2016年03月13日

津軽海峡・冬景色2016

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何? 北海道新幹線?
おう、知ってるよ。開通するんだってなあ、今月。
こっちは関係ねえよ。
トンネルったって、車が通れるようになるわけじゃねえしな。
日本の物流支えてるのは、なんたってトラックよ。
こちとら、ちゃらちゃら浮かれてる暇はねえんだ。
なんせ、トラックは休みなしだからな。
雨が降ろうが風が吹こうが、昼間も夜中も365日、運び続けるだけよ。

おれの名は「ブルーマーメイド」ってんだ。
津軽海峡フェリーの函館青森航路で、4隻あるうちの最新型さ。
全長143.58メートル、幅23メートル。
旅客は583人、トラック71台または乗用車230台も載せられるんだぜ。
なんせ2014年就航だからな、ピッカピカよ。

船の旅もいいもんだよ。
甲板で風に吹かれて景色でも見てりゃ、3時間40分なんてあっという間さ。
陸地はずっと見えてるしよ、カモメもすぐ近くに来たりするしな。意外と退屈しないもんだぜ。
客室だって、ベッドのあるスイートからごろ寝のスタンダードまで4種類あるんだ。
赤ちゃんルームやドッグルームも完備してる。
運賃はスタンダードならオフシーズンで2220円。安いだろ。

食堂がねえのがなあ・・・でも自販機は充実してるよ。
カップめんとか、コンビニにあるような出来合いのものとか。
その場でチンすりゃあったかいのが食える。
長万部の駅弁「かなやのかにめし」まであるんだぜ。

港は駅からちょっと遠いけどよ。
函館のフェリーターミナルなら駅からシャトルバスがある。
ドライバーさんだけじゃなく旅客のみなさんも大歓迎だからさ。
まあ、新幹線に飽きたら、乗りに来てくれや。

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乗船日時
2016年3月9日
函館発17時30分、青森着21時10分


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2015年11月02日

遡上する生命

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北海道白老町のウヨロ川。本流に流れ込む水路の淵に、サケがひしめき合っていた。水路の上流にはふ化場がある。サケは自らが生まれ、放流された場所を目指して、目の前にある浅瀬の段差を乗り越えようと順番待ちをしているのだった。

バサバサバサバサ、バサバサバサバサ。夕刻の木立の中に時折激しい水音が響く。1匹、また1匹、しぶきとともに翻る金色の魚体。鉤のような鼻先はオス、丸いのはメスだろう。どれも体長は50センチほどだが、その体は例外なく傷ついている。剥がれた皮、ちぎれた鼻、ぼろぼろのひれ、つぶれた目。満身創痍の魚たちのジャンプは、驚くほど力強い。

川を遡ってきたサケのことを、地元では「ほっちゃれ」というらしい。商品価値がなくなった魚、というような意味で、町の人は「臭くて川には近づきたくない」と言う。ウヨロ川の、水路の淵がある一帯はサケの自然の産卵場所だが、川沿いを歩いてその言葉が理解できた。水際にはおびただしい数のサケの死骸。目的を果たした魚がそこで力尽き、腐敗を始めているのだった。漂う死骸の間を縫うように、遡上を続ける群れが通り過ぎていく。生と死が隣り合うその光景は、戦場の凄惨さを思わせた。

ふ化場に続く水路の淵には、次から次に群れが到着する。浅瀬のジャンプの成功率は高くなく、どちらかといえば失敗して淵に押し戻されることが多い。中にはせっかく乗り越えたのに、上流の速い流れに耐えられず、また流されてくるのもいる。それでも魚たちは豪快にしぶきを上げて挑み続ける。ボロボロに傷ついたサケたちが見せる、思いがけない力強さ。その生命の輝きは、個々の生死を超えた種の意志の反映であるように感じられ、どこか神々しかった。

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2015年02月24日

北の大地、鳥歩く冬

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「本能をよびさます冬。」
というのが、旭山動物園の冬期のキャッチフレーズらしい。

寒い屋外で平然とすましているライオンやクロヒョウ。
雪に足を滑らせながら歩き回るキリン。
大きな尻をこちらに向けてほのぼのとたたずむカバ。
オオカミは雪の上で気持ちよさそうに寝転んでいるし、アザラシは流氷のプールで飼育員さんから魚をもらってうれしそう。
確かに、厳しい環境の中でこそ、命の営みは輝いて見えるのかもしれない。

それにしても、やはりペンギンである。
「ペンギンの散歩」は午前11時と午後2時半の1日2回。
正門近くの「ぺんぎん館」から出発したペンギンたちは、園の西側約500メートルの周回コースを40分ほどかけて歩く。

2月3日午前10時45分。
雪の上に引かれた赤い線に沿って、長い、長い人垣ができていた。
「あちらの方に並んでください」
案内に従って正門近くから5分ほど歩き、列の端に並ぶ。

「野生のペンギンは餌をとるために海に向かって集団で歩きます。その習性を生かして、運動不足解消のために散歩をしています」

職員の男性が拡声器で説明するが、耳を傾ける人はあまりいない。
ずらりと並んだ人たちは、見たところ8割方、中国や台湾からの観光客。中国語があちこちから聞こえてくる。みんな仲間同士で楽しそうに、スマホやカメラをかざしている。

足元のすさまじい冷えに耐えながらカメラを準備し、待つこと10分。
まっすぐな花道の向こうに、ペンギンたちの姿が見えた。
全部で12羽。後ろに飼育員を従え、ゆっくり、ゆっくり歩いてくる。単独で先を急ぐもの、立ち止まって周囲をうかがうもの、よそ見をしながらジグザグに進むもの・・・いろんな個性が面白い。

12羽のうち、11羽が体長約1メートルのキングペンギン。堂々として、首の黄色が鮮やかで、絵になる。一番後ろに1羽だけ、ちょろちょろしているちっちゃいのはジェンツーペンギン。体格はキングの半分ほど。飼育員の足をつついたり、道草を食ったり、何とも愛らしい。

気がつくと、ペンギンたちは目の前を通り過ぎていた。シャッターを切るのに夢中になり、肉眼でゆっくり観察する暇がなかった。名残惜しくレンズをのぞけば、鳥たちの後ろ姿の向こうに、老若男女の笑顔が満開。思わずピントをそちらに合わせ、レンズいっぱいにキャッチして、パチリ。

空はあくまで青く、一面の雪がまぶしい。
ここで今、動物も、人も、確かに生きている。
極寒の大地に、温かい余韻が残った。









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2013年05月14日

君のひとみは1万ボルトB

北海道東部の津別峠にて(2011年9月15日)

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ずいぶん前の話ですが。
道東を回った自転車の旅の途中。
屈斜路湖を雲上から一望できる標高947メートルの展望台から下りる道で2匹のキタキツネに出合いました。
2匹とも好奇心旺盛で、どこからともなく駆け寄って来たのです。
仲の良いきょうだいのようでした。
うち1匹は黄色いラインが入ったタイヤに興味があるらしく、
こちらがカメラを構えているうちに「カポッ!」
くわえられた時にはさすがに青くなりました。
ここでパンクしたら下山できない・・・
「それだけはやめてくれ」と頼んだら、離してくれました。
そのうちタイヤにも飽きたらしく、2匹はその辺を走り回ってじゃれ合い始めました。
通るクルマもなく、聞こえるのは風が通り過ぎる音と鳥の声。
いつまでも眺めていたい光景でした。
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2011年11月27日

君のひとみは10000ボルトA

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網走郡津別町、津別峠にて。

標高947メートルの展望台に上った帰りに出合ったキタキツネ。県道への合流地点で速度を緩めた自転車の私に、一目散に駆け寄ってきた。エサが欲しいというよりも、自転車に興味があるらしく、しきりに車輪を噛もうとする。小柄な体とあどけない顔つき。子どもと思われたが、瞳はやはり野生の輝きを帯びて、人に媚びてはいなかった。どこからともなく現れた2匹は、寝転がったりじゃれあったりしてしばらく戯れていたが、やがてどこへともなく姿を消した。

(2011年9月15日)
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2011年11月25日

シシャモのまち再訪 

 ネオン瞬く夜の街
 人の哀しみ包み込み
 妖しく誘う闇の底


地方の歓楽街ってえと、やっぱり駅の近くだな。
狭くて短いこの路地が、むかわ町民の憩いの場ってわけだ。
夕方来たときゃ、場末の匂いプンプンしてた。
スナックとか居酒屋とか、なんだちゃんと開いてんじゃねえか。
見違えたぜ。
ちゃんと人の暮らしが息づいてたんだな。

おっと、時間がねえんだ。
帰りの汽車は鵡川発、19時38分。
もう1時間半しかねえ。

へえ、叶寿司か。
こぢんまりした佇まい、渋いねどうも。
ここにすっかな。名前もいいし。

「お、ごめんよ」
「らっしゃい」

大将? 若いじゃねえか。
30代前半ぐれえか。
真ん中分けの茶髪、落ち着いた感じのあんちゃんだ。
職人ってより、どっかの会社のSEって方が通りそうな。

シシャモのにぎり、1人前8カンで1000円。
そう、それ頼むぜ。

「お茶、どうぞ」
あれ、さっき奥に座ってテレビ見てたおじさんじゃねえか。
もしかしてこの店のおやじさんかい。
そうかいそうかいそうなのかい。
板場は息子に任せて、給仕係ってわけだね。
いいねえ。頼もしいねえ。跡取りがいて。

「どうすんだろうねえ。この人」
するってえと、このおばちゃんは若大将の母ちゃんだな。
テレビで弾む家族の会話。
菅野のことだね。
そうそう、あれはおれもびっくりしたよ。
やっぱ気になるんだな。
日本ハムには来ねえと思うよ。
おれは北海道の人間じゃねえから、あえて言わねえけど。

「おまち」
お、来なすった。
あれ、なんか違うねえ。さっきの干物店のとは。
ネタがでけえや。シャリが隠れて見えねえ。
それに、どうだい、この輝き。
きれいなもんだねえ。
宝石みてえだ。

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なになに、1カンに1匹ずつ使ってるって。
なるほど、さっきの店のは、1匹で2カンだったっていうわけか。

「まず、その塩で食べてみて下さい」
え、ほんの少しでいいって?
指先にちょっとつまんで、まぶす程度ね。
パラ、パラ。
このくらいかい。
そいじゃ、まずひとつ。

うわ。
なんだなんだ。
この歯ごたえ。
肉厚だねえ。
噛むほどに、じゅわあっと口腔に広がる風味。
豊潤だねえ。
白身で見た目はヒラメみたい。
でも食感はハマチに近い。
コリコリして、しかも脂が乗っている。
初めてだよ、こんなの。

さっきと違う。
なんでこんなにうめえの?
「シシャモのすしは、店によって味が違うと思います」
え、どういうこと?
「シシャモってのはね、そのままでは生臭くてすしには向かないんですよ」
そうなの。すしネタって生じゃねえの。
「じつはシメて臭いを抜いてるんです。そのシメ方が店によって違うんです」
なるほどねえ。こちとら素人だから、そんなこと考えもしなかったよ。

若大将、ほかに客いねえのに、ずっと手を動かしていなさる。
さっきから何度かかかってくるのは注文の電話かい。
忙しいんだな。客は店だけじゃねえんだ。
「こんちわあ」ってほら、取りにきたよ街の人が。
地元の人も楽しみにしてるんだな。
「ふだんすしを食べないのに、シシャモは別という人もいて、この季節になると食べに来たりします」


忙しそうだからと会話を遠慮してると、若大将、ときどき声をかけてくれる。
客に対するこの気遣い、若いのに、てえしたもんだ。
「食べ歩きですか」って。
ええまあ。
でもそういわれると、見も蓋もねえ感じがしてなんだか恥ずかしいぜ。

「いい時にいらっしゃいました」
え、今年の漁期は11月9日まで?
あさってじゃねえか。ぎりぎりだ。
思い切って来てよかったなあ。
でもシシャモ漁って、11月いっぱいぐらいだと思ってた。
そう、今年は不漁だから打ち切りなの。
「海が変なんです」
どういうこと?
「サケも少ないし、サンマが豊漁だと思うと、ハタハタとかブリとか、この辺にはいないはずの魚が揚がってます」
今年はいろいろあったからねえ。
そういう影響もあるんだなあ。
「昔に比べるとやっぱり少なくなりました」
そうなのかい。
「僕なんかが小さいころは、秋になるとそれはもう、川が真っ黒になるほどシシャモが遡上して来て、子どもたちはみんな取りに行ってました」
シシャモって黒いの。
「川に上がってくるころには、黒くなります。味が落ちるので、こうやって食べる魚は、まだ海にいるのを取ってくるのです」

えっ、昨日来ればよかったって。
なんでなんで。
シシャモ祭り?
ああなるほど。
昨日は日曜だったね。
街は賑わったのかい。
500人前? そんなに作ったの。
へえ、札幌なんかからもねえ。
旬の味を求めて大勢やって来るのか。
やっぱり道内ではシシャモといえば、鵡川なんだね。
そうでもない?
ほう、シシャモは道東でも取れるんだ。
最近では釧路の方なんかでも積極的にPRしていると。
本家本元の鵡川としちゃあ、黙ってらんないってわけだ。
そりゃ、祭りでも何でもやって、人を呼ばなくちゃ。

なんだか、鵡川にもっと肩入れしたくなっちゃったな。
地物の魚、ほかにあったりするのかい。
マツカワね。ああカレイの一種。
マツカワカレイ。どっかで聞いたことあるな。
ちょっと、いくつか見つくろってくんねえかな、ひと皿。


「こんなのでいかがでしょう」

イクラ
タラコ
ホタテ(知床産)
ホッキ(地物)
サーモン
イカ
マツカワ(地物)
マツカワのエンガワ(同)

壮観な眺めだねえ、こうやって8カン並べてみると。
いやあ美しい。
食べるの、なんだかもったいないけど。
「食べてみてください」

ひええ、濃厚だ。
やっぱ魚だよ魚。
急ぐな急ぐな、よく味わって。
海の恵みを噛みしめなくっちゃ。


ついでにシシャモの天ぷらもいっとくかな、ここまできたら。

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「天ぷらはメスを使ってます」
サク、サク、サク。
うわあ、骨までよく火が通って、やわらけえや。
素材の味がよくわかるってのはやっぱ、料理人の腕なんだろなあ。
至福のひとときってやつだな、こりゃ。
サク、サク、サク・・・

「おあいそ」
「へい、2500円になります」
「安いなあ、おい」
って、思わず声が出ちまったじゃねえか。

「またどうぞ」
「ごちそうさん」
7時20分。ちょうどいいや。
そんなに寒くねえな。
おっ、お月さんだね。
なんだか明るいと思ったら。
鏡みてえな空に、光の輪郭がくっきり。
粋なことしてくれるじゃねえか。
「幸せだなあ、おれ」
柄にもねえけどな。
「根無し草も悪くねえ」
こういう空を見るとな。
そう、悪くねえと思っちまうんだ。

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2011年11月23日

シシャモのまち再訪 

 いやいやいやすっかり日が暮れちまった。

 まだ5時すぎなんだけどな。さすが北海道、夜が早えや。
 鵡川は思ったよりでっけえ川だった。がっちり固めてあって岸に近づけねえから、水の中なんて見えやしねえ。せっかく歩いて見に行ったのになんだか損しちまったな。
 おっと、こうしちゃいられねえ。日が短けえってのは、なんだかこう、気が急いてしゃあねえや。

 お、見えてきた見えてきた。道の駅「四季の館」。まったく立派な建物だな、相変わらず。駐車場もばかでけえし。去年は温泉入ったけど、たしか宿泊もできんだよなここ。

 うわ、さすがにあったけえや、中は。
 お、なんだか匂うと思ったら、ここにも売ってるじゃねえか、シシャモの干物。野菜とか加工品とか、むかわの特産品がひと通り揃ってやがらあ。観光客とすりゃあ、ここで買えば済んじゃうもんな。便利なもんだな、道の駅ってやつぁ。

 お、なんだこりゃあ。
 鈴木章記念ギャラリー? こんなのなかったぜ去年は。そういや、あんときゃあ、去年も11月の初めだったけどもよ、ちょうどノーベル賞受賞したばっかで、あっちこっちにポスターとか写真が貼ってあったよな。
 なになに、ノーベル賞の歩みをたどる? ちゃんと回廊みたいな展示室がしつらえてあらあ。要するに年表だ。学校時代の写真だの何だのと。小さな町から出た世界的人物。郷土の英雄として恒久的に奉ろうってわけだな。
 弟さんはたしか、シシャモの店を経営しなさっているとのこと。去年ニュースになってたよな。まさか、さっきの店か? わかんねえなあ、そこまで調べてこなかった。まあいいや。

 あれ、また何か展示してあるぞ。
 田畑真紀? へええ、そうだったの。あのスケートのな。鵡川ってのも、てえした町だな。あ、これ北京で着てたスーツだな。意外と小柄なんだな。まあでもスケートのスーツだから縮んでるだけかもしれねえ。
 覚えてるぜ、スピードスケート女子団体。長野県出身の小平奈緒ちゃんと、もう一人で善戦してたもんな。こらあ、あん時の写真パネルだ。最近は自転車でロンドン五輪トラック種目の強化選手になってたが、てえしたもんだ。あの根性はただもんじゃねえ。自転車界も最近は競輪学校に女子がいっぱい入ったっていうし、女子の選手層もだんだん厚くなってくるだろうけども、ベテランのアスリートとして可能性を見せてほしいよな。

 「じゃまするぜ」
 食堂、ぜんぜん変わってねえな。去年はここで刺身とフライ食ったんだった。どうすっかな今年は。

 なに? 刺身ねえって? 「生のものはありません」って、そりゃねえよ。ま、文句言ったって始まらねえか。しゃあねえ、じゃあこの「シシャモ丼定食」ってのにするか。惹句は「シンプルだけどうまい」。まあいいや、何でも食ってみるってもんだ。
 
 「おまたせしました」
 うわあ、シンプルだなこりゃ。白いご飯の上に、焦げ茶の魚が3匹。え、これは甘露煮だって? ほほう、この甘辛いやつで飯を食わせようってわけか。まあ、煮ちまうってのは、何にしても保存食だな。昔はこういう食べ方がポピュラーだったのかもしれねえ。それにしてもこれ、シンプルにも程かあるってもんだぜ。せめてご飯にタレくらいかけてほしいわな。

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 味は、と。んっオスだな。まあ、甘露煮だ。こうなっちまえば、とりわけシシャモじゃなくったっていいかもな。
 まあでも、うめえうめえ。それにしても、刺身とかフライとか、なんでねえんだろ。メニューにも書いてねえしな。経営者変わっちまったのかな。店のおばさんも、去年とは違うみたいだし。
 せっかく漁期に来たんだ。やっぱ生で食いてえな。観光客とすりゃあ。勝手な望みだけども。
 ま、とにかくここはさっさと片づけて、寿司屋に期待だな。っにしても食えっかな。けっこう腹にくるぜ、ご飯ものは。
 店はどうすっかな。目当ての大豊寿司は休みだし。まあとりあえずあの、飲み屋が並んでた通りに行ってみっか。寿司屋も何軒かあったな、たしか。
posted by Dandelion at 09:41| 長野 ☀| Comment(0) | 北海道の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月16日

シシャモのまち再訪 

 北海道勇払郡むかわ町。


 また来ちまった。もちろんシシャモを食うためよ。なにしろ年に1ヵ月だからな、獲れるのは。ぼんやりしてるヒマはねえのよ。季節は駆け足で過ぎ去っちまう。今しかできねえことをやる。それがオレの流儀よ。
 え、日帰りで北海道なんて馬鹿だって? ってやんでえ、こちとら遊びでやってんじゃねえや。休みが少ねえんだからしょうがねえじゃねえか。野暮なこというねぇ、さては、てめえ、さしずめシャケージンだな。

 ちぇ、だれもいなくなっちまった。そういやあ、ここ、無人駅だったな。ま、しゃあねえか。あと1時間半は汽車来ねえしな。とりあえず行くとするか。もう3時だもんな。すっかり夕方だよ。さすが北海道だよ。霜月も7日ともなると、お天道様も遠慮なさる。それが道理ってもんよ。もっとも今日は雲に隠れて拝めそうもねえけどな。

 そうイヤア、「ししゃも」ってでっけえ看板出した干物の店があったな。たしか、突き当たり、あの大通りを左だった。まずはそこ行ってみっか。寿司屋はまだ開いてねえだろうし。

 思ったより風があるな。なんだか空気がピンピン張りつめてやがる。朝7時に長野出ても、結局この時間だもんな。そこが日帰り者のつれえところよ。

 おっ、あったあった。「カネダイ大野商店」。店先いっぱいに吊るした干物の数、あいかわらず壮観だねェ。

 「ちわあ」
 「いらっしゃいませ」
 おんなじシシャモなのに、なんだか値札がいっぱいあってよくわかんねえや。
 「まずオス、メスで値段が違います。それからまた、それぞれ大きさによっても変わってきます。基本的には10匹で1セットになります」
 
 なるほどねえ。よく見ると、たしかにいろいろありやがんな。
 「中で焼いて食べることもできますよ。よろしければいかが」
 さすがだねえ、おっさん。如才ないねえ。観光客、いっぱい来るんだろな。バスでドバっと。いい場所にあるもんな、この店は。

 メスの小が900円。オスの中が780円。やっぱメスの大とかにすりゃあよかった。それにしてもオスなんてのは、北海道でしか食えねえもんな。本州で売ってるのはカラフトシシャモっていうやつで、そもそも種類からして国産のシシャモとは別物だっていうしな。カラフトシシャモのオスなんてのはお目にかかったことねえなあ。

 なんだ、中は食堂じゃねえか。えっと、このメスの小とオスの中を2匹ずつ焼くことにして、あとは、握りずしと、シシャモ汁ってのを食ってみっか。そっちは食券買うんだったな。すしと汁の「ししゃもずしセット」、1300円。けっこうなお値段だこと。まあ、せっかくだから、食うべし。

 「こちらにどうぞ」
 おばちゃん、焼いてくれんのか。なに? 自分で焼くの。このホットプレートで? 
 「クッキングシートをこうやって敷いて、その上にシシャモを乗せます。あぶらが滲み出してきたら、ひっくり返します」
 焦げ目をつけないってわけか。なるほどねえ。

 地元の人かな、あの家族は。子どもたち、うれしそうに食ってやがらあ。多少、着飾ってるところをみると、あの老夫婦なんかは、さしずめ札幌あたりから来た客だな。こんだけ並んでるテーブル、たぶん団体客仕様なんだろ。まあ、昼時なんかは一杯になったりすんだろな。

 焼くの、時間かかるねえ。なんだかじれってえな。こちとら気が短けえんだ。炭火かなんかでこう、パチパチいわせながらパッパ焼いた方がうめえような気がすんなあ。まあ、地元の人がこっちのやり方がうめえとおっしゃるんだから仕方ねえ。
 
 お、きたね。にぎりと汁。白身だけど透明じゃねえんだな。汁は澄ましか。干物を焼いたのが1匹丸ごと、そのままの形で乗ってやがる。やることが豪快だねえ地元は。煮てあんだな。底の方にはにんじんに、ごぼうに、大ぶりの椀に盛り沢山の田舎汁。うまそうじゃねえか。


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 まずはすしを。ちょっとネタが小せえな。さては1匹で2カンだな。8カンだから、4匹。ちと高いような気がすんな。味は・・・うーん、よくわからねえ。ネタが小さすぎんだよ。シャリの風味の方が勝っちゃって。やっぱ、すしはすし屋で食わなきゃだめだな。

 汁。ズルズルズル。まあこんなもんか。田舎汁だから味は濃いわな。根菜はさすがに味が染みてうめえや。肝心のシシャモの方はと・・・なるほどな、たしかに焼いたやつだ。こうやって、あえて汁に入れなくてもいいような気もしねえでもねえな。でもまあ、うめえもんだ。ここでこれを食えるってことがでえじなんだ。

 おっと、焼けてきたね。いよいよ本家のお出ましか。
 まずはオス。
 おっ? なんか違うねえ。味が濃い。脂がジュワっと、口の中に風味が広がる。干物なんだが、たとえばメザシなんかとは違って、みずみずしい。たしかに魚を食ってるというこの実感。さすがは本場、やるじゃねえか。
 いよいよメス。
 まず1匹。おや? もう1匹。うーん。なんだかよくわからねえ。あんま変わらねえ感じもすんなあ。スーパーのと。若干小せえんだな、やっぱり。カラフトシシャモもシシャモも、卵の方の味は似たようなもんなのかもしんねえな。するってえと、問題は身の方なんだけれども、ほとんど申し訳程度しかついてねえから、身自体の味がいまいちあいまいだ。しかしまあ、大したもんだねえ、シシャモってやつは。こんだけ身を削って卵を宿してやがるんだ。そうやって子孫を残そうとしてる。くぅ、泣かせるじゃねえか。生き物の鑑だね。

 「うまかったぜ、ありがとよ」
うわ、もう日暮れ。4時か。早えんだな。東だから。去年来たのもたしか、11月のはじめだったっけな。あん時は着いたのがもう夜で、時間も迫ってたから、道の駅のレストランしか行けなかった。刺身とフライを食ってシシャモを味わった気になってたが、やっぱり甘かったね。シシャモってのはいろんな食べ方がある。ほんの一時期にしか獲れない貴重な魚を、地元の人はあれこれ工夫して、一生懸命味わおうとしてる。旬の味ってのはよ、土地の暮らしと切っても切り離せねえ関係にあってよ、だからこそほんとに味わおうとしたら、奥が深いもんなんだよな。

 寿司屋はまだだろうなあ。日があるうちに、鵡川っていう地名そのままの川にでも行ってみっか。それから去年行った道の駅「四季の館」も覗いて、夜になったら寿司屋にしよう。一番の楽しみは最後に取って置くタイプ。ちぇっ、相変わらずけちくせえなァ、オレって人間は。
 
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2011年02月18日

水の都、上川町

 湿りを含んだ冷気が、やさしく頬に触れた。駅前広場の真ん中に立つと、町を取り囲む低い山並みを見渡すことができた。広くて立派なロータリーには、タクシーが1台。平屋の駅舎の屋根越しに、傾きかけた太陽が、光の筋を投げかけてくる。
 メインストリートにも、歩く人の姿は見当たらなかった。「ラーメン日本一のまち」と染め抜かれた黄色い幟が、あちこちに掲げられている。静まり返った街を、リュックを背負った自分の影を追うようにして歩く。ところどころ、歩道が濡れていた。今朝あたり、雪が降ったのだろう。建物の軒先から、ぽつりぽつりと水滴が流れ落ちている。
 鳴き交わすカラスの声が、遠くの空にこだまする。北見行きの列車が出るのは1時間後。どこかで食事ができればと思うのだが、なかなか果たせない。飲食店の戸口には決まって「準備中」の札。昼には遅く、夜には早い。ちょうどそんな時間帯に重なってしまった。
 家並みが途切れるところまで歩いて、別の通りをまた戻って、やっと1軒、営業中の店を見つけた。丸太を半分に割ったような看板に「らあめん道 あさひ食堂」と、筆文字で書かれている。
 角に立つ建物は木材の質感を生かした、まだ新しい建物だった。大きすぎず小さすぎず、街のラーメン店としてはあか抜けて見える。格子戸を入ると、板張りの室内に木のぬくもりが感じられた。広いオープンキッチンを囲んでカウンター席があり、窓際にはテーブルが数席並んでいる。
 客はいないが、はやりの店であることは雰囲気でわかった。揃いの法被を着た女性が3人、きびきびと立ち回っている。テーブルも床も、掃除が行き届いて気持ちよかった。
 
 「ファン必食! うまさK点越え! 原田スペシャル(正油味) 1100円」
 この店の目玉なのか、メニューにはそんな文字が躍っていた。そう、この上川町は、あの原田、日本のスキー・ジャンプ黄金時代にエースとして活躍した、原田雅彦の故郷なのだ。長野五輪で日本中を湧かせた大失敗と、直後の大飛躍、今でも忘れられない。
 「みそらあめん、ください」。さんざん迷った末に、750円のスタンダードなやつを注文する。列車の時間が迫っていた。あと30分。豪勢な「原田スペシャル」をたいらげる自信はなかった。
 有名店らしく、壁一面に有名人のサインが並んでいる。中でも、HTB(北海道テレビ)「おにぎりあたためますか」の3人の写真付き色紙は、一番目立つ位置に張られていた。大泉洋、戸次重幸、HTBの佐藤アナの3人が全国各地を食べ歩くというこの番組は、長野でも毎週見ることができる。

 「みそらあめん」は悪くなかった。札幌の味噌ラーメンとはまた違う、あっさりとして透明感のある味が、好ましく感じられた。
 「ラーメン日本一」というのは町おこしの一環として始まったキャンペーンだという。そう言われれば、その方面には疎い私でも、どこかで上川ラーメンの名声は聞いた気がする。
 「上川は水がいいからねえ、ラーメンがおいしいのよ」
 3人のなかでも年長格の女性が教えてくれた。さらりと一言、そこには有名店の気負いのようなものは少しも感じられなかった。「上川ラーメン」は単なる観光ブランドではない。美しい水で作るラーメンがおいしいのは当たり前。だから食べる。上川の人はおそらくそういう意識で、自分たちのラーメンを愛しているのだろう。
 
 駅に向かう道すがら、立ち止まって、一服する。幾分、時間の余裕は残っていた。暮れなずんで陰影を増した街に、相変わらず人の姿は見えない。温まった体に、山の冷気が心地よかった。
 ふと、どこからか、水の音が聞こえてきた。軒先から落ちる雪解けの水だ。その音は流れるようでもあり、滴るようでもある。目を閉じると、それは街の四方八方から、はっきりと心に響いてきた。どこからというわけではない。水音は街に遍在しているのだった。
 水の町、上川。何の根拠もなく、そんな惹句が浮かんだ。
 
 そこに行けば
 どんな穢れも
 洗い流されるというよ
 誰もがみな行きたがるが
 遥かな世界
 
 水はすべての生命の源。清らかで、懐かしいその響きに、しばらく時間を忘れて耳を傾けた。
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2011年02月11日

はじまりの記憶A〜新十津川町〜

 昼下がりの陽光を受けて、川面が黄金色に瞬いている。滝川駅前を出て約10分、小さな路線バスは、市街地を抜け、長い橋にさしかかった。石狩川をまたぐこのまっすぐな橋を渡れば、いよいよ新十津川町だ。
 乾いた空はどこか色褪せて、時折吹き抜ける風に、そこはかとなく晩秋の寂しさが漂う。終点の町役場前でバスを降りると、どことなく日が傾いているように感じた。まだ午後2時前である。間口の広い、神殿のような重厚な役場の建物を横目に、「新十津川開拓記念館」へ向かう。
 役場から道を挟んで隣接する敷地に、開拓記念館はあった。一帯は公園として整備されている。刈り込まれた芝生の上に、紅葉したカエデの木が影を落とす。石畳の広場には、ナイフの刃を3本組み合わせたようなモニュメントが屹立している。いかにも北海道らしい、ぜいたくな空間の使い方が気持ちいい。その広場の後景に、記念館の建物が控えていた。レンガ調の外壁にはめ込まれた装飾窓。正面には2階の玄関へ続く階段が据えられ、その威厳あふれるたたずまいは、どこか大学の図書館を連想させた。
 人の気配がなかったが、受付を覗くと、係員がガラス窓を開けて応対してくれた。入館料140円を払ってパンフレットを受け取り、中へ入る。最初の展示は「新十津川の自然と歴史」。開拓以前、まだ何もない原野だったこの土地のあらましが、出土した土器や石器とともに紹介されていた。
 リノリウムの床に、自分の足音が響く。一昔前の博物館のようなレイアウトの展示が、ホテルのロビーくらいの空間に広がっている。見学者は自分一人のようだ。
 
 新十津川の歴史は、明治22年に始まる。その年の8月、奈良県吉野地方は大水害に見舞われた。なかでも山間部の十津川郷は、山津波ともいわれる地滑りで多数の死者を出し、3000人もの住民が家と田畑を失ったという。壊滅的打撃を受けた村は、村民の救済策として北海道への集団移住を決定する。10月、600戸2600人が北海道に向け出発。滝川で冬を越した人々は翌23年6月、当時トック原野と呼ばれていたこの地に入植した。
 十津川郷といえば上代から朝廷と深い結びつきを持つ土地柄。災害から入植許可まで2カ月という異例の早さで事が運んだ背景には、明治政府の厚遇があったという。食糧、旅費、農具や種、道路建設費まで支給され、遠く奈良から来た人々は、そうした政府の全面バックアップのもと、新たな故郷の建設に取りかかったのである。
 入植にあたっては、1戸あたり5町歩(1万5000坪)が貸与された。これはその後の北海道開拓の標準となった殖民地区画制度の最初の適用だった。新十津川の開拓は一種のモデルケースでもあったというわけだ。
 当時の区画地図が展示されていた。石狩川の両岸に広がる土地に縦横の線が引かれ、碁盤の目の1つずつに戸主の名が記されている。川沿いの区画には、カタカナの名がちらほら見える。アイヌの人たちだろう。土地の良し悪しは判別できないが、広さは和人もアイヌも変わらない。この時点では、先住民にも平等に土地が割り当てられているようだ。
 しかしながら、ここでよく考えてみる必要がある。この場合の平等とは何を意味するのか。それはつまり、私有地という概念のない人々を閉じ込めるということだ。狩猟や採集で暮らしてきた人々にとっては、土地に線を引くということ自体、理解できなかったに違いない。農耕の術も知らず、結局のところ、アイヌの人々の多くは、与えられた土地を放棄したり、だまし取られたりしたのだという。法的にみればこれは違法ではない。収奪は多くの場合、正当な手続きに則って行われる。西部劇映画さながらの光景が、この日本でも繰り広げられていたのだ。法的な正当性と正義はどこまで重なるのか。ぜひともサンデル先生に採り上げてもらいたいテーマである。
 
 「その地図、面白いでしょう」
 振り返ると、初老の男性が立っていた。先ほど受付で応対してくれた人だ。
 「ときどき、奈良から見に来る人がいるんですよ」と言って、古地図を指差す。
 「ほら、この曲がりくねったのが石狩川。今いる記念館はこの辺ですね」
 私たちは、ガラスケースの中を覗き込んだ。
 「碁盤みたいな線は土地の境界を表しています。この小さいマスのひとつが5町歩。名前は入植当時の人たちのものです。奈良県の十津川村から来た人ですね。ここからご先祖様の名前を見つけて、あったあったと言って、みなさん喜ぶわけです」
 よどみなく男性は説明した。古びた展示史料が、リアルな感触を伴って見えるようになる。曲がりくねった墨の線は水色に染まり、碁盤のマスのひとつひとつが草木の緑色を帯びて、浮き上がってくるような気がする。
 説明というよりは、丁寧に教え諭すような男性の口調。思わずこちらからも質問したくなる。
 「じゃあ、係員さんのご先祖もここに?」
 「・・・いや」
 会話の流れが途切れた。
 もしかしたら失礼な問いだったろうか。初対面なのに。自責の念が頭をかすめる。男性はガラスケースから目を離すと、やおらこちらに向き直った。そして穏やかな表情はそのままに、こう言った。
 「・・・私はね、月形の生まれなんです。だから名前はないんです」
 男性は、子どものころ一家で新十津川に移ってきた。家族のルーツは富山にあるという。
 「奈良より、北陸とか四国から来た人の子孫の方が多いですよ。今の新十津川は」
 「えっ、そうなんですか」
 意外な答えにそれ以上、継ぎ足す言葉が見つからなかった。こうなったらもう、聞くしかない。先生のさらなる説明を待つことにした。話を総合すると、つまり、こういうことらしい。

 最初に入植した十津川の人たちは、山国出身ということもあり、木を伐採して開墾する作業は得意だが、広い土地を耕すのは不慣れだった。だから時代が下ると、離農したり離村していく人が増えた。明治30年以降、国の政策で畑作から稲作へ農業がシフトしていくにつれ、北陸や四国の米作りに長けた人々が、より多く移住してくるようになる。入植は1回きりではない。第2陣、第3陣と、開拓者は絶え間なくやって来る。だから当然、出身者別の人口構成も変わっていくというわけだ。

 奈良にルーツを持つ町民は、昭和35年の時点でもう1割ほどになっていたという。「新十津川の発展」というコーナーにはそのようなデータも示されていた。水害や冷害など、幾多の困難を乗り越えて、現在の新十津川は道内でも有数の米どころになっている。展示はそのように締めくくられていた。
 
 展示を見た後、事務室にお邪魔して、お茶をいただいた。聞けば、男性は元教師で、退職後、この記念館で嘱託職員として働いているという。案の定、説明上手なわけだ。
 普段ほとんど意識することもないが、注意して見るならば、今でも確かに、町のルーツとしての「母村」の存在を感じ取ることができる。学校では剣道が盛んだし、食堂のメニューには「めはりずし」がある。いま67歳の男性が就職したころは、十津川方言を話す2世の人がまだいたそうだ。
 受け継がれたものと途絶えたもの。120年の歳月のなかで、母なる村の記憶は絶えず刷新されながら、この遠く離れた土地で今もなお、人々の中に生き続けているのだ。男性の話を聞きながら、興味はいつまでも尽きなかった。
 記念館を出て、閉館時間をずいぶん過ぎていたことに気づいた。カエデの木が、石畳に長い影を延ばしている。10月も、あと3日で終わりだ。11月になればこの記念館も休館する。北海道はいままさに、長い冬の眠りにつこうとしている。夕日に染まり燃えるようなカエデの赤が、目の奥に焼きついていつまでも残った。

 
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参考文献  川村たかし『十津川出国記』北海道新聞社
      司馬遼太郎『北海道の諸道 街道をゆく15』朝日文庫
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2010年12月26日

海炭市点描

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 暗く、長い、まっすぐな大通りが、静かに、冷たく、夜の中に延びている。通りの真ん中に引かれた二条の光の筋は、路面電車の線路だ。ときどき、思い出したように、風が吹き抜けて、砂粒のような雪を運んでいく。乾いて、閉ざされた商店街のなかに、1軒の定食屋が店を開けていた。引き戸のガラスを通して、店の明かりが、黒い街の一角にぼんやりした暈を浮かせている。私は、その定食屋の入口の脇の席に腰掛けて、サケのハラス焼きを食べていた。据わりの悪い木の卓子に、リノリウム張りの床。なんとなく白々しい店内に、お笑い番組の声が響いている。
 隣のテーブルに、夫婦らしい中年の男女がいた。ホッケの塩焼きをつつきながら、面白そうに話して、時々静かに笑い合っている。卓子の上で脂がうまそうに光るハラスの身をほぐしながら、私はさっき見たばかりの映画のことを思っていた。「海炭市叙景」というその作品は、この函館をモデルにした架空の街が舞台になっていた。そこに生きる人々の人生の断片を、オムニバス形式に語る群像劇だった。
 原作を書いた佐藤泰志という小説家のことを知ったのは、つい最近のことだ。1949年函館生まれ。高校卒業後上京、大学に行き、会社に勤めながら小説を書き続けた。その作品は芥川賞候補に何度も挙げられたが受賞には至らず、1990年に自ら命を絶ったという。雑誌の記事で知った未知の作家の経歴と、「海炭市叙景」という題名の響きに、惹かれるものがあった。映画化を機に出た文庫本を読んで、好感を持った。
 ひとつの街のなかで展開される18篇の物語。個別に生きる人々の小さなエピソードが有機的につながってゆく過程で、地方都市のいまの姿が浮かび上がる。海(造船、漁業、青函連絡船)と石炭(炭鉱やそれに付随する鉄道など)によって成り立ってきた「海炭市」は、静かに、しかし確実に衰退への道を歩んでいる。それが、80年代後半のバブル経済期の日本で、取り残され、忘れ去られようとしている函館の写し絵であることはすぐわかる(実際の函館には炭鉱はないが)。時代の移り変わりのなかで否応なしに変わっていく故郷のありようを、佐藤泰志は、嘆くでもなく、是認するでもなく、ただひたすらに見つめ、書き留めようとしていた。ある時は突き放し、またある時は寄り添って、その独特な距離感の保ち方が印象的な小説だった。
 「ほら、皮が残ってる。ホッケは皮がおいしいんだから」
 隣の女が言うのが聞こえた。魚の食べ方を知らない男は、「ああそうなの」と生返事をして、話題を元に戻そうとする。会話がまた、曖昧になった。肩越しに感じる団欒が、私の心を柔らかくする。彼と彼女は今、同じ場所で、同じ時間を生きている。何気ないけれど、確かな手応えのある人生。その一端を垣間見た気がしたのである。
 「いやいや、そんな、人に聞かせるような人生じゃないですよ」
と、彼らは言うかもしれない。でも佐藤泰志なら、それがそれほどありふれたものであっても、彼ら隣人たちの人生を、物語に描くことができるだろう。彼らの善と悪、希望と絶望、喜びと悲しみ、夢と現実…取りたてて語られるほどでもない人生のさざ波を、注意深く見つめ、感じ取って、形にすることができるだろう。
 炭鉱の閉山で仕事を失った兄とその妹。再開発が進む郊外の街で立ち退きを拒む老女。プラネタリウムで働く市職員。二代目として家業の燃料店を任された若社長…。佐藤泰志は、そんな人たちの生きざまを、生活者の目線で描き出す。冷静な観察眼を保ちながら、人々の暮らしに、そっと寄り添う。実直な文体には、土地の匂いと温かさがある。 
 入り口のガラス戸が風に叩かれて、がたがた鳴った。肩越しに、隣の席が動くのを感じた。何も言わず、男が先に店を出て行き、残った女が勘定を払った。お笑い番組は終盤に差し掛かっている。隣のテーブルに、ホッケの皮が半分残った皿がぽつんと見えた。女が出て行くと、妙に店ががらんとした。店内にはまだ数組の客がいる。私はハラス焼きを食べ終え、テレビを何となく眺めていた。騒がしい音は耳に入ってこない。印象に残った映画の静かなシーンが、ぽつぽつと心に浮かんだ。
 映画の出来は期待したほどではなかった。でも函館まで来て見た甲斐はあったと思う。「海炭市叙景」という映画は、さっき見たあの映画館、五稜郭近くにあるシネマアイリスの支配人が、市民から協賛金を集めて作った作品なのだ。プロの俳優に交じって、市民が重要な役を演じてもいる。撮影シーンのほとんどが市内ロケというだけあって、函館の街の現在の姿がよく映っていた。
 小説が書かれて20年余り、現在の函館には佐藤泰志が見ていたのとはまた別の風景が広がっている。不況や過疎といった現代のテーマをうまく取り入れて、映画は丁寧に作られていた。でもその真摯な姿勢は、小説の映画化という点からみれば、ひとつの限界を示すものであるように思える。
 小説の大きなテーマは、中央=東京との関係の中で、地方がどう生きるかというところにあった。登場人物はみな、華やかな東京の幻想と、地方都市の現実の間で揺れ動き、屈折した思いを抱えていた。故郷に対する、じりじりするような焦燥感。それが、映画にはなかった。ばっさり抜け落ちていた。
 それはしかし、映画の巧拙云々といった問題ではないのだろう。「中央−地方」「東京−函館」という、小説が前提としていた二分法が、今ではそれほど自明ではなくなっている。またこの街のかつての繁栄の記憶は歴史の彼方に遠ざかり、小説が書かれた時代の生々しさは失われてしまった。そんな時代になぜ、あえてこの街を舞台に映画を作るのか。小説とは別の意味で、映画は映画なりの試行錯誤をしているように見えた。
 人生から希望や未来を差し引いた後に残るものとは何か。2010年の「海炭市叙景」が差し出すのは、そのような問いである。ここに映し出される「叙景」は、がさがさした手触りで、潤いがない。人生の前途には、終わりなき日常の原野がどこまでも広がっているだけのように見える。そこに救いがあるのか、ないのか。わからないままだ。映画は、ただそこに転がっている。それを拾うのかどうか、また拾ってどうするのか。それはあなた次第ということか。
 気がつくと、店の客は自分だけになっていた。静かになったテレビは今、ドラマを流している。ガラス戸を開けると、凍えた風が襟元に流れ込んできた。上着のジッパーを一番上まで引き上げ、外に出る。雪氷が苔のように張りついて鈍く光る大通りの真ん中を、路面電車が通り過ぎていった。1両しかない電車の、黄色い灯のゆらめきが、黒い街並みに残像を漂わせて、遠のいていく。電車のテールランプが闇の中に消えるのを見届けてから、私は運動靴の紐を締め直した。駅はまだ遠い。滑って転ばぬように、路上光り具合を見極めなければならない。油断は禁物。焦らず、確実に進むほかないのだ。自分に言い聞かせて、冬の底に一歩を踏み出す。
 
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2010年12月08日

はじまりの記憶〜当別町〜

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 札幌市中心部から北東に直線距離で約20`、札沼線の普通列車で45分ほどのところに、当別という町がある。鉄道と国道が通じ、いまでは膨張する札幌都市圏の一部になりつつある当別町だが、この町が有する歴史はきわめて独特であり、興味深い。
 当別町には、殿様がおられるのである。
 北海道の大半の土地がそうであるように、この町の歴史も開拓に始まる。明治2年の北海道開拓使の設置で本格化した新政府の移民政策に、多くの(とくに東北諸藩の)士族が応じたことはよく知られる。「戊辰の汚名をすすぐ好機」「北門の警備は武士の本領」という旗印で、行き場を失った士族たちが新天地を求めて海を渡っていった。
 仙台の伊達家一門、岩出山(いまの宮城県大崎市)の10代目領主である伊達邦直が、北海道開拓を決意したのは明治2年のこと。禄高を減らされ家臣を養うのもままならない現状を打開しようと、その家臣ら領民とともに、自らも故郷を離れることにしたのである。
 明治4年、180名の移住者とともに渡道するも、最初の土地は不毛のため断念。代替地の踏査から始めて、いくつもの挫折を乗り越え、当別にたどり着いたのが明治5年。そこからやっと開墾が始まるのである。
 「伊達邸別館・当別伊達記念館」は、開墾以来、当別に定住した伊達氏の現当主が寄贈した建物と史料を保管する町の施設である。10月27日の訪問時は冬を先触れするような寒風と曇り空の午後であり、見学者の姿はなかったが、町の嘱託職員である年配の管理人氏が快く案内してくれた。
 伊達邸別館は町の文化財に指定される木造2階のこじんまりした建物で、来村する名士の宿泊や村政執行の会議に使われたという。宿泊者一覧には、皇族や、西郷従道や樺山資紀といった政府高官の名もあり、彼らと応対する邦直の胸中がしのばれた。
 記念館に所狭しと並ぶ伊達家伝来の宝物類は、一国の主たる矜持を守らんとする武士の一分の表れであるように思えた。この辺境の地に、裃や蒔絵の食器、屏風や遊具まで持ってきていることが驚きであった。 
 開拓にまつわる史料の展示にはやはり興味をひかれる。岩出山出身の絵師の手になる「当別開拓の図」は、鬱蒼とした森に囲まれた開墾地で作業する村人たちを巡視する邦直の姿を書き留めていた。陣笠に大小差し、従者を1人連れている。そんな絵を見ていると、殿様がここで何をしようとしていたのかが、おぼろげに見えてくる気がした。
 殿様は、新しい国づくりを夢見たのではないか。巻物に筆で記された「邑則」なる展示が、ふと心に浮かんだそのような推測に現実味を与えた。邑則とは察するに村の憲章である。「まつりごとは衆議にて行うべし」「子を産んだ者は直ちに届け出るべし」といった条文が30ほど箇条書きに並んでいる(ここに挙げた文言は正確ではない)。明日の糧もままならない、文字通りの「自然状態」のような状況のなかで、秩序を作り出す。その秩序こそが人々の希望になりうることを殿様は知っていたのではないか。あくまで推測以上のものではない。しかし展示物を見るかぎり、殿様のエネルギッシュな行動主義は、貴顕たることの義務と使命感あってこそのものだったように、どうしても思えてくるのだ。
 「北海道には他にも内地から殿様が来てますけど、ここの殿様は帰らなかった。代々ずっと、この当別におられるんですよ」。帰り際、伊達家別館を出た私に、管理人氏は教えてくれた。「ほら」と指差す方を見ると、壁を隔てた向こうの敷地に、シンプルな造りの2階建の邸宅がある。「いまは4代目の直宗さんが、あの家に住んでおられます」。別邸はあの敷地から現在の位置に移してきたという。つまり、殿様の居宅はいまも明治のころと同じ場所にあるのだ。門柱には「伊達」と彫り込んだ、まな板くらい大きい表札が掛かっていた。
 当別の踏査、道路開削から数えて140年。今年は節目の年だそうだ。140年前の殿様の夢は、この地にしっかり根を下ろして、花開き、豊かな実りをもたらしている。この町を初めて訪れた私の、率直な感想である。深い意味はないし、根拠もない。でも、そう思わずにはいられないのである。なにしろ、手付かずの原生林に道を付け、田畑を作り、家を建てたのだ。そこに人が集まり、やがて村ができ、町になった。ゼロからの創造。そんなことをやってのけた人々なのだ。北海道の風景は、数え切れない人間たちの、途方もない労苦と希望の成果なのである。



追記
ちなみに札幌の南側、室蘭の隣にある伊達市を開拓した伊達邦成は、邦直の実弟。やはり仙台の伊達一門で、現在の宮城県亘理一帯を所領していた殿様だそうです。
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2010年11月12日

いかめし礼賛

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 森といえばいかめし。いかめしといえば森。言わずと知れた駅弁の最高峰である。函館発着の特急列車の車内でも買えるけれど、静かな駅に途中下車して、売店のおばちゃんから出来たてほやほやのあったかいのを受け取り、各駅停車の車内でゆっくり流れる車窓を眺めながら、味わってみたりするのもなかなかいいものである。
 縦15センチ、横10センチくらいの折詰に、まるまると太ったイカが2尾。耳からかじるか、胴からいくか。胴側の端に刺された楊枝をつまんでしばしの思案。迷った末に、思いきって耳の方からかぶりつく。やわらかく、それでいて歯切れのいいイカの中から、ふんわりもっちり白いご飯がこんにちは。このぎっしり感がたまらない。口の中いっぱいに広がる醤油の香ばしさ。日本人でよかったなあと思う。駅弁でありながら、化学調味料や保存料を使っていないのもうれしい。
 駅の売店には、「いかめしグッズ」も揃っている。布製のトートバッグとデジカメケースは藍と白の2色展開。「元祖森名物 いかめし」と製造元の「阿部商店」のネーム入りだ。パッケージを模したキーホルダーは、スライドさせると中身のイカが飛び出すという小技が心憎い。


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舞台は転じて、道央旭川。新駅舎の開業で劇的に洗練された旭川駅の、新たな名物となりつつあるのが「イカスミごはんのいかめし」だ。その名が示すとおり、最大の特徴は真っ黒に輝くご飯。うるち米ともち米を蒸した後、イカスミで調理するという。イカの色も本家に比べると、日焼けしたように濃い。
 昼下がりの上川行き鈍行に乗り込み、列車が市街地を抜けたところで、黒い紙のパッケージ開陳。今度は胴側から攻めてみた。臭みはまったくない。イカもご飯も見た目よりやわらかく、総じてあっさりした味わいだ。じっくり手間をかけて調理されたものを口にできるありがたさ。歯が黒く染まることもないから、その幸せを心ゆくまでかみしめればいい。
 ここのいかめしは、楊枝を外してある。この点は注意が必要だ。急いでいた私は箸をもらい忘れ、仕方なく手づかみで食べることになった。聞けば安全のためだという。気づかずに飲み込んでしまう人がいるのかもしれない。

 駅弁でいえば、函館駅の「ひらめ一押鮨」も絶品だった。あの高級魚が惜しげもなく、にぎりになって6貫入り、それで1200円とは、一体どういうことか。ヒラメは津軽海峡に面した知内産。軽く燻した肉厚の切身は白く透き通り、宝石さながら。その輝きが眩しい。生で食べる白身魚のとろけるような食感…いや、もう何も言うまい。理屈じゃないのだこの味は。

 五感を全開にして駅弁を食す。この季節、魚好きにはこたえられない北海道の旅なのだった。
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2010年11月08日

長万部の僥倖

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 試しに下りてみた長万部に、温泉があるという。不意をつかれた。長万部といえば「かにめし」と由利徹のギャグしか知らなかった自分を恥じた。「万難を排して、行くべし」。心の声が命じるので、予定の列車を1本見送ることにして、駅から徒歩10分という温泉街に向かった。
 駅前広場を左に出て、雨に濡れた国道を歩く。3時すぎだというのに、もう薄暗い。灰色の街に、商店のネオンサインが白々しく瞬いている。かすれた字で「長万部温泉 近道」と書かれた看板にしたがって細い路地に入り、歩行者専用の跨線橋で線路を渡ると、小さな旅館が軒を連ねる一角に出た。

 温泉街はしんと静まり返っていた。端から端まで往復してみる。時折車が通り過ぎる道を歩いているのは自分だけ。建物にも人の気配が感じられない。どうしたものか。逡巡しながら歩く。「日帰り入浴歓迎」という看板を掲げた旅館がいくつかあった。迷っていても埒があかない。そのうちの1軒に狙いを定めた。
 ガラス戸を開けると、センサーの電子音が響き渡った。玄関の片隅に子ども用の自転車が置いてある。帳場にはだれもいない。数秒して、足音が近づいてきたと思うと、エプロン姿の女性が奥の方から姿を現した。
「ごめんください。温泉入れますか」
「どうぞー、入られますよ」
「じゃあ、お願いします」
「入られます」という言い回しが新鮮に聞こえた。靴を脱いで上がる。お母さんとおばあちゃんの間くらいの年代のおかみさんは、エプロンで手を拭きながら、「500円になります」と言った。
 赤いじゅうたん敷きの廊下をミシミシ歩いていると、どこかで女の子の声がした。お孫さんだろうか。遊びにきたのか同居しているのか。そんなことが、なぜか気になる。
 浴室は設備は古いがきちんと手入れが行き届いていた。ライオンの口から絶えず湯が供給され、もうもうと湯気が立ちのぼっている。掛け流しである。
 広々した浴槽に身を沈めた。熱めの湯は、手応え十分。出がらしの緑茶のような淡黄色で、しょっぱい。しばらく浸かって熱さに慣れると、今度は別のぬくもりが、肌を通してゆっくりとしみこんできた。身体の奥深くから外側に向かって、解きほぐされていくこの感じ。たまらない。思わず「う〜」と声が漏れた。
 目の前は裏庭のようである。無造作に植えられた灌木と雑草が漠然と広がっている。大きな窓を開けると、ひんやりした外気が流れ込んだ。身を乗り出して、しばらく体の火照りを鎮めていると、無数に漂う湯気の粒子が風に乗って流れているのが見えた。静寂のうちに、わが心にうずくもやもやがだんだん晴れていくような気がした。おまえはいったい、何に追われているのか。小さなダンゴムシが1匹、朽ちた木の窓枠を伝って、通り過ぎていった。
 長万部の温泉は、「高張性弱アルカリ性高温泉」だという。「高張性」というのは、人体の細胞液よりも高い浸透圧を持つということ。「高温泉」とは42度以上の温泉。脱衣所に掲げられた説明書きにはそうあった。なるほどね。あの快い感覚は浸透圧によるものだったのか。脱衣所にはドライヤーが備えてあった。なにげない心遣いがうれしい。
 厨房では夕食の準備が進んでいるらしかった。食堂の前を通ると、いいにおいがした。準備をしているのだから、宿泊客はあるのだ。どんな人が泊まるのだろう。そんなことも、なぜか気になる。
 相変わらず帳場には誰もいなかった。女の子の声も聞こえない。仕方ない。このまま帰るか。戸に手をかけると、また電子音が鳴った。すたすたと歩いてきたおかみさん。頭に三角巾を巻いている。こういう宿では一家総出で食事を作るのだろう。みんな忙しいのだ。
「ありがとうございました」
「はい、ごくろうさまでした」

 旅館の看板に明かりがともっている。軒先に赤い提灯を並べた宿もある。午後4時20分。温泉街は、さっきとは見違えるように華やいだ雰囲気に包まれていた。
 雨はやみ、光が差している。跨線橋からは、夕焼けに染まる空を360度見渡すことができた。灰色の雲はいつの間にか後景に退き、すみれ色の空が、どこまでも広がっている。長い夜の前に用意された束の間のスペクタクルに、しばしの間、見入った。
「こういう一瞬を見逃すでないぞ」
北海道の自然が、身をもって示してくれているのだろうか。
深まりゆく晩秋の風に、きりりと身の引き締まる思いがした。
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2010年11月06日

柳葉魚の味

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 午後7時過ぎの鵡川駅前は漠然として、取り付く島がなかった。一緒に下りた高校生たちは早々に去ってしまい、静まり返った駅舎に、行き場のない旅行者だけが残された。
 旬のシシャモを食べたい。そう思って来てはみたものの、これではお手上げだ。どこに行けば食べられるのか。駅は何も教えてくれなかった。
 苫小牧から日高本線で30分、北海道の南へ突き出た三角形の付け根辺りに位置するむかわ町は、シシャモの産地として知られる。「柳葉魚」と書いて、シシャモと読む。日本固有のシシャモは、本州あたりで干物として売られている輸入ものの「シシャモ」とは別の種類の魚なのだそうだ。漁期は10月から12月初旬。この時期、シシャモはサケのように産卵のため川を遡るという。
 その貴重な魚を求めて、街を歩く。駅近くの大通りには、確かに「ししゃも直売店」という看板を掲げた店が何軒かあったが、どこも閉まっていた。そういえば、あの、ノーベル賞を受賞した鈴木章氏の弟さんの店も、この町のどこかにあるはずだった。
 海の方へ向かって10分ほど歩くと、広い国道に出た。だだっ広い駐車場に囲まれて、真新しい建物があり、「道の駅 むかわ四季の館」とある。「ししゃも料理」という幟が出ていたので入ってみると、中に食堂があった。
 ししゃもを食べに来たというと、20代くらいの若い店員さんは、刺身を勧めてくれた。生の刺身は旬の今しか味わうことができないという。確かにそうだ。その刺身と、フライとから揚げがセットになった「ししゃもフライ定食」を注文してみた。
 ほどなく、刺身の登場。細く細く三枚に下ろした切り身は、イワシのような青魚を想起させる。口に入れるとコリコリと歯切れよく、味も食感もさっぱりしてクセがない。「柳葉魚」とはよくいったものだ。
 続いて、フライとから揚げ。思ったより小さい。10センチにも満たない丸揚げがたくさん盛られている。近所の食堂で食べたワカサギフライ定食に見た目はそっくりだが、サクサクした食感といい、素材の風味といい、まったく比べものにならない。
 聞けば、全部オスだという。干物ならやはりメスの方が高いのだが、本当にシシャモらしいうまさをいろんな形で味わうならオスがいいのですと、店の兄さんは言った。さっき迎えてくれた店員とは別の人だが、顔立ちが似ている。兄弟だろうと思われる。道の駅だけど、何となく家族的雰囲気の漂う、いい店だ。
 ししゃもフライ定食800円と、ししゃもの刺身500円。シシャモづくしの夕食は意外とリーズナブルである。併設の温泉で旅の疲れと孤独を癒してから、町を後にした。
 今度はシシャモの寿司を食べに来よう。

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posted by Dandelion at 04:25| 長野 ☀| Comment(0) | 北海道の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月01日

冬を待つ季節

 秋が足早に通り過ぎていく。ひと雨ごとに寡黙になる風景を前に、漂泊への憧れが胸の奥でうずくのはなぜなのだろう。日に日にあわただしさを増す季節の移ろいに何となく心急かされて、気づけば北へ向かう列車に身を委ねていた。
 10月27日、札幌。夜行で到着した朝、薄い雪化粧の街を歩く。初雪のニュースが全国に流れた翌日である。道行く人々は冬の装い。みんな分厚いコートに身を固めている。薄手のブルゾンの身には冷気がこたえた。
 大通公園で思わず足を止めたのは、木々に緑が残っていたからだ。全体的に紅葉はそれほど進んでNEC_0045.jpgいないように見える。その一方で、芝生には一面に落ち葉が散らばり、その上にうっすらと雪が積もっている。秋はまだ終わっていない。冬はまだ始まっていない。季節のはざまに垣間見えた色彩の競演。その鮮やかなコントラストに、しばらく目を奪われた。
 この広い北の都は、どれだけ歩いても飽きることがない。「春夏秋は、冬を待つ季節」という歌のフレーズが心に浮かぶ。中島みゆきもこの街の人だった。厳粛な四季の移り変わりによって研ぎ澄まされた言葉のひとつひとつをかみしめながら、その後も札幌の街を歩き回った。めぐる季節のなかで、私はいったい何を見つけるのだろうか。
posted by Dandelion at 10:17| 長野 ☔| Comment(0) | 北海道の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする