2016年03月26日

北の大地に息づく物語〜「北の無人駅から(渡辺一史著)」

新幹線、北海道へ。
新しい物語が始まり、古い物語が終わる。
のではなく、
物語はずっと続いていて、そこに新たなページが加わる。
ということだと思う。
廃止になった夜行列車、ローカル線、小さな駅・・・
姿は消えても、物語の一場面であることに変わりはない。
前景にあらわれたもの、後景に退いたもの。
両者をつなぐ無数の小さな物語に耳を傾けたい。

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2013年08月06日

昭和27年、広島

原爆ドームのすぐそばに掘っ立て小屋が建っている。
「原爆一号の店」と記した看板には英語で
THE ATOM BOMB CASUALITY SHOP BOMB VICTIM NO1 KIKKAWA」
との併記がある。
原爆の被害を受けた吉川という人が営むみやげ物屋、ということらしい。
店先には外国人兵士が群がり、ワイシャツとネクタイに髪をオールバックにした吉川氏が接客する姿が見える。
扱うのは絵はがき、アルバム等々。
店のガラス戸には「私は原爆の体験者ですから御説明致します」の張り紙があり、吉川氏が4人の少女を前に何か話をしている。
ドームのフェンスには「原爆写真 一般無料公開 ノー・モア・ヒロシマズ」という宣伝看板もある。
これは別のみやげ物屋だろうか。原爆ドームを模したオブジェのようなものが並ぶ台には「廣島一のおみやげアトム焼」(200円)という札が立っている。

写真集「立ち上がるヒロシマ 1952」(岩波書店)に収められた写真は、先入見に凝り固まって鈍麻した現代人の感性を鋭く刺激し、覚醒させるのに十分な力を持っている。

外国人兵士で賑わう原爆ドーム。人でごった返す広島駅構内や駅前マーケット。ビルの建設が進む大通り。
カメラはある時は街を俯瞰し、ある時は人ごみの中に分け入り、惨事の上に積み重ねられる日常を切り取る。
商店やビルが掲げる看板の、過剰な宣伝文句。
男や女、大人や子どもの、無防備な表情。
どのショットも具体的で、即物的で、厳粛な説得力がある。

自分の背中のケロイド写真を展示し、被爆体験を商売に転化させた吉川氏。
写真に映る姿は30代中盤くらいだろうか。青年の面影を残すように見える。
何があろうと生きることを選んだ人間の、軽やかで潔い姿が心に焼きついた。
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2012年01月05日

ノンフィクションの胆力

   井上理津子『さいごの色街 飛田』(筑摩書房)2011年


「トビタ東映」は気になる存在だった
いつも寅さんをやっている
終夜上映である
そんな映画館、今時珍しい
行ってみたいと思った
実際、行こうとした
釜ケ崎の簡易宿泊所に泊まった晩
新今宮のスパ・ワールドの仮眠室で過ごした夜
でもなぜか
そういう日に限って眠くてたまらなかったり
どしゃぶりの雨が降っていたり
数年前に何度かあったその機会を逃して以来
いまだ訪問は果たせぬままだ

飛田には「遊廓」がある
長い伝統に根差した
正真正銘の色街
押し寄せる歴史の荒波にさらされ
打たれ洗われ揉まれた末に
21世紀の今も
そこはひっそりと
そしてしたたかに
息づいている

そんなことは知らなかった
夜の新世界あたりを歩き回って
ディープなナニワを味わった気になっていたあの頃
ほんとに無知で
ナイーヴで
先入見にとらわれた
鼻持ちならない男だったんだ
僕は。
アスファルトの下に堆積した歴史の重み
歴史を背負った街の底知れない奥深さ
僕なんかの手には到底負えないのだ
大阪ってやつは

ヴェールに包まれた現代の遊廓。
そこには何があるのか
どんな人が暮らしているのか
いかなることが行われているのか

1955年生まれ
大阪をホームグラウンドにする
フリーの女性ライターが
12年の歳月をかけて
取材に取材を重ねた末に
その街の姿を生き生きと
鮮やかに描いてみせた

本書は
唯一無二の存在であるがゆえに
今まで公然と語られることのなかった街
飛田の全貌を明らかにしようとする
貴重なルポルタージュである

と同時に
自ら見て
聞いて調べて、
それこそ五感を全開にしながら
文字通り体ごとぶつかっていって
タブーに挑んだライターの
奮闘の記録でもある

エロ⇒暴力⇒裏社会
そんな連想をするから
だれもそこに触れようとしない
でもそれでいいのか
「知る人ぞ知る」のままでいいのか

そこで何かが行われている
それは何かに隠れて見えない
隠されれば隠されるほど見たくなる
知りたくなる
それが人間の本性というもの

著者の意図はわからない
そこで行われている行為が許せない
黙認している権力が許せない
搾取と貧困のシステムが許せない
そういう思いはもちろんあるだろう

でもその前に
もっと深い次元で
著者を突き動かしているのは
「隠されたものを見たい」
「未知のものを知りたい」
そういう原初的な
欲望であるように思われる

案の定
取材は難航する
一筋縄ではいかない
なにしろタブーなのだ

料亭を直撃して轟沈される
ならば周縁からと
街の喫茶店や飲み屋に通う
夏祭りに参加する
ダメ元で料亭の組合を攻めてみる
とにかく顔を覚えてもらう
何度も何度も
通いつめて人脈をつくる
廓のしきたりも街の歴史も
文献をひっくり返して勉強する
そうして時間をかけて少しずつ
少しずつ外堀を埋めながら
本丸に迫っていく

地元のヤクザにインタビュー
パチンコヤミ金との接触の試み
スポーツ紙の「女の子」求人広告に応募
そして料亭での就職面接
思い立ったが吉日
何でも臆さずやってしまう

ハラハラドキドキヤキモキ
まったく目が離せない
でもこの人ほんとにいきいきと
楽しそうにするものだから
見守るこちらは笑ってしまう

核心に近づくにつれて
手に負えそうにない現実が見えてくる
ややもすれば
身動きできなくなってしまいそうな
しがらみにとらわれている自分に気づく

そのこんがらがった網の目をこの人は
ひとつひとつ解きほぐしていく
書き手としての胆力は
デリケートな感性に裏打ちされている
まかり間違えばすべてが台無しになってしまう
そんなヒリヒリするような状況のなかで
注意深く手探りで
言葉と行動を選びながら
独立独歩のライターは
真実を手繰り寄せていく

そのような地道な努力の結果
たどりついた本丸
1対1のインタビューが実現する

料亭の女性経営者の経営哲学
「おばちゃん」(呼び込み役の俗称)の波乱の人生
女の子たちの暮らしぶり

飛田で働く人たちの話は生々しい
男と女と金と暴力
そこには独自の原理が支配する世界がある
それは悲しい伝統の名残りなのか
集約された現代社会の歪みなのか

いずれにせよしかし
それは僕らの日常のすぐ隣で
営まれている暮らしなのであり
彼らとて僕らと同じ
多少は波乱に満ちた人生を背負っているけれども
ごく普通の感性を持った
市井の人々なのである

共感はできないかもしれない
でも嫌いではない
本書の最大の魅力は
そういう著者のスタンスだ
書くことはまず知ること
何かを押しつけることではない
克明な記録によって人の心を動かすこと
それがノンフィクションの力というものだろう








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2012年01月04日

サラリーマンを生きる−21世紀における「会社」の再解釈−

今いる場所にとどまることは、一種の知恵である。
現状を否定したり、肯定したりする必要はない。
所与の環境のなかで、自分の立ち位置を確保する。
会社員にとっては、まずそれが先決だ。
あれかこれかの判断は、その後でいい。

会社に何かを期待すべきではない。
会社は何かを託すところではない。
会社は基本、不条理に満ちている。
会社に基本、希望はない。

それを君は許せない?
許す許さないは君の自由。
だけど、
君が許そうが、許すまいが、
会社には何の関係もない。
君の私的な感情で、
会社が動くわけがない。
会社は俺たち死んだとて、
ずっと後まで残りますよネ。

絶望するのはもうやめよう。
苦しくなるだけだから。
絶望するくらいなら、
いっそのこと、
あきらめてしまおう。
希望を捨ててみよう。
そこから何か見えてくるはずだ。
それは必ずしもネガティヴな選択ではない。

夢や希望が僕らを輝く未来に導くとは限らない。
原発だって、かつては夢や希望として語られたじゃないか。
言葉のイメージに踊らされることなく、現実を見るべきだ。

会社に絶望したからって、
だからといって、
やめてしまうのはつまらない。
会社なんてララーラーララララーラー
所詮そんなものさ。
あんまり期待を持たないで、
そこでできることを見つける。
会社のためでなく、
自分のために。

積極的な諦念というものもある。
あきらめを、前向きな力に転化できれば。
それにはちょっとしたコツがいる。
でもそんなに難しいことじゃない。

わざわい転じて福となす。
諦念を駆使して力となす。
この乾き切った時代、
サラリーマンとして生きていくために、
必要不可欠な技法を、
教えてくれるこの2冊。

 
 伊藤隆行 『伊藤Pのモヤモヤ仕事術』(集英社新書)
 
 津村記久子 『ワーカーズ・ダイジェスト』(集英社)


前者は、テレビ東京で下らない番組をつくり続けるプロデューサーの「生き方本的ビジネス書」。
後者は、勤めをやめずに書き続ける芥川賞作家の最新作。


「何をどうするか」を語る前にまず、
「今はどうなのか」を観察せよ。
両者に共通するのは、現状に対する冷徹な認識と描写である。
たとえば職場の人間関係。
上司と部下、同期、先輩後輩・・・
ひとくちに同僚と言っても、さまざまな関係がある。
それぞれがそれぞれと交錯して、じつに複雑。
それを的確に把握できるか、否か。
人間関係の網の目にとらわれてはいけない。
一歩引いて、注意深く立ち位置を定めることが大事なのだ。
すべてはそこから始まる。
だからおろそかにしてはならない。
無頓着ではいけない。
同僚は友達ではないのだ。

問題は「あそこ」ではなく、「いま、ここ」。
あいまいな彼岸ではなく、具体的な此岸へのこだわり。
仮想現実ではなく、拡張現実(ちょっと違うか)。

正しい現状認識から、自分のできることが見えてくる。
同時に、どうにもならないことも見えてくる。
「やりたいことが自分の役割とは限らない」
伊藤Pの至言。
それはそれで仕方がない。
その代わり、あきらめた後に残る「これは」というものを、
意地でも守り通す。
そのために何ができるか。
何をすべきか。

「ここから先は譲れない」
諦念サラリーマンの矜持。
その一線を見極められるかどうか。
会社で死ぬか、生きるかはそこにかかっている。







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2011年07月23日

反逆のメロディー

 ミュージックマガジン増刊「プロテスト・ソング・クロニクル 反原発から反差別まで」に採り上げられた古今東西130曲のリストを眺めていると、地球上には今なおさまざまな問題がいたるところに渦巻いており、私たちが知ることができるのはそのほんの一部分にすぎないのだということにあらためて気づかされる。

 やむにやまれぬ思いを社会の俎上に乗せるためのひとつの手段として、私たちは歌を持っている。言葉やメロディを生み出すことはできなくても、歌うことは誰にもできる。一人の思いは歌われることでもう一人に伝わり、時には言葉の違いや国境を超えて広がっていく。歌は人と人をつなぐ共感のツールでもあるのだ。

 世界に対する怒りや嘆きを人に伝えるのは難しい。個人的な思いをどうやって表現すればいいのかわからず、人はしばしば途方に暮れる。でもそこで無力感にさいなまれたり、あきらめてしまう必要はない。いざというときには、何十年何百年と積み重ねられてきたディスコグラフィが役に立ってくれる。注意深く探せば、きっと見つかるはずだ。自分の思いを託すことができる歌を。

 各分野のスペシャリスト35人による解説文は、「3.11後の日本」という立ち位置を踏まえた上で、130曲それぞれの社会的意義を明らかにしようとする。歌というのはそれが生み出された時代だけのものではなくて、過去や現在や未来を行き来しながら、人々の心の中で、その都度かたちを変えて生き続けるものだ。この本の曲目リストは、新しいとか古いとか、洋楽とか邦楽とか、そういう区分をいったん外して、「原発、核兵器の廃絶を訴える歌」「戦争を憎み、平和を願う歌」というように、テーマ別に組まれている。それはつまり、通説にとらわれることなく、自分なりの音楽史を読者それぞれが再構成する余地を残したということだ。

 人は何のために歌うのか。音楽は何のためにあるのか。一人ひとりがそういう根源的な問いに立ち返って、「いま、ここ」にある歌の意味をとらえ直すことができた時、歌は共感のツールとして、かつてのような社会的機能を取り戻すことができるのだろう。


 
 中村とうよう氏と原田芳雄氏に哀悼の意を表して。
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2011年07月16日

世は歌につれ

 ふらりと降りた長岡で、いい本屋を見つけた。駅前の商業施設2階にある宮脇書店。地方都市でよく見かけるチェーン店である。ビルのワンフロアほとんど全部を占める長岡の店は、とにかく広かった。「本なら何でもそろう」という惹句の通り、専門書から文庫、雑誌に至るまで、オールラウンドな品揃え。ゆったりと気持ちのいい店内を歩きながら、その充実ぶりに目を瞠った。
 長岡というとどこか遠い土地のような気がするけれど、鉄道でいえば長野市と同じ信越本線沿線であり、そう考えると親近感もわいてくる。長野から県境を越えてすぐの新井から、直江津経由の新潟行き「くびきの」という快速が出ており、特急車両を使ったこの列車を使えば、長野から乗り換え1回、3時間弱で長岡に着く。
 長岡を訪れたのは夜8時。ほとんどのテナントがシャッターを下ろした商業施設の中で、宮脇書店だけが店を開けていた。営業時間は9時半まで。有難い有難い。予期せぬ展開に心が弾んで、あれもこれもと衝動買いしてしまったのが次の本たち。


高護『歌謡曲−時代を彩った歌たち』岩波新書
深沢七郎『言わなければよかったのに日記』中公文庫
大竹昭子『図鑑少年』中公文庫
久生十蘭『十蘭万華鏡』河出文庫
森山大道『犬の記憶』河出文庫
吉村昭『星への旅』新潮文庫
津村記久子『君は永遠にそいつらより若い』ちくま文庫
スティーヴンスン『ジーキル博士とハイド氏』岩波文庫
谷崎潤一郎『春琴抄』新潮文庫
堀江敏幸『なずな』集英社


 この中で特に採り上げたいのは岩波新書の『歌謡曲』。タイトルは控えめで目立たないけれども、読んでみると斬新で、刺激に満ちた議論にぐいぐい引き込まれた。帯には「ヒット曲でたどる魅惑のディスコグラフィ」とある。しかしながらこの本は、単なる歌のレビューではない。さらにいえば、叙述のツマとして歌を添え物にする社会史の本でもない。
 時代が歌を生むのではなく、歌が時代をつくる。作曲家、作詞家、歌い手、アレンジャーといった関係者は、その時何をしようとしていたのか。曲の背景にある作り手の意図は何だったのか。業界の第一線で活躍してきた著者は、何よりもそこを明確に示そうとする。俯瞰ではなく内在する視点。著者の姿勢は一貫している。
 最大の見所は、楽曲構造に踏み込んだ分析だろう。コードやリズム、歌詞やメロディといった要素に分解してみると、その曲の本来の姿が見えてくる。曲とは要するにそれら要素の組み合わせでできているわけだから、楽理分析すれば曲に込められた作り手の狙いが手に取るようにわかるのである。
 音楽とは第一義的には論理である。作り手の側にいた人ならではの冷徹な議論はアカデミックな香りを漂わせながら、歌を心情やイメージでしかとらえられない受け手の凝り固まった先入観をばりばりと打ち砕いていく。
 終戦から80年代までよどみなく流れる「歌謡史」の中で特に圧倒されたのは60年代の叙述。ロックやフォークといった海外のムーヴメントを、我が国の商業音楽家たちがどのように取り入れていったのか。そこにはさまざまな解釈があり、それが「日本の音楽を変えてやろう」という改革の熱気と結びついて、多種多様な歌が生み出されていったのがこの時代。ビート革命やアレンジ革命といった概念で、つまり著者は音楽の言葉だけで、この時代のありようを生き生きと描き出している。
 ビートルズによる音楽革命をリアルタイムで体験した日本の音楽家たち。彼らはその意味を理解し、自らの作品に反映させていった。その成果が、たとえばザ・タイガースであり、たとえば黛ジュンだったという。編曲を「伴奏」ではなくそれ自体作品として独立した「作品」として意味付けようとするのが「アレンジ革命」。8ビートというリズムとメロディとコードと歌詞と歌唱を一体的にとらえ、そこから楽曲を構成していこうという発想が「ビート革命」。ザ・タイガースの「君だけに愛を」や、黛ジュンなら「恋のハレルヤ」、というふうに、あくまで具体的な曲の分析によって、音楽の革新を論証していくこのあたりのくだりには、圧倒的な説得力がある。
 70年代、キャンディーズの「春一番」に関する叙述も、個人的には興味深いものがあった。この曲は純粋なブルース形式なのだと著者は言う。1コーラス12小節、スリーコード、スケールはブルーノート・ペンタトニック。試しに書棚の「ブルース・ギター入門」を開いてみると、確かにそれがブルースの基本形だと書いてある。さらにこれも家にあった「日本のフォーク&ポップス大全集1」(ドレミ出版)掲載の「春一番」の頁を見てみると、確かに譜面もそうなっている。この曲のテンポの速さは驚異的で、それは当時流行のディスコ・ミュージックを取り入れたロックン・ロールというコンセプトで作られたからだろうと、このエバーグリーンな曲を著者がしっかり歴史の中に位置付けてくれているのを確認して、私は思わず涙ぐみながら拍手を送ったのであった。
 高護という名前に見覚えはあった。URCの復刻盤などで監修をしたりして、よくクレジットされている人だが、詳しくは知らなかった。巻末の略歴によれば、80年代に音楽雑誌を創刊し、サエキけんぞうのプロデュースなどもしていたという。
 知性と論理に裏打ちされた語り口は、巷にあふれるどの音楽評論家とも違っていて、新鮮である。啓蒙される悦びを久々に味わった私が、さっそく歌謡曲のCDを買いに走ったのは別に他人に言わなくてもいいことだが、せっかくなのでここにそのリストを記しておきたいと思う。なにぶんこの分野は未開拓なもので。


「黛ジュン ゴールデンベスト」(東芝EMI)
「ザ・タイガース ゴールデンベスト」(ユニバーサル)
 欧陽フィフィ「雨の御堂筋」=紙ジャケ復刻版(EMIミュージック・ジャパン)
「奥村チヨ ゴールデンベスト」(東芝EMI)
「北原ミレイ ゴールデンベスト」(東芝EMI)
「決定版 今陽子とピンキーとキラーズ2010」(キングレコード)
「プレミアムベスト 小柳ルミ子」(ワーナーミュージックジャパン)
「ゴールデンベスト アン・ルイス 1973-1980」(ビクターエンタテインメント)
「ピンク・レディ ベスト」(ビクターエンタテインメント)
「不思議の国のアグネス(アグネス・チャン)+AGNES IN WONDERLAND HOME RECORDING DEMO IN 1979(タケカワユキヒデ)」(G-matics)
「都はるみ全曲集 小さな春」(日本コロムビア)
 松任谷由実「悲しいほどお天気」(EMIミュージック・ジャパン)
「THE VERY BEST OF GARY U.S. BONDS」(VIVID SOUND CORPORATION)


 最後に挙げたゲイリー・US・ボンズは60年代のツイスト・ブームを牽引した米国のロックン・ロール歌手で、彼の代表曲「ニューオーリンズ」の中にある「ヘーイヘーイヘイヘーイヘイ」という掛け合いは、70年代日本においてフィンガー5の「学園天国」や、キャンディーズ「ダンシング・ジャンピング・ラブ」に引用されたといわれているので、参考に聴いてみようと思い、買ってみたのである。
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2010年06月22日

珠玉のひとつばなし

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祖父が亡くなってふた月。四十九日も過ぎ、三途の川の向こう側に行ってしまった今ごろになって言うのもなんだが、やっぱりもっと話を聞いときゃよかった。

「ワヤじゃ。ひとりになってしもた」というのが口ぐせになった祖母は、時々思い出したように、若いころの話をする。四十九日法要の晩、問わず語りに聞かせてくれたのは、祖父との出会いから結婚生活に至るまでの思い出話だった。

微に入り細を穿って語られるエピソードは、どれも初めて聞くものばかり。何人かいた花婿候補のうち、なぜ祖父と結婚しようと決めたのか。親と同居する新婚生活のなかで、どうやって2人の時間を謳歌したのか。出征した夫の帰還を待つ妻の気持ちはどんなものだったか。堰を切ったようにあふれてくる記憶の奔流を前に、僕は何時間も圧倒されっぱなしだった。

こういう話なのだ。聞いておくべきだったのは。
祖父は多くを語らぬ人だった。でもこちらから訊ねると、何でも誠実に答えてくれた。じっさい、満州での戦場体験とか、そういう話はけっこう聞いている。でも振り返ってみれば、それはあくまで「どこそこに行って、何をした」という行動の記録だった。どちらかといえば、大文字の「歴史」に属する話であり、そこに祖父自身の喜びや怒りや悲しみといった個人的な思いは、あまり含まれていなかったように思う。

あの日、あの時、あの場所で、あなたは何を思い、感じたか。
そういう訊き方をすればよかったのだと今、後悔の念を新たにしながら読み進めているのが、『明治百話』(篠田鉱造著、岩波文庫)である。

昭和の初め、報知新聞の記者だった篠田鉱造が聞き書きした老人たちの思い出話から、明治初年という時代のありようが生き生きとよみがえってくる。

話者の名前は記されていない。あらゆる階層の、無名の人々が登場し、それぞれの「明治」を語る。身分職業によってずいぶん異なる語り口まで、忠実に再現して記されている。

「私(わっし)は魚源といって魚屋ですが怠けものでした」と言うのは、堕落した生活から改心して、伊藤博文邸出入りの業者になった男。「わたくしはこの新橋(とち)に何しろ十八の春から芸妓(げいしゃ)になりまして」と言う姐さんは、昔の芸者の苦労を懐かしそうに語る。「自分は学生時代から、鰻が好きで、その時代から、五十銭の小遣があると、金杉の「松金」へいった」という通人らしき人が回顧するのは、隅田川で白魚が掬えたというのどかな東京の街の姿だ。

しかし何より強烈なのは、最初に登場する「首斬朝右衛門」だろう。代々、刑場での斬首を家業にした山田家の8代目が、家伝の奥義を披瀝するとともに、自らが手を下した有名な罪人の最期の様子を、見たままに教えてくれるのだ。

書き言葉でなく、話し言葉で織られる歴史のタペストリー。そこに描かれた市井の人々の姿は、生き生きとして美しく、それでいてはかなげで、たまらなくいとおしい。
 
話を聞くというのは本来、かけがえのない営みなのだ。一期一会というけれど、手をこまねいていて時宜を逃せば、後には何も残らない。

ばあちゃんの話、もっともっと聞いておかなければ、と思う。
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2010年02月20日

「座頭市」はそんなに面白いのか

11月に亡くなった斎藤耕一監督の映画をよく見ていて、調べたら家にDVDが3作品もあった。

『旅の重さ』『津軽じょんがら節』『無宿(やどなし)』

いずれも、70年代前半という時代を体現するような作品だ。都会と地方の狭間でさまようアウトサイダーの「青春」。そういうテーマをペシミスティックに、色彩豊かな映像で表現する監督だった。

この3作のなかで異色作といえるのが『無宿』である。なにしろ主役が3人もいて、それも高倉健と梶芽衣子、そして勝新太郎という、これ以上ないというほどの豪華メンバー。黒沢明や市川崑といった巨匠ならともかく、どちらかといえば地味な印象の斉藤耕一監督に、こういうキャストによる「大作」はそぐわない感じがする。

『無宿』の本当の意味での「主役」は、高倉健でも梶芽衣子でもなく、勝新太郎である。夢のスター競演は、勝新太郎率いる「勝プロ」の強力な後押しによって実現した企画であった。監督やスタッフ、俳優の人選は勝の意向によるもので、高倉健はあまりこの映画に乗り気ではなかったらしい。

このエピソードを知ったのは最近のことである。職場の同僚に借りて何気なく手に取った本が教えてくれた。その本とは、春日太一『天才 勝新太郎』(文春新書、2010年刊)。

映画人としての勝新太郎。その知られざる側面を、この本は制作現場の人々の証言によって明らかにしていく。と同時にこれは、70年代以降の日本映画の動向を俯瞰したいと思う人にとっては、格好の入門書にもなる。勝新太郎という人はそのまま、日本の映画史を体現する存在でもあったのだ。

市川雷蔵へのコンプレックスに悩んだ大映時代。量産されるB級映画に出演しながら、勝新太郎は自分の演技とは何なのかを必死で考える。そうするうちに俳優の枠をこえて、脚本や演出、編集といった映画制作全般に関心を持ち始める。やがて「座頭市」という当たり役にめぐり合い、それによって名声を得た後、より自由な作品づくりの場を求め、勝は会社を離れることを決心、自身のプロダクションを立ち上げる。

興味深いのは、勝新太郎が長唄を家業とする家の出身であることだ。自身も師匠として、20歳のころには弟子に三味線の稽古をつけていたという。そんな彼が映画にあこがれ、役者になった。当時の映画界は大手5社によるスター・システム隆盛の時代で、制作、監督、俳優が完全分業の量産体制を敷いていた。俳優はどこまでいっても俳優で、制作サイドに口出しできない。そういうシステマティックなやり方に我慢できない勝は、一俳優なのにもかかわらず、監督や脚本にどんどん注文をつけて、波乱を巻き起こしていく。

勝新太郎という人は、そういう意味での問題児だったのだ。斬新な表現を求めて、とことん突き詰める彼の姿勢に、妥協はありえない。勝プロの現場では、事前に準備された脚本やセットがそのまま役に立つということがなかった。撮影当日、勝の即興で進められる演出に合わせてすべての前提が書き換えられることもしばしば。そのようにして徹底的にこだわり抜いた映像こそ、あの「座頭市」シリーズなのだという。

有名な『影武者』降板騒動にしても、黒沢明を以前から崇拝していた勝が、その巨匠の粗雑な演出に接して幻滅し、すっかりやる気をなくして役を降りてしまった、そういうことらしい。

勝がこのようなやり方を貫くことができたのは、「座頭市」の成功があったからである。みんなが立場にとらわれず意見を出し合い、作品を作っていく。勝の神がかり的なインスピレーションだけでなく、そういう「勝組」の現場の自由な雰囲気もまた、作品の重要な要素だったのだ。

著者が絶賛してやまない勝新太郎の「座頭市」を、私は一作も見ていない。だからこの本を読んでいて、いまいちピンと来ない部分もあった。評伝というには近すぎる著者と対象との距離が、読む者にそう感じさせるのかもしれない。だいたいタイトルからして、「天才 勝新太郎」である。そう言ってしまったら、身も蓋もない。

著者は芸能史・映画史を専攻する大学院生で、CS放送で見た「座頭市」シリーズに衝撃を受けたことが、執筆の動機なのだという。当時の関係者を訪ね歩き、映画の撮影現場に入り込んで、徹底的に話を聞いたのだそうだ。そういう証言の積み重ねによって、この著作は、今はもういない人間の存在感を生き生きとよみがえらせることに成功している。

勝新太郎とは何者で、「座頭市」はいかなる作品なのか。確かめてみたいと思った。著者の思いが読者を動かす。そんな力にあふれた本である。
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2010年02月06日

戦場の孤独

戦争の本質は狂気ではない。

石川達三の『生きている兵隊』は、そのような著者の信念によって支えられた作品である。

昭和12年から13年にかけて中央公論の従軍記者として中国戦線で取材した石川達三は、10日間でこの作品を書き上げたという。昭和13年2月、当局の検閲で4分の1を伏字とされて誌上に発表されるも、即日発売禁止となった。

この作品は、ある部隊が中国各地を転戦しながら、南京攻略戦に参加し、占領に成功するまでの数ヵ月間を描いている。部隊のなかの数人が登場人物として選ばれ、彼らの目を通して、戦場の日常が綴られる。登場人物たちに寄り添いながら、物語は時系列に沿って展開していく。

読み進むにつれて読者は、まるで自分も部隊の一員として彼らと行動をともにしているかのような錯覚に陥る。この臨場感を生み出しているのは、登場人物の生き生きとした描写である。

元教師の倉田少尉、新聞の校正者だった平尾一等兵、医学生あがりの近藤一等兵、従軍僧の片山玄澄…彼らのそれぞれに固有の物語がある。それらの物語が、戦場でのエピソードと絡められながら、一つ一つ、じつに丁寧に描かれている。

兵士は英雄ではない。スーパーマンでも殺人マシーンでもない。心を持った人間として、それぞれに悩み葛藤しながら、戦場での日々を送っている。「生きている兵隊」とはそういう意味だ。「兵隊」という観念ではなく、個々の「人間」を見ることで戦争の真実を明らかにしよう。それがこの作品の狙いなのである。

人間の生と死が交錯する戦場では、戦闘以外にも、日常的に残虐な行為が行われる。戦闘地域と非戦闘地域、戦闘員と非戦闘員の区別があいまいだった中国戦線では、特にその傾向があった。そういう背景の説明もしっかりなされている。自国の軍隊による残虐行為を目にしたり、あるいはその行為の当事者たることを余儀なくされる兵士らの心の内を、著者は執拗に追究している。

日本で普通に暮らしていた市民が、戦場に来て、人殺しを辞さぬ戦闘員になっていく。その過程はいかなるものなのか。石川達三は、一人ひとりの人間に寄り添いながら、あくまで論理的に、言葉を尽くしてそれを説明しようとするのだ。

たとえばそれを、「狂気」と表現することもできるだろう。極限状況のなかで人間性を奪われた兵士たちが、殺し合いをする戦場の狂気。普通の市民だった人たちがなぜ、残虐行為をする兵士になるのか。それは戦場の狂気がそうさせたのだ。こういう言い方も十分あり得る。

でもこれでは、戦争に関して何も説明したことにはならない。狂気という言葉はあまり意味のない慣用句にすぎない。戦争とはそのような言葉では片付けられないものだ。石川は、そこまでは言っていないけれども、彼の小説家としての矜持が、安易な言葉で戦争を語ることを許さなかったのだと推測するのは、難しいことではない。



「平尾はある都会の新聞社で校正係りをしていたロマンティックな青年であった。骨格の大きさに似合わず感受性の強い繊細な彼の神経は戦場の荒々しい生活のなかではひとたまりもなく崩壊しなければならなかった。そして新しく彼の全身を動かしはじめた神経は一種すてばちな闘争心であった。戦線に出るようになってから彼は急に大言壮語することを覚えた。彼は敵を斬った有様を講談師のように見事に説明して聞かせた。それが新しい彼のロマンティシズムであった。そして戦争が暇なときには元の繊細な感情が甦って来て彼を支離滅裂にしてしまうのであった。」(28〜29頁)



このように悩んでいた平尾一等兵はこの後、泣き声がうるさいという理由で、野営地近くの民家の若い中国人の女を殺してしまう。

彼と同じように、登場人物の各々が、殺しては悩み、悩んでは殺し、そうやって残虐行為を重ねていく。同じ部隊の仲間でありながら、彼らの悩みは決して共有されない。各人がそれぞれの苦悩を内に抱えたまま、孤独を深めてゆくばかりだ。さらに悲しいのは、彼らが互いに、深い孤独を抱えていることを知っているということだろう。互いを慮って、戦友たちはいたわり合っているのである。

おまえの悩みを、おれはどうすることもできない。これはたぶん、戦場に限らず、日常生活にも通じる人間関係の普遍的事実だ。親しい友人や家族に対してそんな思いを抱くこともよくあるだろう。戦場とは結局のところ、そのような人間の普遍性がもっとも露骨な形であらわれる場所である、ということになるのだろうか。

孤独な魂の彷徨。石川達三が描いた兵士像がこんなにも説得力をもって、70年後のいまを生きる私の胸に迫ってくるのは、いったいなぜなのだろう。


                 
  *テキスト
   
   石川達三『生きている兵隊(伏字復元版)』中公文庫、1999年


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2010年01月19日

語らない旅行記

中村安希『インパラの朝』(集英社 2009年)を読む。

26歳の女性が、約2年かけてユーラシア・アフリカ両大陸の47ヵ国をめぐった旅の記録である。昨年「開高健ノンフィクション賞」を受賞した。

美人である。でもそれはあまり重要ではない(と思う)。たとえあなたが、小林紀晴が撮影したという帯のポートレイトに眩惑されなかったとしても、ひとたび本を手に取って、最初の数ページをめくり、少しでもその文章に目を通してみれば、この本が見かけ倒しではないことに気づくだろう。

冒頭からぐいぐい引き込まれる。それほどこの作品の導入部は、力強い。それは鍛え抜かれた肉体の強靭さともいうべきものだ。贅肉をそぎ落とした文章が、ぎしぎしと音を立てながら展開していく。言葉の連なりはスムーズではない。「26歳の女性のみずみずしい感性」というようなイメージは、この本では通用しない。浅薄な期待を抱いた読者は、早くもここで先制パンチを食らうことになる。

筋肉質の文体は、ハードボイルド小説を思わせる。余計なことは語らない。くどくど説明しない。目で見て耳で聞いた事実だけを記す。語りを抑制して、記録に徹する。この著者の姿勢は、旅の目的と深くかかわっている。


「そして次第に、アメリカとは逆の方角に位置する二つの大陸を強く意識するようになった。ユーラシア大陸とアフリカ大陸、そこに存在する一五〇余りの国々と、そこに暮らす五〇億を超える民。そして、私の耳には届くことのなかった小さな声の限りない広がりと、そこに示される意味の深遠さについて。」(カリフォルニア[向かう世界])


語り手ではなく「聞く者」として、著者は旅に出た。そして2年間、いろんな世界のあらゆる音に、耳を傾け続けた。それは路地裏の生活者の声であり、中東の空に響く鳥のさえずりであり、サバンナに吹き渡る風の音であり、時には砂漠をさまよう自分の心臓の鼓動であったりもした。


「街の路地や小道にはその土地の人が住んでいて、前向きに世界を捉えながらささやかな生活を営んでいた。私は旅人の立場上、小さく入り組んだ視野に立った。そして、弟や妹やママといった非暴力的な人々を、ありのままの姿で紹介しどこかに宣伝することで、彼らの与えた親切に報いるべきだと考えた。
 バックパックを背中に着けた、小型でソフトな一メディアとして真実を語るときだった―小さな声に特化した利益の出ない媒体として」(パキスタン[路地裏の主役])


旅先で受けた無償の好意に、どのように報いるべきか。金も権力もないバックパッカーができることといえば、やはり相手の声を聞き、それをだれかに伝える、それしかない。ここで著者は、「聞く」ことが人と人をつないでいく営みであることを発見するのである。

語ることだけが重要なのではない。語るには聞き役が必要だ。聞き役は語り手を引き立たせるための存在ではない。むしろ聞き役がいるからこそ、語りが意味をなすのではないか。沈黙は「力」になり得る。それは、失うものが何もない旅行者に許される、唯一の強みでもある。

なぜ旅に出たのか。「声を聞く」ため。それ以上のことは書かれていない。著者が何者で、旅の季節はいつで、どんな交通手段で、どういうルートで、等々、そういうこともあまり説明されない。だからこれは実用的な「旅のバイブル」とは言えないだろう。ノンフィクションやルポルタージュとして、この作品にどのような評価を与えるべきなのか、私にはわからない。しかしそのようなジャンルをあてはめようとすること自体、あまり意味がないことのようにも思える。

ゆるぎのない視点があれば、説明などいらない。数え切れない出来事のなかから、何を書き、何を書かないか。個人的な経験である旅が作品になるかならないかは、そこにかかっている。そしてこの著者は、自分の旅を作品化することに成功した。それはおそらく、「声を聞く」という姿勢が、借り物でなく、著者の人生に血肉化した信念として、作品を支えているからなのだろう。

たくさんの情念が渦巻き、ぶつかり合うこの世界。それをより間近で見るために、人は旅に出る。旅の騒々しさに身を任せ、熱狂するのもいいだろう。でもふと立ち止まってみたら、その騒々しさの中に、聞き分けられる音があるかもしれない。『インパラの朝』は、静かな声で、旅する人にそっと教えてくれる。「ときには耳をすませてみよう」と。
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2009年12月17日

明朝体が似合う男

沢木耕太郎の『イルカと墜落』は、2001年9月、取材先のアマゾン奥地で墜落事故に遭遇した著者が、そこに至るまでの経緯とその後をまとめた旅の記録である。このほど文庫化されたのを機に読んでみた。

旅の記録といっても、この作品で描かれる旅は一人旅ではなく、NHKのTVクルーとともに、アマゾンの先住民をめぐるブラジルの事情を取材するという明確な目的を持った旅である。決められたスケジュールに従って、しかるべき場所へ行き、しかるべき人に会う。日程もコースも定めず、それゆえに「なぜ旅を続けるのか」ということがテーマになった『深夜特急』のような旅とは前提を異にしている。

さらにいえばこの作品は、タイトルを見ればわかるとおり、旅で何が起きるのかということが、あらかじめ提示されている。これも、沢木耕太郎には例外的なことである。「墜落」というひとつの大きな出来事が設定され、そこに向かって話が展開していく。旅の過程は、他の作品とは違って、そのまま独立してあるのではなく、ひとつのヤマの頂きに向かう道筋として描かれている。

「もっとも、私はブラジルに行きたいと思っていたが、アマゾンに特に強い関心があるわけではなかった」

たしかにこの作品では、著者が旅に出る理由は希薄である。事情があって以前協力した仕事がお蔵入りになってしまった旧知のディレクターが持ちかけてきた番組の企画。義務感のようなものに駆られて、その依頼に応える気になった。「行こうかな、と思った」ら、そのうち話がみるみる進んだ。その程度のきっかけで、アマゾンに旅立ってしまうのだ。

旅は2部構成になっており、まずはじめに、先住民保護に人生を捧げるブラジル人に会うためにアマゾン川を遡る船の旅があり、これが「イルカ記」。この人物との出会いを下敷きにして、いよいよ先住民調査に同行するための第2の旅が始まる。こちらは「墜落記」のタイトルが示すとおり、この旅で調査に向かう途中、沢木耕太郎が乗ったチャーター機が墜ちるのである。

『深夜特急』の読者としては、選択と決断を繰り返し迷走しながら進んでいく沢木流の旅の醍醐味を欠くこの作品を、物足りなく感じるかもしれない。それでもさまざまな仕掛けを施し、ひとつの作品に仕上げる手腕はさすがのものだ。

たとえば人物描写。同行する4人の取材クルーは、ディレクターの「コクブン氏」、カメラマンの「スガイ氏」、音声・照明の「シモガキ氏」、日系人の通訳「ワタベ氏」というように、カタカナで表記され、この4人に沢木を加えた5人が、2つの旅で不動のメンバーとして苦楽を共にする。このように大勢で行く旅を描くことは、著者としてもおそらく初めての試みではないだろうか。旅を続けるうちに各々のキャラクターが鮮やかに浮かび上がり、それがまた旅に深みを与えていく(HTBの名物番組『水曜どうでしょう』を思い出した)。これは一人旅にはない味わいだろう。

これはその5人の旅であると同時に、外に向かって開かれた旅でもある。それは多くの人の協力があって初めて成立する。著者の眼は当然ながら、そこを見逃さない(『水曜どうでしょう』と違う点だ)。

魅力的な登場人物は枚挙に暇がない。何日もかけてアマゾン川を遡る船では「ジブソン」という少年をはじめとする親子のような乗組員たちが働いている。アマゾン奥地の拠点に住むブラジル先住民保護事業の英雄的存在である「ポスエロ」という人物は、『地獄の黙示録』のカーツ大佐のイメージに重ねられて描かれる。墜落機のパイロットである中年男はでっぷり太り、メキシコ映画の悪役のようで、乗る前から態度が気に入らなかった。どこか信頼できないという直感があった。そういう伏線があり、墜落直前、上空から荷物を捨てなければならないというときになって、著者が真っ先に捨てたのはこのパイロットのバッグだった、というエピソードにつながる。墜ちようとしている飛行機の中で「まず、彼に責任を取ってもらおうではないか」と思って捨てる荷物を選んだという著者。生きるか死ぬかという場面に立たされた時、人はどんなことを考え、行動するのか。おそらくこの作品で読者が一番知りたいところだろう。その場面を著者はこのようなエピソードを織り込んで、生き生きと描き出している。

「どうやらこの飛行機は墜ちるらしい」

沢木耕太郎はこの期に及んでも、見ることをやめようとしない。周囲の状況に目を配ることを忘れない。そのとき自分が何を思っていたか。死の恐怖か、家族への感謝の念か。意外なことに、そういうことは考えなかった。ここはどんなに言葉を尽くしても、なかなか伝わらない部分だろう。墜落のシーンはわずか7ページである。「何かおかしい」と疑念を抱いてから、その疑念が次第に深くなり、機内の緊迫がだんだんと、そして一気に高まって墜落、という何十分かの時間を沢木は、わずかな言葉で、凝縮して描き切っている。思わず口をついて出てきた言葉が「マジかよ!」というくだりには、思わず笑ってしまった。いや、このような場面で人間は、本当に笑うしかないのかもしれない。

この短い墜落の場面は、飛行機が墜ちた後の詳細な描写によっていっそう効果的になる。墜落とはどんな体験なのか。ここでも著者は自分で心の内を語るのではなく、あくまで登場人物たちに語らせることで状況を再現しようとする。叙述は会話によって進められる。

「すると、そこにスガイ氏がやってきて、言った。
 『こんな目に遭わせてすみません」
 そして、感情が激してきたのかククッと泣いた。
 『ここは君がしっかりしなくては』
 私が言うと、スガイ氏は急に自分の役割を思い出したらしく、しゃっきりとして唯一無事だった小型のデジタル・ビデオで事故機の様子を撮りはじめた。」

救急車で町の病院に運ばれた沢木は、検査の結果、軽傷で済んだことが判明するも、背中と腰の痛みはひかず、その後も長く続くことになった。病院の救急治療室では、日系人の青年医師の診察を受ける。次々に運ばれてくる重傷者を目の当たりにして、ブラジル社会の縮図を見る思いがする。さすがに一時は動揺した沢木耕太郎の観察眼はここではすっかり、いつもの鋭さを取り戻している。ふだんなかなか目にすることができない救急治療室の中にいてその様子をルポしようと、胸躍らせて見回している著者の姿が、目に見えるようである。

旅の途中、立ち寄ったサンパウロの街角。マッチ箱に絵を描いて売っている中年の女性がいた。本題とは直接関係のない、このような小さな出会いが、旅に彩りを添える。これはもう、『深夜特急』の世界である。この作品のなかで、この場面はまるで砂漠の中の緑のような存在だ。遠い異国の街と、そこに息づく人々の暮らし。鮮やかなイメージとなって、情景が立ちのぼる。

沢木耕太郎とは、行動する者であると同時に、見る者である。対象に深くかかわりながら、外部の立ち位置を保ち続ける。内と外の視点が、絶妙な均衡のもとに両立している。文体は一人称でありながら、限りなく三人称に近い。情熱と冷静さのせめぎあいが、ダイナミズムを作り出す。

そんな沢木耕太郎の文体には、明朝体がよく似合う。無駄をそぎ落とした肉体のようによく動く、しなやかな文章。端正で無駄のない記述に、余計な装飾は必要ないだろう。

墜落事故が沢木耕太郎にもたらしたものは、背中と腰の、いつまでも続く痛みだという。この痛みとどう付き合っていくか。それは必ずしも憂鬱な事実ではなく、むしろ楽しみでもあると書いている。どちらかといえば「あれかこれか」という考え方だった自分が、あいまいでどっちつかずの状態と、どう向き合っていくか。それがこれからの課題なのだという。70年代的な若さの代名詞のような存在であった氏の作品に、この事故の経験がどのような影響を与えていくのか。

たとえばその影響は、事故の後に出た『1号線を北上せよ』などでも感じることができる。年寄りは年寄りなりの旅を、というのがこのバスによるベトナム縦断紀行のテーマだった。これを読んだ時私は、60歳になっても70歳になっても沢木耕太郎の旅は終わらない、というマニフェストのように思えた。これから先、この人はどのような旅を見せてくれるのだろうか。

     (敬称略、引用は『イルカと墜落』文春文庫、2009より)


後記

ディレクター「コクブン氏」の解説によれば、『イルカと墜落』の2つの旅の後も取材は続けられ、3回目のアマゾン行で、クルーは先住民とのコンタクトに成功し、番組は2003年に完成したそうである。『NHKスペシャル「隔絶された人々 イゾラド」』(ハイビジョンでは2時間の長編)というこの番組、私は未見である。放送されたのかどうかもわからない。誰か見た人いるのだろうか。


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2009年09月07日

黄金色の爆弾を置き直す

NEC_0296.jpg丸善の本店といえば日本橋だと思っていたら、現在は丸の内の店なのだそうだ。その丸の内本店をぶらついていると、あるショーケースに目が留まった。近づいてみると「丸善創業140周年記念万年筆・檸檬」と書いてある。深緑色の化粧箱の傍らに、黄色い万年筆が飾られていた。

黄色いのはもちろん、梶井基次郎の「檸檬」に因んでいるのである。小説のラストシーン。神経と肺を病んで京都の街を彷徨する主人公は、因縁の場所である洋書店に入り、美術の棚に檸檬を1つ残して立ち去る。強烈な色彩イメージを喚起しながら、一気にカタルシスへと突き抜けていくという恐るべき文章であるが、その洋書店というのが丸善だということは、あまりにも有名だ。

主人公がこの檸檬を買ったのは、京都寺町通の果物店とされている。何年か前、そのモデルとなった八百屋が店をたたんだということがニュースになった。また丸善京都店が最近閉店したということも、どこかで聞いた。

丸善、なかなかやるなと思った。時宜を得たうえで歴史と伝統をさりげなくアピール。悪くないアイディアだ。その企画力、買ってもいい。でも値札を見たら、即断はできなかった。毎月給料をもらっているとはいえ、家計はそう楽ではない。なにしろ、こう旅ばかりしていては…。心の中で葛藤した。ショーケースの説明書きを熱心に読むふりをして、10分くらい迷っていた。そうしていったん立ち去った。でも結局、「買うべし」という内なる声に抗しきれず、1階からまたエスカレーターで戻って、万年筆売場に向かった。

きちんとした筆記具を、たしかに欲しいと思っていた。万年筆を持つのは初めてである。カウンターで使い方や手入れの方法について、あれこれ聞いたら、ペン先の太さや材質、インクの補充方式などによって、万年筆にはさまざまな種類があるということがわかった。インクも青から黒まで濃淡色々。この世界、けっこう奥が深い。

日本で万年筆を初めて扱ったのは丸善だということである。店の発祥は横浜で、明治期には独自ブランドの万年筆やインクも作っていた。しかし時代が下るにつれてボールペンなどの普及で万年筆の需要が下がり、昭和30年代ごろに丸善は万年筆の扱いをやめた。今回の製品は某国産メーカーとの共同製作で、万年筆とともに「アテナ」というブランドのインクも復刻したそうだ。

撤退した京都にも、いずれ近いうちに再び出店する計画があるのだとか。いまの時代、書店もなかなか大変だと思うけれど、前向きな姿勢は好感が持てる。輸入万年筆が1割引の会員価格で買えるという「丸善萬年筆友の会」の入会案内をもらって、店を後にした。

家に帰ってからさっそく、残暑見舞いを書いてみた。宛先は、無沙汰気味の両親と親戚。書く手に込める力の具合によって太さが変わるのが、なんとも面白い。自分の肉体の動きによって、頭の中にあるものが少しずつ、形になっていく。白い紙の空白が、文字で埋め尽くされていくさまは、何もなかった畑に蒔いた種が芽吹き、作物が育っていく過程を見るようである。手を動かして書くことの新鮮さ。書く、聴く、撮る・・・身の回りにあるツールは日々変わっていくけれども、それを使いこなして表現するのは自分だ。そういう自分の感覚を見失わないように、意識して大事にするようにしなければ、と思う。
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2009年06月01日

自由の使い方

JTB時刻表の5月号は通算1000号ということで、昭和21年の全国鉄道路線図という付録が付いていた。眺めていて気がつくのは、全国津々浦々に張りめぐらされた鉄道ネットワークの充実ぶりである。今では廃止されてしまった路線がたくさんあって、北海道などはこの時代の半分くらいの路線しか残っていない。自動車も道路もまだ普及しない時代、地方にとって鉄道は生命線だったのだろう。だから必死で誘致し、国鉄がそれに応えた。万丈の山を貫き千尋の谷に橋を架け、どんな小さな町にも道をつけた。鉄道は国の発展を支える基盤であり、その開通は地方にも中央にとっても夢だった。そんな時代の空気が、この地図を見ているだけでも伝わってくる。

そのような鉄道を、交通の手段としてでなく、旅の目的として描いたのが、内田百閧ニ宮脇俊三だ。

「なんにも用事がないけれど、汽車に乗って大阪へ行ってこようと思う」。内田百閨u特別阿房列車」の有名な冒頭部分である。目的のない旅。道程がすべての旅。その道程をひたすら見つめることで、劇的でもない風景が、不思議な魅力を伴って立ち上がってくる。

たぐいまれな観察眼と描写力は両者に共通するものだが、内田百閧ェさまざまな仕掛けを施し、読み物としての面白さに重点を置くのに対して、宮脇俊三の作品には、鉄道そのものへの個人的な思い入れが、より鮮明に反映されているように思える。

たとえば『時刻表昭和史』の中に、次のような一節がある。
「時は止っていたが、汽車は走っていた」。終戦の日、18歳の宮脇青年は疎開していた新潟から出かけた米坂線の今泉駅前で玉音放送を聴く。すべてがひっくり返るような体験、まさに自分の存在そのものが危うくなってしまった瞬間にも、国鉄の列車はほぼダイヤ通り正確に動いていた―。30年以上前の終戦の日の記憶が、このような情景としてよみがえるのだという。

宮脇俊三にとって鉄道は、人生の根幹部分にかかわるような何かだった。終戦の日の情景というのは十人十色、経験した人ならばそれぞれ語るべき言葉を持っているだろう。でもこれほど、後世の、それを経験していない者に鮮やかなイメージを想起させる言葉を持つ人はなかなかいないのではないだろうか。

戦後、出版社に勤めた宮脇は、多忙な仕事の合間をぬって、週末行って帰るという旅を続ける。そしてそれは編集局長という要職に就いた中年以降になって、より熱心になされるようになる。

『時刻表2万キロ』は、そのように寸暇を惜しんで出かけた旅の記録である。ただ列車に乗りたいという動機で始められたこの旅が、結果的に、個人的な趣味や道楽の域を超えた「作品」を生み出した。そこに描き出されるのは、鉄道がゆっくりと衰亡の道をたどりはじめた時代の日本の姿だ。それを自分は見届けなければならない。何かに突き動かされるように毎週旅に出るこのサラリーマンのなかに、そんな使命感のようなものがあったというのは穿ち過ぎだろうか。

流れ行く車窓の先に、宮脇俊三は何を見ていたのだろう。会社員には貴重な自由な時間、そのほぼすべてをささげてまで彼が見ようとしたものとは、いったい何だったのだろう。

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アラサーひとり旅

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30代というのは、何かと焦る年代だ。あれこれ、しなくてはならないことがたくさんある。ぼやぼやしているとあっという間に年月は過ぎてゆく。今やらなければ、何か取り返しのつかないことになってしまうような気がする。そんな観念に追われながら生きている人が多いのではないか。

でも、いったい何を急いでいるのだろう。結婚? 仕事? 確かに周りはいつの間にか既婚者ばかりになっているし、課長になって部下を持つ同僚なんかもぼつぼつ出てくる時期だ。自分だけ取り残されるのでは、という不安。これは大きい。それから世の中のプレッシャーもある。「まだ結婚してないの?」とか「まだ平社員?」というような視線が向けられると、いたたまれなくなる。

それはそうだけど、ここでふと冷静になって考えてみる。こういうものに追われて生きていて、自分は幸せなのだろうか、と。無言のプレッシャーをかけてくる世の中が悪い、と言いたくなる。でもそういう世の中の圧力というのは、じつは大したことはなくて、自分の思い込みによって増幅されている部分もあるのではないか。自分で自分を追い込んで、生きることを息苦しくしているのではないか。

益田ミリの4コママンガ+エッセイは、そのような思いに揺れる30代未婚女性の視点で描かれる。別にあきらめたり開き直っているわけではない。たとえば山本七平のいうような日本社会の「空気」とか、最近のいわゆる「KY」を批判するのでもない。そういうものは確かにある。年齢を重ねれば当然、そういうものにさらされる機会は増える。でもそれは仕方のないことだ。現実は変えられない。自分にできるのは、現実に流されることなく、自分のペースを守って生きていくこと。ときに押しつぶされそうになることだってあるかもしれない。でも、それも含めて、日常生活で出会う出来事のひとつひとつを大切にしていこう。彼女にはそういう視点がある。そこから、この世の中のありようを、静かに見つめている。

益田ミリのまなざしは、おそろしく冷静だ。でもだからといって、自分は世間の外にいるわけではない。いろんな人とかかわり合いながら、彼女もまた、生きている。その日々の暮らしのなかで、自分に向けられる人々の言葉と、それを受け止める自分の心の揺らぎを、丹念に追い、簡潔に切り取っていく。

そんな益田ミリの代表作といえば「すーちゃん」だろう。結婚しない30代女性の日常を描くこの作品が支持されるのは、たんに同世代の女性の共感を得たということではなくて、これが今を生きる人たちの間の微妙な距離感を描き出すことに成功しているからだと思う。

旅という観点からここで紹介したいのは、昨年出た「47都道府県 女ひとりで行ってみよう」。これはその題のとおり、ただ行ってみることだけを目的とした旅の記録である。めったに旅などせず、名所旧跡にも名産品にも興味のない30代の女性である益田ミリ自身が、ビジネスホテルに泊まり、街をぶらぶらしながら、たまには観光してみたり、名産品を食べてみたりする。そういう旅を月1回のペースで47回、4年にわたり全都道府県やってみた、という内容。とくに何をしようとするのではないから、何か心に残るような人との出会いもない。それどころか、この益田さんは「旅に出てまで人とふれあいたくない」とまで言う。

そんな旅のどこが楽しいのか、と最初は思った。でも読んでみると、意外にもこれが面白いのだ。考えてみれば、これほど自由な旅もないだろう。なにしろ目的がないのだ。あれをしなければ、これをしなければという気負いがないから、旅はまったくの偶然に委ねられている。別の言い方をすれば、いろんな可能性に開かれている。何かをしたから旅なのではない。特筆すべき体験などなくても、旅は成り立つ。重要なのは、そこで旅人が何を見て、何を感じたかなのだ。

たとえば富山県の旅。黒部ダムの眺めに感動しながら、ふと見回してみれば、まわりは大勢の観光客。よくみると一人で来ている人はだれもいない。彼らは一人でいる自分をみてどう思うだろう。もしかしたら「一緒に来る人がいない気の毒な人」と思われているかもしれない。急に恥ずかしくなった彼女は、一人でいてもおかしくないシチュエーションを演出しようとする。カメラマンのフリをしたり、仕事で取材に来たフリをして、熱心にメモを取ってみたり。そんな自分を自意識過剰と言いながら、それでもいい、と彼女は言う。いつでも堂々としている自分なんて嘘っぽいから、と。また熊本県の旅では、1軒のラーメン屋に入るために、3回下見をしたという自意識過剰ぶりが描かれている。一人旅での食事というのはわびしいし、どこか気恥ずかしい。彼女は旅先でのそうした感情を、「一人旅だから人との出会いがある」などと強がって隠したりすることなく、そのままさらけ出す。

見知らぬ土地で一人でいることの違和感。旅というのは本来、とても不自然な状態だ。「何々しなければ」という目的を取り除いてみたとき、そのような旅の本質的な要素があらわになる。この本自体は、特にそういう主題を追究しているのではないけれども、なにげないエピソードの連なりのうちに、読む者は「旅とは何か」ということについて、考えさせられる。

読んでいて思うのは、自分の旅がどれほど不自由なものであったか、ということだ。自分の旅のスタイルを思い起こしてみても、無数の「しなければ」に縛られることで、見えなくなってしまっているものがいかに多いことか。「なんでも見てやろう」というのは、もしかしたら「なにも見ないぞ」という宣言に等しい言葉なのかもしれない。

社会人になって7年。学生時代を含め国内海外とずいぶん旅をしてきた。そんななかで、なんとなく「旅とはこういうものだ」という思い込みのようなものができてしまっていたような気がする。意欲や熱意や行動力を持ち旅を重ねている人が、必ずしも優れた旅人とは限らない。人と人との関係のあり方を知りたいと思えば、旅は非日常のイベントではなく、むしろ日常の一部だととらえるべきなのだろう。

旅だろうと、ふだんの生活だろうと、固定観念にとらわれてはいけない。そのためにはまず、肩の力を脱いて、自分の内面を見つめることから始めてみよう。

旅を語るのは、それからだ。
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2009年05月31日

深夜特急、あるいは真剣な酔狂

DSCN0416.JPG

夜行列車が消えつつある。
利用者が減って、採算が取れないから廃止するという。
できれば残してほしい、と思う。でも、JR側の強固な方針に、真っ向から反論することもできない。乗る人がいないのだから仕方がない。時代の流れに逆らうだけの論理を、自分は持ち合わせていない。

理屈じゃないのだ。ふだんは意識しないけれども、そこにないとさびしい。そういう存在って、誰にでもあるでしょう。言葉にならない、いとおしさ。夜行列車に対して自分は、そんな感情を持っている。

学生時代から、夜更かしするようになった。夜遅い仕事ということもあって、それは生活習慣となり、いまも続いている。何をするわけでもない、自分だけの時間。社会人になり、そのような時間をいっそう貴重なものに感じるようになった。

当たり前のことだが、人は寝ているとき、この世界を見ることができない。大多数の人が眠る夜中に、ひとり起きている。これはつまり、普通に暮らしている人が見ることができない世界を、自分だけは見ることができる状態にあるということだ。ひそかな優越感に満たされた時間。でもそこには、自分ひとり眠りに取り残されてしまったという孤独感が、常につきまとっている。

そんな孤独にとらわれたとき、ふと思い出すのが夜汽車である。世界が動きを止めた夜中に、走り続けているものがある。戦時中、どんなにひどい空襲を受けても、日本の鉄道はかなり正確に運行されていたという。世界がひっくり返った終戦の日にも、列車は動いていた。それが心の支えになったと、宮脇俊三は書いている(「時刻表昭和史」)。ゆらぐ存在にとって、正確さは支えになるのだ。きょうもどこかで夜汽車が走っている。なんとも頼もしいことではないか。

急行「能登」(上野―金沢)や「きたぐに」(大阪―新潟)といった貴重な列車たち。金沢や大阪に用事がなくても、暇を見つけて時々、乗りに行ってみる。楽しい時も悲しい時も、その時間、そこに行けば必ず会える。変わらないものに頼りたくなるのは、自分の弱さではあるけれど、そういう弱さを否定したりせず、静かに受け止めたいと思う。いつもご苦労様。走ってくれてありがとう。

旅情とか利便性とか、そんな物差しはどうでもいい。夜行列車は私にとって、かくも個人的で観念的な存在なのだといっても、たぶんわかってもらえないだろう。廃止という時代の流れに逆らうには、甚だ弱弱しい論拠しか自分は持っていないから、「廃止するな」とは言えない。ただ、いつまでもなくなってほしくないと願うのである。
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こんな文章を書きたい

星野博美という人の本を読んだ。「転がる香港に苔は生えない」という作品で、10年ほど前に大宅賞を取った人。この人の文章は、なんというか、たまらなく切ない。克明なノンフィクションなのに、なにか恋愛小説を読んでいるような、感情のざわめきを感じる。愛に満ちたノンフィクション、とでもいおうか。

好きだから書く。ただそれだけのことが、これだけ豊かな実りをもたらすものなのか。まったく、新鮮な驚きだった。ノンフィクションを読むポイントの一つに、「書き手と対象の距離」というのがある。書き手としての「自分」をどこまで出すのか。客観と主観のバランスの取り方。でも彼女の作品を読んでいると、そのような命題自体が無意味なものに思えてくる。

たとえば上記の作品は、返還前後の香港人たちの姿を、自分もそこに暮らしながら見つめ、描いた記録である。暮らすということはつまり、人間関係にコミットすることだ。彼女は一人の留学生として、自分の個人的な友人関係を積極的に広げていこうとする。学校の友人、路上の絵描き、アパートの隣人、不動産屋のおばさん…どこにでもあるような、何でもない出会い。日常のエピソード。でもそれが積み重ねられるうちに、読者はいつの間にか自分が、香港という社会全体のあり方まで、かなり明確にイメージすることができていることに気付く。

「人脈重視」。個人的なエピソードが織りなす物語が浮き彫りにするのは、香港という特異な移民社会のあり方だ。それは国家という後ろ盾をもたないがゆえに、公的なものに頼らないという香港人の生き方のあらわれなのである。星野さんはそれを身をもって体験すると同時に、そうした状況をきわめて冷静に観察し、正確に記録していく。

友人関係に悩む感受性と、そうした自分を冷静に見つめ掘り下げていく理性。一人の人間のなかに共存する二つの要素が、作品世界の横軸と縦軸となり、物語に奥行きを与えながら、運命の日を迎える「香港」を立体的に浮かび上がらせるのだ。

星野さんはこんなことを言う。たまらなく香港が好きだけど、自分はやはり香港人にはなれない。日本に根を下ろすわけではないけれど、香港人のように徹底的な根無し草である勇気は、自分にはない。ずっと憧れていた存在。でも親密になり、知れば知るほど、彼我の溝が際立ってしまう。

こんな告白が、読む者の胸に迫ってくる。恋愛にも似て、書くことは、切ない。「好きだから書く」というのは、楽しいばかりではなくて、苦しいことでもある。彼女の作品においては、書くことはまさに生きることと同義なのかもしれない。

自分の書くべきことというのは、おそらく、ほかならぬ自分の日常のなかにあるのだろう。日々感じたこと思うことを消えないようにせっせと書き留めて、大事にしようと思う。

参考:
「転がる香港に苔は生えない」文春文庫
「謝謝チャイニーズ」文春文庫
「愚か者、中国を行く」光文社新書
posted by Dandelion at 01:08| Comment(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする