった。エースを誰にするか。当然、問題になる。それによってチームの戦略も変わってくるからだ。この辺の事情はランス復帰にあたって考慮されているはずだが、少なくとも「アスタナ」が、7連覇のころの「USポスタル=ディスカバリー」のような、ランス全面サポートのチームではないことは確かだ。

目の前にはたくさんの壁が立ちはだかっている。乗り越えねばならないのは、アルプスやピレネーだけではない。でもそのような困難があってこそ、ランスの走りは輝きを増す。これまでの彼のレース人生をみていて、そう思う。

戦いはまだ始まったばかりだ。きょうのTTで見えた奇跡の兆しが、これからの山岳ステージでどのような展開を見せるのか。目が離せない。寝不足の毎日が当分続きそうだ。


◆追記
今年のツールでもうひとつ注目しなければならないのは、新城・別府両選手の活躍だろう。日本選手が2人も出場なんて、ちょっと考えられないことだ。しかも第2ステージで新城が5位、第3ステージでは別府が8位に入るという快挙。ロードレースはいろいろ見てきたが、ゴールスプリント争いをする日本選手を見たのは初めてだった。よりによってツールドフランスで。

欧州中心主義の自転車ロードレース界にもグローバル化の波が押し寄せているということなのだろうか。欧州メディアで彼らがどのような扱いをされているのか、知りたいと思う。

それにしても日本の新聞の扱い方は粗末としか言いようがない。一般紙の記事はほとんど共同配信のみ(A紙だけは自前の記者を派遣しているようだ)。たぶんどの社も、自転車競技をどう扱っていいのか、わからないのだろう。自国選手が出ないと報道もしない、という姿勢を、日本のメディアもそろそろ改めるべきではないだろうか。
posted by Dandelion at 03:50| Comment(0) | 自転車 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月01日

ランス、37歳の使命

ランス・アームストロングが帰ってきた。ツール・ド・フランス7連覇から3年半。復帰第2戦となる2月のツアー・オブ・カリフォルニアで、このかつての王者は、総合7位という好成績を収めた。注目を集めるための話題づくりでもなんでもない。この男は本気だ。復帰宣言した彼の動向を、半信半疑で見つめていた世界中の自転車ロードレースファンは、このレースを見てそう確信したに違いない。

ライバルをねじ伏せる高回転のぺダリング。求道者のようなストイックな表情。そしてなによりも、勝利に対する貪欲な姿勢。ファンはそこに魅せられる。でも、そのような彼の走りは、自転車ロードレース界において、必ずしも歓迎されるものではなかった。

自転車レースは、1人では勝てない。戦略的にはチームスポーツだが、最終的には個人の成績が評価されるという、難しい競技だ。1人のエースを勝たせるために、アシストとして働く、その他大勢のチームメイトがいる。だから他のチームスポーツ以上に、人間関係が重視される。ライバル同士でも、勝ちを譲ったり譲らなかったり、ということがあったりする。つまり、一種のムラ社会なのだ。こういう世界だから、選手間の和を乱すような行いは、ときに批判の的になる。

選手の関係よりもまず勝つこと。あくまで勝利にこだわるランスは、「妥協を知らないアメリカ人」として、欧州中心の自転車レース選手たちの間では、マイノリティであり、異端児であり続けた。

でもだからこそ、彼は偉業を達成できたのではないか、と思うのである。ブリュイネール監督という理解者との出会いと、USポスタル―ディスカバリーというチームの全面サポート。それは大きい。だが何よりも重要なのは、彼が、見る者の心を打つレースをし、それを支持し続けたファンが大勢いた、ということだろう。彼は走ることを通じて、同業者である選手でなく、ファンに直接語りかけた。レースでは、強いものが勝つ。勝つことはすなわち、生きること。LIVE STRONG―「強く生きろ」と。

人がそこに自分の人生を賭けるとき、彼の仕事は「天職」になる。ランス・アームストロングが自転車選手であることは、まさに天の配剤の結果ということなのだろう。天から与えられた使命をツール7連覇では終わらせなかった彼が、これからそれをどのように全うしようとしているのか、見届けずにはいられない。


追記 この文章は3月に書きました。ランスはこの後、スペインのレースで鎖骨骨折するというアクシデントを乗り越え、3大ツールの1つ「ジロ・デ・イタリア」で総合12位に入りました。所属チーム「アスタナ」が存亡の危機にあったり、懸念材料は後を断ちませんが、それらを乗り越え、ツーツ・ド・フランスでの活躍を期待したいものです。
posted by Dandelion at 03:49| Comment(0) | 自転車 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

走ることについて語る前に、とにかく走れ

DSCN0035.JPG
ロードレーサーに乗り始めて、丸3年が経とうとしている。
きっかけは職場の先輩たち。毎年夏に行われる乗鞍のヒルクライム・イベントにみんなで出ようということで、購入を勧められた。レースに出たりツーリングに行ったり、そんなこんなでメーターの総走行距離表示は11803キロ。ここ1年ほどは月500キロを目安に、走ることを日課として続けている。「継続は力」なのかどうかはよくわからないが、毎日のように走っていると、確かに見えてくるものがある。

自転車は、哲学的な乗り物だ。クルマやバイクほど早くもなく、楽でもない。列車と違って、自分で運転しなければならない。ただ移動の手段としてみれば、非効率な乗り物かもしれない。でもその非効率さゆえに、自転車は乗り手を魅了してやまないのだ。

自転車を漕ぐのは、基本的にしんどい。推進力は自分の身体のみ。向かい風が吹いていたりしたら、漕いでも漕いでもなかなか進まない。そんなとき、乗り手は何を思うか。こんなつらい思いはしたくない。クルマにすればよかった。次からはバスにしよう、云々。

大半の人は、ここでやめてしまうだろう。でもときどき、こう考える人もいる。どうやったら今より速く、楽に進むことができるのか、と。人が自転車乗りになるかどうか、おそらくここが分かれ道なのだ。

与えられた条件のなかで、最大限の力を発揮するためにはどうすればよいか。ここから自転車乗りの探究が始まる。ここにいたって、自転車は移動のための手段ではなく、目的そのものになる。乗り手の身体の力をダイレクトに伝えるロードレーサーは、そうした探究にもっとも適した乗り物なのである。

どうすれば速く、長く走り続けることができるのか。つらくては続かない。できるだけ楽に、効率よく、自分の力を生かすためにはどうすればよいのか。そもそも自分の力とはどのくらいのもので、どの程度が限界なのか。その限界は訓練によってどこまでのばすことができるのか。自転車に乗れば乗るほど、乗り手が追究すべきテーマは、どんどんふくらんでゆく。

自転車に乗れば、自分という人間が見えてくる。2つの車輪をペダルで回すだけ。何も考えずに乗っていれば、ただのつまらない器械でしかない。でもシンプルだからこそ、使う人間の介在する余地がある。使い方次第でこの「道具」は、人がおのれを知り、究めるための「ツール」にもなり得る。自転車に乗るということは、自転車乗りにとって、かくも哲学的な営みなのである。

やってみなければ、なにもわからない。やってみたら、そこには今まで自分がまったく知らなかった世界が広がっていた。いろんなものを見ているようで、じつは自分はなにも見ていなかったということに愕然とする。かれこれ30年も自転車に乗ってきて、この器械のこと、なにも知らなかったのだし、自分の身体のことさえ、この器械の力を借りて、やっと見えてきたくらいなのだ。

発見は日常のなかにある。ディテールを見逃さないようにしなければ。たかが自転車、されど自転車。今はただ、この奥深い乗り物と対話しながら過ごす時間が、大切に思える。
posted by Dandelion at 03:37| Comment(0) | 自転車 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする