2016年06月28日

不条理に抗う 熊本地震ボランティア@ 宇城市

ひび割れた壁は、割れ目に指を入れて引っ張ると、簡単にはがれ落ちた。2階の八畳間の、生活のにおいがしみついた壁。何十年もそこにあり、暮らしの風景の一部であった壁というものは、これほど簡単に崩れてしまうものなのか。壊すのは後ろめたいが、それが依頼だから仕方がない。この家のおじいさんは、地震で亀裂が入った部屋の壁を全部取り払って、リフォームすると言った。新しい壁を作るのは本職の大工に頼むとしても、壊す作業は自分たちでしなければいけない。でも高齢の自分たちでは無理だから、ボランティアを頼んだという。

「この辺のきれいな部分は残しときますか」
防塵マスクを外して、リーダーのコガさんが訊ねる。「そこも壊してください」とおじいさん。
「わかりました。じゃあ思い切ってやってしまいましょう」
コガさんが無傷の壁に木槌を打ち込むと、再び共同作業が始まった。木槌で壁を砕くのは、コガさんと、女性のナカムラさん。割れた壁を、手ではがすのは私。畳の上に散らばった破片を、女性のスガノさんがほうきで集め、それを若いタジマさんが土のう袋に入れ、たまったら手の空いた人が1階に下ろす。誰が指示するでもなく、それぞれが臨機応変に自分の役割を見つけて、てきぱきと作業を進めていく。

熊本で大きな地震が続いていた4月中旬、私は腹が立って仕方がなかった。繰り返し流れる緊急地震速報。揺れるたびに破壊される街。何度も何度も、同じ地域が襲われる。その執拗さが許せなかった。
「なぜ熊本ばかりがこんな目に遭わなければならないのか」
運命とか宿命とか、そんな言葉でこの災禍を解釈して納得することはできなかった。これが仮に人智を超えた力によるものならば、今を生きている人間として、その力に抵抗しなければならない。壊されたものは、元に戻さねばならない。試練に屈しないという意思表示、それが私にとってボランティア活動だった。活動先を探し、駅に送迎してくれるという宇城市災害ボランティアセンターを選んだ。

部屋の壁は、1時間もするとすっかり取り払われてしまった。みんな、ついさっき初めて会ったばかりとは思えないチームワークである。5人は、松橋駅前からの送迎バスにたまたま乗り合わせた面々。ボランティアセンターでマッチングの結果、そのままチームを組むことになり、現場に向かう車の中で、簡単な自己紹介をした。リーダーを引き受けてくれたコガさんは60代で、福岡から来た元県職員。ナカムラさんは30代の調理師、スガノさんは40代の主婦で、いずれも福岡の人。30代のタジマさんは図書館職員で、千葉県から来たということだった。

部屋を丁寧に掃除し、玄関先の土のう袋を門の脇に集める。作業が一段落すると、家のおばあさんがお茶を出してくれた。ガレージに椅子まで用意してもらって、恐れ多いが、ありがたくいただくことにする。ガレージで同年代のご近所さんと「女子会」をするのが楽しみだったというおばあさん。地震の後はそれどころではなかったけれど、近々再開することが決まったのだと笑顔で語る。この家もそうだが、近所はほとんどの家が瓦が落ちて、屋根にブルーシートが被せられている。明らかに傾いている隣のアパートは取り壊しが決まって、住人が立ち退いたということだった。2回あった大きな地震のうち、14日よりも16日の揺れの方がひどかったと、おじいさんとおばあさんは口を揃えて言う。その後は家に入るのが恐くて、1週間ほど庭で車中泊したという。

「みなさん、どこから来なさったの」とおばあさん。私も聞かれ「長野からです」と答えると、「まあまあ、それはそれは」と言って、塩尻や諏訪湖を夫婦で旅した思い出を話してくれた。おじいさんによると、息子さんが山梨に住んでいて、数年前に訪ねたついでに長野にも寄ったとのこと。「長野は自然がいっぱいあって、いいところだねえ」。老夫婦にとって、今の状況は苦境であるに違いない。それなのに自分たちの訴えは後回しにして、見ず知らずの他人を気遣っている。人はこんなにも強く、優しくなれるものなのか。私はこの人たちの気持ちをどのように受け止め、どのように応えればいいのだろうと、途方に暮れる。

集めた土のう袋は後日、集積所に運ぶとのことで、私たちは夫婦に別れを告げ、センターに戻った。運動公園の一角に設けられたセンターは、芝生の広場の上をさわやかな風が吹き渡り、たたずんでいるとここが被災地であることを忘れてしまいそうだ。昼食にそれぞれ持参したパンやおにぎりを食べていると、活動報告を終えたコガさんが戻ってきて、午後からはセンターに集められた廃棄物の分別をすることになったと告げた。

衣類、家具の破片、書類、カセットテープ、洗剤の容器・・・センターの外れの区画には、被災した家々から出た不用品が山と積まれていた。雑然とビニールや紙の袋に入れられたそれらを一つ一つ取り出して、燃えるもの、不燃物、金属、木材、というふうに仕分けしていく。処分場は分別しないと受け入れてくれない。後日そこへ運ぶための準備を、手が空いたボランティア総動員で進めようということだった。雨で濡れていたり、ガラスや釘が混じっていたり、作業は思いのほかつらいものであった。総勢30人ほどで協力し、地道に続ける。ここでも、指示を出す人、道具を持ってくる人、というように、自然発生的に役割分担が出来てくるのが面白い。仕切る人はやはり現場の事情に通じたベテランで、何週間も滞在して活動を続けている人が何人かいるようだ。分業体制が明確になるにつれて、全体の作業の効率も上がる。2時間ほどかけて何とか片付けることができた。

午後3時ごろ、すべての活動が終了。さっさと帰ってしまう人もいれば、残って雑談している人もいる。駅に戻る私たち5人は、帰りも一緒だ。送迎車の中で、せっかくなので「食事でも」ということになった。松橋駅周辺に店が見つからず、熊本駅まで行って、駅ビルの郷土料理店で食卓を囲んだ。みんな疲れてはいるけど、まだまだ元気な様子。活動で感じたことなどを話していて、全員が熊本でのボランティアが初めてだったということが判明する。ベテランの雰囲気を漂わせるコガさんも、つい2日前に熊本市のボランティアセンターまで行ったものの、雨で活動のニーズそのものがなくなり、断念したという。宇城市に来た理由としてみんなが挙げたのは、やはり送迎だった。同じ九州といっても、熊本の地理をよく知らない。だから連れて行ってもらえると安心なのだと、福岡の人たちは言う。そこから九州各県の特色ある個性、といった雑談が始まり、たとえば語尾の言葉では「〜ばい」と「〜ちゃ」の地域性とか、博多の男女比は女性の割合が高く、それは女性が地元志向であることの表れであるとか、そういう話題になるとがぜん強いのは女子で、特に主婦のスガノさんを中心に会話が盛り上がるのであった。

午後4時半、人吉で泊まって明日は観光するというナカムラさんを駅前のバス停で見送り、後は三々五々、解散ということになった。在来線で帰るというコガさんやスガノさんと別れ、私とタジマさんは新幹線で博多に向かう。物静かで、朝の作業も最初のうちは見ていることが多かったタジマさんだが、夕方の食事会ではだいぶ打ち解けた様子だった。人生初のボランティアで、やはり緊張していたという。ヘルメットと安全靴を入れた私のバッグを指差して、「やっぱり買った方がいいですかね」と聞く。東日本大震災の時、気になりながら何もしなかったのがずっと心に引っ掛かっていて、それが今回の活動につながった。そんな身の上話もしてくれた。

「みなさんのおかげで一歩踏み出せました。来てよかったです」
博多の駅で別れ際、タジマさんが握手を求めてきた。その手にはびっくりするくらい、力が込もっていた。
「おつかれさまでした。僕はこれからも来るつもりです。また一緒にやりましょう」
答えながら、自分でこれは社交辞令なんかじゃなく、心からの言葉だと思った。

私はきっとまた行くだろう。あの土地が人手を必要とする限り、暇を見つけて何度でも行くに違いない。とにかく壊されたものは、直されなければならない。大したことはできなくても、大事なのは続けることだ。不条理には屈しないという意志を示し続けることだ。


RIMG5480.JPG

*活動日 5月18日
 宇城市災害ボランティアセンターは5月31日をもって閉所。九州以外からの一般ボランティア受け入れは 終了している。
posted by Dandelion at 11:43| 長野 | Comment(0) | 九州・沖縄の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月27日

ミッドナイトラントレ日記195 「42歳、分別より多感」

とはいえ、陸上の日本選手権で1万、5千の2冠を達成した大迫傑選手の圧倒的な走りなんかを見てしまうと、「やっぱりおれも走らなあかんな」というわけの分からない欲求が体の奥の方から湧いてきて、3日連続になるというのに仕事から帰るやいなや、走り出てしまう42歳なのであった。

なぜか体が動いたのは、短パンにしたのと、月を久しぶりに見たからか。

まだ自分には伸びしろがある、と信じたい。

10.775km
5分14秒/km
695kcal
posted by Dandelion at 04:56| 長野 ☁| Comment(0) | ランニング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月26日

ミッドナイトラントレ日記194 「42歳の起用法」

3000安打まで17本に迫っているイチロー。レギュラー出場すればもっと打つのでは、と言われるけれど、「代打、時々先発」という今の起用法が実は適切で、それが3割5分の打率につながっているのではないか。連戦、連戦のメジャーでフル出場を続けるのは、さすがの彼とてつらかろう。

こちらは、24時間じゃ回復しない42歳。連日走ると、蓄積で得るものよりも消耗で失うものの方が大きい気がする。「代打、時々先発」で限られた機会を生かす術を覚えなくては。長く続けるために。

8.806km
5分29秒/km
572kcal
posted by Dandelion at 07:50| 長野 ☁| Comment(0) | ランニング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月25日

ミッドナイトラントレ日記193 「街角の政治」

英国、国民投票で「EU離脱」が過半数。
離脱するか、残留するか。投票へ向け、その辺の街角で、その辺の市民と市民が顔を突き合わせて議論している光景が印象的だった。
下から積み上げていくデモクラシー、のイメージ。国民投票という方法やそれによる結論の是非はよく分からない。さらにいえば、街角の議論が国民の意思にどうつながっていくのかも不明。それはそうなのだが、それにしても、ともかく彼の国には、今も古典的な公共性が、確かに息づいていると感じた。

長野は今夜も雨。
濡れて体が冷えたのが良かったのか、調子は悪くなかった。

10.508km
5分26秒/km
696kcal

posted by Dandelion at 05:40| 長野 ☁| Comment(0) | ランニング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月23日

ミッドナイトラントレ日記192 「心頭滅却すれば雨もまた心地良し」

細かい雨粒が顔に当たり、むずむずして集中できない。
仕事が立て込んだり、遠出したりで、ご無沙汰。
疲労は取れているはずなのだが。
何にも煩わされずに、頭をからっぽにして走りたい。

9.551km
5分30秒/km
633kcal

posted by Dandelion at 04:45| 長野 ☁| Comment(0) | ランニング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月21日

太宰治、もうひとつの家

太宰治は終戦間際の昭和20年7月、妻子を連れて故郷の金木に帰った。三鷹の家と、甲府の妻の実家が続けて空襲に遭い、津軽の生家を頼ったのであった。長兄が後を継いでいた津島家で、太宰と妻子が1年余りの疎開生活を過ごしたのが、母屋(いわゆる「斜陽館」)の離れであった「新座敷」。その建物は現在、斜陽館から100メートルほど離れた場所にあり、「太宰治疎開の家」として一般公開されている。

「まず、これを見てください。この中に太宰がいます。どれか分かりますか」
入館料500円を払うと、男性がモノクロの写真を見せてくれた。洋間の長椅子に座る5人を正面からとらえたショット。左端に、赤ん坊を抱いた学生服の少年がいる。指差すと、「その通り。さすがですね」。写真の太宰は16歳で、一緒に写っているのは三番目の兄と、弟、それに幼い姪2人。この新座敷で撮られ、平成21年に初公開された写真という。「洋間は当時のまま残っています。今からご案内しますね」

受け付けから靴を脱いで奥に入ると、「ここからが新座敷です」との案内板。建物はつながっているが、別棟らしい。男性の後について新座敷に入ると、廊下がキュッキュッと鳴った。鴬張りだそうである。離れの部屋は五つ。洋間は、コの字形の建物の真ん中にあった。白壁で、造りつけのソファがあり、その上の大きな装飾窓から陽光が差し込んでいる。「これ、写真の背景に写っていましたね」と示されたのは、壁に造り付けの木の扉。開けると、中は棚である。ここに洋酒の瓶をずらりと並べていたそうだ。よく見ると扉には、ハートの形の細かい彫刻が施されている。新座敷は、太宰が13歳の時、長兄文治の新婚生活のために建てられたのだという。「凝っているでしょう。まだ新築のころ、少年の太宰はこの部屋にいたお嫁さんをそっと覗いて、母屋の人たちにその様子を報告したそうです」

次に案内されたのは、太宰が書斎にしていたという六畳間。真ん中に文机と座布団が置いてある。「座ってみてください」と勧められ、腰を下ろしてみた。床の間、ふすま、梁、天井・・・年月を経た部屋にはまだ生活感が漂っているようで、懐かしい感じがする。なんだか知り合いの家に遊びに来たような気分だ。太宰はここで、「トカトントン」や「庭」など23作品を執筆したそうだ。

RIMG5521.JPG

続きの部屋は、太宰の母が病室に使っていたという十畳間。疎開の3年前、太宰は病床の母を見舞うため、初めて妻子を連れて帰郷した。その時のことを「故郷」という作品に書いている。
「母は離れの十畳間に寝ていた。大きいベッドの上に、枯れた草のようにやつれて寝ていた」
母に妻を紹介し、わが子の手を握らせた後、ひとり洋間に退き、涙をこらえる。作品には、そんな情景が描かれている。
「いろいろあって、太宰はその前の年まで10年間故郷に帰れませんでした。実家に対しては複雑な思いがあったでしょう。お母さんの姿を見てどんな気持ちだったか、この部屋で想像してみてください」
男性は、手に持った家の間取り図と、新潮文庫のページを示しながら、語りかけるように説明を続ける。静かな口調に説得力があって、話を聞いていると、ここで暮らしていた津島家の人々の姿が立ち上がってくるようだ。

男性は白川さんといって、この建物の現在の所有者ということだった。新座敷は戦後、母屋を売却して青森に移った津島家が、金木の居宅として残し、現在地に移された。その後、人手に渡り、昭和39年に買い取ったのが、隣の敷地で呉服店を営んでいた白川さんの父親。ずっと使われていなかったが、家業を継いだ白川さんが39歳の時、諸々の事情で店を閉めることにしたのを機に、貴重な建物の存在を多くの人に知ってほしいと公開を始めたそうだ。

訪れる太宰ファンに正しい説明ができるようにと、作品や資料を読み込んで勉強したという白川さん。平成19年の公開当初は知る人ぞ知る「疎開の家」だったが、そのうちに雑誌などでも紹介されるようになり、少しずつ存在が知られてきたという。「説明、うまいですね」と言うと、「いえいえ、まだまだです」とほほ笑む。「店をやっている時は接客が下手で、商売は向いてないとよく言われたものです」。謙虚な言葉のうちに感じられる強い意志。この人の人生についての話も、ゆっくり聞いてみたいと思った。

帰りしな、受け付けの隣にある販売スペースで、「太宰トートバッグ」と「走れメロスTシャツ」を買った。「疎開の家」オリジナルである。これらのグッズは白川さん自ら企画したもので、インターネットのサイトやイベント出展などでもPRして、販路を開拓しているということだ。「最近やっと軌道に乗ってきたかな、という感じです」。施設の運営から建物の手入れまで、行政などの補助は受けず、個人で続けているとのこと。所有者とはいえ、その苦労とはいかばかりのものであろうか。

疎開の前年、35歳の太宰は津軽地方を巡る旅に出て、「津軽」を著した。その中で「大人とは、裏切られた青年の姿である」と書いているが、彼は大人になることで初めて、故郷と素直に向き合えたのではないか。年齢を重ねて、親や兄弟、親戚、友人たちと「大人の関係」を結ぶ術を身に着けた彼は、やっと故郷に居場所を見つけた。新座敷にたたずんでいると、ここがその「居場所」であったのかもしれないと思えてくるのだ。

パーソナルな作家のありようを、時を経てもなお、パーソナルなままに感じられる場。それを支えているのは、一市民のパーソナルな志であった。太宰が故郷と向き合った居場所は今、その作品を愛するすべての人の居場所として、開かれている。

RIMG5509.JPG


posted by Dandelion at 06:43| 長野 ☁| Comment(0) | 東北の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月14日

ミッドナイトラントレ日記191 「闘いの季節」

とにかく蒸し暑い。
精神的にでなく、物理的に体が動かない。
暑さに対する弱さは、老化の兆候か。
闘いの季節が続く。

10.213km
5分16秒/km
670kcal
posted by Dandelion at 09:03| 長野 ☔| Comment(0) | ランニング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月11日

ミッドナイトラントレ日記190 「イチロー師匠」

私が私淑するイチロー選手は、いつも内股気味。体重を体の内側に集中させている。だから、ひざが中に入る。これは身軽な動きの源泉であり、あらゆる運動の基本となる体の使い方であるに違いない。

心掛けるも、昨日からの疲労と暑さで、途中からグダグダに。

メジャー3000安打まで、あと27。

6.867km
4分54秒/km
441kcal
posted by Dandelion at 06:14| 長野 ☀| Comment(0) | ランニング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月10日

ミッドナイトラントレ日記189 「自己内対話」

「今日はなんかしんどい、歩きたい」
「歩いてもいいけど、その代わりプラス1キロな」
「それはいや。今日時間ないし」
「じゃあ、止まるな」
「わかった、止まらないから、その代わりペース落とす」
「まあええか、それで」

隙あらば楽をしようとするオレと、そうはさせまいとハードルを上げるオレ。
走る頭の中で、絶え間なく続くネゴシエーション。
交渉しては合意し、合意しては交渉し。
その日、その時の両者の力関係で、走りの量と質が決まる。
今日はいつもと比べて、やや後者が強かった。

12.405km
5分9秒/km
804kcal
posted by Dandelion at 11:15| 長野 ☁| Comment(0) | ランニング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月08日

自由への逃走 〜走れメロスマラソン

彼は釈然としなかった。メロスは一体何の為に走ったのか。友情と信頼の為? 圧政への反抗と正義の為? ああ胡散臭い。そのような解釈は批判されねばならぬ。かの男は、何の事情も知らぬ親友セリヌンティウスの命を差し出したのだ。シラクサの暴君ディオニスの前に、おのれの軽率な言動の代償として。自作自演の自己陶酔以外の何物でもないではないか。彼は納得できなかった。大義を背負って走る姿は確かに美しい。然し、美は走ることの本質とは関係ない。何より、走るという行為は自由であるべきだ。他律でなく自律。人は何の為でもない、自分の為に走るのだという信念を示す為に、彼は此の五所川原にやって来たのだ。

5月29日朝、雲ひとつない青空である。彼は駅前から真っ直ぐ延びる通りをぶらぶら歩いて、出走会場の「立佞武多の館」に向かった。近づくにつれ、街がざわめいてくる。開会式では「太宰の孫」津島某という代議士が挨拶していた。風貌からすると中年のようだが、何歳なのだろう。政治家の地盤が津島家の中でも太宰の系統に引き継がれていることに、彼は歴史の皮肉を感じた。きょうは是非とも、あの「金木の殿様」の末裔に、人間の自由の存するところを見せてやろう。彼は4月に初めてのフルマラソンを完走したばかりであった。体調は万全とは言えぬが、ハーフならそれなりには走れるという自信があった。入念にストレッチをして、準備は整った。午前9時。さて、彼は大きく息を吸い込むと、ゴールの金木小学校に向けて、矢の如く走り出た。

市街地を回り、線路をくぐり、田園地帯に入る頃には、日もだいぶ昇って、そろそろ暑くなってきた。彼は額の汗をこぶしで払い、行く手を見据えた。真っ直ぐな一本道が延々と続き、その両側に見渡す限りの水田が広がっている。太宰が「淡い」と書いた津軽平野の緑だが、彼の目には十分過ぎるほど鮮やかに映った。

時計は1キロ4分15秒、快調ペースに気を良くして5キロ行き10キロ行き、そろそろ中間点に到達した頃、彼は背後に声を聞いた。
「ひも、ひも」
何度も呼びかけるような声が気になって足元を見ると、ああ、何ということ、靴紐が解けているではないか。急いで道端に寄り、腰をかがめて結び直す彼に、一人の壮年ランナーが追い越しざま、声を掛けた。
「怪我するよりは良いだろう」
彼は、注意を無視してしばらく走り続けたのを恥じた。
「かたじけない」
礼を言って立ち上がると、急いでランナーの背中を追った。

緑の平野を抜け、牛舎の脇を過ぎ、「津軽すこっぷ三味線快館」の角を曲がると、道は再び集落の中へ入った。靴紐で失った時間を取り戻そうと一気に駈けてきたが、流石に疲労し、太陽がまともに、かっと照ってきて、彼は幾度となく息苦しさを感じた。これではならぬ、と気を取り直しては、肩の力を抜いて深呼吸するのだが、ペースダウンは明らかであった。ああ、42.195キロを走破したというのに、おれはその経験を少しも生かすことができぬのか。今ここで疲れきって動けなくなるとは情けない。自由は、おまえのいう自由とは、その程度のものなのか。メロスは、太宰は、合点して私を笑うだろう。そうして走る自由の価値は、美しい物語の陰に隠れてしまうのだ。どうせおれには走りを捧げる存在などいない。だから走り続ける強さを持てない。それで結構、だらだら走ればいいさ。やんぬる哉。

ふと、行く先の沿道に、人の群れが見えた。朦朧としたまま顔を上げて目を凝らす。給水ポイントである。よろよろと吸い込まれるように彼は近づき、手を伸ばした。紙コップの水で喉を潤し、スポンジの水を頭から掛けた。「頑張ってください」とボランティアの女子高生たち。夢から覚めた気がした。走れる。行こう。肉体の疲労が蒸発すると共に、希望が生まれた。義務遂行の希望である。日の光を受け、緑が輝いている。津軽平野の風が優しく肌を撫でて、吹き渡る。私には、待っている人も期待してくれる人もいないけれど、何物にも縛られない自由がある。私は、その価値を守らねばならぬ。今はただその一事。走れ! 自分。

あと5キロ。自己ベストは無理にしても、恥ずかしいタイムを記録に残してはならない。少なくとも1時間35分台は確保せねば。彼は腕を振り、体を前傾させ、風のように走った。金木の街に入り、斜陽館の前を駆け抜け、壮年ランナーを再び捉えると、一気に追い抜いた。急げ、遅れてはならぬ。自分に負けてはならぬ。今こそ証明するのだ。自由の価値を。見える。赤い屋根、あれが金木小学校の校舎か。でかいな。あと500メートル。力を振り絞って、彼は走った。時計の表示が35分に達したとき、彼は疾風の如く金木小学校の敷地に突入した。間に合った。


RIMG5488.JPG
posted by Dandelion at 07:09| 長野 ☀| Comment(0) | ランニング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月06日

ミッドナイトラントレ日記188 「生きとし生けるものの営み」

郊外に出ると、カエルの大合唱。顔や腕に絡みつくクモの巣を払いながら進む。
季節はめぐり、命は再生産を繰り返す。
走ることも、言ってみれば命の営みのひとつ。
自然の原理の一部のように、こちらも途切れることなく走り続けよう。

14.573km
5分12秒/km
948kcal
posted by Dandelion at 07:19| 長野 ☁| Comment(0) | ランニング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月03日

ミッドナイトラントレ日記187 「夢」

走った後、テレビを見ながらちょっと休むかと、ベッドに寝転がったというところまでは覚えている。気がつくと6時間経っていた。飛行機が墜落する夢を見た。自分は北海道にいて、知人を乗せた軽飛行機を見送っている時に、その飛行機が離陸直後にバランスを崩して墜ちたのだった。携帯で119番通報している自分がいた。知人の死を悲しみながら、なぜ事故の写真を撮らなかったかと悔やんでいる自分がいた。

目覚めたテレビで、北海道の男の子発見のニュース。こちらは夢じゃないらしい。よかったよかった。

9.600km
5分16秒/km
632kcal
posted by Dandelion at 12:29| 長野 ☀| Comment(0) | ランニング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする